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王路『花史左編』(1617)にヒマワリが「丈菊」の名で記載されているのが,中国の文献での初出と見られる.「其茎丈余亦堅粗毎多直生雖有傍枝只生一花大如盤盂単弁色黄心皆作窠如蜂房状至秋漸紫黒而堅劈而袂之其葉類麻而尖亦叉名迎陽花」.と草丈・茎の強さ・花の着き方・一重の黄色い花弁・種子のつき方や葉の形など,短い文の中にヒマワリの特徴が良く描かれている.背の高さだけではなく日を迎えて咲くと考えたのか,「迎陽花」という呼び名もあった(左図).
「この書は,初め24巻、のち27巻。花の形状・変異・栽培法・病害虫・月別の園芸作業・園芸用具などについて記すとともに、花にまつわる故事や名園・名勝を収録する。文学色が濃く、一般の園芸書とは趣を異にする。」とのこと.
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●水野元勝『花壇綱目』草稿本寛文4年(1664)に記述が含まれるが図はない.(磯村直秀 「明治前園芸植物渡来年表」)
●中村惕斎『訓蒙図彙』寛文6年(1666)にヒマワリ、ヒナゲシ、ギボウシ、イワレンゲなどの図が初出。刊行はこの年か翌年。(日本最初の百科事典)(右図は寛政元(1789)年版,寛政版は複数の項目を1頁に詰め込んでいる.絵画的な側面もあり美しい。画者は下河辺拾水)
「「丈菊」じょうきく・てんがいばな(天蓋花) 〇丈菊は一名ハ迎陽花という.日輪にむかう花なり.よって日車ともいう.花菊に似て大い也.色黄又白きもあり」 とある.
●伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)「日廻(ひまわり)(中末) 葉も大きク草立六七尺もあり花黄色 大りん」
●伊藤伊兵衛『増補地錦抄』(1695)には,日廻(ひまわり)の図がある.
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●貝原益軒『大和本草』 (1709) 巻之七 草之三 花草類 には「向日葵 ヒフガアオイ」 「一名西番葵.花史ニハ丈菊ト云.向日葵モ漢名也.葉大ニ茎高シ六月ニ頂上ニ只一花ノミ.日ニツキテメクル.花ヨカラス.最下品ナリ.只日ニツキテマハルヲ賞スルノミ.農圃六書花鏡ニモ見ヱタリ.国俗日向(ヒフガ)葵トモ日マハリトモ云.」彼は渡来した観賞用植物に厳しかった.
「菊丈 Dsĭo Gikf, vulgo Tengai fanna. Solis flos
Peruv[ianis]Lob[elii] . Chrysanthemum
Peruv[ianum] Dod[onaei] . Helenium
Indicum maximum C[asparis] Bauh[ini]
P[inacis] とあり,丈菊,天蓋花と呼ばれていたことがわかる.(引用羅文の [ ] 内は,略の補足).
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●四時堂其諺編録『滑稽雑談』(1713年)巻之第十二 六月之部廿四下 に「日向葵」が出ているが,その記述は「葉が5裂して先が尖がり,花は薄黄色で(花弁は)5枚で中心は赤い(丹色)」とその記述から想像される花はトロロアオイに似ており,現在のヒマワリとは思えない(最下図,右側).
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しかし図は花弁の先が丸く,むしろ現在メキシコヒマワリと呼ばれる近縁種に似ている.ただ,橘保国の記述や絵には間違いが多くあることが知られている(最下図,左側)
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