2020年2月12日水曜日

レンゲツツジ (3)-仮  羊躑躅,蔭涼軒日録,草木写生,長生花林抄,花壇地錦抄,大和本草

Rhododendron molle subsp. japonicum

レンゲツツジはツツジ科としては,大型の花を着けるの日本の固有種で,その漢名を中国本草書にある「羊躑躅(トウレンゲツツジ)」とするのは誤りだが,その毒性や薬効には共通点が多い.レンゲツツジは雄蕊が花冠より短く、成葉の裏面は脈上に毛があるほかは無毛であるが、トウレンゲツツジは雄蕊が花冠と等長かより長く、薬の裏面は灰色柔毛を密生するので別種である。
「羊躑躅」は奈良時代に日本に渡来した中国本草書に既に記載されていて,初期の和書においてはモチツツジ・イワツツジ・シロツツジと考定されている.これ等の名称が現在のそれらと同一であるか否かは不明.江戸時代になって,レンゲツツジは花色によって,くちば(朽葉),れんげつつじと分けて呼ばれたが,大和本草ではれんげつつじ=羊躑躅とは考定されていない.

以下文献の画像は,NDLの公開デジタル画像よりの部分引用.

レンゲツツジの名の初出は,故磯野慶大名誉教授によれば,室町後期の『蔭涼軒日録』の長享二年 (1488) 三月の記事である.そこでは,寺の庭に植える「庭樹」とされている.
その後,狩野重賢画『草木写生』(1657)には美しい紅色・樺色及び黄色のレンゲツツジの絵が描かれていて,観賞価値の高い花木として評価されていたようだ.
つつじ・さつきに特化したモノグラフ,伊藤伊兵衛 長生花林抄』(1692)(『錦繍枕』)では,「くちば」つつじの名でも,レンゲツツジが収載された.さらに,モチツツジは無毒であるとして,羊躑躅=もちつつじを否定した.
同人の『花壇地錦抄』(1695)の「躑躅のるひ」には,キレンゲを「くちば」,カバレンゲを「れんげつつじ」と記した.
貝原益軒『大和本草』(1704)の「躑躅」の項では,カバレンゲを「蓮華ツヽシ」,キレンゲを「羊躑躅 モチツツジ」と記録した.

 磯野教授によるレンゲツツジの初出書籍『蔭涼軒日録(いんりょうけんにちろく)』は,京都の相国寺塔頭(たつちゆう)鹿苑院(ろくおんいん)蔭涼軒主歴代の日記で,前半の143541年(永享7‐嘉吉1)と145866年(長禄2‐文正1)が季瓊真蘂(きけいしんずい),後半の148493年(文明16‐明応2)が亀泉集証(きせんしゆうしよう)の筆録である.
 この日記の 長享二年三月(1488)の記事には,
「廿六日 不参.天半陰半晴.於雲澤軒後板祈祷.転大般若愚焼香。維那柏首座.齋会中洒一返.自浄光院庭樹蓮華。躑躅四本.岩躑躅二本。庭櫻一本。雨中栽之。(以下略)」とある(佛書刊行会『蔭涼軒日録』 3 (1913)  476 ページ).
 この復刻版では「蓮華。躑躅」とハスとツツジと別の物としているが,「庭樹」としているので,磯野教授の言うように「蓮華躑躅,レンゲツツジ」とすべきであろう.つまり,浄光院より「レンゲツツジ4本,イワツツジ2本,ニワザクラ1本」を持ってきて,雨の中鹿苑院に移植したと読める.注目すべきは「イワツツジ」と「レンゲツツジ」を分別している事である.
 この時期の記録者,亀泉集証(きせん・しゅうしょう)(1424 - 1493)は,美作国(岡山県)の赤松氏被官後藤氏の出身.蔭涼軒主として五山官寺を統轄し,幕府の政治に力をふるった季瓊真蘂の弟子となり法を嗣ぎ(一山派),応仁の乱(1467)では季瓊と共に近江へ逃れた.益之宗箴の後任で蔭涼職につき,約10年の間,五山統轄の事務に当たり足利義政の信任厚かった.また詩文を瑞渓周鳳らに学び能書でも知られた.諸山西禅寺,十刹聖福寺,天竜寺の坐公文(住持の称号)を受ける.その日記は『蔭涼軒日録』の大部分を占め,中世禅宗史はもとより室町時代の政治史の重要史料である.

 ★狩野重賢『草木写生』(明暦3 (1657) - 元禄12 (1699))は江戸前期の優れた花木・草花図譜で,「春上・春下・秋上・秋下」の4巻から成り,夏と冬の巻は無い.「秋下」末尾に「狩野織染藤原重賢画之」とあるので,狩野重賢が著者だが,狩野家の系図には見出せず,経歴などは不明.美濃の加納(かのう)での写生が多いので,加納藩と関係があったように思われるし,狩野は加納のもじりかもしれない.
 
本資料の特徴は,1. 図には写生年月日と写生地を記すことが多いが,注記は少ない,2. 図を種類ごとにまとめている,3. 写生地は大半が加納である,4. 年代は,明暦3年(1657)から元禄12年(1699)に及ぶが,万治2年(1659)と同3年が非常に多く,ついで元禄5年(1692)が目立つなど,特定の年に集中している,5. 大半が園芸植物で,野生品や農作物は計1割ほどに過ぎず,針葉樹や羊歯類,キノコ類はまったく含まれていない,など.所収種数は「春上」が29種,「春下」が54種,「秋上」が18種,「秋下」が30種,総計131種,品数にすれば284品.
 その「春上」の巻に三種のレンゲツツジが描かれている.
蓮花躑躅(れんけつゝし) 三月六日     加納寫生」
黄蓮花躑躅  三月六日 加納寫生」
などとコメントがあるが,判読できず.
 図は花序,雄蕊が五本である事や,葉の先端が丸いことなど,よく観察されている.

 ★伊藤伊兵衛『長生花林抄(1692) 全五巻は,「花壇地錦抄」の著者,江戸の種樹家伊藤伊兵衛三之丞によって著作された,世界最古の躑躅・皐月のモノグラフ.ツツジ類(一~三巻 百六十四種),サツキ(四~五巻 百六十一種)の品種解説並に栽培管理書である.多くの品種には花又は花と小枝をつけた図が附され,花の大きさ,色彩の飛入(かすり),絞り,吹掛けなどの花色の変異を図に現わし,更には,ツツジ類では○■▲などの記号により早咲,中咲,後咲を記し,サツキ類では「まつしま」を基本種と定め,同じ時期に咲くものを●,早く咲くものを凸,おそく咲くものを①と記号表現し.他に類例の少ない表現法を用いた.
 この書の第三巻に「▲くちば」と「▲れんげつつじ」の項があり,この「くちば」色のツツジが「カバレンゲ」あるいは/および「キレンゲ」,「れんげつつじ」が「コウレンゲ(紅蓮華)」と思われ,「くちば」の項には,レンゲツツジの特徴の一つである,先端の丸い葉が描かれている.

『梅園草木花譜』 夏之部3 
ノカンソウ
本文が読めないのが残念であるが,「くちば」には,「花黄色にして大輪」「羊躑躅」「有毒」「時珍」「黄れんげ」などの言葉が読み取れ,「れんげつつじ」の方には,「花うすあかくしてかわらけ」とある.
なお,「くちば色」は今の黄赤色と思われ,日本最古の園芸書である『花壇綱目』(水野勝元著・1681年)には,「萱草(くわんさう) 花朽葉色也」,「武嶋百合 花朽葉色也」とあり,ノカンゾウ(右図)やタケシマユリの花色を「朽葉色」と表現している.
 一方,第二巻には「▲もちつつじ」の項があり,それには「本草綱目の羊躑躅とされているが,花は黄色ではなく,毒はない」と,羊躑躅=モチツツジを否定している.

 同人の『花壇地錦抄(1695)「木之類 巻二」には,
「躑躅(つゝじ)のるひ」木春中末
つつじのるひハ長生花林抄(ちようせいくわりんせう)といふ五冊(ごさつ)の双紙(さうし)に花形(かぎやう)を圖(づ)にあらハしくわしくしるし前にひろむゆへ爰にハ略(りゃく)してわづかにその事を記(しる)す」とある.この章に
くちば 黄色大りん花にどくあり」
れんげつゝじ かわらけいろ、大りん」
の二項があり,前者がカバレンゲ及びキレンゲ,後者がコウレンゲであろう.

貝原益軒(1630  - 1714 は,儒学的教養書「養生訓」,「和俗童子訓」の著者であるだけでなく,歴史学者,地理学者として広く国中を見て回って「筑前国続風土記」を書き,博物学者として路傍の雑草,虫や小川の魚まで詳細に観察し「大和本草」に記述している.
★貝原益軒『大和本草(1709) 「木之下」の「躑躅」の項には「蓮華躑躅」と「羊躑躅」が記述されているが,前者は「花色は萱草のような黄色で八重,葉はその頭が丸い」とあり,後者は「モチツツジで黄色い花を着ける.葉は柔らかで花には強い毒がある」と記した.
躑躅(ツヽシ) 大小霧島其外種類近年甚多シカソヘツクスヘ
カラス各其名アリ三月花ヲ開ク山州摂州河州ニ多
シ山ニモ紫ツヽシヨド川ツヽジ紅ツヽシアリ本草毒艸
羊躑躅ノ附録ニ山躑躅ヲノセタリ凡躑躅杜鵑花ハ
小樹也故今改為木類ツヽシハ新ニウフルニハ根
ヲヨク洗ヒ舊土ヲ去細ナル黄土ニウヘ日ヲ掩ヒシバ/\水ヲ
ソヽクヘシ根下ヲ堅クツクヘカラス六月ニ新枝ヲ挟ム
ヘシ舊枝ニツラ子切テ好土ニ挟(サシ)日ヲオホヒシバ/\水ヲ
カクヘシ細黄土ヨシ凡躑躅杜鵑花共ニ糞溺ヲイム
米泔魚汁ヲ時々ソヽクヘシ葉ニ水ヲソヽクヘカラス根ニ
ソヽクヘシ○蓮華ツヽシ花三月サク花落テ葉生ス花
黄ニシテ如萱艸ノ色花ハ重葉也葉常ノツヽシニ異ナリ葉ノ
頭圓ク柔ナリ○羊躑躅ハモチツヽシト云黄花三四
月ヒラク高二三尺ハカリ葉ハ桃ニ似タリ花大毒アリ
○アサギツヽシ葉ハ大ギリシマノ如ク枝ハ蔓ノ如ク
長シ小木ナリ花ハ棉花ニ似テ小ナリ色アサギ也春
花サク木不高花ヨカラサレトモメツラシ大山ノ岩上ナト
ニアリ〇山中ニ紫花ノ春ツヽシ木ノ高一丈許ナル
アリツ子ノツヽシノ花ノ三倍ノ大サアリ花ウルハシ葉
三角ナリ」とある.

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