2013年5月8日水曜日

ハンカチノキ (2/2) 珙桐・鴿子樹・綠色大熊貓・伝説

Davidia involucrata

原産地中国においてハンカチノキは「國家一級重點保護植物(國務院199984日批准)」の中でも珍品とされていて,「珍稀瀬危植物」のひとつ.中国名は「珙桐(コントン)」であり,また別称は「水梨子」「鴿子樹」「鴿子花樹」である.「鴿」は「鳩」のことであり,白い2枚の大きな苞をハトの翼に,まるい花序をハトの頭に,緑の突き出した花柱をハトのくちばしに見立てての別名.風にそよぐ満開の花が,木に止まった数多くの白い鳩がまさに飛び立とうとしている様に見えるので,「和平友好」の象徴とされ,「綠色大熊貓」として,パンダ(大熊貓)とともに友好の使節として外国へ提供される事もあった.20081223日には,17本の苗が,パンダの「団団(トゥアントゥアン)」と「円円(ユエンユエン)」とともに,特別機に載せられて台湾に贈られた.また,中国では、材は建築用や家具・彫刻に適しているとし,また果皮を薬用にするそうだ.

現東京大学 大学院理学系研究科・理学部 附属植物園 助教の下園文雄さんによれば,この木には「昔,皇帝の一人娘に白鳩という美しい姫がいた.皇帝と行楽に出かけた姫は,農村で質素な身なりの珙桐という青年に出会い,恋するようになった.姫はかんざしを半分にして思いを託し,青年に渡した.これを知った皇帝は怒り,青年を殺させてしまった.姫がその場所に行くと,珙桐は木になっていた.姫は幹にとりすがり,最後には姫の魂が木に移って,白い鳩が木に群れるような花が咲くようになった」との伝説があるとの事.

原産地での開花風景(1990年5月朝日新聞)
伝説有位君主,只有一位独生女儿,名叫“白公主”,如掌上明珠。位公主品味出奇,不珠玉,也不嫁王侯公卿,却十分射,追求一男子的气概。一天,公主在森林中打,被一条狠毒的蟒蛇死死住。正在危急关头,一位名叫珙桐的青年手,用刀断蟒蛇,回公主的性命。公主十分敬慕青年手的机智和勇敢。二人一见钟情,山盟海誓,公主取下上的玉,从中割断,彼此各一半,作信物。「珙桐」公主回后,将来去脉告之父王,并恳请父王将自己珙桐。不料此事遭到父王的决反,他夜派遣侍将珙桐射死在深山老林。白公主知道后,哭得死去活来。在一个雷雨交加的夜,她卸去豪宫妆,穿上白的衣裙,踉踉跄跄的逃出了高墙紧闭的后,来到珙桐遇的地方,放声大哭起来。一直哭得泪珠成血,染白的素装。忽然,雷声大作,暴雨盆,一棵小樹破土而出,恰象立着的半截玉成了参天大樹。公主情不自禁地伸双臂扑向大樹。霎时间,大雨停了,雷声息了,哭声也听不了,只数不尽的白的花了大樹的枝,花的形状宛如活的小白,清香美人不能不想起白公主与青年珙桐凄美的情故事。后来,人就把这种樹称作珙桐,以这对不渝的情人。」

また,王昭君ゆかりの故事として
「关子樹,民间还流传着这样一个故事:汉代王昭君,为了胡汉和好,毅然出塞与呼韩邪单于结为夫妇。她在异地日夜怀念故乡,就让白鸽为她传书送信。白鸽穿云破雾飞向王昭君的故乡——湖北秭归。千万只送信的鸽子,栖息在樹上,化作洁白的花朵,成了鸽子樹。」という話もある.

2004年5月 筑波実験植物園
日本には昭和50年代に中国から小石川植物園に贈られた木が,今も多くの花を着けている.他にも筑波実験植物園,神奈川県立フラワーセンター大船植物園,小石川植物園,板橋区立赤塚植物園,京都植物園,神戸市立森林植物園など,多くの植物園で生育している.また,東京都文京区の礫川公園にある木は,小石川植物園の技官山中寅文(1926 2003)から,作家幸田文(1904 1990)に贈られた木を,彼女の死後に娘の青木玉(1929 - )が公園に寄贈したものだそうだ.

ハンカチノキ (1/2) 12年後の開花,花の構造,独特の匂い,植物界のパンダ

ハンカチノキ (2014), 果実,種子,種子繁殖法

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