Asparagus officinalis L.
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| 2004年5月 | 
地中海沿岸原産と考えられるアスパラガスは,古代ギリシャから若い芽が食材として利用され,ローマ時代には広く栽培されていた(次記事参照).
日本には中国経由で江戸中期に移入され,ツンベルクによれば出島のオランダ人向けの食材として長崎で栽培され,また江戸で栽培されていた.江戸での栽培は観賞用であったらしく,梅園の美しい図譜には食材としての記事は無い.
明治初期以降,食材として大規模に栽培するための栽培・調理法の文献が見られるが,その栽培法はローマ時代の大カトーの提唱した方法とオーバーラップする所が多く,ローマ時代にはこの植物の特性を把握した栽培法が確立していたことが窺える.
「本草鏡」は斎藤憲純の著作で「本草綱目」所収品について市販薬材の良否・産地・由来などを記す.文中の年記や引用文献から安永(1772-80)の頃の著作らしい.「白井年表」は稲生若水の弟子とするが,年代的に合わない.著作には松岡玄達およびその門下の名を挙げることが多いので,玄達の弟子かも知れない.
「本草鏡 草之七 蔓草-百部 ---- 
漢渡アリ  一種茴香葉ノモノハ即今ノキジカクシナリ   庚寅ノ歳*初テ漢渡アリ形和ヨリ大ニシテ味苦シ」とある(右図,NDL).
*明和七年 (1770) ,この「漢渡のキジカクシ」がアスパラガスと考定されている(磯野,明治前園芸植物渡来年表).
*明和七年 (1770) ,この「漢渡のキジカクシ」がアスパラガスと考定されている(磯野,明治前園芸植物渡来年表).
出島のオランダ商館で医師として勤務し,館長の江戸参府に随行して,紀行文を残し,またリンネの弟子として日本の植物を研究した★カール・ツンベルク(Carl Peter Thunberg, 1743 - 1828)の” Resa uti Europa, Africa, Asia, förrättad åren 1770-1779”『一七七〇年から一七七九年にわたるヨーロッパ、アフリカ、アジア旅行記』には,
 ”Dezima
och Nagasaki 1776. (p.91)
”Dezima
och Nagasaki 1776. (p.91)
Uti Tragardarne, belagne inom och, ntom
Staden fan jag flere Europeiske Koks-vaxter odlade, och as hvilke jag redan set
en del 
「出島および長崎(1776年)
町の内外の菜園には、いくつかの洋風野菜が栽培されていた。野菜の一部は既にオランダ船の船内や商館でも食用に供されていた。それらは次のものである。アカカブ(Beta vulgaris) は、当地ではヨーロッパ以外の他の場所で見たものより一段と濃い赤色をしていた。ニンジン(Daucus carota)、ウイキョウ(Anethum
foeniculum) 、イノンド(Anethum graveolens)、ダイウイキョウ (Pimpinella
anisum)、パセリ(Apium petroselinum)、アスパラガス(Asparagus officinalis)、ネギ、タマネギ等々の各種ネギ類 (Allium fistulosum、 Cepa)、カブラ(Brassica rapa) 、ダイコン(Raphanus)、サラダナ (Lactuca
sativa)、チコリとキクジシャ(Cichorium intybus &
Endivia)、その他いくつかの種類があった。」(『江戸参府随行記』東洋文庫)とある.
更に彼の★『日本植物誌』Flora Japonica(1784)には,“ASPARAGUS.
officinalis            A. herbaceous, erectus foliis fetaceis, stipulis paribus.
                             Asparagus
officinalis. Linn. Syst. Natt. Tom. 2. p. 274
                             Japonice:
Kikak Kusi.
                             Crescit
in Iedo cultus"
と江戸で栽培されているとの記事がある(左上図,下部).
彼が江戸で観察した植物が,当時園芸植物として栽培されていた*キジカクシ (A. schoberioides) や,クサスギカズラ (A. cochinchinensis) (伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)である可能性はある.なお,Asparagus falcatus は,ヤナギバテンモンドウ.
彼が江戸で観察した植物が,当時園芸植物として栽培されていた*キジカクシ (A. schoberioides) や,クサスギカズラ (A. cochinchinensis) (伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)である可能性はある.なお,Asparagus falcatus は,ヤナギバテンモンドウ.
★毛利梅園(1798 – 1851)『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 – 1849)「夏之部七 天和十年(1839)六月二十二日寫生(右図)」には,写実的で美しいアスパラガスの図があり,「石刁柏 野天門冬 アスヘルチイ 蠻種 シカカクシ」と付記されている (NDL).「石刁柏」は漢語でアスパラガス,「アスヘルチイ」はオランダ語(asperge)由来と思われる.「シカカクシ」はキジより大きなシカが隠れるほど繁茂するとの意味か?
食用としてのアスパラガスが導入・栽培されるようになったのは明治時代で,「明治四年頃食用として輸入され,明治六年には勧業寮で試作して,各地に分配したのが食用として栽培の始とされている(佐藤清美『北海道地理学会会報』 No. 9.10, 1951年9月)」.「北海道のアスパラガスは1871(明治4)年、開拓使がアメリカより種子を導入し、札幌官園で栽培したのが始まりとある.【JAグループ北海道】北海道食材辞典」.1923年には北海道岩内町で,春先にアスパラガスに盛り土をして軟白させるホワイトアスパラガスが缶詰の原料用に栽培され(植物園だより 『シリーズ6・道産作物の主役たち』北大植物園(1996))」とある.
★開拓使蔵版『西洋蔬菜栽培法』明治六年(1873)には「ノテンモン 野天門 アスパングス」として記載され,種からの生育・栽培法が「畦幅二尺ニツクリ堆糞並牛馬ノ糞等ヲ埋メ肥トナシ三月二十日頃溝マキニナシ八九月頃マデ水糞ヲ両三回澆(そそ)キ十月中旬ニ至リ別畠ヲ畦幅五尺ニ作リ其正中ニ幅深サ共ニ二尺ノ溝ヲ掘リ其中ニ堆糞ヲ六七寸ノ厚サニ布キ土ヲ二寸許覆ヒテ一株ノ間一尺ツヽ隔テヽ移シ植ヘ土ヲ二寸許覆ヒ翌春暖氣ヲ得新芽ヲ生ズルニ随ヒ漸々両側(ダン/\リョウカワ)ヨリ土ヲ覆ヒ白幹(シロミキ)多カラシム又両側ヨリ土ヲ覆フニ時々食塩(シホ)ヲ些少(ワツカ)ツヽ撒布(フリチラシ)スヘシ宿根(子ノ??)シテ年々蕃茂(シケル)スル物ナレハ其心得ニテ培養ナスヘシ」と記され,「幹ノ軟若ナルヲトリ茹テ「ボートル」ヲカケ或ハ塩湯ニテ茹デ麺包?ニ「ボートル」等ヲ以テ製シタル汁ニ入レ用ユ其他割烹ノ法種々アリ」と調理法も欄外に書かれている.この「ボートル」はこの書中,他の西洋食用野菜の項にも調味料として頻出するが,調べ切れなかった.(札幌市中央図書館 デジタルライブラリー)
2016年5月13日 追記 朝井まかて★『先生のお庭番』徳間書店 (2012)
(出島の庭師としてシーボルトの日本植物の採集・育種・搬送に協力した熊吉が,鳴滝塾の宴会に出たときの文)
屋敷の中に入ると大変な人いきれで、長い方形の卓の上にはびいどろの瓶に入った葡萄酒が赤も白も用意されている。料理は葡萄酒で煮込んだ牛の肉に塩漬けにした家猪(ぶた)肉、殻つき海老の「そっぷ」という汁物、青物は阿蘭陀菜、それに「ぱん」と呼ばれる団子には牛の乳を固めて塩味を効かせた「ぼーとる」も添えられている。
通詞の吉岡正之進の姿が見える。客人らと盛んに喋りながら、西洋の小刀と三叉のような匙を器用に使って阿蘭陀の飯を食っている。奉行所の役人が蘭館の宴に招かれて料理のもてなしを受けた場合、塩漬けの肉とぼーとるは自らが口にせずに包んで持ち帰るのか常らしい。塩漬けの肉は滋養強壮の薬として、ぼーとるは丸剤にして肺病を病む者に服用させるのだ。
オランダ語でバターが boter.
2016年5月13日 追記 朝井まかて★『先生のお庭番』徳間書店 (2012)
(出島の庭師としてシーボルトの日本植物の採集・育種・搬送に協力した熊吉が,鳴滝塾の宴会に出たときの文)
屋敷の中に入ると大変な人いきれで、長い方形の卓の上にはびいどろの瓶に入った葡萄酒が赤も白も用意されている。料理は葡萄酒で煮込んだ牛の肉に塩漬けにした家猪(ぶた)肉、殻つき海老の「そっぷ」という汁物、青物は阿蘭陀菜、それに「ぱん」と呼ばれる団子には牛の乳を固めて塩味を効かせた「ぼーとる」も添えられている。
通詞の吉岡正之進の姿が見える。客人らと盛んに喋りながら、西洋の小刀と三叉のような匙を器用に使って阿蘭陀の飯を食っている。奉行所の役人が蘭館の宴に招かれて料理のもてなしを受けた場合、塩漬けの肉とぼーとるは自らが口にせずに包んで持ち帰るのか常らしい。塩漬けの肉は滋養強壮の薬として、ぼーとるは丸剤にして肺病を病む者に服用させるのだ。
オランダ語でバターが boter.
「〇石刁柏(おらんだきじかくし) 一名まつばうど Asparagus アスパラガス(英) Asperge
アスペルジ(佛) Spargel スパルゲル(獨) 宿根草百合科
石刁柏はきじかくしの類にして甚だ大きく成長する者なり三月上旬畑に撤播きし九月別の床に移植す原肥には堆糞を用い其後は塵芥及び鹽莚を以て根株に培かふ毎段播種の寮は二合とし種子は貯へて二年或は三年を經るも尚発生力を有てり三年の後より春月嫩芽を採収し瀹きて柔軟ならしめ焙りたる麺包と溶かしたる乳油に調へて食し又羹料(すらぶのみ?)となし或は鹽に調へまた乳油にて煠め食用に供す味甘く微し苦味を帯べ一種の佳味あり
第一号 コノバース,ココツサル
(Conover’s Colossal.)
米國種なり周囲二寸五部乃至四寸五分の太き淡紫色を帯びたる嫩芽を生し甚だ柔らかにして味佳なり収量至て多し
第二号 ラージ,グリイン
(Large Green.)
米國種なり太き嫩芽を生ずる良種なり芽先き緑色を帯ぶ通常の栽培に宜し
第三号 アチーフ,ア,アルジエンチユウル (Hartif a Argenteuil.)
佛國種なり嫩芽甚だ太く淡紅色を帯ぶ早生の良種なり
石刁柏 第三号 アチーフ,ア,アルジエンチユウル」とモノクロ線描図ながら,おいしそうな図が載る(NDL).
★竹中卓郎『穀菜弁覧初篇』東京三田育種場 明治二十二年(1889)刊 には,「米国産 おらんだきじかくし 石刁柏
堆肥三月上旬堆肥を原肥にして畑に撤蒔し九月別の畑に植出す其後は塵芥或は鹽俵の細切を以て根邉に埋め三年の後より春月嫩芽採り瀹き鹽を付て食し又油煠にして食すべし.」とある(NDL).
明治時代には「アスパラガス」より,「石刁柏」や,「おらんだきじかくし,まつばうど」が通名であったようだ.
多くの普及の試みにも関わらず,一般に食材として受け入れられたのは,昭和以降であった.
アスパラガス-4 江戸時代の植物図譜 質問本草,本草図譜,草木図説前編
以下2016年1月23日 追記
アスパラガス-2 古代ギリシャ テオフラストス,共和政ローマ ウァロ
多くの普及の試みにも関わらず,一般に食材として受け入れられたのは,昭和以降であった.
アスパラガス-4 江戸時代の植物図譜 質問本草,本草図譜,草木図説前編
以下2016年1月23日 追記
八坂書房編★『日本植物方言集成』八坂書房(2001)「アスパラガス」によれば,比較的遅く導入され普及した野菜にしては,方言がおおく,若芽を食することから,山菜のウドやシオデと関連付けた地方名が目につく.また,海外由来を示す西洋・アメリカ・オランダ・朝鮮を,あるいは葉の特徴からの松葉や粟を冠する名もある.
「あめりかうど」:群馬*,「あわばうど」:青森(三戸),「せ-よ一うど」:北海道*,青森*,岩手*,宮城*,秋田*,山形(酒田市・飽海),福島*,茨城*,栃木*,詳馬*,埼玉*,神奈川*,新潟*,石川*,富山*,福井*,山梨 長野 静岡*,愛知*,三重*,滋賀*,京都*,奈良*,鳥取*,島根 岡山 広島*,愛媛*,高知*,福岡*,長崎*,熊本*,大分*,宮崎*,「ちよ-せんうど」:山梨*,「まつばうど」:青森(三戸),岩手*,宮城*,秋田*,山形*,栃木*,埼玉*,新潟*,富山*,福井*,山梨*,長野*,岐阜*,静岡*,三重*,京都*,島根*,広島*,香川*,福岡*,宮崎*,「おらんだ」:埼玉*
「しおで」:山形*,「くだりそで」:青森*,「そでこ」:青森*,「せ-よ-そで」:青森,「せ-よ-ぞて」:青森(津軽),「せ一よ-そでこ」:青森*,岩手*,秋田*(青森方言で,シオデを「そでこ」と呼ぶ)
「いびりばっこ」:青森*,「うどん」:青森*,「えびりこ」:青森(三戸),「きじかくし」:埼玉*,「せ一よ-たけのこ」:佐賀*,「ほたるぐさ」:山形
特に青森県での地方名が多いのが目立つが,この地方ではシオデが良く食されていた山菜であったからであろうか.なお,*印は記載した県の一部での地方名であることを示す.
アスパラガス-2 古代ギリシャ テオフラストス,共和政ローマ ウァロ






