Vicia
sativa subsp. nigra 
「薇」は中国においては古くから山菜として知られていた.五経の一つで,孔子以来,儒家の経典とされた中国最古の詩集『詩経』は,周王朝の初期から東遷後百数十年に及ぶ(前10―前6世紀),朝廷の祭祀・饗宴の楽歌,各地方の民間歌謡など計305編を集録している.「国風」・「小雅」・「大雅」・「頌」の4部からなり,「薇」が詠われているのは,諸国の民謡を集めた「国風」の〈召南〉に一編,宮廷で用いられた楽とされる「小雅」の〈鹿鳴之什〉と〈谷風之什〉に各一編が収録されている.
| 山崎闇齋點  詩経 呂 采薇 明和刊 NDL | 
「小雅」〈鹿鳴之什〉の「采薇采薇」は,立命館大名誉教授
白川静博士(1910 - 2006)によると周王朝の朝廷で歌われた「軍歌」の一種で,玁狁(けんいん,北方の族.昆夷(こんい)・燻粥(くんいく)ともいい,のちの匈奴族にあたる)の来寇に際して、出征した征夫の雄々しさと、望郷の情を歌う.
白川博士は「薇 ぜんまい。わらびよりやや大。また迷蕨ともいう。詩文は、かりに「さわらび」とした。」と訳について記している.
この詩で「采薇」は,懐かしい故国と暖かい家庭をシンボライズしており,「薇」がいかに当時の一般家庭での家庭料理の材料になっていたか,しかも,柔らかい早春の芽生えから,硬くなった年の暮れの葉 (或は果実) まで採集されていたかが分かり,興味深い.このように長期間採取され食用として利用されるので,この「薇」はゼンマイとは考えられない.
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作品名 | 
采薇采薇 | |
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収載書名 | 
『詩経』「小雅 鹿鳴之什」 | |
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訳者名 | 
白川静 | |
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訳書名 | 
『詩経雅頌1』(『東洋文庫』635) | |
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采薇采薇 | 
薇を采り 薇を采る | 
さ薇(わらび)を 采りに采る | 
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薇亦作止 | 
薇も亦作(おこ)れり | 
さ薇も もえ出づる | 
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曰歸曰歸 | 
歸りなむ 歸りなむ | 
歸りなむ 歸りなむ | 
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歲亦莫止 | 
歳も亦莫(く)れぬ | 
年もはや 暮れそむる | 
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靡室靡家 | 
室靡(な)く 家靡きは | 
家離(さか)り さすらふも | 
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玁狁之故 | 
玁狁(けんいん)の故なり | 
玁狁の 故ぞかし | 
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不遑啟居 | 
啓居するに遑(いとま)あらざるは | 
安らぐに ひまなきも | 
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玁狁之故 | 
玁狁の故なり | 
玁狁の 故ぞかし | 
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采薇采薇 | 
薇を采り 薇を采る | 
さ薇を 采りに采る | 
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薇亦柔止 | 
薇も亦柔(わか)し | 
さ薇も しなやかに | 
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曰歸曰歸 | 
歸りなむ 歸りなむ | 
歸りなむ 歸りなむ | 
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心亦憂止 | 
心も亦憂(うれ)ふ | 
わが心 憂はし | 
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憂心烈烈 | 
憂心 烈烈として | 
わが憂ひ いやましに | 
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載飢載渴 | 
載(すなわ)ち飢ゑ 載ち渇く | 
身のかつれ 渇くごと | 
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我戍未定 | 
我が戌(まもり) 未だ定まらず | 
わが戍 成らざれば | 
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靡使歸聘 | 
帰聘する所靡し | 
家問はむ すべもなし | 
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采薇采薇 | 
薇を采り 薇を采る | 
さ薇を 采りに采る | 
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薇亦剛止 | 
薇も亦剛(かた)し | 
さ薇も たけにけり | 
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曰歸曰歸 | 
歸りなむ 歸りなむ | 
歸りなむ 歸りなむ | 
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歲亦陽止 | 
歳も亦陽(た)けたり | 
年もはや 更(ふ)けにけり | 
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王事靡盬 | 
王事 盬(や)むこと靡(な)し | 
えだちごと 果てなくて | 
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不遑啟處 | 
啓處するに遑(いとま)あらず | 
安らぐに 遑なし | 
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憂心孔疚 | 
憂心 孔だ疚(うれ)ふ | 
わが憂ひ いやませど | 
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我行不來 | 
我が行 來(ねぎら)はれず | 
勞(ねぎ)らひの こともなし | 
中略
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昔我往矣 | 
昔我が往きしとき | 
昔われ 出でしとき | 
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楊柳依依 | 
楊柳 依依(いい)たり | 
さ柳ほ しだりたり | 
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今我來思 | 
今我れ来れば | 
今われ 歸りきて | 
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雨雪霏霏 | 
雨雲 霏霏たり | 
ふる雪は しきりなり | 
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行道遲遲 | 
道を行くこと 遅遅たり | 
道ゆくも たゆたゆし | 
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載渴載飢 | 
載(すなわ)ち渇し 載ち飢う | 
身は渇き かつれたり | 
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我心傷悲 | 
我が 心傷悲す | 
わが心 悲しめど | 
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莫知我哀 | 
我が哀しみを知る莫(な)し | 
知る人もなし | 
| 山崎闇齋點 詩経 小雅 明和刊 NDL | 
白川静博士によると「小雅」〈谷風 こくふう〉の「四月」(右図)は,「社會詩。世が亂れ、秩序は失われ、生活は破壊されている。誠實に努力していても生きる道はない。この亂世に、上手に生きる者もあるが、正しいものは救われない。そのなやみを訴える詩。」とされている.
この詩の第八章において,「山有蕨薇」と「蕨」と「薇」が,後句の「隰有杞桋」の「杞 くこ」と「桋 なつめ」のように対として用いられている.白川博士は前者をまとめて「わらび」と訳し,後者もまとめて「なつめ」と訳している.一方,「語釋」では,「○蕨薇 わらび、ぜんまい」「○杞桋 枸杞(くこ)となつめ」と注釈している.
この詩のように「蕨薇」と対になって用いられていたこと,及び『詩経「国風・召南」「喓喓草虫」』における「薇」に對する朱子の註「賦也薇似蕨而差大有芒芭而味苦山間人食之謂之迷蕨胡氏日疑即荘子所謂迷陽者夷平也(賦なり。薇は、蕨に似て差(ヤヤ)大なり。芒有りて味苦し。山間の人之を食ひ、之を迷蕨と謂ふ。胡氏日はく、疑ふらくは即ち『荘子』に謂ふ所の迷陽なる者ならん、と。夷は、平なり。)」から,わが国において「薇」は「ゼンマイ」と校定されて,この誤まった解釈と読み方が定着していると考えられる.
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作品名 | 
四月 | |
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収載書名 | 
『詩経』「小雅 谷風」 | |
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訳者名 | 
白川静 | |
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訳書名 | 
『詩経雅頌1』(『東洋文庫』635) | |
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四月維夏 | 
四月 維(これ)夏 | 
四月 夏に入り | 
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六月徂暑 | 
六月 徂(はじ)めて暑し | 
六月 暑さも盛り | 
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先祖匪人 | 
先粗 人に匪ずや | 
み祖(おや)たち 情もあらず | 
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胡寧忍予 | 
胡寧(なん)ぞ予(われ)に忍べる | 
どうしてうちすてたまうのか | 
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秋日淒淒 | 
秋日 淒淒(せいせい)として | 
秋の日は すさまじく | 
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百卉具腓 | 
百卉(ひゃくき)具(とも)に腓(や)む | 
百草(ももくさ)は うらがれる | 
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亂離瘼矣 | 
亂離(らんり)して瘼(や)めり | 
世の乱れに疲れ果て | 
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爰其適歸 | 
爰(いづ)くに其れ適歸(てきき)せむ | 
おちつくさきもない | 
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冬日烈烈 | 
冬日は 烈烈たり | 
冬の日は きびしく | 
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飄風發發 | 
瓢風は 發發たり | 
つむじ風が 吹きめぐる | 
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民莫不穀 | 
民 穀(よ)からざる莫(な)きに | 
人はみな 倖なくらし | 
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我獨何害 | 
我 濁(ひと)り何ぞ害ある | 
どうして 私だけがなやむのか | 
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中略 | ||
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匪鷻匪鳶 | 
鶉に匪ず 鳶に匪ず | 
鶉でもない 鳶でもない | 
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翰飛戾天 | 
翰く飛んで天に戻らむや | 
空に飛べるわけがない | 
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匪鱣匪鮪 | 
鱣(たん)に匪ず 鮪に匪ず | 
鱣(ふか)でもない 鮪でもない | 
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潛逃于淵 | 
潜(ひそ)みて淵に逃れむや | 
淵にひそめるはずがない | 
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山有蕨薇 | 
山に蕨薇(けつび)有 | 
山には 蕨(わらび)があり | 
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隰有杞桋 | 
隰(さわ)に杞桋(きい)有り | 
隰(さわ)には杞桋(なつめ)がある | 
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君子作歌 | 
君子 歌を作り | 
うまし人 この歌をつくり | 
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維以告哀 | 
維(これ)を以て哀(あい)を告ぐ | 
かくして世の哀しみを訴える | 
白川博士は,「薇」を「ゼンマイ」と解しているが,既に述べたように,「薇」はワラビでもゼンマイでもなく,カラスノエンドウ類(野豌豆)に該当すると考えられる.茨城大学の加納喜光氏は「日本では薇をゼンマイと訓じる。しかしこれは誤りで、薇はスズメノエンドウ(小巣菜Vicia hirsuta)などのソラマメ属の植物を指す。」と指摘している(「埤雅の研究・其八 釈草篇(4)」茨城大学人文学部紀要『人文学科論集』44号29-44頁、2005年9月). 
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