英国の大文豪,W. シェイクスピア(W. Shakespeare, 1564 - 1616)の三大悲劇の一つ.古代ブリテン王国を舞台にした『リア王』で,王位を娘たちの甘言に乗って失い,狂気の内に彷徨う王は失った冠の代りとして小麦畑に生育する雑草を頭にかぶっている.この雑草の王冠を構成する草のひとつが,Fumiter である.
”The
Tragedy of King Lear”
Act IV Scene IV
CORDELIA Alack, 'tis he: why, he
was met even now
As mad as the vex'd sea; singing
aloud;
Crown'd with rank fumiter and furrow-weeds,
With hardocks, hemlock, nettles,
cuckoo-flowers,
Darnel, and all the idle weeds that
grow
In our sustaining corn. A century send
forth;
この
Fumiter は,和名カラクサケマン
Fumaria officinalis L.(英俗名 Fumitory等, 希臘語名 Capno, καπνός 等,羅甸名 Fumus terraæ 等)で,欧州ではギリシャ・ローマ時代には既に薬草として知られ,15世紀の揺籃期本草書にも収載されている.16世紀には欧州での本草学の隆盛と共に,ドイツ・イタリア・オランダを中心として刊行された多くの絵入り本草書にも収載されている.
これらの本草書の挿絵は,揺籃期本草書の形式的で硬直した図とは異なり,印刷術の発達に伴い,実物を写生した絵をより正確・精密に表現できるようになってきた.しかし薬効等の記述はまだディオスコリデスやプリニウスに典拠していたが,独自の知見を付け加えた書も刊行されるようになった.以下にドイツ植物学の父と称される三人の植物学者の著作の概要とカラクサケマンを描いた図(冒頭図)を示す.
★ドイツの医師・神学者・植物学者,オットー・ブルンフェルス(Brunfells Otto, ?~1534)の “Herbarum Vivae Eicones” 『本草写生図譜』(1530) ① は,植物のありのままを描写した本草書の嚆矢.画はハンス・ヴァイディッツ(Weiditz, Hans, ca. 1495~ca. 1536)による.この時期から植物の忠実な写生が行われ,魔術的要素の排除がはじまる.この書の木版画がすべて優れているわけではないが,そこには一貫して正直であろうとする意志がある.ヴァイディッツは,自然をありのままにとらえたのである.葉はちぎれていたか,それともしおれていたか,花はしぼんでいたか - ヴァイディッツは事実を自然主義に立つ画家の冷徹な眼で観察し,真の職人の正確さで記録した.が,しかし,科学的正確さを追求するあまり美がおろそかにされるということはなかった.ヴァイディッツの作品はつねに詩的であり,つねに芸術的であった.それは,植物を描写した木版画では最高水準のものとして永久に残るにちがいない.
★ドイツの医師,貴族,レーオンハルト・フックス(Leonhard Fuchs,1501~1566)A. のフォリオ判 ”De historia stirpium Commentarii insignes”『植物誌』(1542) ② は,ブルンフェルスの書と同様に,図の価値が本文より優れていた.本文の方は,学問的ではあったが主としてディオスコリデスやプリニウスの記述に依っていた.且つ,記載はアルファベット順であり,分類学的な考慮はなされていなかった.しかし,本文には「各国語の名前」「生育場所」「開花時期」「薬効」などの項目を立てて読みやすくし,この形式は後のフランドルのドドエンス(Dodoens Rembert, “Cruydeboeck” 1554)や英国のジェラルド(Gerard John, “The Herball” 1597)の本草書の記述文に踏襲された.
Fucks (Latin) Dodoes (Dutch) Gerald (English)
NOMINA Naem Name
FORMA. Tfatsoen Description
LOCVS Plaetse Place
TEMPVS Tijt Time
TEMPERAMENTVM Temperature Natuere
VIRES Cracht en werckinghe Vertues
この書籍には 500 枚以上の実物に忠実な美しい図版が付された.これらの内 400 種はドイツに自生し,100 種は国外の生育種であり,Indian Corn (Zea mats L.) や Great Pumpkin (Cucurbita maxima Duch.) など 5 種がアメリカ大陸からの移入種であった.この絵の卓越さは広く認識され,その後約200年もの間,これらの図版の版木や複製が他の書物に用いられた.
フックス A. はまた,この書の成功に大いに貢献した画家たちの功績をたたえ,全ページ大の図版には,アルブレヒト・マイアー(Albrecht Meyer, Albrertus Meyer, ?~?)B. が自然の植物を写し取り,ハインリッヒ・フユルマウラー(Heinrich Füllmaurer, Heinricus Füllmaurer, 1497?~1547/1548)C. が版木に描き移し,ヴァイト・ルドルフ・シュペックル(Veit Rudolph Specklin, Vitto Rodolph Speckle, ? ~1550/1560)D. が彫版している様子が示されている.なお,マイアーとフユルマウラーが観察している花はムギセンノウ.
『植物誌』の木版画は,カラクサケマンの図もそうだが,全ページ大に描かれていて,一見したところ,それほどにも大きい図にしては描線がやや細いように見える.それはこれらの図版が本来,色付けされることになっていたからである.さらにそのうえ,フックスは,序文で説明しているように,図の明瞭性を損なうような陰影をつけないようにことのほか注意していた.
★ドイツの植物学者,医師,ルター派の牧師であるヒエロニムス・ボック(Hieronymus Bock,1498~1554)は上に述べたブルンフェルス,フックスと共に「ドイツ植物学の父」と称されている.ラインラント地方などを広く旅し,1539年に主著 “Das New Kreüterbuch”『新本草』を発表した.これには挿図がなかったが,第二版の “Kreuterbuch”『本草書』(1546) ③ にはこれに477の木版画図版を付け加えた.図版の多くはブルンフェルスとフックスの著作から借用したが,約100ほどはシュトラスブルクの画家ダヴィット・カンデル(David Kandel, 1520~1592)が本書のために製作したものである.カラクサケマンの図は,ブルンフェルスとフックスの著作の図とは異なっているので,カンデルが新たに書き起こしたものと思われる.カンデルはまた,ボックの肖像画(左図)も作成した.
本書は,全3部の構成で,最初の2部では草木,第3部では低木と高木を扱っている.約700の植物が,400以上の章の下,名前,効能,使用法などについて述べられている.ボックは,熱心な収集家だったようで,自分自身の観察に基づいて生育地や生育環境を記述した.そのため本書の本文は,近代植物記述法の原型として高く評価されている.
また,先行本草書の呪術的・迷信・民間神話的な記述を検証し,例えば「シダには増殖のための組織はなく,聖ヨハネ祭りの前夜にのみ青い小さな花が現れ,たちまち種を結び,呪文を唱えなければその種は入手できない」というそれまでの説を,実際に森に籠って観察し.「ヒナゲシのに似た黒い種子を呪文やお守りや魔術的な操作なしに採取した」と記した.また, Verbena(クマツヅラ)や,Artemisia(ニガヨモギ)は,それらの薬効より,魔術的な目的で集められているとして,"monkey tricks and ceremonies” と,軽蔑を露わにした.彼は植物の関連性や相似性の研究を基に、中世植物学が現代科学的世界観へ移行するきっかけを作った.
参考文献:ウィルフリッド・ブラント『植物図譜の歴史 芸術と科学の出会い』森村健一訳,八坂書房 (1986)
Agnes Arber (Mrs E. A. Newell Arber) “Herbals. Their Origin and Evolution, A
Chapter in the History of Botany 1470—1670”, Cambridge University Press (1912)
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