漢民族が再び中国の支配権を回復し、明国が成立した後に刊行された★李時珍『本草綱目』(1596)にはサフランが「咱夫蘭」「鬱金香」「番紅花」の三つの名で記載されている.彼は「鬱金香」「咱夫蘭」「番紅花」をサフランの異名とは考えず,異なる三種の植物と考えたのであろう.
★「咱夫蘭」:時珍は『本草綱目』「巻第五十二獸之一四 畜類」の「羊」の綱目,「心」の【附方】として,「心氣鬱結」を和らげるとして「咱夫蘭(即回回紅花)」を処方しており,また「腎」では「腎虛腰痛」の処方として,「咱夫蘭」を加えた塗布剤をいずれも『飲膳正要』を引用して記録している.ここでは,「洎夫蘭」ではなく,『飲膳正要』とおなじ,「咱夫蘭」を用いている.
『本草綱目』「巻第五十二 獸之一四
畜類」
羊 本經 中品
心 下並也用白羝羊者良
(氣味)甘
溫
無毒
日華曰 有孔者殺人 (主治) 止憂恚膈氣 別錄
補心
藏器
(附方) 新一 心氣鬱結 羊心一枚 咱夫蘭 即回回紅花
浸水一盞 入鹽少許 徐徐塗心上 炙熟食之 令人心安多喜 正要
(中略)
腎(氣味)同心(主治)補腎氣虛弱 益精髓 別錄
(中略)
腎虛腰痛 千金 用羊腎去膜 陰乾為末 酒服二方寸匕 日三 正要 治猝腰痛 羊腎一對 咱夫蘭一錢 玫瑰水一盞浸汁
入鹽少許 塗抹腎上 徐徐炙熟 空腹食之
最初の「心」の処方は,以下の『飲膳正要』の「炙羊心」と同一と思われ,本文でも「正要」として『飲膳正要』を参照している.
「炙羊心
治心氣驚悸
鬱結不樂
羊心(一箇
帶系桶) 咱夫蘭(三錢)
右件
用玫瑰水一盞
浸取汁
入塩少許
簽子簽羊心
於火上炙
將咱夫蘭汁徐徐塗之
汁盡為度
食之
安寧心氣
令人多喜
」
一方,二つ目の「腎」の「治猝腰痛」の処方は,私の見た『飲膳正要』(明景泰七年內府刊本.北京大學圖書館 Internet Archives)には載っていなかった.しかし,陳夢雷; 蔣廷錫『欽定古今圖書集成』「物彙編 第二百八卷 醫部彙考一百八十八 腰門三」には,「治卒腰痛
羊腎一對
咱夫蘭一錢 水一盞浸汁 入鹽 少許 塗抹腎上 徐徐灸熟 空腹食之 正要」とある.この記事が直接『飲膳正要』を参照したのか,『本草綱目』の記事を二次引用したのかは,分からない.
★「鬱金香」:李時珍は番紅花の条を新設しても、「芳草類」に「鬱金香」を置き、鬱香(『太平御覽』)、紅藍花(『本草綱目』)、紫述香(同)、草麝香、茶矩摩(佛書)をその異名とした。その記述は陳藏器の「鬱金香」の引用が主であり,時珍は「鬱金香」と「番紅花」とは別の薬草と考えていたようだ.それぞれの図は,巻第一に掲載しているが,「鬱金香」の葉は細長くジャノヒゲに似ているが,花はサフランとは全く異なり,一方「番紅花」は紅藍花つまり紅花と良く似ている.時珍の時代にはサフランの生植物を見ることはできず,文献のみからの推測で描かれたのであろう.
『本草綱目』巻第十四 草之三 芳草類」
鬱金香 宋開寶 (校正)(禹錫曰)陳氏言鬱是草英 不當附於木部 今移入此
(釋名)鬱金 御覽 、紅藍花 綱目 、紫述香 綱目
、草麝香、茶矩摩(佛書) (頌曰)許慎
說文解字 云
鬱芳草也 十葉為貫 百二十貫築以煮之 鬱鬯
乃百草之英 合而釀酒以降神 乃遠方鬱人所貢 故謂之鬱
鬱 今鬱林郡也 時珍曰:漢鬱林郡 即今廣西、貴州、潯、柳、邕、賓
諸州之地 《一統志》惟載柳州羅城縣出鬱金香 即此也 《金光
明經》謂之茶矩摩香 此乃鬱金花香 與今時所用鬱金根 名
同物異 《唐慎微本草》收此入彼下 誤矣 按趙古則《六書本義》:
鬯字 象米在器中 以匕 之之意 鬱字從臼 奉缶置於幾上 鬯
有彡飾 五體之意 俗作鬱 則鬱乃取花築酒之意 非指地言
地乃因此
草得名耳
(集解)藏器曰:鬱金香生大秦國 二月、三月有花 狀如紅藍 四
月、五月採花 即香也 時珍曰:按鄭玄云:鬱草似蘭 楊孚
《南州異物志》云:鬱金出 賓 國人種之 先以供佛 數日萎 然
後取之 色正黃 與芙蓉花裹嫩蓮者相似 可以香酒 又《唐書》
云:太宗時 伽毗國獻鬱金香 葉似麥門冬 九月花開 狀似芙
蓉 其色紫碧 香聞數十步 花而不實 欲種者取根 二說皆同
但花色不同 種或不一也 《古樂府》云:中有鬱金蘇合香者 是
此鬱金也 晉左貴嬪有《鬱金頌》云:伊芳有奇草 名曰鬱金 越自
殊域 厥珍來尋 芳香酷烈 悅目
目怡心 明德惟馨 淑人是欽
(氣味)苦 溫 無毒 (藏器)(曰)平
(主治)蠱野諸毒
心腹間惡氣鬼疰
鴉鶻
等一切臭
入諸香藥用藏器
★「番紅花」:時珍は『本草綱目』「巻第十五 草之四 隰草類上」に「番紅花」という新名を立て『飲膳正要』の咱夫蘭とは微妙に異なる洎夫蘭をその異名とした。
番紅花 綱目
〔釋名]洎夫藍 綱目 撒法郎
〔集解]時珍曰 番紅花 出西番回回地面及天方國
即彼地紅
藍花也 元時 以入食饌用 按 張華 博物志 言 張騫得紅
藍花種於西域 則此即一
種 或方域地氣稍有異耳
喜 又治驚悸 時珍
〔附方]新一 傷寒發狂 驚怖恍惚用撒法即二分水一
盞浸一夕服之.天方國人所傳 (王璽醫林集要)
「番紅花」には「洎夫藍」の他にも,サフランの音に良く似た異名「撒法郎」を載せ,李時珍もサフランという西洋名を音写した.今日でも李時珍の“洎夫蘭”は
Saffron の漢名として広く通用し,わが国では「さふらん」と音読されている.一方,番紅花という名は,李時珍が集解で「西番(新疆とその外境),囘囘回回の地靣(イスラム圏の地)及び天方國(アラビア)に出づ,即ち彼の地の紅藍花なり」と述べているように,紅藍花ベニバナの類と考えていた事に由来する.李時珍は「元時,以て食饌に入り用ふ」とも述べているので,『飲膳正要』を直接あるいは間接的に参照したことに疑問の余地はないが,同書の“未だ是否詳らかならず”とあるところに言及することなく,一方的に“彼の地の紅藍花”としてしまった.ネーミングとしては,“番”は“蛮”に通じるので,「蛮種の紅花」の意として実に明解である.
本書の日本に伝来以降,日本における「洎夫藍(サフラン)」=「蛮種の紅花」の認識を強固なものとした.
★『頭註国訳本草綱目』白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳)(1929)春陽堂
「番紅花 (綱目)
和名 さふらん
學名 Crocus sativus L.
科名 あやめ科(鳶尾科)
〔釋名]洎夫藍(綱目) 撒法郎
〔集解]時珍曰く番紅花は西番・囘囘の地,及び天方國に生ずる.即ち彼の地の紅
藍花である。 元朝の時代には,食膳の調理に入れたといふ。按ずるに,張華の博物志に『張騫(ちゃうけん)が紅
藍花の種を西域から齎らした』とある,このものもその一
種で,或は産地の地位形勢や,気候地味の關係から多少の異(ちが)ひがあるに過ぎない。
〔氣味]【甘し,平にして毒なし】〔主治]【心憂鬱積,氣悶して散ぜぬものを活かす。久しく服すれば精神を
愉快にする。又驚悸を治す】(時珍)。
〔附方]新一。【傷寒發狂】恐怖し,恍惚たるには,撒法郎二分を水一
盞に一夜浸して服す.天方國の人から傳へた方である。(王璽醫林集要)」