2025年2月14日金曜日

ムギセンノウ-13-2-12. シェイクスピア『リア王』-9,雑草の王冠-9 ドドネウス『本草書』(Crŭÿde boeck)の渡来3 サフラン-4(Saffron, Crocus sativus L.),中国-3 明 李時珍『本草綱目』鬱金香,咱夫蘭,番紅花

  漢民族が再び中国の支配権を回復し、明国が成立した後に刊行された★李時珍『本草綱目』(1596)にはサフランが「咱夫蘭」「鬱金香」「番紅花」の三つの名で記載されている.彼は「鬱金香」「咱夫蘭」「番紅花」をサフランの異名とは考えず,異なる三種の植物と考えたのであろう.


咱夫蘭:時珍は『本草綱目』「巻第五十二獸之一四 畜類」の「」の綱目,「」の【附方】として,「心氣鬱結」を和らげるとして「咱夫蘭(即回回紅花)」を処方しており,また「」では「腎虛腰痛」の処方として,「咱夫蘭」を加えた塗布剤をいずれも『飲膳正要』を引用して記録している.ここでは,「洎夫蘭」ではなく,『飲膳正要』とおなじ,「咱夫蘭」を用いている.

本草綱目』「巻第五十二 獸之一四 畜類」
 本經 中品
  下並也用白羝羊者良 (氣味)甘 無毒  日華曰 有孔者殺人  (主治) 止憂恚膈氣 別錄 補心 藏器  
 
(附方) 新一 心氣鬱結 羊心一枚 咱夫蘭 即回回紅花  浸水一盞 入鹽少許 徐徐塗心上 炙熟食之 令人心安多喜 正要

(中略)
 (氣味)同心(主治)補腎氣虛弱 益精髓 別錄
(中略)
 腎虛腰痛 千金 用羊腎去膜 陰乾為末 酒服二方寸匕 日三 正要 治猝腰痛 羊腎一對 咱夫蘭一錢 玫瑰水一盞浸汁 入鹽少許 塗抹腎上 徐徐炙熟 空腹食之
最初の「」の処方は,以下の『飲膳正要』の「炙羊心」と同一と思われ,本文でも「正要」として『飲膳正要』を参照している.

 「炙羊心
治心氣驚悸 鬱結不樂
羊心(一箇 帶系桶) 咱夫蘭(三錢)
右件 用玫瑰水一盞 浸取汁 入塩少許 簽子簽羊心 於火上炙 將咱夫蘭汁徐徐塗之 汁盡為度 食之 安寧心氣 令人多喜

一方,二つ目の「」の「治猝腰痛」の処方は,私の見た『飲膳正要』(明景泰七年府刊本.北京大學圖書館 Internet Archives)には載っていなかった.しかし,陳夢雷; 蔣廷錫『欽定古今圖書集成』「物彙編 第二百八卷 醫部彙考一百八十八 腰門三」には,「治卒腰痛 羊腎一對 咱夫蘭一錢 水一盞浸汁 入鹽 少許 塗抹腎上 徐徐灸熟 空腹食之 正要」とある.この記事が直接『飲膳正要』を参照したのか,『本草綱目』の記事を二次引用したのかは,分からない.

鬱金香:李時珍は番紅花の条を新設しても、「芳草類」に「鬱金香」を置き、鬱香(『太平御覽』)、紅藍花(『本草綱目』)、紫述香(同)、草麝香、茶矩摩(佛書)をその異名とした。その記述は陳藏器の「鬱金香」の引用が主であり,時珍は「鬱金香」と「番紅花」とは別の薬草と考えていたようだ.それぞれの図は,巻第一に掲載しているが,「鬱金香」の葉は細長くジャノヒゲに似ているが,花はサフランとは全く異なり,一方「番紅花」は紅藍花つまり紅花と良く似ている.時珍の時代にはサフランの生植物を見ることはできず,文献のみからの推測で描かれたのであろう.

本草綱目』巻第十四 草之三 芳草類」

鬱金香 宋開寶 (校正)(禹錫曰)陳氏言鬱是草英 不當附於木部 今移入此

(釋名)鬱金 御覽 、紅藍花 綱目 、紫述香 綱目 、草麝香、茶矩摩(佛書 (頌曰)許慎
文解字 云 鬱芳草也 十葉為貫 百二十貫築以煮之 鬱鬯
乃百草之英 合而釀酒以降神 乃遠方鬱人所貢 故謂之鬱
鬱 今鬱林郡也
時珍曰:漢鬱林郡 即今廣西、貴州、潯、柳、邕、賓
諸州之地 《一統志》惟載柳州羅城縣出鬱金香 即此也 《金光
明經》謂之茶矩摩香 此乃鬱金花香 與今時所用鬱金根
同物異 《唐慎微本草》收此入彼下 誤矣 按趙古則《六書本義》:
鬯字 象米在器中 以匕 之之意 鬱字從臼 奉缶置於幾上
有彡飾 五體之意 俗作鬱 則鬱乃取花築酒之意 非指地言
地乃因此
草得名耳

(集解)藏器曰:鬱金香生大秦國 二月、三月有花 狀如紅藍
月、五月採花 即香也 時珍曰:按鄭玄云:鬱草似蘭 楊孚
《南州異物志》云:鬱金出 國人種之 先以供佛 數日萎
後取之 色正黃 與芙蓉花裹嫩蓮者相似 可以香酒 又《唐書》
云:太宗時 伽毗國獻鬱金香 葉似麥門冬 九月花開 狀似芙
其色紫碧 香聞數十步 花而不實 欲種者取根 皆同
但花色不同 種或不一也 《古樂府》云:中有鬱金蘇合香者 是
此鬱金也 晉左貴嬪有《鬱金頌》云:伊芳有奇草 名曰鬱金 越自
殊域 厥珍來尋
芳香酷烈 悅目
目怡心 明德惟馨 淑人是欽

(氣味)苦 無毒 (藏器)(曰)平 (主治)蠱野諸毒 心腹間惡氣鬼疰 鴉鶻
等一切臭 入諸香藥用藏器

番紅花:時珍は『本草綱目』「巻第十五 草之四 隰草類上」に「番紅花」という新名を立て『飲膳正要』の咱夫蘭とは微妙に異なる洎夫蘭をその異名とした。

番紅花 綱目
〔釋名]洎夫藍 綱目 撒法郎
〔集解]時珍曰 番紅花 出西番回回地面及天方國 即彼地紅
藍花也  元時 以入食饌用 張華 博物志 言 張騫得紅
藍花種於西域 則此即一
種 或方域地氣稍有異耳

〔氣味]甘 無毒 〔主治]心憂鬱積 氣悶不散 活血 久服令人心
又治驚悸 時珍
〔附方]新一 傷寒發狂 驚怖恍惚用撒法即二分水一
盞浸一夕服之.天方國人所傳 (王璽醫林集要)

「番紅花」には「洎夫藍」の他にも,サフランの音に良く似た異名「撒法郎」を載せ,李時珍もサフランという西洋名を音写した.今日でも李時珍の“洎夫蘭”は Saffron の漢名として広く通用し,わが国では「さふらん」と音読されている.一方,番紅花という名は,李時珍が集解で「西番(新疆とその外境),囘囘回回の地靣(イスラム圏の地)及び天方國(アラビア)に出づ,即ち彼の地の紅藍花なり」と述べているように,紅藍花ベニバナの類と考えていた事に由来する.李時珍は「元時,以て食饌に入り用ふ」とも述べているので,『飲膳正要』を直接あるいは間接的に参照したことに疑問の余地はないが,同書の“未だ是否詳らかならず”とあるところに言及することなく,一方的に“彼の地の紅藍花”としてしまった.ネーミングとしては,“番”は“蛮”に通じるので,「蛮種の紅花」の意として実に明解である.
 本書の日本に伝来以降,日本における「洎夫藍(サフラン)」=「蛮種の紅花」の認識を強固なものとした.

★『頭註国訳本草綱目』白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳)(1929)春陽堂
番紅花 (綱目)
      和名 さふらん
      學名 Crocus sativus L.
      科名 あやめ科(鳶尾科)
〔釋名]洎夫藍(綱目) 撒法郎
〔集解]時珍曰番紅花は西番・囘囘の地,及び天方國に生ずる.即ち彼の地の紅
藍花である。
元朝の時代には,食膳の調理に入れたといふ。按ずるに,張華の博物志に『張騫(ちゃうけん)が紅
藍花の種を西域から齎らした』とある,このものもその一
種で,或は産地の地位形勢や,気候地味の關係から多少の異(ちが)ひがあるに過ぎない。
〔氣味]【甘し,平にして毒なし】〔主治]【心憂鬱積,氣悶して散ぜぬものを活かす。久しく服すれば精神を
愉快にする。又驚悸を治す】(時珍)。
〔附方]新一。【傷寒發狂】恐怖し,恍惚たるには,撒法郎二分を水一
盞に一夜浸して服す.天方國の人から傳へた方である。(王璽醫林集要)」

2025年2月10日月曜日

ムギセンノウ-13-2-12. シェイクスピア『リア王』-9,雑草の王冠-9 ドドネウス『本草書』(Crŭÿde boeck)の渡来3 サフラン-3(Saffron, Crocus sativus),中国-3 元 咱夫蘭,忽思慧『飲膳正要』(1330)

   欧州で薬用あるいは実用の長い歴史のあるサフランが中国に伝わったのは,唐太宗の治世(貞觀の治 626-649)で,香料「鬱金香」として渡来したと文献に現れ,香料や化粧品としても用いられた(前記事参照).

 しかし,大帝国の唐が滅亡し,混乱の時代を経てモンゴル族によって中国が統一され,版図が中央アジア〜ペルシア,欧州の東部まで及ぶモンゴル帝国(元)が成立し,西方の産物が直接中国大陸にもたらされるようになると,「サフラン」はそれほどの貴重品ではなくなったのであろう.元代の薬膳書,忽思慧『飲膳正要』(1330)には多くの料理に調味料として用いられ,「卷第三料物性味」には,「咱夫蘭 味甘,平,無毒.主心憂鬱積,氣悶不散,久食令人心喜.即是回回地面紅花,未詳是否.(咱夫蘭 味は甘く平にして無毒.心憂鬱積,氣悶して散ぜざるを主つかさどる.久しく食すれば人心をして喜ばしむ.即ち是れ回回の地面の紅花,未だ是否つまびらかならず)」と“咱夫蘭サフラン”という西洋名を忠実に音写した漢名が登場する.また,「はっきりとは分からないが咱夫蘭はアラビアの地面に咲く紅花だろう」と記し,是は後の中国の本草書に大きな影響を与えた.
 1330年,忽思慧が元の文宗に献上した『飲膳正要』(いんぜんせいよう)は,中国元代の王侯貴族のための養生書で,そのための料理や本草をないようとしている.当時のモンゴル料理や食事療法がイラスト付きで記されている.忽思慧は,延祐年間(1314 - 1320年)から「飲膳太医」を務めていた.「飲膳太医」とは,世祖クビライが設置した元代特有の官職(定員4名)であり,宮廷の料理人兼医師(太医)にあたる.

元の勢力範囲が欧州まで拡がって,サフランは中国本土でも比較的入手しやすくなったのであろう,多くの料理特に獣肉の料理に匂い消し或は着色料,着香料として他のスパイスと共に用いられていた.《卷第一聚珍異饌》に収載されている料理の中では,八兒不湯,黃湯,熊湯,炒狼湯,炙羊心,炙羊腰,薑黃腱子,鼓兒籤子,炸の九種の薬膳には,咱夫蘭が一錢~三銭用いられている.

卷第一

聚珍異饌(モンゴルの珍味料理95種のレシピ)
八児不湯 系西天茶飯名
 補中,下氣,寬胸膈
  羊肉(一子,卸成事件) 草果(五個)
  回回豆子(半升,搗碎,去皮) 蘿蔔(二個)
右件,一同成湯,濾淨,湯下羊肉,切如色數大,熟
蘿蔔切如色數大,咱夫蘭一錢,薑黃二錢,胡椒二錢,
哈昔泥半錢,芫荽葉、塩少許,調和勻,對香粳米乾飯
食之,入醋少許。

黃湯
 補中益氣。
  羊肉(一子,卸成事件) 草果(五個)
  回回豆子(半升,搗碎,去皮)
右件,同熬成湯,濾淨,下熟回回豆子二合,香粳米一
升,胡蘿蔔五個,切,用羊後肉丸肉彈兒,肋枝一箇,
切,寸金薑黃三錢,薑末五錢,咱夫蘭一錢,芫荽葉同
塩、醋調和。

熊湯
 治風痹不仁,氣。
  
熊肉(二子,煮熟,切塊) 草果(三箇)
右件,用胡椒三錢,哈昔泥一錢,薑黃二錢,縮砂二錢,
咱夫蘭一錢,蔥、塩、醬一同調和。

炒狼湯
 古本草不載狼肉,今云性熱,治虛弱。然食之末聞
 有毒。今製造用料物以助其味,暖五臟,溫中。
  狼肉(一子,卸成事件) 草果(三個) 胡椒(五錢)
  哈昔泥(一錢) 蓽撥(二錢) 縮砂(二錢) 薑黃(二錢

  咱夫蘭(一錢)
右件,熬成湯,用蔥、醬、塩、醋一同調和。 

炙羊心
 治心氣驚悸,鬱結不樂。
  羊心(一箇,帶系桶) 咱夫蘭(三錢)
右件,用玫瑰水一盞,浸取汁,入塩少許,簽子簽羊心,
於火上炙,將咱夫蘭汁徐徐塗之,汁盡為度,食之。安
寧心氣,令人多喜。

炙羊腰
 治卒患腰眼疼痛者。
  羊腰(一對) 咱夫蘭(一錢)
右件,用玫瑰水一杓,浸取汁,入塩少許,簽子簽腰子
火上炙。將咱夫蘭汁徐徐塗之,汁盡為度,食之。甚有
效驗。

薑黃腱子
  羊腱子(一箇,熟) 羊肋枝(二箇,截作長塊) 豆粉(一斤)
  白麵(一斤) 咱夫蘭(二錢) 梔子(五錢)
右件,用塩、料物調和,搽腱子,下小油煠。

鼓兒簽子
  羊肉(五斤,切細) 羊尾子(一箇,切細) 雞子(十五箇) 生薑(二錢)
  蔥(二兩,切) 陳皮(二錢,去白) 料物(三錢)
右件,調和勻,入羊白腸,煮熟切作鼓樣,用豆粉一
斤,白麵一斤,咱夫蘭一錢,梔子三錢,取汁,同拌鼓児
簽子,入小油煠。

 系細項
  兒(二箇,卸成各一節) 哈昔泥(一錢) 蔥(一兩,切細)
右件,用塩一同淹拌,少時,入小油煠熟。次用 咱夫蘭
二錢,水浸汁,下料物、芫荽末,同糝拌。 

卷第
料物性味(中国の本草書を参考に食材を解説する本草部)
咱夫蘭 味甘,平,無毒。主心憂鬱積,氣悶不散,久食令人心喜。即是回回地面紅花,未詳是否
咱夫蘭 味は甘く平にして無毒。心憂鬱積、氣悶して散ぜざるを主つかさどる。久しく食すれば人心をして喜ばしむ。即ち是れ回回の地面の紅花、未だ是否詳つまびらかならず

蘿蔔:大根 / 薑黃:ウコン(鬱金,ターメリック)/ 哈昔泥:アギ(セリ科のアギFerula assa-foetida の根茎から得られる樹脂) / 芫荽:コリアンダー / 香粳米:香うるち米 / 草果:ソウカ(カルダモン,ショウガ科の Lanxangia tsaoko の成熟果実を乾燥したもの) / 回回豆:ひよこ豆(Cicer arietinum の種子) / 胡蘿蔔:人参 縮砂:シュクシャ(ショウガ科のAmomum villosum などの種子の塊) 蓽撥:ヒハツ(ヒハツ,蓽茇,コショウ科のPiper longum 未成熟果穂を乾燥したもの) / 玫瑰水:バラ水 豆粉:ヒヨコ豆の粉 白麵:小麦粉 梔子:クチナシの実 雞子:鶏卵