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2017年9月20日水曜日

ハンカチノキ(2017-2)Off-season flowering of Dove tree, 狂い咲き,アメリカシロヒトリ,アブシシン酸

Davidia involucrata

2017/09/21
今年は気候と天候の影響か,庭ではアメリカシロヒトリ (Hyphantria cuneaが猛威を振るい,ヤエベニシダレとハンカチノキの葉がほとんど食べられてしまった.そのせいであろう.二つとも秋になって花を着けた.
サクラの類の狂い咲きはよく目にするが,ハンカチノキの狂い咲きは聞いたことがない.どちらの花も,春のそれに比べれば小形で弱々しく,ヤエベニシダレの花は色も白い.

アメリカシロヒトリの虫害で葉が殆どなくなった
ハンカチノキ 2017年9月
虫害や強風によって葉がなくなってしまう事による「狂い咲き」の機作は以下のように考えられている.
「(略)私達の周囲に多いサクラを例にとって説明しましょう。サクラの花芽や葉芽は夏に分化し、秋-冬に向って越冬芽を形成し、成長が停止したまま休眠の状態に入ります。越冬芽は冬の低温で傷害を受けないように芽鱗で堅く守られています。この休眠を誘導するのは多分葉で作られるアブシシン酸(ABAという植物ホルモンだと思われます。ABAは樹芽や種子の胚などの成長を抑制することが知られています。季節が夏から秋になって日照時間が短くなると、葉はこの変化を冬に向うシグナルとして受容し、葉でABAを多く作り、芽に輸送します。秋〜冬にかけて葉は落ちてしまいますが、気温が低いため芽の成長はありません。しかし、冬の低温を経験する間にABAは減少し、同時に成長を促す植物ホルモンであるジベレリンなどの量が増加して、生長の抑制条件が除去されます。つまり、休眠状態が解除されるのです。そして、春になって気温が上昇しはじめると、越冬芽は成長し始め、開花にいたります。いわゆる狂い咲きは、花芽が分化した後、葉が異常落葉したりしてABAの供給がなくなり、しかもその後高い気温が続いたりすると、休眠状態を経ないで成長し、開花してしまうものと考えられます。(以下略)」(日本植物生理学会 みんなの広場 植物Q&A 登録番号1104 ,解答 JSPPサイエンスアドバイザー,勝見 允行氏)
ABA
つまり,葉がなくなってしまうと,夏に用意された花芽の春まで休眠を誘導・保持する ABA が葉から供給されなくなってしまうために,気温が高い状態では花芽が成長し,開花してしまうという事らしい.ハンカチノキでも同様の機作が考えられる.しかし,花芽の成長における ABA の作用には,まだ疑問点が多いとの事.

昨年の秋の剪定で,今年の春は殆ど花が咲かなかったが,アメリカシロヒトリのお蔭で花芽があることは確認できた.来年の花は期待できるかな?

2017年5月6日土曜日

ハンカチノキ (2017-1) ハンカチノキに剪定は大敵,青木玉『こぼれ種』

Davidia involucrata

 2015年には200個程(http://hanamoriyashiki.blogspot.jp/2015/05/2015-1.html),昨年もほぼ同数の花がついた我が家の庭のハンカチノキ.今年はわずか 10 個程しか咲いていない.原因は昨秋に植木屋さんに頼んで行った剪定であることが分かった.
 植えてから20年近く,はみ出した枝の先を切るぐらいで,殆ど手入れをせず野放図に伸びた樹形を整えるため,剪定をお願いした.ハンカチノキの剪定なぞする機会が少なかったためであろうか,特に注意をすることもなく植木屋さんはばっさばっさと枝を伐り,かなりコンパクトにしてくれた.
 その際,花芽のついていた枝が切り落とされた為であろう,花+苞がついたのは手を入れず残してくれた一本の枝だけで,10 個程の花が咲いた.剪定された枝では,葉が青々と茂るのみで,一つとして花がついていない.
 楽しみにして,いつ咲きますかと聞いてきてくれた方々には,まことに申し訳ない春となった.

東京都文京区の礫川公園にあるハンカチノキは,小石川植物園の技官山中寅文(1926 2003)から,作家幸田文(1904 1990)に贈られた木が,彼女の死後2002 年に娘の青木玉(1929 - )から公園に寄贈されたものだ.青木玉の随筆『こぼれ種の中の「縁あるもの」(都の礫川公園のHPでは,「あるもの」となっている.指摘のメールを送ったら,お電話を頂き,近日中に訂正するとの事)の章に,母の存命中には見ることのできなかった白い苞を,1998年に見た感慨を書き綴っているが,その中にようやく花を見ることができた年の秋に,植木屋さんに剪定を頼んで,その翌年は花がつかなくなって「大損をした気分」とある.

前もって読んでいれば,高さを抑えるだけにしておいたのにと悔やまれる.来年に期待しよう.

「縁のあるもの
 縁のあるなしは人ばかりではない。樹木にもそれがあるように思う。木はこちらから縁を持とうとしなければ、向うから近付くことはないが、時に思いもかけぬ縁が生じることがある。
 「前からの約束で幸田さんの所へ植えようと持って来たんだけど、お留守のようですからあなたの所へ預けてゆきます」。はいはいと云ったまではいいが、「ま、仮植えしときましょう。そのうち時期を見て移せばいいから」と細い木を庭の真ん中に植えて、その人*は帰ってしまった。
 二、三日後、旅から帰った母はどれどれと見に来て、「陽当りもいいからこのまま植えときなさい。これハンカチの木っていうんだって。白い花が咲くんだろうね」と云う。そのまま木は毎年一節ずつ大きくなって、背丈ほどだった苗木は、今や二階の手摺りまで伸びてきた。
 冬落葉し春新芽が萌える。植えた時から十年はとうに過ぎたが、花は咲かなかった。何時になったら名前のような白い花が咲くのだろう。
この木を貰った当の母は八年前に旅立ってしまった。母とこの木の縁はここで絶えた。預かった私は花を待つ気もなくなり、二階の廂に洗濯ものを干すたびにちらっと眺めるだけだった。
 それが去年の五月頃だったと思うが、何か木の様子が変ったと感じた。変なものが所どころに下がっている。あれ、実がなっているのかしら、どうして花が咲いていたのに気がつかなかったのだろう、惜しいことをした、ひと目みたかったのにと悔んだが、後の祭りである。葉のかげにちょっと出た柄の先に、小指の先ほどのえんじ色の塊り**は、どうみても実であった。洗濯ものを干すたびに気にして見るようになった。
そして幾日目だか、はっとした。ほんとうに、ハンカチ状の白いものが二枚、実**を包むように大きいのが一枚と小さいのが一枚、べらっと下がって風に揺れていた。洗濯籠をほうり出して手摺りから身を乗り出して見た。実と思ったのは蕾**であり、葉と同じくらいの大きさの白いハンカチは苞(ほう)であった。
(中略)
 このあと、私はとんでもない大ポカをやってしまった。花が咲いていたのは夏前のこと、庭掃除が不得手な私は、毎年秋に植木屋さんにきてもらうことにしている。その時、この木は来年のために花芽を残しておいてくれと云うのを忘れてしまった。庭に植える木は育てる時から枝をえらび芽を摘んで樹形を整えるものだ。ハンカチの木のように、元はと云えば中国南西部の山のなかに自生するものは気儘にのびる性質がある。庭に植えるのならば、先ぎきのためにと、枝をつめてしまったのだ。その結果、今年の花は一つも無いことになっていたのに私は気付かないでいた。ハンカチの花が咲いているというニュースが流れても、どうして家の木はまだ咲かないのかと思うのんきさで居た。やっと変だと気が付いた時は、植物園のハンカチの花はもう散るばかりの時だった。諦めてしまえばよいものを、南風が強く、日の光が差すかと思うと、ばらばらと大きな雨の粒が通り過ぎる荒れた空模様の日だったが、せめてと思って出て行った。苞は散って見当らない。ぼさぼさになった蕊が残っているだけだった。がっかりして帰ってくれば、花を咲かせなかった我が家の木は、緑の葉を繁らせてけろりと立っていた。母に縁がなく、せっかく私に縁があった木だと云うのに、これから何回この木の花を見る折があるのだろう。楽しみに待った一回を失って、大損をした気分であった。
(後略)」青木玉『こぼれ種』新潮社(2000

*小石川植物園の技官山中寅文(1926 2003
** 実や蕾ではなく,雄花の集合体もしくは雌花と雄花の集合体で毬状を示す.苞が若いうちは緑色が強いため,葉との区別がつきにくい.
左:若い花,苞が緑色がかる.雄性花と思われる.
右:雌花と雄花の集合体,中央の緑色の部分が雌花の柱頭

2015年5月18日月曜日

ハンカチノキ (2015-2), 白ハト,雄花,両性花,細部構造,二つの中国伝説 鳩子樹 珙桐

Davidia involucrate

一昨年は 20 個,昨年は 100 個,今年は 200 個ほどの花が着いた.しかも低い枝にも花が着いたので,良く経過が観察できる.いくつかの花は切り取り,スキャナーで解像度を変えて読み取り,その微細な構造を撮影した.



中国では,鴿子樹・鳩子樹(鳩の木)ともいい,英語圏ではDove Tree と言うように,白い苞を翼に,中央の丸い花(雄蕊の集合体)を頭に,両性花の雌蘂を嘴に見立てると,花盛りのこの木は多くの白いハトが止まっているように見える.以前のブログに中国の伝説を原語で掲載したが,今回現島根大学 生物資源科学部 生物科学科 准教授 林 蘇絹さんによる和訳が見つかったので,引用する.

伝説(その1
2000年前の漢の時代、娘の婚姻によって北方の匂奴と和平を講じた皇帝がいた。漢元帝の時、当時中国四大美女の一人として誉めたたえられていた王昭君は、匂奴の呼韓耶単干に嫁がされ、胡の地へ赴いた。王昭君は、日夜故郷のことを思い続け、毎朝胡の地から南方(故郷の方向)に向かって礼拝をしていた。そのため、王昭君と一緒に行った鳩たちも、いつしか南に向ってお辞儀をするようになった。ある年の春、昭君は望郷の想いにかられ、故郷に宛てた一通の手紙を白い鳩たちに託した。鳩たちは故郷に向かって飛び立つと、雲を飛び越え、霧を突き抜け、嵐を打ち破り、九十九の山を越え、九十九の川を渡り、九十九夜を経てついに昭君の故郷成都(現在の四川省興山)に帰りついた。疲れきった鳩たちが鳩篭の様な珙桐の木に止まり、身を休めたところ、そのまま、飛び立とうとする鳩の姿をした真っ白な花になってしまった。それから毎年春になると、王昭君の代りに故郷の人々に「よろしく」と伝えるかのように、鳩の花が咲くようになった。そこで、この木は鳩子樹(鳩の樹)と名付けられたという。

伝説(その2
昔、ある皇帝に白鳩という一人娘がいた。彼女は飛び抜けて才があり、しかも天女の様に美しかったので、皇帝はこの娘を掌の上の珠の様に可愛がり、何処に行くにも連れて行った。ある日、皇帝は遊山の折りに、とある村で休憩をとった。そこで珙桐という名の一人の農家の青年と出会った。珙桐は衣装こそ粗末だが実にハンサムな美青年であった。白鳩は珙桐に一目惚れしてしまい、父王に気づかれないうちに、髪に飾っていた翡翠の簪を二つに割って、その半分を一生の誓いの証として珙桐に渡した。しかし間もなく、このことが皇帝に知れた。皇帝は、このようなことは王家の尊厳を苦しく傷つけるものとして、さっそく新しい婿を選び娘の結婚を決めてしまった。さらに、家臣に命じ珙桐を山深くに連れ出し、殺害させてしまった。この事を知った白鳩は着の身着のままで王宮から逃げ、王共桐が殺された場所にたどりつくと、亡骸を抱きしめ号泣した。すると彼女のあまりの傷心が天に届いたのか、珙桐の亡骸は、二つに割った簪の形をした一本の木となり、見る見るうちに上に伸びはじめた。これを見た白鳩は驚喜しながら両の袂を広げて樹冠に向かうと、たちまち無数の白い花となって枝先に舞い上がった。そこで、この木は珙桐(コントン)と名付けられたという。

(林 蘇絹)東京大学大学院理学系研究科附属植物園社会教育企画専門委員会『ハンカチノキ』 (2000) 

2015年5月13日水曜日

ハンカチノキ (2015-1), 新芽・蕾・開花・落花・展葉

Davidia involucrate

我が家のハンカチノキに,今年は 200 個ほどの花が着いた.新芽が付いてから,花が落ちるまでの経過を画像で追ってみる.


四月下旬に,枝に新芽が付き始め,その芽が開いて葉らしくなるが,その中には白い苞になる芽が見える.特有の香りがしてくる.
緑色がかった苞が開くと,だんだんと真っ白になって,その中から丸い花が姿を現す.


五月上旬には雄花・両性花とも苞が展開して,目立つようになるが,今年は暖かかったためか,葉の展開も速く,その中に見え隠れするようになった.


五月上旬から,まず雄花の花と苞が,その後,受粉した両性花の苞がばらばらと落ちて,地面に散り敷く.小さな丸い果実がぶら下がるが,葉の影で目立たない.

今年はポスターを描いて,開花のお知らせをしたが,どのくらい皆様に見てもらえたか,不明.大きな木のわりには鑑賞時期が短い.寒い環境の方が花が葉に隠れず,白い苞が目だって見るにはよろしいようだ.

2013年5月8日水曜日

ハンカチノキ (2/2) 珙桐・鴿子樹・綠色大熊貓・伝説

Davidia involucrata

原産地中国においてハンカチノキは「國家一級重點保護植物(國務院199984日批准)」の中でも珍品とされていて,「珍稀瀬危植物」のひとつ.中国名は「珙桐(コントン)」であり,また別称は「水梨子」「鴿子樹」「鴿子花樹」である.「鴿」は「鳩」のことであり,白い2枚の大きな苞をハトの翼に,まるい花序をハトの頭に,緑の突き出した花柱をハトのくちばしに見立てての別名.風にそよぐ満開の花が,木に止まった数多くの白い鳩がまさに飛び立とうとしている様に見えるので,「和平友好」の象徴とされ,「綠色大熊貓」として,パンダ(大熊貓)とともに友好の使節として外国へ提供される事もあった.20081223日には,17本の苗が,パンダの「団団(トゥアントゥアン)」と「円円(ユエンユエン)」とともに,特別機に載せられて台湾に贈られた.また,中国では、材は建築用や家具・彫刻に適しているとし,また果皮を薬用にするそうだ.

現東京大学 大学院理学系研究科・理学部 附属植物園 助教の下園文雄さんによれば,この木には「昔,皇帝の一人娘に白鳩という美しい姫がいた.皇帝と行楽に出かけた姫は,農村で質素な身なりの珙桐という青年に出会い,恋するようになった.姫はかんざしを半分にして思いを託し,青年に渡した.これを知った皇帝は怒り,青年を殺させてしまった.姫がその場所に行くと,珙桐は木になっていた.姫は幹にとりすがり,最後には姫の魂が木に移って,白い鳩が木に群れるような花が咲くようになった」との伝説があるとの事.

原産地での開花風景(1990年5月朝日新聞)
伝説有位君主,只有一位独生女儿,名叫“白公主”,如掌上明珠。位公主品味出奇,不珠玉,也不嫁王侯公卿,却十分射,追求一男子的气概。一天,公主在森林中打,被一条狠毒的蟒蛇死死住。正在危急关头,一位名叫珙桐的青年手,用刀断蟒蛇,回公主的性命。公主十分敬慕青年手的机智和勇敢。二人一见钟情,山盟海誓,公主取下上的玉,从中割断,彼此各一半,作信物。「珙桐」公主回后,将来去脉告之父王,并恳请父王将自己珙桐。不料此事遭到父王的决反,他夜派遣侍将珙桐射死在深山老林。白公主知道后,哭得死去活来。在一个雷雨交加的夜,她卸去豪宫妆,穿上白的衣裙,踉踉跄跄的逃出了高墙紧闭的后,来到珙桐遇的地方,放声大哭起来。一直哭得泪珠成血,染白的素装。忽然,雷声大作,暴雨盆,一棵小樹破土而出,恰象立着的半截玉成了参天大樹。公主情不自禁地伸双臂扑向大樹。霎时间,大雨停了,雷声息了,哭声也听不了,只数不尽的白的花了大樹的枝,花的形状宛如活的小白,清香美人不能不想起白公主与青年珙桐凄美的情故事。后来,人就把这种樹称作珙桐,以这对不渝的情人。」

また,王昭君ゆかりの故事として
「关子樹,民间还流传着这样一个故事:汉代王昭君,为了胡汉和好,毅然出塞与呼韩邪单于结为夫妇。她在异地日夜怀念故乡,就让白鸽为她传书送信。白鸽穿云破雾飞向王昭君的故乡——湖北秭归。千万只送信的鸽子,栖息在樹上,化作洁白的花朵,成了鸽子樹。」という話もある.

2004年5月 筑波実験植物園
日本には昭和50年代に中国から小石川植物園に贈られた木が,今も多くの花を着けている.他にも筑波実験植物園,神奈川県立フラワーセンター大船植物園,小石川植物園,板橋区立赤塚植物園,京都植物園,神戸市立森林植物園など,多くの植物園で生育している.また,東京都文京区の礫川公園にある木は,小石川植物園の技官山中寅文(1926 2003)から,作家幸田文(1904 1990)に贈られた木を,彼女の死後に娘の青木玉(1929 - )が公園に寄贈したものだそうだ.

ハンカチノキ (1/2) 12年後の開花,花の構造,独特の匂い,植物界のパンダ

ハンカチノキ (2014), 果実,種子,種子繁殖法

2013年5月4日土曜日

ハンカチノキ (1/2) 12年後の開花,花の構造,独特の匂い,植物界のパンダ

Davidia involucrate

苗を買ってから12年,庭植えにしてから9年で,ようやくハンカチノキに花が咲いた.
背丈が伸びて葉を茂らせるばかりで,樹高は6㍍近く,日陰をつくるだけの厄介者として冷遇していたが,今年は少ないながらも20個近くの特徴ある花を見ることが出来てうれしくなった.
ハンカチノキは中国の中部と西南部の高冷地のみに自生し,中国では「珍稀瀬危植物」のひとつで第一級の保護植物となって.植物界のパンダともいわれている.中国や欧米でも庭園樹として人気が高く,風に揺れる二枚の苞葉を,白い鳩(はと)に見立てて,ハトノキの別名もある.

両性花 雄花と花柱
ハンカチノキ(ダビディア)はシナノキにハナミズキの花を逆さまに咲かせたようにみえる.ただしハナミズキとはちがって,苞は2枚だけで,大きく白い.苞に包まれた花の花弁は小さく退化している.花は,多数の黒褐色をした雄花と,1つの緑の両性花からなり,これらが鞠状に集まる.萼と花弁はなく,緑の花柱は太くて先が68裂する.基部に長さ816㌢の卵形をした苞があり花びらのようにみえて美しい.中には雄花のみで雌花の付かない花もある(雄花序).花は咲き始めから1週間前後が見頃で,その後は苞が落ちる.苞には落ち方が二種類あり,雄花序苞はきれいな状態で2枚くっついたままぽとりと落ち,両生花の苞はしおれて黄色く変色してからばらばらに落ちる.開花する葉の展開時期には,花からだけではなく,木全体からクレゾールに似た独特の臭気が漂う.この匂いは花の時期が最も強く,花が終わっても少なくなるが消えるわけではない.この匂いは個々の花だけでなく葉や枝の香で虫を呼ぶ方法と考えられ,自然界の子孫繁栄のための戦略の妙味を感じさせる.花後は直径2㌢程の果実ができ,秋に熟する.

1979-May in London Zoo
Chia-Chia or Ching-Ching
ハンカチノキ属は本種のみだが,科名については,1980年代ごろから使われていたクロンキスト体系ではミズキ科とされ、遺伝子情報を解析する方法による「APG植物分類体系」では一度はニッサ(ヌマミズキ)科とされたが,現在はミズキ科に含まれている.また,花の構造の進化による分類法「新エングラー体系」によれば独立したハンカチノキ科とされることもある.

ダビディアの分布は中国の四川,雲南,貴州,湖北とチベットの東部に限られている.しかし日本でも川崎市と新潟県十日町から果実の化石が発見されており,更新世から鮮新世にかけては,もっと広く分布していたものであろう. 

そのため,「生きている化石」とも呼ばれているが,「植物界のパンダ」の名は,希少性や生育地の一部が共通しているほか,西欧への紹介者が同じダヴィド師であることが元であろうか.

ダビディアは1869 年にフランス人の宣教師のアルマン・ダヴィド(Abbe Armand David, 1862 - 1900)が四川省で見出し,パリに乾燥標本を送り,これに基きアンリ・アーネスト・バイヨン(Henri Ernest Baillon, 1827 - 1895)が,新種として,ダヴィドに献名した Davidia involucrate の学名をつけ Adansonia 10: 115 (1871) に発表した.
1889 年には,オーガスチン・ヘンリーが四川省南部で一本の木を再発見し,花と実の標本を採取し,英国のキュウ植物園に送った.これについて研究したキュウ植物園のダニエル・オリバー博士は,"Davidia is a tree almost deserving a special mission to Western China with a view to its introduction to European gardens...." 「ダビディアは,欧州の庭に導入するための特別の任務を持った隊を派遣する価値がある花木である」と云った.

その後,多くのプラントハンターたちが,中国やチベット奥地でこの木を捜し求めた.

Curtis BM (1921)
DAVIDIA INVOLUCRATA
var. VILMORINIANA.
フランスの園芸商ヴイルモラン商会の M. Maurice de Vilmorin はこの植物に魅了され,中国の連絡先にこの木を発見するように要請した.これに答えた宣教師のポール・ファルジュ(Pere Farges)が似た種類を四川省で採集し,商会はその果実37個を1897年の6月に入手した.さらに翌年,ファルジュは東チベットで採取した3個の果実を送った.播種したこの40個の果実のうち,2年後の1899年発芽したのは一個だけであったが,1901年にヴイルモランは挿し木やとり木でいくつかの苗をつくり,パリ・ロンドン・ニューヨークの植物園に送った.1906年には,ヴイルモラン商会の木に花が咲いた.発芽後わずか七年後のことであった.ダビッドの発見したものは葉の裏が白く見えるほど毛が多いが,ファルジュが入手したものは毛の少ない変種であった(左図).

また,イギリスのヴィーチ商会では,ダビディアを入手すべく,1899年にアーネスト・ウイルソン(Ernest Henry "Chinese" Wilson , 1876 1930)を中国西南部に派遣している. 彼は1901年に湖北省西部の宜昌市近くでダビディアを発見し,種を採取した.ただ,これは後年 D. involucrata.ではなく, Davidia laeta, であることが分かった.

2008年4月前橋公園
ダビディアは発見当初,ヨーロッパやアメリカの園芸家の非常な注目を集めた.それは111種で,中国西南部に固有という珍奇性もさることながら,花の清楚な美しさが評価され,中国中部の気候が欧州北部のそれに似ているので,育てやすいだろうと予想されたからである.現在では英国・米国はじめ多くの地方の植物園や公園で栽培されていてその花木としての評価も高く,1993年には英国の王立園芸協会(The Royal Horticultural Society)のガーデン・メリット賞(Award of Garden Merit)を授与されている.英語圏での一般名はその白い花(苞)に由来して,dove tree (鳩の木), ghost tree (幽霊の木), pocket handkerchief tree (ハンカチの木)である.

日本でもパンダと同様,観客を呼ぶための目玉になり,開花時期の GW には多くの植物園は開花情報を提供している.

ハンカチノキ (2/2) 珙桐・鴿子樹・綠色大熊貓・伝説

ハンカチノキ (2014), 果実,種子,種子繁殖法