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2025年4月29日火曜日

ソノオサイシン(園生細辛) ツルダシアオイ

Asarum fauriei var. serpens ソノオサイシン(園生細辛)

  ユキワリソウ(ミスミソウ)を観察に行った取手市内の公園で,カンアオイ(サイシン)類の群落を見た.Google Lens で調べたたところ,ウマノスズクサ科のゼニバサイシン Asarum takaoi var. hisauchii がヒットした.調べると葉の形状は「葉は幅34㎝の小型で円形のもの。葉先が切形~微凹頭。ヒメカンアオイは葉が長さ58㎝の卵円形~腎円形。」にはよく合う.残念ながら,季節が異なり花を見ることは出来なかった.

もし,ゼニバサイシンなら,大場秀章らが,Journ. Jap. Bot., Vol. 64 No. 8. (1989)”  に,「千葉県で見出されたゼニバサイシン,特にその意外な分布と分類」という報文で,「千葉県銚子市にある」「ゼニバサイシンはこれまで千葉県は無論,関東地方にもその分布が知られていなかったので,この発見は植物相の観点からみてたいへん興味深いことであり云々」と報告しているように,本州中部(千葉、長野、岐阜、愛知、三重)には分布しているようだが,ネットで見た限り,茨城県に生育しているとの情報は見いだせない,希少な植物ではないかと思われた.
 「千葉県の保護上重要な野生生物 植物・菌類編 
2009年改訂版」では,上記大場先生の報文を引用し「A ゼニバサイシン ウマノスズクサ科 最重要保護」とあり,「千葉県の保護上重要な野生生物 ―千葉県レッドリスト― 植物・菌類編<2017年改訂版>」でも,「220 種子植物 ゼニバサイシン ウマノスズクサ科 A (2017)  A (2009) (最重要保護生物(A))」となっている.さらに,この銚子市で発見された種は関しては,糟谷大河*先生が「第13回日本ジオパーク全国大会 in 関東」での『千葉県銚子市に隔離分布するゼニバサイシンの系統地理』で「銚子市の集団をゼニバサイシンとは異なる新分類群と見なし,ヒメカンアオイの変種として正式に記載する必要がある.」と発表されていて,一部では,チョウシカンアオイ(銚子寒葵)という仮の名前までつけられていた.(*慶応大学経済学部生物学教室准教授)

 そこでミュージアムパーク茨城県自然博物館に画像を添えて問い合わせたところ,資料課の維管束植物担当の学芸員の方から,「写真と図鑑を照らし合わせる限りはゼニバサイシンに類似します。」との回答を得て更に,「千葉県の銚子で、ゼニバサイシンのDNAの研究をされている糟谷先生が現地を見に行きたい」との事で,詳しい観察地点の地図を送った.

 その後,学芸員の方から,糟谷大河先生の同定の結果,この植物はゼニバサイシン(チョウシカンアオイ(仮称))ではなく,
「葉の大きさがゼニバサイシンよりも大型で,葉の表面に雲紋が発達すること(ゼニバサイシンでは葉の雲紋を欠くものも多い), 茎がよく伸長し,地下茎から,つるを出したように地を這って,林床一面に広がることなどから,取手の公園に生育する植物は,ソノウサイシンで間違いないと思います。ゼニバサイシンは,茎がつる状に地を這うことはなく,林床一面に株が広がることもありません。」の特徴から,ウマノスズクサ科のソノオサイシン(園生
細辛)である事が判明した.更に先生のコメントとして「ソノウサイシンは園芸植物とされており,野生のものがあるのかも含め,はっきりしたことはわかっていません。ただミチノクサイシンに近縁であり,栃木県那須や群馬県北部,長野県北部や東北地方に生育する集団があり,これらの地域では,自生のように見えるものもあるようです。ただし,各地の神社に植栽されるなどして,人為的に分布を広げた可能性もあります。私は宮城県気仙沼のソノウサイシンの生育地を見ましたが,そこは人家の屋敷林で,林床一面に広がって生育していました。」とあり,学芸員の方からも「今回の取手の公園に生育するソノウサイシンは,植栽されたものがしたか,人為的に導入されたものか,いずれかと思います。」との事であった.

 ソノオサイシンは「庭える細辛」の意味で名づけられ,ミチノクサイシンの変種と位置付けられ,学名は Asarum fauriei var. serpens (syn. Heterotropa fauriei var. serpens) .さらに「ソノウサイシンは各地の神社に点在しているが,これは明治以前に長野県の戸隠神社で戸隠講というものがあって,戸隠講のみやげに,ソノウサイシン,ヒメシャガ,クリンソウの3点(いづれも薬草)がもらえたことに由来するとされる」(日本の植物たち https://kasugak.sakura.ne.jp › comment › sonousaishin)とある(出典未確認).
 確かに観察地の近くには,平将門所縁の「妙見八幡宮」があるので,ここから.逸出あるいは,植栽された可能性もある.

 なお,学名に関しては以下の様な情報がある (https://ameblo.jp/aoinishiki/entry-12484471131.html)
 「村田*によれば、名付け親の前川**がソノフサイシンの和名とAsarum Fauriei var. serpens F. Maek.の学名を最初に発表したのは、石井勇編1944:園芸大辞典・誠文堂新光社であるが、裸名(記載文を伴わず、正式に発表されてない学名)であること、その後大井次三郎1951:日本植物誌(初版)455に引用され、更に昭和天皇1962:那須の植物には Heterotropa serpens F. Maek. ツルダシアオイとされ、昭和天皇1972:那須の植物159にも同様に出ているが、これらも正式に発表されていなとのことで、このように前川はソノウサイシンをツルダシアオイと改称し、ミチノクサイシンとは別種としての新学名を作ったが、正式な発表はしなかった由である。 青森県では古くから庭木の下草(地被植物・グランドカバ-プランツ)として当地方の日本庭園に植えられているが、野生では見られない。」(青森県植物図譜・ミチノクサイシン,解説  細井幸兵衛)(*村田源,**前川文夫)

J. Ohwi. “Flora of Japan, in English” (1965)

26. Asarum fauriei Franch. Heterotropa fauirei
(Franch.) F. Maekawa – M
ICHI-NO-KU-SAISHIN.  Rhisomes
elongate, with long internodes; leaves 1-3, rounded to reni-
form-orbicular, about 3 cm. across, deep green and lustrous
above, not variegated; flowers small, 1-1.5 cm. across, the
perianth-tube short; styles exserted from the tube. – Apr. -
May.   Honshu (centr. and n. distr.). – cv. Serpens. A.
fauriei var. serpens F. Maekawa. – S
ONOU-SAISHIN.   A
cultivar of gardens with reniform-orbicular retuse lusterless
gray-green leaves with pale variegation above.

fauriei:フランス人宣教師で明治大正期に日本の植物標本採集家であったフォーリー神父(Urbain Jean Faurie, 1847 - 1915)への献名
serpens: creeping, 這性の

 なお,y-list には,「ソノオサイシン」は記載されておらず,「ツルダシアオイ」が標準的な和名とされ,var. stoloniferum が標準とされている.
Asarum fauriei Franch. var. stoloniferum (F. Maek.) T. Sugaw.  ツルダシアオイ 標準
Asarum fauriei Franch. var. serpens F. Maek.  ツルダシアオイ synonym
Asarum fauriei Franch. var. takaoi (F. Maek.) T.Sugaw.  ヒメカンアオイ synonym

2024年6月11日火曜日

ムギセンノウ (1) 小麦畑の小悪魔 欧州各地の名称数,アルベルトゥス‐マグヌス(Albertus Magnus)『植物について』(De vegetabilibus)Nigella

Agrostemma githago


 可憐な花をつけるが,小麦などの麦類の悪性雑草として長く欧米の農家を苦しめていたナデシコ科の一年草.小麦と同調して生育し,全草有毒.特にその黒い種子がパンに入ると,その味を損なうので嫌われていて,聖書に出てくる「ドクムギ」の一つとも考定されていた.種子選別法が発展するとともに小麦畑から姿を消し,現在では主に庭での花卉として栽培されていて,日本でも逸出・帰化が認められている.
 日本で栽培されている種は,萼片が花弁より短いか同じである事から,A. githagoの園芸種 “Milas” か,別種 A. brachylobum と思われるが,ムギセンノウ A. githago として記述する.

 古くから小麦と共に生育していたが,ディオスコリデスやプリニウスの書籍には,ムギセンノウと確定できる植物の記載は見当たらない.彼らが麦の悪雑草として記した loliumzizania や,種の黒い git A. githago と考定した後世の本草家もいたが,これらはドクムギやクロタネソウとも考えられる.

 中世から欧州では悪名が高いためか,ムギセンノウは各地方で多くの異名や地方名を持っている.特にドイツ語圏内が多くG. A. Pritzel, K. F. W. Jessen “Die deutschen Volksnamen der Pflanzen: neuer Beitrag zum deutschen Sprachschatze” (1882) には  Mittalt, Gid, Lolium, Nigella の欧州での共通名称の後にドイツ語圏での名称として,“Ackerkümmel” から “Schneller” まで,46の名称が収載されている.
 また,欧州各地の植物の名称(文献上の名称,死語も含む)を収載した Gerth van Wijk, H. L. “A dictionary of plant names” (1911) には,欧州での共通名称とし,死語の †gith; †githago ; †lolium ; †nigellastrum ;†pseudomelanthiuni が挙げられ,更に英語圏での “bachelor's buttons” から “wild savager” 34 の,フランス語圏での “agrosteme” から “turaiel” 54 の,ドイツ語圏での “ackerrade(n)” から “zottiger feldkumme” 80 の,オランダ語圏での “baronnen” から “zwijnsooren” 61 の,計 229 の名称(重複あり)が収載されている.語源を調べれば興味深いだろうが,「小麦」「バラ色」「貝」「黒(い種)」「鼠」に関連する名称が多いようだ.ドイツ語圏での名称が多いのは,多くの小国が存在し,言葉が多少なりとも異なっていたためもあろうが,小麦など麦類の生産が盛んで,ムギセンノウに悩まされていたからであろう.

明らかにムギセンノウと考定できる植物の,欧州での記事の嚆矢は,ドイツの神学者アルベルトゥス・マグヌスAlbertus Magnus, 1193? - 1280)著★『植物について』(De vegetabilibus)の “Nigella” であろう.この “Nigella” が現在のキンポウゲ科のニゲラと異なっているのは,記述から明らかで,名称はムギセンノウの特徴の一つである「黒い種子」に由来すると思われる.この “Nigella” はムギセンノウの名称として16世紀半ばまで使われていた.

マグヌスの著作を復刻・注釈した K. F. W. Jessen, E. H. F. MeyerAlberti Magni ex ordine praedicatorum de Vegetabilibus libri VII :historiae naturalis pars XVIII” (1867) には,

De vegetabilibus libri VII
   Liber VI. Qui est: De speciebus quarundam plantarum.
     Tractatus II. In quo agitur: De herbis specialiter secundum ordinem alphabett.
       Cap. 13. De napone napello napello Moysi nasturtio narcisso nenufare nigella et nepita.

(Agrostemma githago Lin.)  Nigella est herba nota, quae nascitur in frumento, parvis foliis, longo crure et viridi et lanuginoso, rubeo flore, qui exit de siliqua viridi, sicut exit rosa, et figura floris eius est1 pyramidalis. Intra2 florem autem concrescit testa tenuis valde et dura, et in ilia sine ordine stat semen eius nigrum3 , sicut semen rosae est sine ordine in theca4 sua. Sed testeum est illud vas seminis, quod non est vas seminis rosae, et est valde frangibile et tenue. Est autem calida et sicca), incisiva et abstersiva et resolutiva ventositatum et inflationum. Ultime5 abscidit verrucas inversas et colorem pallidum et morpheam. Cum aceto resolvit apostemata dura. Confert coryzae6 et capitis doloribus. Et decoctio eius cum aceto confert doloribus dentium, ore ex ea colluto, et proprie cum ligno pini, Confert doloribus oculi et matricis, diversis praeparationibus praeparata secundum artem medicorum, sicut traditur in simplici medicina. Suffumigalo etiam7 ex ea facta interficit vermes venenosas. Fullones etiam quidam tradunt quod farina eius lavat8 laneos albissime et mundissime, sicut herba, quae vocatur borith (Salsola fruticosa Lin.λ)

x) Avic. vet. cap. 523; Plemp. pag. 279: Sjunìz, Melanthium.   λ) Quam plantam et fortasse quoque plantas confines herbam borith Hebraeorum esse, ex verbis Maimonidis patet, qui eam uschnan Arabum esse docuit (conf. Ro- senmüller Biblische Naturgeschichte Vol. I pag. 112), quo nomine ???? etiam hodie hoc plantarum genus in Egypto desìgnari Husson confirmavit, conf. Sontheimer Zusammengesetzte Heilmittel der Araber, Freiburg 1845 p.269.

§. 396 : 1 et est figura ejus A.  2 in terra V;— cresciti.  3 et add.L.  4. intheca L; teca V.  5 -ma A, -mo JL.  6 corize Codd. ubi- que; colicae J.  7 autem Edd.  8 pannos add. A ;— borich L.”


とあり Jessen Meyerはマグヌスの言う Nigella をムギセンノウと同定した.本文では確かに,ピラミッド型につける花はバラ色で,長く細い茎に小さな葉をつけ,実の薄くて硬い殻には黒い種子がぎっしりと詰まっているなど,ムギセンノウと合致し,今云うニゲラとは異なる記述がされている.また,薬草としての効能や種子の粉末が borith (Salsola fruticosa)* と同様に羊毛の漂白洗剤に用いられるとある.このムギセンノウをラテン語で Nigella と呼ぶ事は,16世紀半ばまで,確認されている.

  
* Salsola fruticose L. = Suaeda fruticosa Forssk. ex J. Gmelin. ヒユ科オカヒジキ属,ハママツナに似ていて,肉厚の茎,枝,葉を持ち侵海水湿地に生育する.ナトリウム塩の含有量が高く,焼いて石鹸やガラスの原料とされた.

アルベルトゥス・マグヌス Albertus Magnus は,スコラ神学者,自然研究家.南ドイツ,ラウインゲン (Lauingen) で騎士の家に生まれ,イタリア,パドヴァ(Padua)大学在学中にドミニコ会に入り,ケルンその他の修道院で神学を学び,また教えて後,1245年パリ大学神学部教授となった.このころトマス・アクイナス (Thomas Aquinas) がアルベルトゥスの弟子となる.48年ケルン大学の前身であるドミニコ会神学大学ストゥディウム・ゲネラーレ創設のためケルンに移る.この後レーゲンスブルク司教,および教皇庁所属の神学者として活躍した時期を除くと,主としてケルンを本拠に著作,教育および仲裁・和解活動に従事.彼は当時の学問領域の全般にわたる学識のゆえに,〈普遍博士doctor universalis〉と呼ばれ,存命中すでにギリシャのアリストテレス(Aristotle),アラビアのアビセンナ(イブン・シーナー,Avicenna),アベロエス(イブン・ルシュド,Averroes,)と並ぶ権威ある著作家とみなされたが,その多方面な研究活動の中心はつねに神学であり,キリストの福音の宣教をめざしていた. 

彼は哲学,つまり経験世界についての包括的で根元的な研究が神学にとって不可欠であることを認識し,アリストテレスの全著作を,彼自身の解釈と創見を加えた形でラテン世界に紹介することでこの要求を満たした.その成果は彼の著作のほぼ半分をしめ,百科全書の観を呈している.また,自然現象や動植物の観察に強い関心を示し,さまざまの魔術伝説が生まれたほどであるが,実際には彼の自然研究者としての功績は,当時優勢であった教学的方法による自然現象の説明に対抗して,固有の対象と方法をもつ自然学を確立したことである.

1622年にはグレゴリウス15世によって福者 (beātus) に,1932年にはピウス11世によって聖者 (Sanctus) に列せられ,自然科学研究の守護者とされている.

圖:Bust of Albertus Magnus by Vincenzo Onofri, c.1493 from Wikipedia (G)

2023年10月24日火曜日

クサギ (1) 西欧-1 ケンペル,ツンベルク,マレー.疳の虫抑え,芭蕉七部集,倭漢三才圖會,物類品隲,本草図譜

 Clerodendrum trichotomum


極東アジアに広く分布するシソ科(旧クマツヅラ科)の低木,古くから葉と根が薬用として使われ,「常山」「蜀漆」などの漢名も用いられた.葉を揉むと特有のにおいがするので臭木の名があるが,花はよい匂いがし,花筒が長いためか,口吻の長い大型の蝶がよく吸蜜に訪れ,「常山木の花に暫時尻曲げ揚羽蝶 西山泊雲」「虹たつや常山木に顫ふ烏蝶 飯田蛇笏」の句がある.

この植物を西欧に最初に紹介したのは,長崎出島に医師として滞在し,江戸参府も行ったケンペルEngelbert Kaempfer, 1651 - 1716)で,『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae1712)に「蜀漆,しょくしつ,クサギ(Sĕo Kusitz, Kŭsággi)」の名で,簡明な性状を記載した.彼の死後,収集品は英国の富豪ハンス・スローンに買い取られ,現在も大英博物館や自然博物館に収蔵されているが,その中に,クサギの葉の標本や,描いたクサギの画が残されている.
 同じく長崎出島に医師として赴いたリンネの使徒,ツンベルク(トゥーンベリ)(Carl Peter Thunberg, 1743 - 1828)は,帰国後大英博物館に収蔵されているケンペルの『廻国奇観』に記載されている日本の植物を,リンネ法に基づいた学名で同定し “Nova acta Regiae Societatis Scientiarum Upsaliensis, Vol.3”  (1780) に投稿し,クサギに現在も有効な学名をつけた.また『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784)を著し,彼が日本で観察・採取した多くの植物について学名を記した.その中にはクサギについての項もあり,詳しい性状と共に,寄生する芋虫を小児の疾病(疳の虫)治療のための薬用として用いるとの風習も記録した.
 この学名はリンネの名を冠した Caroli a Linné equitis Systema vegetabilium” (ed. 14, 1784) Murray によって記載された.

19 世紀になると主に中国本土から,プラントハンター達によって欧州に持ち込まれ,図と共に観賞用植物として植物図譜や園芸誌に紹介された.


エンゲルベルト・ケンペル
(Engelbert Kaempfer 1651 - 1716, 滞日 1690 - 1692) 著『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae1712)には,多くの日本産植物が漢名,和名とともに記載され,幾つかには絵が添えられている.
 この書の “Fasciulus V.” p. 827 には,
漆蜀 Sĕo Kusitz, vulgo Kŭsággi, id est planta foetens. Frutex arborescens, Foliis alternatim adversis, amplis, Lappaceis, denticulatis, inter olera receptis; Floribus Ledi Clus IV. quodammodo similibus, singulis, surrectis, in extremitate surculorum stylis spithamalibus decussatim trivaricatis, consitis.

”と性状を記している.
 蜀漆の読みとして “Sĕo Kusit” が,一般和名としてクサギが “Kŭsággi” として, “Kŭsággi” の意味として “planta foetens”(臭い木)であると記載されている.また,花が似ているとして参照されている ” Ledi Clus IV.” はクルシウス(Clusius de l'Ecluse Charles, 1526 - 1609)の著作と思われるが,確認できなかった.

英国の医師・投資家で資産家の初代準男爵サー・ハンス・スローン(Sir Hans Sloane, 1st Baronet PRS, 1660 - 1753)は多くのコレクターの博物学的収集品を購入し,その収集品は彼の死後国に購入され大英博物館や自然博物館の基礎となった.そのスローン・コレクションには,ケンペルの死後,甥(Dr. Johann Hermann Kaempfer and Philip Zollman.)から 1716 年に買い取られたペルシャ・アジア・日本旅行の著作原稿やスケッチ,収集品が多数存在し,スローンはケンペルの著作 “The History of Japan”『日本の歴史』を英訳させて出版した(1727).
 
また,このコレクションにはケンペルが作成した腊葉標本や日本産植物のドローウィングがあり,前者はNETで見ることが出来,後者は1791年に英国の偉大な植物学者の初代准男爵,ジョゼフ・バンクス(Sir Joseph Banks, 1st Baronet, GCB, FRS1743 – 1820)によって,★Icon. Select. Pl. (Kaempfer)日本植物図選集』として出版された.
 
この書には59のケンペルの図が収載され,その中には『廻国奇観』には収められていない植物の画,アオキ・タラヨウ・ヤツデ・サカキ・ナンテン・コブシ・カノコユリなどがある.また,中井猛之進,1882 1952) はこれらの図に描かれた植物の同定を行った(J. Arnold Arbor, v.6. 186 (1925)).
 
スローン・コレクションのクサギの腊葉標本,及び”Icon. Select. Pl. (Kaempfer)” 中のクサギ図を示す.


カール・ツンベルクCarl Peter Thunberg, 1743 - 1828,滞日1775 - 1776)は,ウプサラ大学でリンネの下で医学・植物学などを学び,1770年「坐骨神経痛について」(DeIschiade)で医学博士になった.1775(安永4)年ツユンベルクはジャワのバタヴイア(ジャカルタの旧名)を経て,オランダ商館医として来日し,12ヶ月滞日した.来日当初は,長崎出島に隔離されると植物採集はできず,出島に運び込まれる牛豚などの飼料に目をつけ,植物や昆虫を採取した.オランダ通調達に医学(梅毒への「水銀療法」を実践)・薬学・植物学を教え,出島に植物コレクションをつくった.1776年には江戸参府する商館長の侍医として第10代将軍家治にも謁見し,同年12月に長崎を去るとき,収集した鉢類はバタヴィアに運ばれ そこからさらにアムステルダムの薬草園に送られた.ツンベルクは長崎を中心とした九州と江戸参府の際の東海道(主に箱根付近)での植物採集しかできなかった.


 帰国後ツンベルクは
1778年ロンドンでバンクス卿(Sir J. Banks17431820)の世話で大英博物館に行き,ケンペルの日本における採集標本類や遺稿などを検分し,『廻国奇観』に記載されている日本の植物を,リンネ法に基づいた学名で同定し,“Nova acta Regiae Societatis Scientiarum Upsaliensis, (ウプサラ王立科学協会新紀要)Vol.3(1780) “KÆMPFERUS ILLUSTRATUS SEU EXPLICATIO ILLARUM PLANTARUM, QUAS KÆMPFERUS IN IAPONIA COLLEGIT ET IN FASCICULO QUINTO AMOENITATUM EXOTICARUM ADNOTAVIT, SECUNDUM SYSTEMA SEXUALE AD CLASSES, ORDINES, GENERA ET SPECIES IAM REDACTARUM.”(意訳:ケンペルが日本で収集し,『廻国奇観』の第五部に図または説明を掲載した植物の,(リンネの)性分類体系に従って,既存の目・科・属・種で同定した(報告))として掲載した.この報文の緒言には,ケンペルが『廻国奇観』を書くに至った経緯が簡明に紹介され,スローン卿によって大英博物館に収蔵されたケンペルの資料をツンベルクが何度も訪れ精査したと書かれている.
 この報文の 201ページには,”Seo Kusitz, vulgo Kusaggi p. 827.       Clerodendrum trichotomum.” とあり,ケンペルの『廻国奇観』の827ページに記載された “Sĕo Kusitz, vulgo Kŭsággi” をリンネの二名法に基づき,Clerodendrum trichotomum (科名はギリシャ語で「運命の木」を意味するKleros (機会、運命)と dendron (木)に由来し,種小名は「三岐の」という意味であるが,3つに分かれるといっても「ミツマタ」の枝とは違い,真っ直ぐ伸びる枝と対生に生える枝の3本である.With divisions always in threes.)と命名した.また,208ページでは,”Clerodendrum trichotomum:       foliis lobatis indivisisque, lato-ovatis, integris; panicula trichotoma.” と簡明な性状を記した.なおこの文は,後に彼が著わした “Flora Japonia,『日本植物誌』(1784中の Clerodendrum trichotomum の最初の記述と同文である.

帰国後ウプサラ大学医学・植物学教授となり,その後は同大学学長をも務め,「リンネ第一の高弟」で「リンネに続く時代の最も優れた自然観察者」といわれた.たツンベルであるが,なかでも彼の最高の研究成果である ”Flora Japonica”(『日本植物誌』,1784.原書ではFlora Iaponica)は,師リンネの定めた分類法と学名(「二名法」)による日本植物学上の画期的な著作で,そこには812種の日本の植物(長崎の植物300種,箱根の植物62種,江戸の植物43種など)が記載されて,新属26,新種418が発表され,日本の植物がヨーロッパに広く紹介された.別刷り銅版画39図を収め,個々の植物には植物学的記述のほか,日本名,その俗名,採集地,花期,効用などが調べられている.
 この書の 256 ページには,CLERODENDRVM.


tricho- tomum.
C. foliis lobatis indivisisque lato-ovatis integris, paniccu-
    la trichotoma.
Japonice: Seo Kusits, vulgo Kusaggi. Kaempf. Am.-
    exot. Fasc. V. p. 827.
   Crescit prope Nagasaki, in Papenberg et alibi.

Floret Augusto , Septembri.

Caulis frutescens, ramis tetragonis quadrisulcatis , gla-
    bris

Folia opposita, petiolata; inferiora maiora, triloba;
    superiora lato -ovata, indiuisa; suprema minima:
    omnia acuminata , integerrima, glabra, supra sa-
    turate viridia , subtus pallidiora , neruosa , pal-
    maria.

Petioli subpubescentes , digitales.
Panicula amplissima, supradecomposita , trichotomas
    nuda.
Pedunculi et pedicelli glabri, ad trichotomiam com-
    pretii.
Periatithium I-phyllum, subcampanulatum , inflatum,
    superne coarctatum, pentagonum, marcescens,
    persistens, corolla multo amplius et brevius, gla-
    brum , 5 -partitum: laciniae carinatae, acutae,
    erectae.

Corolla tubulosa. Tubus filiformis, parum curvus,
    pollicaris. Limbus 5 partitus: laciniae oblongae,
    obtusae, patentes, aequales, albae.

Filamenta quatuqr, tubo corollae intra faucem inserta,
    capillaria, corolla multo longiora, albida, inferne
    divaricata; duo breviora.

Antherae cordato-ovatae.
Germen superum, tetragohum, glabrum.
Stylus filformis, staminibus longior.
Stigma truncatum, simplex.
Capsula subgiobosa, 4-sulca, glabsa, calyce fnagflo inclusa; 4-locularis, 4-valvis.
Semina in singulo loculamento solitaria, glabra.
Odor foliorum virosus Mandragorae.
In ligno ramorum saepe habitat vermis, (insecti larva)
 qui infantibus, vermibus ventriculi (lumbricis)
 laborantibus, cum cerevisia, Sakki dicta, propi-
 natur.

とある.
 
ケンペルより数段詳しい性状の記述と共に,長崎附近に生育し,花期が八月から九月であること,(葉の)匂いはマンドレークに似ていること等が記されている.
 更に興味深いのは,文末に「イモムシ(昆虫の幼虫)が枝の中にいて,この虫を酒と共に疳の虫(消化管中の虫)に悩む子供に与える」と当時の日本の風習が付されている事である.
 子供の疳の虫(かんのむし)を治すために,クサギの枝の髄部に潜り込んでいるコウモリガ(Endoclita excrescens)の幼虫を取り出し,串に刺してあぶったものが,江戸時代には盛んに売られていたようで,芭蕉七部集曠野 (あらの,阿羅野)』(荷兮*1編,1689)の,「巻之六  雑」の部の「所にありて生をたつ事是非なし」の章に「里虫              枝ながら 虫うりに行 蜀漆かな(えだながら むしうりにいく くさぎかな)    含呫*2」の句が収載されている.
  *1:荷兮(かけい,1648 - 1716)名古屋の人,医師.1684年芭蕉と知る.芭蕉七部集『冬の日』『春の日』に参加,『阿羅野』を編集.後に蕉風に批判的になった.
  *2:含呫(がんてん)詳細不詳の人.芭蕉七部集『曠野』に六句入句.
  「新日本古典文学大系70」『芭蕉七部集』岩波書店(1990)「阿羅野」(上野洋三 校注)には,「○蜀漆 クサギの株に生ずる蝎(きくいむし)は小児の疳(かん)の薬になる。∇クサギの枝を折って行く。あれは、キクイムシを薬種屋に売りに行くのである。上の五七の、やや優雅な表現が、下五文字で謎ときされるおもしろみがある。〈季〉虫うり・蜀漆。〈俳〉虫うり・蜀漆。」とある.

この「クサギの虫」については,その他にも文献があり,


 ★寺島良安倭漢三才圖會』(1713頃)の「巻第九十五 毒草類 常山(くさぎ)」の項に「常山の虫 此れ木の株の中に在る蝎(きくひむし)なり.木の心を蝕ふ.六七月に株を破りて之れを取り用ゐて疳の薬に入れ,或は炙りて小児に食はすれば凡そ蝎を取る.法,虫有る木は株に必ず小孔有り.管を用ゐて水を中に吹けば,虫首を孔より出だす.輙(すなは)ち木を剪り両端を縛り,之れを探し得べし.」(原文は漢文)とある①.
 ★平賀源内物類品隲』(1763)の「巻之三 草部」の「△臭梧桐 和名クサギ」の項に「又樹- *- - 疳疾ヲ治シ蟲ヲ殺ス」(*蠧:きくいむし)とある②.
 ★岩崎灌園本草図譜』(1828 - 1844)の「巻之二十二 毒草類」,「常山蜀漆」の章に「一種海州常山 くさき 本草和名 たうのき 仙臺」の項があり「此樹蠧(すむし)多しクサギの虫といふ小児の疳疾ヲ治す」とあり,美しい果実の図が添えられている③.


スウェーデン生まれのドイツの薬学者,植物学者のヨハン・アンドレアス・マレー
Murray, Johann Andreas, 1740-1791)編★Caroli a Linné equitis Systema vegetabilium” (ed. 14, 1784) 578 ページの “728 CLERODENDRUM” の章には,6種のクサギ属の植物が記載され,最後に trichotomum. 6. fol. lobatis indivisisque, lato-ovatis, integris; panicula trichotoma. Thunb. jap. mspt. M” とある.マレーはツンベルの著作(mspt. = manuscript 原稿)を参照している.マレーが “Systema vegetabilium, ed. 14”  で,ツンベルの著作を参照した植物はその他にもあり,ミョウガ(Amomum Mioga)の項には Thunb. Fl. japon. mspt. M.” とある.このラテン名は“Nova acta Regiae Societatis Scientiarum Upsaliensis, Vol.3 (1780) には記載されおらず,”Flora Japonica”(1784)で初出する.従って,マレーが参照したツンベルの著作(原稿)は,”Flora Japonica”(『日本植物誌』, 1784)と考えられる.

19 世紀になると主に中国本土から,プラントハンター達によって欧州に持ち込まれ,図と共に観賞用植物として植物図譜や園芸誌に紹介され,現在パリでは街路樹として植栽されている.