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2025年8月24日日曜日

モミジアオイ(5)和文學-1-2 谷崎潤一郎『病蓐の幻想』,ランボー『母音』(2)

Hibiscus coccineus


  種から育てたモミジアオイが二年越しに花をつけた.江戸時代末期に渡来した
*1モミジアオイは,「紅蜀葵」の名前で明治以降広く栽培された.日本の植物には見られない,派手で大きな紅色の花は目立ち,俳句・短歌(次以降記事)を始め,多くの文学作品の題材になった.*1:磯野直秀『新渡花葉図譜』:幕末渡来植物の一資料:参考書誌研究・第67 号(2007 10)によれば文久3(1863)年渡来
 谷崎潤一郎病蓐の幻想』(初出『中央公論』1917)には,齒齦膜炎から寝付いた神経衰弱気味な男が、庭に咲くモミジアオイの真紅の花(「烈日の中にくるくると燃える,眞赤な,心臓のやうな大輪の紅蜀葵」)が,咲き終わったのち落ちる様は,「盛んに血を吸つて膨れて居る自分の心臓が,若しかするとあんな風に,いきなりほたりと崩壊する前兆ではあるまいか」と怯える.更に,「齒の痛みは音響に近いばかりでなく,それぞれ雑多な色彩を持つて居る」と感じ,ボードレール Baudel.,Charles-Pierre Baudelaire, 1821 - 1867)の散文詩『人工楽園』"Les Paradis artificiels" の「音響は色彩を發し,色彩は音樂となる」から,彼の齒痛は「眞赤な痛さだ.何か非常に赤い者が焰々と燃えて渦巻いて居る」で,紅蜀葵を連想する.また,齒の痛みを「呪わしい地獄、美しい花壇」と連想し,ランボーRimbaud.Arthur Rimbaud, 1854 - 1891)の母音(文字)を色彩で表現したソネット『母音』“Voyell” を想起するが,その中の「I:赤」は,庭園に咲くモミジアオイの花の真紅であろう(冒頭図左右).
 以下文献画像は NDL の公開デジタル画像よりの部分引用

 『母音 “Voyell”』はアルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud)が1871年に執筆したソネットで、自筆原稿に執筆時期は記されていないが,パリ上京後まもなくの時期(1871年秋から冬)に書かれたランボー最後のソネと推測され,1883105日号の『リュテス “Lutèce”』に掲載された.
 1884
年に,ヴェルレーヌPaul-Marie Verlaine, 1844 - 1896)の『呪われた詩人たち Les Poètes maudits』第1版が出版された.「隠れた名」トリスタン・コルビエールTristan Corbière, 本名:Édouard-Joachim Corbière, 1845 - 1875),「ほとんど未知の名」アルチュール・ランボーArthur Rimbaud),そして「無視された名」ステファヌ・マラルメStéphane Mallarmé, 本名:Étienne Mallarmé, 1842 - 1898)を世に知らしめることになった書物である.他に取上げられたのは,コメディエンヌで詩人のマルスリーヌ・デポルド・ヴァルモールMarceline Desbordes-Valmore, 1785 - 1859),貴族詩人のオーギュスト・ヴィリユ・ド・リラダンAuguste Villiers de l’Isle-Adan, 1838 - 1889),ポオヴォル・レリアンPauvre Lellian – 「哀れなレリアン」とはヴェルレーヌの変名.アナグラム)の計6人.
 ヴェルレーヌはこの書の「II.アルチュール・ランボー」の章に「母音Voyelles)」「夕べの辞(Oraison Du Soir)」「坐った奴等(Les Assis)」「びっくりした奴等(Les Effarés)」「虱捜す女(Les Chercheuses De Poux)」「酔ひどれ船(Bateau Ivre)」の全文とその他数編の抜粋を掲載した.とりわけ「Aは黒,Eは白,Iは赤,Oは青,Uは緑」と母音(文字)を色彩で表現した「母音」は若い象徴派詩人の関心を呼び,大論争となった.
 1888年には風刺文芸誌『レ・ゾム・ドージュルデュイ “Les Hommes d'aujourd'hui”』にランボーに関するヴェルレーヌの記事が掲載された号には,マニュエル・リュック(Manuel Antonin Ildefonse Cypriano Luque de Soria, 1853/54, - 1924)作の表紙画に,文字に色を塗るランボーの戯画が描かれている.(冒頭図,中央)
 ランボー作品の最初の本格的読者かつ紹介者となったヴェルレーヌは,1895年刊の初の『ランボー全詩集』への序文で,「母音」について,「この少々ふざけた,しかし細部はかくも見事なできばえの「母音」のソネ」と記している.

ランボー母音 Voyelles

A noir, E blanc, I rouge, U vert, O bleu : voyelles,
  Je dirai quelque jour vos naissances latentes :
  A, noir corset velu des mouches éclatantes
  Qui bombinent autour des puanteurs cruelles,
 
  Golfes d’ombre ; E, candeurs des vapeurs et des tentes,
  Lances des glaciers fiers, rois blancs, frissons d’ombelles ;
  I, pourpres, sang craché, rire des lèvres belles
  Dans la colère ou les ivresses pénitentes ;
 
  U, cycles, vibrements divins des mers virides,
  Paix des pâtis semés d’animaux, paix des rides
  Que l’alchimie imprime aux grands fronts studieux ;
 
  O, suprême Clairon plein des strideurs étranges,
  Silences traversés des Mondes et des Anges :
 
O l’Oméga, rayon violet de Ses Yeux !

この詩は明治以降多くの日本の詩人や仏文学者たちに愛されて,種々の翻訳が著わされている.


蒲原有明
1875- 1952)が訳したランボー「母音」
出典:「有明詩集」アルス(1922

 母音
アルチユウル·ランボオ

母音(ぼゐん),A は黒,E は白,I は赤,U は緑、O は靑ぞ
 
我はその事の起りの秘密をばここに明さむ。
  A
ア、烈しき臭氣の中に飛び廻り、黑毛の胸當(むねあた)
 
装ひて羽ぶき光れる大蜻蛉(おほゑむば),陰の入海.
 
  E
エ,天幕はた雲霧の色,威(ゐ)も猛き氷河の投槍,
 
素絹纏ふ眩(まばゆ)き羅?(ラアジャ)揺らめきて立てる撤形花(さんけいくわ),
  I
イは示す紫の斑點,手弱女の瞋恚(しんに)に燃ゆる
 
微笑(ほゝゑま)ひ,喀血の痛み,悲しみに淫(たは)くる泥酔(でいすゐ)
 
  U
ウ、綠の海のこよなき息づかい、「天の命數」
 
家畜等の群れて遊べる牧(まき)の野の平和と,あはれ
 
錬金の博士が額(ぬか)を刻みたる年波のすぢ。
 
  O
オ,峻巖の音にあやしく高響く至上の喇叭
 
諸(もろもろ)の世と天使等を聯(つら)ね和(やは)す静寂界(しゃうじゃくかい)や、
 
これぞ「オメガ」統(すべ)らぐ神が菫靑(きんせい)の眼(まなこ)の光。

注:ルビは一部省略


中原中也
1907 - 1937)が訳したランボー「母音」
 初出:『ランボオ詩抄』昭和111936)山本書店
 再録:『ランボオ詩集』昭和121937)・9 野田書房
 現代仮名遣い:講談社文芸文庫『中原中也全訳詩集』(1990
「 母音

Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは赤*、母音たち、
 
おまへたちの穏密*な誕生をいつの日か私は語らう。
 
、眩ゆいやうな蠅たちの毛むくぢやらの黒い胸衣(むなぎ)は
 
むごたらしい惡臭の周圍を飛びまはる、暗い入江。
 
 
、蒸氣や天幕(テント)のはたゝめき、誇りかに
 
槍の形をした氷塊、真白の諸王、繖形花**顫動、
 
 
、緋色の布、飛散(とばち)*つた血、怒りやまた
 
熱烈な悔悛に於けるみごとな笑ひ。
 
  U
、循環期、鮮緑の海の聖なる身慄ひ、
 
動物散在する牧養地の静けさ、錬金術が
 
學者の額に刻み付けた皺の静けさ。
 
  O
、至上な喇叭の異様にも突裂(つんざ)く叫び、
 
人の世と天使の世界を貫く沈黙。
 
――その目紫の光を放つ、物の終末!」

*Oは赤」:原文(“O bleu”)からすると「Oは青」.誤訳 or 誤植と思われるが,『ランボオ詩抄』(1936),『ランボオ詩集』(1937),『中原中也全訳詩集』(1990)で訂正はなし.一方,『新編中原中也全集・第三巻』角川書店(2006),これを底本とする『ランボオ詩集』岩波文庫(2013)では「Oは青」に訂正.また,同時に「穏密」を「隠密」に,「飛散(とばち)つた」を「飛散(とびち)つた」に訂正.

**繖形:セリ科の旧名,繖形科,散形科または傘形科,白い小形の花が傘状に多数つく.
(上図:ハナウド
Heracleum sphondylium var. nipponicum

西條八十1892 - 1970)が訳したランボー「母音」
   出典:『西條八十全集 第十五巻,アルチュール・ランボオ研究』(2004
   初出:『アルチュール・ランボオ研究』中央公論社(1967
 
A(ア―)は黒、E(ウ―)は白、I(イ―)は赤、U(ユ―)は緑、O(オ―)は青。母音たちよ、
 
わたしはいつかお前たちの隠れた起原(みなもと)を語ろう。
  A
はすさまじい悪臭のほとりに唸る
 
光った蝿たちの毛むくじゃらな黒の胸当(むなあて)。
 
 
小暗(おぐら)い入江。Eは靄(もや)と天幕(テント)の純白、
 
傲(おご)れる氷河の槍、白衣の王侯たち、繖形花(さんけいか)のそよぎ。
  I
は緋色、吐かれた血、憤怒の中
 
または悔恨の陶酔の中の美しき唇の笑い。
 
  U
は周期、緑の海の堅さ顕動、
 
家畜が点在する牧野の平和、錬金術が
 
黽勉(びんべん)な広き額(ひたい)に刻む小皺の平和。
 
  O
は怪しき絶叫にみちた至上の喇叭、
 
諸世界と天使らを貫く沈黙。
 
―― おお、オメガ、「かの眼」の紫の光よ!》

注:ルビは一部省略

中地義和1952 - )が訳したランボー「母音」
出典『対訳ランボー詩集-フランス詩人選(1)』岩波書店(2020

14] 母音
 
黒いA、白いE、赤いI、緑のU、青いO、母音たちよ、
 
ぼくは、いつの日か、お前たちの秘められた誕生を語ろう。
  A
、耐えがたい悪臭のまわりでぶんぶんと羽音を立て、
 
きらきら光るハエの、綿毛に覆われた黒いコルセット、
 
 
影の入り江。E、湯気とテントの純白、
 
高慢な氷河の槍、白装束の王たち、傘形花のおののき。
  I
、緋の衣、吐かれた血、怒りにかられた、
 
または悔俊に酔いしれた、美しい唇に浮かぶ笑い。
 
  U
、もろもろの周期、緑の海の神々しい震動、
 
動物たちが放たれた放牧地の平和、錬金術が
 
学究の偉大な額に刻印する皺の平和。
 
  O
、かん高い奇妙な音を響かせる(至高のラッパ)、
 
いくつもの世界と天使たちがよぎる静寂、
 
-オメガよ、〈かの方〉の〈眼〉の紫の光よ!

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