2014年4月29日火曜日

オキナグサ (1/5) 万葉集,ニコグサ,ネッコグサ,地方名・方言,ハコネシダ?

Pulsatilla cernua (Syn. Anemone cernua)
2003年5月 筑波実験植物園
全国の明るい山野に分布し,全身が銀白色の短い毛で覆われ,4月~5月に内側が暗赤紫色の釣鐘型の花が下向きに咲く.果実は,多数の柱頭が伸びて広がり,老人の白髪の頭のようになる.しかし,「オキナグサ」の名は,中国から本草書が渡来し,「白頭翁(白頭公)」にこの草が比定され,その根が薬用として利用されるようになってから,漢名に習って付けられ(新井白石『東雅』),それ以前は「ニコグサ」あるいは,「ネッコグサ」と呼ばれていたのではないかと考えられる.
即ちオキナグサの最も大きな特徴である全草を覆う柔らかい毛,ニコゲ(和毛)から「ニコゲグサ」と呼ばれ,これが「ニコグサ」「ネコグサ」そして「ネッコグサ」と訛化したのではなかろうか.

万葉集には「爾故(古)具左」,「似兒草」,「和草」,「根都古具佐」を詠った五首の歌が載る.
○(巻十一 二七六二、詠人未詳)
蘆垣之 中之似兒草 爾故余漢 我共咲為而 人爾所知名
葦垣の 中のにこ草 にこやかに 我れと笑まして 人に知らゆな
○(巻十四 三三七〇、東歌)
安思我里乃 波故祢能祢呂乃 爾古具佐 波奈都豆麻奈礼也 比母登可受祢牟
あしがりの 箱根の嶺ろの にこ草の 花つ妻なれや 紐解かず寝む
○(巻十四 三五〇八、詠人未詳)
芝付乃 御宇良佐伎奈流 根都古具佐 安比見受安良婆 安禮古非米夜母
芝付の 御宇良崎(みうらさき)なる ねつこ草 相見ずあらば 吾恋ひめやも
○(巻十六 三八七四、詠人未詳)
所射鹿乎 認河邊之 和草 身若可倍爾 佐宿之兒等波母
射ゆ鹿を 認(つな)ぐ川辺の にこ草の 身の若(わか)かへに さ寝し子らはも
○(巻二十 四三〇九、大伴家持)
秋風爾 奈批久可波備能 爾故具左能 布古鎗可爾之母 於毛保由流香母
秋風に なびく川辺の にこ草の にこよかにしも 思ほゆるかも

この植物を単に柔らかい草とする説もあるが,山田卓三,中嶋信太郎『万葉植物事典』北隆館 (1995) では,「ニコグサ」をハコネシダ(ハコネグサ)とし,「ネッコグサ」はオキナグサとの説もあるが,特定できずとしている.
しかし,このニコグサには花が着くと詠われるし,また,海岸の明るい芝の岬に生えることからすると,ハコネシダでは適切ではない.また,ハコネシダの地方名には「にこ」や「ねこ」に関連しそうなものはない*.

一方,木下武司『万葉植物文化誌』八坂書房 (2010)では,オキナグサ説をとるが,「ネッコグサをもっとも古い名と考え、「つ」が略されてネコグサとなり、にこ草はこのネ→ニの転訛とするのは、音韻的に無理がなく、至極妥当と思われる。ねつこ草は根っ子草と考えられがちだが、古語に「根っ子」は見当たらない。おそらく「土(に)つ子草」すなわち「土の子草」の意と思われる。オキナグサはその地上部から想像できないほど根が大きくて深いのであるが、地上部が枯れても毎年同じ場所から苗が生えてくる。とりわけ、川原に生えるものは洪水で氾濫した後からでも芽が出て花を咲かせるから、土の中に子があると考えて「土の子草」と名づけたのではなかろうか。」としている.
しかし,万葉の時代には,オキナグサの根の薬効は認識されておらず,したがってその根が注目される度合いは,特徴的な地上部に比すると低かったろうと推察される.

オキナグサを「ニコグサ」から転訛した「ネコグサ」あるいは,その「ネコ」と関連付けて呼ぶ地方名(方言)は古くから知られていて,江戸時代の本草書,松岡玄達の『用薬須知(1726) には,「猫艸(子コグサ)(筑前)」とあり,越谷吾山 編輯『物類称呼(1775) には「筑前にて○ねこぐさ」と,更に小野蘭山の『本草綱目啓蒙(1803-1806) には「ネコグサ筑前 ネコバナ筑後」と記録されている.

八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房 (2001) には,303個の地方名が収載されているが,「ネコ」に関連しそうな名称は,九州を中心に 15 ほどある.
おないこ(肥後),おないご(大分(別府市)・肥後),おにごろ(越中(富山・石川),おにやこ(熊本(球磨)・大分(大分)),おにやこ(熊本(球磨)),おねこ(宮崎(児湯)),おねご(大分・鹿児島(伊佐)・鹿児島(大口)),おねこぐさ(鹿児島(肝属)),おねごじょ(鹿児島(鹿児島)),おねこやんぶし(鹿児島(出水・大口・阿久根)),おねこやんほし(鹿児島(姶良・国分・薩摩)),おねごやんぼし(鹿児島(伊佐)),ねこ(長野(佐久)),ねこぐさ(筑紫(筑前(福岡))),ねこばな(九州(筑後・福岡))

さらに,オキナグサの地方名を集積している中園氏の著名なサイト「幻の野草・オキナグサ/呼び名方言集」(http://www.synapse.ne.jp/m3naka/WORD.HTM)には,県別で集積しているので重複もあるが,688 件が記録され,その中には「ネコ」関連と思われる以下のような地方名がある.
2005年1月美保の松原
ウネイコ(鹿児島県),ウネーコ(鹿児島県),ウネコ(鹿児島県),ウネゴ(大分県,鹿児島県),ウメゴ(鹿児島県),オナイコ(熊本県),オナイゴ(大分県,熊本県),オニャコ(熊本県),オニヤコ(大分県,熊本県),オニャンコ(熊本県),オネコ(宮崎県,鹿児島県),オネゴ(宮崎県,鹿児島県),オネコグサ(鹿児島県),オネコジョ(鹿児島県),オネゴジョ(鹿児島県),オネコヤンブシ(鹿児島県),オネコヤンボシ(鹿児島県),オネゴヤンボシ(鹿児島県),オネコンジョ(鹿児島県),オネコンボ(鹿児島県),オネッ(鹿児島県),オネッコ(鹿児島県),オンネコ(鹿児島県),ネコグサ(福岡県),ネコノテ(広島県),ネコノミミグサ(山口県),ネコバカボーズ(熊本県),ネコバナ(福岡県)

これだけ「ネコ」に関連ありそうな地方名が多いと,万葉の「ニコグサ」も,この草を柔らかく短い毛を持つネコに見立てた「ネコクサ 猫草」由来と思いたくなるが,ネコが愛玩用あるいは経典をネズミから守るために大陸から入ってきたのは奈良時代と思われる.古代にネコが日本に定着していたという物証は乏しく,古事記や日本書紀などにもネコの記述は無い.従って,万葉集の「ニコクサ」「ネッコクサ」は動物のネコとは関連しないと考えられる.しかし後世,貯蔵する穀物を害するネズミを駆除するため,多くのネコが農村部でも飼われるようになって以降は,オキナグサの「ねこ」に関連する地方名が,動物の「ネコ」由来である可能性はあろう.

*ハコネシダの地方名 八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房 (2001) 
あしなが 江州,いししだ 駿州,いちょ-ぐさ 伯州,いちょ-しのぶ 阿州 徳島,おず-ず- 神奈川(津久井),おずる 神奈川(津久井),おとのくさ 和歌山(東牟婁),おらんだそ- 武州 相川箱根,からすのあし 越後,きつねのかんざし 越後,くろはぎ 加州,すしたで 和歌山(東牟婁),すじたで 和歌山(東牟婁),とらのぐさ 和歌山(東牟婁),はこねそ- 和歌山(東牟婁),ほ-お-そ- 甲州河口,ほ-お-はぎ 駿河,よめがさら 甲斐,よめがはし 甲州,よめがははき 甲州,よめのかんざし 越後,よめのぬりばし 越前,よめのはし 能登,よめのははき 近江

オキナグサ (2/4) 本草綱目,出雲国風土記,延喜式,本草和名,医心方,和名類聚抄,下学集,多識編

続く

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