2013年10月27日日曜日

ドクウツギ (3/5) カーチスのボタニカルマガジン,有用植物図説,W. J. Bean, E. T. Cook

Coriaria japonica
Curtis's Botanical Magazine  vol. 122 (1896)
カーチスのボタニカルマガジン TAB. 7509 (1896) (上図)には,英国南部 Bitton の Ellacombe 師の庭で実をつけたドクウツギの図が掲載されている.

そして,説明文では,
A. Gray in Mem. Am. Acad. Nat. Sc. vol. vi. (1858-9) p. 383.
Miquel Ann. Mus. Bot. Lugà. Bat. vol. iii. p. 91. (Prolus. Fl. Jap. p255).
Franch. & Sav. Enum. Pl. Jap. vol. ; p. 93.
Maxim, in Mem. Acad. Sc. Petersb. Ser. 3, vol. xxix. (1881) No. III. p. 9; Ic. p. 13.
Useful Plants of Japan (1895) p. 125. Ie n. 487.
Crotón Siraki, Sieb. & Zucc. Pl. Jap. Fam. Nat. Sect. i. p. 36, n. 133, nomen. (ex Maxim. l. c.).
Arbor foliis Rhamni, &c, Thunb. Fl. Jap. 359 ; pl. Obsc. n. 50.
と先行文献を紹介した後に,

「このドクウツギ属の植物(this Coriaria = 日本産ドクウツギ)の興味深い特長は,他の全ての知られている種の(果実)が黒から紫黒色であるのに対して,花と果実の萼(正しくは花弁)の色がさくらんぼ色から珊瑚色に変化する点である.この植物を日本で見たに違いないマキシモウィッチは実際に,ドクウツギの果実を紫色の果汁が取れる黒い実だとといい,一方グレイの短すぎる記相(《生物》〔生物分類において〕他の分類から区別するために、その分類の特徴を記述したもの。)には,色についての言及はない.また,(多分マキシモウィッチは正しいのだろうとは思うのだが)上に言及した文献では,グレイの日本種とみなされている種の果実が黒いか他の色かは疑問が残る.
しかし,幸運にも "Useful Plants of Japan* (including the poisonous !) " の上記に関するよい画像と短い記述があり,それによってここに図示した植物が日本においてC. japonica として知られている事が証明され,そこでは果実が輝かしい赤色であると描写され,また,「丸くて赤く大変美麗であるが,有毒」とあり,差し当たっては,この見解によって,キュウ植物園でのこの植物の非常に古くなった果実のいくつかが黒くなったことが観察されたのは,全く例外的であるである(と考えられよう).」 とある.

ここに引用された “Useful Plants of Japan” は大日本農会によって,1895年に刊行された “USEFUL PLANTS OF JAPAN, DESCRIBED AND ILLUSTRATED” で,そこには,“487. Coriaria japonica, A. Gr., Jap, Doku-utsugi ; a deciduous shrub of the order Coriariacesae growing wild in bushes and on river banks. It is a diaaecious or monaecious plant. It blooms in panicles, and the female flowers are succeeded with round red fruits, which are very pretty, but poisonous.”とある.
 
この書物は,田中芳男, 小野職愨共著『有用植物図説,第二十,有毒類』(明治24年(1891))の英語版であり,和原文は「四八七 ドクウツギ イチロベコロシ 木本黄精葉鉤吻 木本鉤吻科ノ落葉灌木ニシテ原野叉河邊ニ生ス雄本,雌本叉一株ニ雄花,雌花アリ其花穂状ヲナス雄*ハ花後円實ヲ結ブ熟シテ赤色艶美ナリ児童誤リ食シ往々死スル者アリ」とある(但し「雄ハ花後」は「雌ハ花後」の誤りと思われる.).服部雪斎による図画は木版として別冊で添付され,左図のような鮮やかな実が描かれている.

それまでに,英国には数種のドクウツギ属の植物は知られていて,栽培もされていたが(下図),日本産のドクウツギほど美しくはなかった.

Coriaria sarmentosa (Coriaria ruscifolia ) CBM v51, t.2423 (1824) New Guinea to South Pacific, Mexico to Southwestern Argentina
Coriaria myrtifolia "Dessin fleur Mediterranee" t.26 (1902) Western Mediterranean to Italy
Coriaria terminalis CBM v139, t.8525 (1913) Central & eastern Himalaya to China (Sichuan)
Coriaria nepalensis "Indian medicinal plants", v2, t.282 (1918) Pakistan to Southern and Central China

キュウ植物園の園長を 1922-1929 勤めた William Jackson Bean (1863-1947) の,現在でも英国樹木誌のスタンダードとされている“Trees and Shrubs Hardy in Great Britain” 2nd ed. Vol 1 (printed 1919)” という書物のドクウツギ属の樹木の紹介では,第一番に取り上げられていて, “The value of Coriaria Japonica as an ornamental plant is in the long racemose fruit, the showy part consisting of the accrescent petals of the pistillate flowers, which, becoming much thickened and succulent, enclose the five nutlets and form a five-angled, much-flattened, berry-like fruit half an inch in diameter” と記述されている.
また,Ernest Thomas Cook (1867-1915) の “TREES & SHRUBS FOR ENGLISH GARDENS”  2nd ed. (1908) の p73 には,“CORIARIA JAPONICA is very beautiful in autumn, when it succeeds as well as it does with Canon Ellacombe at Bitton, the fruits being covered then with the persistent petals which are of a lovely coral red.” と,秋になる実の美しさを称えられた.

残念ながら,前述のようにロンドンの気候は合わなかったためか,キュウ植物園での寿命は短く,実も多くはつけず,そのため気候の温暖な Bitton のドクウツギの美しさがよく知られていたようだ.

ドクウツギ (5/5) 毒性,マオリは果汁を,薬用・調味料・酒に,種子撒布はテン・キツネ・サル・鳥?,共生菌で窒素固定
ドクウツギ (4/5) 科名の由来,プリニウス,リンネ,隔離分布,前川文夫,古赤道説
ドクウツギ (2/5) 欧米では庭木として.ツンベルク,グレイ,サージェント,ビーン
ドクウツギ (1/5) 地方名,武江産物誌,本草綱目啓蒙,梅園画譜,農家心得草,救荒並有毒植物集説・中毒症状

2013年10月22日火曜日

ドクウツギ (2/5) 欧米では庭木として.ツンベルク,グレイ,サージェント,ビーン

Coriaria japonica
2007年5月 ひたち海浜公園
日本では考えにくいが,英国・米国ではドクウツギの仲間は観賞用灌木として庭に植えられていたようで,中でも日本産ドクウツギはその真っ赤な実が高く評価されていた.改めて見てみるとコーラルレッドの果実とオレンジ色の茎が明るい緑の葉に映えて美しい.

この植物の存在を最初に西欧に紹介したのはツンベルク(Carl Peter Thunberg, 1743-1828)で,彼の 『日本植物誌 Flora Japonica』(1784) の巻末には不明植物(Plantae Obscurae)が 101 件記録されている.その No. 50 は彼がオランダ商館の館長と共に行った江戸参府の往復の際,箱根山中で見た未詳の木本 “50. Abor foliis rhamni, polysperm. Japonice: Nabe Kabusi, it Toneriko et Utsug (日本名 ナベカブシ,トネリコ,ウツギ)” であり,そこにはその植物学的な特長と花期が五月から六月とある(左図,左).
後述するカーチスのボタニカルマガジン(Curtis's Bot. Mag.: t. 7509 (1896))の記事においては,この未詳の木本はドクウツギであろうとされている.

ツンベルクが滞日中に採集した植物の標本の殆どは,スウェーデンのウプサラ大学博物館に保存されている.最近このコレクションを検討した神奈川県立生命の星・地球博物館の勝山らは,この No. 50 の植物が箱根で採取されたドクウツギであることを確認し,腊葉の写真も撮影した(勝山ほか「ツュンベリーの日本植物誌に記録された箱根産植物」神奈川県立博物館研究報告(自然科学)42号,2013)(上図,右).
http://nh.kanagawa-museum.jp/files/data/pdf/bulletin/42/bull42_35-62_katsuyama_s.pdf

ツンベルクはリンネ(Carl von Linné, 1707- 1778)の弟子であり,リンネは著作『植物の種』(Species Plantarum, 1753)において,地中海沿岸に生育するセイヨウドクウツギに Coriaria myrtifolia の学名をつけていた(Species Plantarum 2: 1037. 1753)ので,ツンベルクも Coriaria 属を知っていたと思われるが,あまりに生育地が異なっていたためか,ナベカブシが同じ属とは考えなかったのであろう.
HUH Type Specimen

現在も有効である学名 C. japonica をつけたのは,多くの日本産の植物を研究し,植物の「東アジア・北米隔離分布」説をはじめて唱えたハーバード大学教授のエイサ・グレイ(Asa Gray, 1810-1888)である.彼は,ペリー提督の日本遠征と同時期の1853 - 1856年に,日本を含めた極東北部を探索したロジャース提督の艦隊の C. Wright が下田近郊で採取した腊葉を基に,1858年に “Mem. Amer. Acad. Arts ser. 2, 6(2): 383. 1858 “ で新種として発表した.命名の基準となったこのタイプ標本は,ペリー提督の艦隊に同行した S. W. Williams と J. Morrow が1853 年にやはり下田で採集した不完全な腊葉と同じシートに貼られて,ハーバード大学に収蔵されている.(右図)

From "Garden and Forest"
日本から送られた種を米国で育てたのはハーバード大学のサージェント教授(Sargent, Charles Sprague, 1841-1927)である.彼は幕末に横浜に商会を構えて多くの日本植物を輸出した Veitch 氏が,前年本州の ”Fukura” 近くで採取した種を送って貰い,1893年にボストンの Arnold Arboretum に播いて,花を咲かせ美しい赤い実をつけさせることに成功した.
彼は著作の中で,この木はボストンでも育つ,強健で ”handsome and interesting plant” であり,庭園の装飾用灌木(ornamental plant)として高く評価できるとした.( Sargent. C. S. “Garden and Forest.” 497 ‘New or Little-known Plants’ (1897))(左図)

1893年にサージェント教授から英国 Kew 植物園に種子が送られ,発芽成長し花と実もつけたが,ロンドンの気候にはあまり合わず, “when seen at its best is extremely beautiful. It has been grown with particular success in the Vicarage garden at Bitton*. “ と,南部地方でよい成績が得られた.(Bean. W. “Trees and Shrubs Hardy in Great Britain”. 2nd ed. Vol 1 (1919))
*イングランド南西部,南グロスターシャー,ブリストル近郊の町 ‎

カーチスのボタニカルマガジンには,このBitton の Canon Ellacombe's garden で生育し,美しい実をつけたドクウツギの図譜が掲載されている.

2013年10月16日水曜日

ドクウツギ (1/5) 地方名,武江産物誌,本草綱目啓蒙,梅園画譜,農家心得草,救荒並有毒植物集説・中毒症状

Coriaria japonica
雄花 2007年5月 ひたち海浜公園
日本三大有毒植物の一つ,ドクウツギ.江戸の本草書での記載は少ないものの,八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房(2001)には,64個の地方名が収載されている.その毒性への警鐘と利用法が数多くの地方名を生み出したものと思われる.

植物毒そのものに由来すると思われる名は,どぐうずぎ[秋田],どくうつぎ[岩手(気仙),宮城(本吉)],どくのき[能登],どくぶつ[富山(黒部)]
人への作用由来としては,いちろーベーごろし[千葉(安房・清澄山)],いちろべごろし[山形(最上・飽海)],ひところばし[能州,青森(上北),岩手(和賀),山形(北村山)],ひところばす[岩手(岩手)],ひところび[福井(大野)],ばーころし[福井(今立)]
その他の動物への毒性発現由来としては,うしころし[静岡],おにころし[岐阜(大野・白川)],さるころし[西国,新潟(佐渡)],ねじころし[越中,千葉(君津),富山],ねずころし[千葉(安房)],ねずみころし[甲斐,富士山麓,富山,山梨,愛媛],ねずみとり[千葉(安房・小湊)]
毒性の利用法としては,上記の殺鼠のほかに,肥壷に入れての,うじきり[富山(砺波)],うじころし[富山(射水)]
また,馬の体を洗う際にこの木を用いると,体表面の寄生虫を除くことができたのか,馬に関連した名前も多く,うまあらいうつぎ[佐州],うまあらいくさ[佐州],うまおどかし[岩手(上閉伊)],うまおどろかし[青森(津軽),羽後,秋田(山本)],うまおどろきゃす[秋田(北秋田)],うまおんどろがし[青森(津軽)],うまのき[秋田(北秋田)],まおどろかし[秋田(北秋田),青森(津軽)],まおどろげあーし[秋田(鹿角)],まんどろかし[青森(中津軽)],むまあらいうつぎ[加賀]
一方,人が舐めると舌が麻痺することからか,したまがり[富山(東礪波)],したわれ[静岡(小笠)],なべくだき[山梨(南巨摩・富士吉田市)],なべっつる[静岡(富士)],なべはじき[千葉],なべわり[千葉(夷隅),神奈川(愛甲),新潟,富山,石川,静岡],なべわりうつぎ[新潟(佐渡)],なべわれ[千葉(清澄),山口(河口)]の名もあり,「なべ」は「鍋」ではなく「舐め」が訛ったものと考えられる*.
また,その毒をトリカブトの附子に例えてか,ぶす[木曾],ぶすうつぎ[岩手(江刺)],かわらぶし[山形(東田川)],かわぶし[青森(上北)]
川原などの生育地から,かーらうつぎ[青森(八戸),岩手(上閉伊・釜石)],かわうつぎ[岩手,宮城,新潟(佐渡)],かわらうつぎ[羽後,木曾,山形(飽海・北村山),茨城(水戸),新潟(佐渡),長野],かわらぎ[静岡(土肥)],さわうつぎ[新潟(佐渡)]の名もある.

上の分類に入らない名も多く,おどろかし[青森,秋田(仙北)],かさな[防州],かなうつぎ[北国],からうつぎ[陸中,青森,岩手,宮城],さーうつぎ[静岡(富士)],ななかまど[青森(上北)],なのかまんじゅ-[山形(飽海)],のーしろたん[高知(吾川)],まいどーかいん[青森(中津軽・南津軽)],まし[上州,伊香保,群馬(佐波),新潟(南魚沼)],ましっぺー[上野,群馬],まちん[栃木(芳賀)],まどろのき[陸奥,青森],まんじゅー[山形(飽海)],みそやかず**[新潟(東蒲原・刈羽)]が挙げられる.栃木(芳賀)の地方名「まちん」は,ストリキニーネを含む中国の毒草「マチン-馬銭(マセン)」から来たのだろうか.
武江産物誌 NDL
* ビャクブ科ナベワリ(Coomia heterosepala)の名の由来,「舐めても唇舌は裂ける。それで舐破(なめわり)【訛って鍋破という】という(和漢三才図会)」と同様であろう.
** 後の『救荒並有毒植物集説』参照

この様に多くの地方名を持ち,庶民の生活に密接であった植物の割には,本草書での言及はあまり見つけられなかった.
磯野教授の「ドクウツギ」の初見***は,
★岩崎灌園『武江産物誌』(1824)で,
「井ノ頭邊ノ産 鈎吻一種 どくうつぎ 金井道 大毒アリ」の記事となっていて,漢本草の「鈎吻一種」と比定されている(左図).

*** 磯野直秀『資料別・草木名初見リスト』慶應義塾大学日吉紀要 No.45, 69-94 (2009)

蘭山もこの植物は漢本草書にある有毒のつる性植物「鈎吻****」の一種と考えていて,
★小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之十三 草之六 毒草類』(1803-1806) の「鈎吻」の項には
「(鈎吻には)蔓生、黄精葉、芹葉等、数種アリ。蔓生ノモノハ、ツタウルシ (中略)黄精葉ノ釣吻ハ草、木二種アリ。木本ノ者ハナべワリ 加州 一名ヒトコロビ ヒトコロバシ 能州 ドクノキ 同上 ネヂコロシ 越中 サルコロシ 西国 ウマオドロカシ ウマアラヒウツギ 佐州 カナウツギ 北国 ミソヤカズ 同上 ブス 木曽 マシツペイ 上野 カハラウツギ 水戸 トリオドロカシ 市郎兵衛ゴロシ 
梅園画譜 NDL
東北国二多シ。移栽レバ繁茂シ易シ。高サ五六尺、叢生ス。葉両対シテ竜胆葉ニ似テ、尖長シ、三縦道アリ。夏ノ初花穂ヲ成、紅色、長サ六七寸、枝アリ。実ハ円二扁ク、二三分許、熟シテ色赤シ。誤テ食フトキハ死ス。葉ヲトリ飯ニ雑へ鼠ニ飼モマタ死ス。故ニ、ネジコロシト云。」とある.
ここで云う「木本の釣吻」は「ドクウツギ」であることが,葉に三本の脈が走ることが特長とされている事から明白である.そこで,『大和本草』や『和漢三才図会』で「釣吻」を調べたが,前者では見出せず,後者では草本のナベワリが「釣吻」に比定されていて,結局「ドクウツギ」の記述は見出せなかった.

**** 世界最強の植物毒を持っていると言われるゲルセミウム・エレガンス Gelsemium elegans,別名「冶葛」

★毛利元寿『梅園画譜』(春之部巻一序文 1825)(図 1820 – 1849)の「春之部巻三」には,庭で育てたのか,「鈎吻」の名でこの植物の花の写生図が描かれ(右図),『和漢三才図会』が引用されているが,さらに「ドクウツギ」の名も記載されている事は注目に値する.

多くの記述が現われるのは,飢饉の際でも「食べてはいけない植物」として,農民たちに警告を与える書物においてであり,
農家心得草 復刻版 NDL
★大蔵永常『農家心得草』(1834)の「有毒草木の事」の項には,ツタウルシ,ナベワリなど何種かの有毒植物の図と共に「木本黄精葉鈎吻(もくほんわうせいえふこうふん)どくのき,大毒あり」として「ドクウツギ」の図が掲げられていて,特徴的な三つの葉脈が描かれている.(左図).なお,「木本黄精葉鈎吻」というのは,和製漢名.

明治時代に出版された
★京都府『救荒並有毒植物集説』(1885)には
「どくうつぎ 木本鈎吻科
ドクノキ(州) ひところはし(同) なべわり(加州,豆州) ねじころし(越州,豆州) ねずみころし(甲州) いちろべころし わうれんじ○ かはらうつぎ(水戸,木曽) ふろしきつゝみ(左州) みそやかず(奥州) たにうつぎ 木本黄精葉鈎吻(漢名)
コレヤリヤ,ヤポニカ(洋名)

武州(玉川練馬)相州(金澤)勢州濃州信州其の他東北諸国の山野殊に川原に多志.又北海道にも生す.小木にして叢生し高さ四五尺,葉形竜胆(リンダウ)葉に似て三縦道あり.両對○生す.夏初紅色の穂を抽き細花簇生し雄花雌花あり.赤色扁円の莢を結ぶ.熟して鮮紅甚美なり.故に児童採りて是を玩弄し誤り食して斃るゝことあり.其の中毒の症たるや身體大熱,精神錯乱,揺搦痙攣,額上粘汗,唇口紫黒,大頻渇,吐血吐涎,脈沈微等の諸症を発するなり.叉此の葉を飯に雑へて鼠に食はしむれは鼠亦斃る.奥越諸州にては此の木は毒なりとて薪となさす.若し此の木にて味噌を焼食ふとき○怱死すと云ふ.叉(イワシ)を焼食ふも叉怱斃ると云へり.故に「いわしやかず」の方言あり.此の實を疣に敷くれは疣落つ.故に「いぼのき」木曽の名あり.」(○は解読不能文字)とある.

単に「死す」ではなく,中毒症状の詳細な記述は,実例に基いたものと見られ,また,漢本草の引用でない薬用・民間薬として,疣落しの効用は興味深い.

2013年10月9日水曜日

クリンソウ(4/4) シャルル・モラン,エドワード・ステップ,カール・ブロスフェルト,ガーデン・メリット賞,台湾の「日本櫻草」

Primula japonica
1979年5月  Cambridge University Botanic Garden.紫花がクリンソウ,黄色い花はセイヨウリュウキンカ
前記事のフォーチュンの予言どおり,クリンソウは欧州の多くの地方で歓迎され,いくつかの植物図譜に描かれている.

C. Morren (1871)                  E. Step (1897)
左:1871年,シャルル・モラン(Charles François Antoine Morren, 1807- 1858,ベルギー)が創刊した「ベルギーの園芸*」(Belgique Horticole, 1851- 85),多色石版一部手彩色

右:1897年,エドワード・ステップ(Edward Step FLS, 1855–1931,英国)の「庭園と温室の好ましい花(FAVORITE FLOWERS of GARDEN AND GREENHOUSE, 1896-97),多色石版
"Primula JAPONICA (Japanese). Leaves large oblong-spoon-shaped, wrinkled and coarsely toothed. Flowers in several whorls on the same scape, 1 to 2 feet high : crimson, maroon, lilac, rosy, or white, the rim of corolla-tube differently coloured; March to May. Hardy in the South of England, naturalised in some parts. Introduced from Japan, 1871."

特に後者においては,フォーチュンが最初に移入した赤紫色以外の花色の品種が見られ,また 1871 年に日本からの導入した後 20 年ほどで,英国各地で帰化していると記している.

欧州北部でも耐寒性があり,庭植えに適しており,また群生させると見事なので,現在でも欧州ではファンが多くいて,2002年には,英国王立園芸協会(RHS)より,緋紅色と白色の2種の園芸種,'Miller's Crimson' と 'Postford White' に,栄えあるAGM(Award of Garden Merit,ガーデン・メリット賞)が授けられた.

Karl Blossfeldt (1928) 
一方,カール・ブロスフェルト**(Karl Blossfeldt 1865-1932)  は,クリンソウの特異な果実と果序に特別な造形を見出し,有名な著書『芸術の原型』(Urformen der Kunst, 1928, 1929)に,建築や装飾にその美を利用できるように,6倍に拡大した写真を掲載した.(右図,フォトグラビュール)

クリンソウは日本と台湾に分布する.台湾では標高の3000-4000㍍の高地に生育し,その名称は「日本櫻草」で別名「七重草」「九輪草」である.「日本櫻草」は学名の中国語訳と思われるが,わが国のサクラソウ (Primula sieboldii) の呼び名の一つ ニホンサクラソウとかぶってしまう.

1972年に台湾中部の大霸尖山(標高 3,490 m)付近で採取された資料が國立台灣大學植物標本館に収蔵されている(http://tai2.ntu.edu.tw/specimen/species-specimen.php?folderID=505%20005%2003%200&display=pic).

*荒俣宏『花の王国』平凡社 1990/01-1990/11 には,「モレン,Ch. 「園芸のベルギー誌」35巻667図版.ほぼ手彩色で色づけされた石版は手堅いが,ルメールやエドワーズの園芸書ほどみごとではない.」とある.

**ドイツの彫刻教師.ベルリン王立芸術工芸大学で彫塑を教える.学生に,自然におけるデザインを教えるため,自ら撮影した植物の写真を用いたことで知られる.

リンク先は当ブログ内の記事.

クリンソウ(3/4)  ケンブリッジ大植物園,エイサ・グレイ,R.フォーチュン “Queen of the Primroses",カーチス ボタニカル・マガジン
クリンソウ (2/4) 小林一茶 東莠南畝讖・梅園草木花譜・草木図説・百品考
クリンソウ (1/4)  別名・地方名,毛吹草・花譜・大和本草・花壇地錦抄・草花絵前集・和漢三才図会・救荒本草・物品識名

2013年10月4日金曜日

クリンソウ(3/4)  ケンブリッジ大植物園,エイサ・グレイ,R.フォーチュン “Queen of the Primroses",カーチス ボタニカル・マガジン

Primula japonica
1979年5月 Botanic Garden, Cambridge Univ.
「日本にはサクラソウ属の種類がおよそ三十種ばかりもあるが、その中で一番りっぱで大きな形のものはクリンソウで、これは世界中でも有名なものである。」
  牧野富太郎『植物知識』「サクラソウ」 「四季の花と果実」教養の書シリーズ、逓信省(1949年)

筆者は1977年から2年半の間,英国の古い大学町ケンブリッジに住んでいた.ダーウィンゆかりの大学付属の植物園(1831設立)は、住んでいた家に近かったので,一家で度々散歩に訪れていた.春遅く,入り口近くの小川のほとりの湿生園に,濃い赤紫の花を車輪状に何段もつけ群れ咲いていたのが,日本生まれのクリンソウであった(上図).

クリンソウに Primula japonica (直訳すれば日本のサクラソウ)の学名をつけたのは,米国ハーバード大学の植物学の教授エイサ・グレイで,ペリー提督の日本遠征と同時期に,1853 – 1856年の間に日本を含めた極東北部を探索したロジャース提督の艦隊の C. Wright が函館近郊で 1855 年に採取した腊葉資料を基に,1858年に新種として発表した.

Mem. Amer. Acad. Arts ser. 2, 6(2): 400. 1858 [1857-58 publ. 1858]
ON THE BOTANY OF JAPAN.

Primulaceae. There is a new Primrose in the collection, of which I possessed a fragment before, - a showy species, which manifestly belongs to Duby's section Spondyphylla, although the involucre is not foliaceous, and is a congener of De Vriese's Cancreinia chrysantha, although destitute of an epigynous radiate crown.+ The three or four species of Lysimachia are not American in type (although one is represented in the Sandwich Islands); but the common Naumburgia was met with near Hakodadi.
Syntype specimens of P. japonica (HUH)
+ Primula Japonica (sp. nov.) : undique glabra ; foliis oblongis spathulatisve obtusis argute saepius duplicato-denticulatis in petiolum alatum brevem attenuatis membranaceis venosis efarinosis (sed junioribus subtus atomiferis) ; scapo angulato (1-1 1/2-pedali) multifloro ; floribus verticillatis ; involucri phyllis lineari-subulatis inappendiculatis integerrimis pedicellis multo brevioribus ; calyce ovato-campanulato, lobis triangulari-subulatis tubo intus farinifero aequilongis corollae purpureas tubo pluries brevioribus ; lobis corollae obcordatis ; capsula globosa vertice nuda demum irregulariter rupta. Hakodadi.

現在でもハーバード大学の植物資料館(HUH)には,その腊葉が Syntype specimens* として保存されている.
* Syntype(等価基準標本):命名者が holotype** を指定せずに複数の標本を引用した場合、そのすべての標本。
** Holotype(正基準標本):命名者が命名法上のタイプとして使用または指定した1枚の標本。

Robert Fortune (1812-1880
西欧にこのクリンソウの素晴しさを最初に紹介したのは,開国前の日本のプラントハンティングに英国の種苗会社から派遣され,いくつもの植物の西欧への導入に成功したR.フォーチュンであった.彼は1861年5月に神奈川でクリンソウの花を篭いっぱいに貰った朝の感激を,著作 "YEDO AND PEKING, A NARRATIVE OF A JOURNEY TO THE CAPITAIS OF JAPAN AND CHINA"(1863)  に次の様に記し,クリンソウが「サクラソウの女王」になることを予言している.

Chap. XI. BOKENQEE VALLEY " QUEEN OF THE PRIMROSES."
But the plant remarkable above all others which were met with at this time, for its great beauty, was a new primrose*. I shall never forget the morning on which a basketful of this charming plant was first brought to my door. Its flowers, of a rich magenta colour, were arranged in tiers, one above another, on a spike nearly two feet in height. It was beyond all question the most beautiful species of the genus to which it belongs, and will, I doubt not, henceforth take its place as the “Queen of the Primroses".  * PRIMULA JAPONICA

「今度目にふれた植物の中で、最も心を惹かれた美麗な花は、新種のクリンソウ (Primula japonica)であった。初めてこの愛らしい花を籠いっぱい届けてくれた朝の印象を、私は決して忘れることはできない。ゆたかな赤紫色のその花は、丈がほぼ二フィートの茎の上に重なり合って並んでいた。これに属するもっとも美しい品種が、今後「サクラソウの女王」の座を占めることは間違いない。」(『幕末日本探訪記 江戸と北京』 三宅馨訳 1997年 講談社学術文庫)

フォーチュンはクリンソウを英国で咲かそうと,何度か種や苗を送ったが失敗し,ようやく成功したのは十年後の1871年であった.咲いた花はカーチスの "Botanical Magazine" に二つ折りの図譜として掲載された.

AUGUST 1ST 1871.
TAB. 5916. PRIMULA JAPONICA, 
Native of Japan.
Nat. Ord. PRIMLACEA -Tribe PRIMELEA.
Gennus PRIMULA, L. (Endl. Gen. Plant, p. 731),

PRIMULA japonica: A. Gray in Mem. Amer. Acad. Science, vol. vi. p. 400

 CBM 1871,TAB. 5916. 
PRIMULA JAPONICA 石版手彩色
Respecting the discovery of this superb plant, I have been favoured with the following note, by Mr. Fortune; it is dated April 26th, 1871, and states that " it was met with by me, in full flower, in gardens near Yedo, in May. 1861. I saved its seeds at the time, and sent them home to England, but they failed to vegetate. Plants also were lost on the voyage. Since that time I have made many efforts to introduce it into England, but only last year succeeded in getting seeds to vegetate. For these seeds I am indebted to W. Keswick, Esq., of Hong Kong, and Messrs. Walsh, Hall, and Co., of Yokohama, which gentlemen have thus the honour of introducing a very lovely plant into English gardens. It is perfectly hardy in England, and is now, April 26th, in full bloom in Mr. Bull's establishment at Chelsea; there are several varieties, all beautiful, and no doubt we soon shall have many more."
The only previous notice of this plant I can find is A. Gray's description quoted above, and which was drawn up from specimens collected near Hakodadi, by Charles Wright, who discovered it in 1855, and which was published in 1859.
(中略)
P. japonica has been collected also by Maximovicz, at Yokohama, and by Consul C. P. Hodgson, near Hakodadi. The splendid specimen here figured flowered in Mr. Bull's establishment, at Chelsea, in April of the present year ; it bears far more flowers than the indigenous ones.

DESCR(略)– J. D. H.

Fig. 1, Flower, with corolla removed; 2, ovary, style, and stigma: - all magnified.

この素晴しい植物の発見に賛嘆しつつ,私はフォーチュン氏が1871年4月26に言った言葉に賛意を表す.彼は「私が江戸の近くの庭園で満開のこの花に出会ったのは,1861年の5月であった.その時に種を採取し,故郷の英国に送ったが繁殖には失敗した.植物(苗)も航海中に失われた.それ以来クリンソウを英国に導入しようと何度も努力し,昨年になってようやく種からの繁殖に成功した.この種子に関して,私の非常に愛らしい植物を英国の庭に導入した栄誉は,香港の W. Keswick 殿と,横浜の Walsh, Hall, and Co., の方々におかげである.
この植物は英国の庭での完全な耐寒性があり,4月26日現在,チェルシーの Bull 氏の敷地で満開である.いくつかの変種があるが,全て美しく,疑いもなく,我々は間もなくもっと多く(の変種)を手に入れるだろう.」と述べた.
私が見出せた唯一の先行文献は,上に言及した A. Gray の記述で,Charles Wright が1855年に函館 (Hakodadi) の近くで発見し採取した標本に基づき,1859年に出版された.(中略)
クリンソウは横浜で Maximovicz によって,また函館 (Hakodadi) 近くで C. P. Hodgson 領事によって採取された.ここに描かれたこの素晴しい実例は今年の4月にチェルシーの Bull 氏の敷地で咲いたもので,原産地のものよりずっと多くの花をつけている.- J. D. H*
*  Sir Joseph Dalton Hooker