2014年6月7日土曜日

ユキノシタ (5/5) 英国への導入,英名,ロバート・フォーチュン,変わり葉種,草木奇品家雅見,草木錦葉集-はつれゆき

Saxifraga stolonifera (Syn. S. sarmentosa)
Curtis’s Botanical Magazine Vol. 3 (1789)
ユキノシタは英国で親しまれて,多くの英名を持つ.Strawberry Saxifrage, Strawberry Begonia, Strawberry Geranium とイチゴに関連付けた名が多いのは,赤いランナーを親株から出して子株をつける様子がイチゴにそっくりだからで,ベゴニアやゼラニウムとは葉の形や斑の入っている様子が似ているからと考えられる.Mother of Thousands は親株から多くの子株が出るからであろう.一方,Wandering Sailor, Creeping Sailor, Wandering Jew は,赤く細いランナーが四方八方に伸びて,その先に子株を付ける様子を,地図上の航路と寄港地に見立てたのではないだろうか.

ユキノシタが中国から英国に渡ったのは 1770 年(一説には 1771 年),広東で supercargo として東インド会社に雇われていたベンジャミン・トーリン (Benjamin Torin) がキュー植物園に送った植物の中に含まれていた.それまで知られていたユキノシタ属(Saxifraga)の植物とは大きく生育環境や性質が異なっていたので,別の属に属するのではないかと疑われた事もあった.その斑点の入った丸い葉,イチゴに似たランナー,下を向いた特異な二つの下部の花弁の大きさ,花の中心にあり,胚を半分ほど囲んだ目立つ蜜腺が,この種に他と明確な相違点である.これは温室植物として適しているが,特に壁の元や岩の間に植えられている場合は.暖かい冬は戸外でも冬を越す.しかし厳しい冬では,このような環境でも枯死する.五月から六月に花をつけるが,他のと同じくそう簡単には花をつけない.繁殖には困難はなく,むしろランナーですばやく数を増やすため,トラブルを引き起こすほどだ.(Curtis’s Botanical Magazine Vol. 3 (1789) [92] SAXIFRAGA SARMENTOSA, E. Step, D. Bois, ’Favourite flowers of garden and greenhouse’, vol. 2: t. 87 (1896-1897), A. M. Coats “Flowers and their Histories’ p.230 (1956)

Houtte, L. van,
‘Flore des serres et des jardin de l’Europe’
 vol. 21-t. 0 (1845), 左下に Japon とある
特に赤・緑・白,三色の斑の入った変種 var. tricolor は,欧州にアオキの雄株を導入して実を結ばせる事に成功した,など多くの日本の園芸植物を英国に移入したことでよく知られるロバート・フォーチュンによって,1860年に大切に極東から運ばれ,その後欧州で鉢植え用観葉植物とし高く評価された(左図).

彼が中国経由で日本からこの植物を運んだ苦心は,その著作に以下のようにある.

Robert Fortune “Yedo and Peking” (1863) Chap. XXIII. VOYAGE HOME.
“Here I found my Japanese collections (which I had left in Mr. Webb's garden) in excellent condition,
(中略)
Some especial favourites, which I did not like to trust to the long sea journey round the Cape, were brought home by the overland route under my own care. One of these is a charming little saxifrage, having its green leaves beautifully mottled and tinted with various colours of white, pink, and rose. This will be invaluable for growing in hanging baskets in greenhouses or for window gardening. I need not tell now how I managed my little favourites on the voyage home ; how I guarded them from stormy seas, and took them on shore for fresh air at Hongkong, Ceylon, and Suez ; how I brought them through the land of Egypt and onwards to Southampton. More than one of my fellow-passengers by that mail will re- member my movements with these two little hand greenhouses.”

ロバート・フォーチュン『江戸と北京』(1863, 第二十二章 帰路
「そこ(上海)で私が日本で収集した植物が,ウェッブ氏の庭で良好な状態であることを確認した*
(中略)
草木奇品雅見
巻之上十三 NDL
(上海から英国までの)喜望峰を廻る長い航海は信頼しがたいので,特に気に入った数種類の植物は,私自身が注意深く持ち帰った.そのうちの一つは魅力的な可愛いユキノシタで,白・ピンク・バラ色のさまざまな美しいまだら模様で色どられた緑の葉をつけていた.これは温室のハンギング・バスケットや,出窓プランターで育てるのに,非常に価値がある.英国への航海でも,この可愛いお気に入りをどんなに大切に取扱ったか,いかに荒海から護ったり,香港・セイロン・スエズでは上陸させて新鮮な空気にふれさせたり,またエジプトに上陸してからサザンプトンに到着するまでの陸路で,どのように運んだかは,改めて話すまでもない.何人もの私との同乗者は,二つの小形の手提げ温室(小型のウォーデン・チェンバーか)を持った私の行動を憶えているだろう.」

草木錦葉集巻之一 二十三
はつれゆき NDL
*18601217日,横浜より英客船イングランド号で,上海に送付.
186111月以降上海出航,フォーチュンは186212日,サザンプトン到着

江戸時代の斑入り・葉変わり植物品種の図譜,金太編『草木奇品家雅見(そうもくきひんかがみ)』(1827),水野忠暁『草木錦葉集(1829) にも,「はつれゆき」という名の斑入り葉のユキノシタの図が掲げられ,当時から好事家の愛玩品として,釣り籠で,或は鉢植えで育てられていたことが分かる.現在でも「御所車」「雪月花」「七変化」等の源氏名の,葉の模様の変わった品種が存在し,var. tricolor は,御所車に該当すると思われる.

欧州においては,var. tricolor はもちろん,基本種も多くの種苗店で販売されている.

ユキノシタ (4/5) ゲオルグ・マイスター,ケンペル,リンネ,ツンベルク,伊藤圭介 キシンソウは鬼神草?,カーチス 学名原記載文献

2014年6月3日火曜日

ユキノシタ (4/5) ゲオルグ・マイスター,ケンペル,リンネ,ツンベルク,伊藤圭介 キシンソウは鬼神草?,カーチス 学名原記載文献

Saxifraga stolonifera (Syn. S. sarmentosa)
2013年6月 茨城県南部 植栽
ユキノシタを,ヤマブキなど日本の多くの植物と共に欧州に紹介した最初の書物は,出島のオランダ商館の庭園技師として,168283, 168586の二回に渡り合計2年間ほど滞日した★ゲオルグ・マイスターGeorg Meister, 1653-1713)の『東方・インドの庭園技師 (Der Orientalisch=Indianische Kunst= und Lust=Gärtner)(1692) であろう.

この書ではほぼ90種に及ぶ日本の庭園植物のみならず,日本の自然を取り入れた造園法を紹介し,後のイングリッシュガーデンに影響を与えたとされている.その中では,ユキノシタは “Kysinso (きしんそう)と記載されている (p172).記述もあるが鬚文字のドイツ文なので読解できなかった(左図, Universitäts- und Landesbibliothek Sachsen-Anhalt).
この書はケンペルに先立つ日本植物のまとまった紹介書であるが,ドイツ語で書かれたためか,マイスターが植物学の教育を受けていなかったせいか,リンネの著作などに引用されてはいない.

出島の医師として,1690 – 1692年に滞日し,江戸にも参府した★エンゲルベルト・ケンペルEngelbert Kaempfer, 1651 - 1716)の『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae , 1712p.870 には,石荷 Sekika, vulgo Kisinso, it Jukinosta.”として,漢名の「石荷」と共に,「俗にキシンソウ,またユキノシタ」と和名も記録されている(右図,KUL).

Saxifraga sarmentosaという学名が発表されたのは★リンネCarl von Linné, 1707- 1778)の “Supplementum plantarum Systematis vegetabilium (Apr 1782 (1781 on titlepage)). p.240. “ で,そこには,“DECANDRIA. DIGYNIA. SAXIFRAGA. sarmentosa. - - - Habitat in Japonia. Gordon, Hortul. Londin. , H. U. - - - “ ( (Jupiter = perennial))” とあり,日本に産することが記載されている.” Gordon, Hortul. Londin.” とは,標本を提供したロンドン園芸協会のゴードンさんの事かとも思うが判明せず(左図).

出島の医師として,1775 – 1776年に滞日し,多くの日本の植物を恩師リンネの体系によって分類し,学名をつけた★カール・ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828) の『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784, p182)には,
“Saxifraga. sarmentosa. S. foliis inciso-lobatis pilosis, caule subnudo erecto paniculato. Saxifraga sarmentosa, Linn. suppl. Syst. P.240.
Japonice: Sekika, vulgo Kisinso, i.e. herba Diaboli; Kisin enmi Diabolum significat. Item Jukinosta, seu Juki no Sita i. e. sub nive sita vel crescens herba; Juki namque nevem et Sita herbam siguificat. / Sekika, vulgo Kisinso, it Jukinosta. Kaempf. Am. Ex. Fasc. V. p.870.  / Crescit  iuxta Nagasaki prope aquas, in insula Nipon vulgaris locis montosis et humidis inque lapidibus.
Floret  Maio, Junio. - - - .” とあり(右図),「長崎と本州の水辺や山地湿地に生育し,毛の多い厚い葉を持ち,花茎を挙げて穂状の花を五月から六月につける.俗名のキシンソウは鬼神の草,ユキノシタは雪の下でも生育する草の意味」と記している.


このツンベルクの『日本植物誌』に所収された植物を,シーボルトの指導を受け,学名のアルファベット順に配列し,その和名・漢名を記した★伊藤圭介訳述『泰西本草名疏』(1829)には,
SAXIFRAGA SARMENTOSA LINN. ユキノシタ 虎耳草
 [RUNIFRAGA SARMENTOSA. TH. ユキノシタ  ]
とある.[ ]は,別説を示すと凡例にあり,RUNIFRAGA はツンベルクがユキノシタに与えた属名と考えられるが,不明(左図 NDL).

ユキノシタは欧州産のユキノシタ科の植物とは特に湿性を好み,ランナーで増え,柔らかい葉に模様がある点が大きく違うためか,欧州の園芸家や植物学者の興味を引いた.また,園芸植物としても,ハンギング・バスケットなどに広く用いられた.


なお,米倉浩司・梶田忠 (2003-) 「BG Plants 和名学名インデックス」(YList)で標準とされているユキノシタの学名,Saxifraga stolonifera Curtis の原記載文献 Phil. Trans. Lond. ser. B, 64(1): 308, no. 2541 (1774) の画像は右の如くで,既にこの時期にユキノシタが英国に入っていたことが分かる.この学名の命名者 William Curtis は "Curtis’s Botanical Magazine" の刊行者 W. Curtis と同一人物なので,Curtis’s Botanical Magazine Vol. 3(1789) で,ユキノシタに Saxifraga sarmentosa L. の学名を用いているのと矛盾するように思われるが,あるいは同じ植物との認識がなかったのかも知れない.

ユキノシタ (5/5) 英国への導入,英名,ロバート・フォーチュン,変わり葉種,草木奇品家雅見,草木錦葉集

ユキノシタ (3/5) 耳の疾患への薬効伝承,方言,畸人草,キジンソウ