シーボルトと ”Flora Japonica” を共著したツッカリーニが執筆中に逝去したので,その第2巻を担当したミクェルは,館長を務めていたライデン大学の標本館の資料を基に,ホトトギスに Tricyrtis japonica の学名をつけた.この学名は現在では,正名 Tricyrtis hirta の異名(シノニム)とされている.
ミクェル(Friedrich Anton
Wilhelm Miquel, 1811-1871)は現在はオランダに属するフローニンケンの大学で医学を学び,ロッテルダム大学で医学を教え,ユトレヒト大学で植物学教授(1859-1871)となり,1862年ブルーメ(C. L. von Blume)の後継者として,オランダ,ライデンの國立植物標本館 (Rijksherbarium) の館長となった.
ミクェルはツッカリーニが ”Flora Japonica” の執筆中に逝去したので その第2巻を分担した.オランダ領インドを中心としたマレーシアの植物研究をして『蘭領インド植物誌 (“Flora Indiae batavae”,
Amsterdam, 1855-1859)』(1855-1860)を刊行し,アジアの熱帯植物について深い造詣を有していたので,彼の日本植物研究では西南日本産の暖帯・亜熱帯植物の研究に彼の資質が発揮されたといえる.
彼はツンベルクやシーボルトとその継承者達による,当時の世界では最大の日本植物の標本コレクションに大きな関心を寄せ,その重要性に鑑み,一般の標本から分けて別室に保管した.これがHerbarium Japonicum
Generaleと呼ばれる植物標本のコレクションである.
ミクェルは来日していないが,ツンベルク・シーボルト・ビュルガ一(Heinrich Bürger, 1804 or 1806 - 1858)・ピエロー(Jacques Pierot, 1812-1841)・テクストール(C.I. Textor,1816 - ?)らの東インド会社の採集品,および伊藤圭介・水谷豊文(助六)・二宮敬作ら日本人植物学者による標本・資料により日本の植物,主に関東以西の植物相と熱帯の植物との比較検討を行い,分類学的研究を推進して,『ライデン王立植物標本館紀要』(Annales
Musei Botanici Lugduno-Batavi, A. M. B. L.-B)に『日本植物誌試論』(PlolusioFlorae
japonicae, 1865-67)を掲載し,その中には日本植物562点を記載している.
その『ライデン王立植物標本館紀要』(Annales Musei Botanici
Lugduno-Batavi)の第三巻 (1867) の p. 155 には,
PROLUSIO
FLORAE IAPONICAE. 155
TRICYRTIS
WALL.
1. TRICYRTIS JAPONICA MIQ.
Versl. en Med. K. Acad. 2 ser., vol. II. p. 86. Conf, infra inter
plantas
herb, KEISKEI. .
Specimina habeo ultrapedalia, ex omnibus
fere axillis florida apiceque conferte florifera; folia densa e basi auriculato-
amplectente
ovato- vel saepe elliptico-oblonga sublanceolata sursuin subacuminato-attenuata
circiter
9-plinervia,
4(1/2)—2(1/2) poll, longa. — Tr. hirtae
HOOK, valde affinis sed
nervis numerosioribus, florum ut videtur
colore
stigmatibus profundius partitis et certius ovario glaberrimo distincta. —
Variat pedunculis nunc omnibus
axillaribus
solitariis vel geminis, nunc subterminalibus; pedicelli passim elongati 1 poll, longi. — Legerunt
BUERGER et SIEBOILD, quibus Fato to gisu vel Gamo otato gisu iap.; in ripis lacus
Oots iuxta Miako
Nippon: PIEROT. Sp. capsulifera
legit MOHNIKE, foliis nunc
distantioribus, glabrioribus, capsulis lanceolatis,
pedicellis
(1/2)-pollicaribus. Prope Jokohama: MAXIMOWICZ (“Tr. hirta SIEB. et ZUCC." — ubi?).
Observ. Prostat sp. unicum
apice uniflorum, foliis supremis 7-nerviis, a SIEBOLD lectum, forsan forma pygmaea.
とホトトギスの学名を Trictrtis japonica として発表した.彼は来日していないので,國立植物標本館に納められていた,ビュルガー,ピエロー,モーニケなどが日本で採集して作成した腊葉標本やそこに記されていたメモを基に,この学名をつけ, Hook の言うTr.
Hirtae とは,花の雄蕊・雌蕊の色や滑らかさが異なるとして,別種とした.「ピエローは,日本名を「ファトトギス(Fato to gisu),ガモオタトギス(Gamo otato gisu)」と言い,本州,京都近くの大津の湖の堤防で採取し,またマキシモウィッチは「横浜近郊で観察した」とある.この記述の基となった腊葉標本と付属の情報は次記事.
Trictrtis
japonica は現在 T.
hirta のシノニムの一つとされている.
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