2022年2月26日土曜日

アマナ (10/10) 学名・異名(仮) シーボルト,グレイ,ミクェル,ベイカー,レヴェイエ,本田正次,ヤエノアマナ

Amana edulis

 

 アマナは日本・朝鮮半島・中国・北東ロシアに広く分布し,日本では古くから鱗茎が食用・藥用として利用されていた.

この植物に最初に学名をつけたのはシーボルトで,1830 年刊行の『バタビア芸術科学紀要』に日本名 Amana であり,Ornithogalum edule(食用)という種小名をつけて発表した.

日本に開国を迫ったペリーの北太平洋遠征隊(第1次)が浦賀・横浜・下田・函館の4地点で採集した多くの植物標本を整理し,米国政府によって出版された『ペリー日本遠征記』(Narrative of the Expedition of an American Squadron to The China Seas and Japan, 1856)の中の報告書の第二部に記述したエイサ・グレイAsa Gray, 1810 - 1888)は,横浜で採取したアマナをOrithiya oxypetala と同定した.

 シーボルトらの残した日本植物の腊葉などの資料整理したミクェルは,シーボルトが正式に判別文や記載文を残していなかったアマナを詳細に研究し,1867 年に属を変更して Orithyia edulis として『ライデン王立植物標本館紀要』に発表した.

英国の植物学者ジョン・ギルバート・ベイカーJohn Gilbert Baker, 1834- 1920)は,1874年に,ミクェルが帰属した属を変更し,Tulipa edulis として,” J. Linn. Soc., Bot.” に発表した.

1875年に M. Moore Journal of botany, British and foreign.” に,医師の G. Shearer が中国で収集した植物標本のアマナをもとにベイカー Tulipa graminifoliaの学名の新種としたとして記載したが,現在ではアマナの異名とされている.

1906年にフランスの聖職者・植物学者のレヴェイエは,中国からフランス人宣教師によって送られてきた標本を基に,バチカンで刊行されていた “Mem. Pontif. Accad. Romana Nuovi Lincei” に中国産のアマナに Gagea hypoxioides H.Lév.と命名したが,現在ではアマナの異名とされている.

1910年にレヴェイエは,ドイツで出版されていた “Repert. Spec. Nov. Regni Veg.” に朝鮮半島産のアマナに “Gagea coreana Lév..” の学名をつけ新種としたが,これも現在は異名とされている.

その後,1935年に本田正次博士が,アマナ属をたて,学名を Amana edulis (Miq.) Honda として『日本生物地理学会会報』に発表,これが現在の正名 accepted name となっている.

 2010年には千葉県で雄しべが弁化して重弁化したアマナが,谷城勝弘,市原通雄,岩瀬徹によって発見され,植物研究雑誌 J. Jap. Bot.” ヤエノアマナ Amana edulis f. duplexa として発表された.


 鎖国の江戸時代末期,出島のオランダ商館の医師として 1823 – 1829 年滞日して,多くの西欧の科学・医学の技術知識を日本に伝えたシーボルト(Philipp Franz von Siebold, 1796 - 1866)は,日本の有用植物に大きな関心を持ち,茶の種をバタビアに生きたまま送る事に成功したことでも知られる.この有用植物の調査は,当時あまり利益の上がっていなかった日蘭貿易の新しい商品開発の意味もあった.

 彼は 1827 年 11 月の日付 "Dabam in Insula Dezima mensi Novembris 1827, Dr. von Siebold." の「有用植物概要表 ”TABULA SYNOPTICA USUS PLANTARUM (Synoptic Table of Plant Uses)」二枚を出島からバタビアに送った.この幅 75 cm,高さ 46 cm の大型の表には計 447 の植物が使用目的及び部位ごとに分類され収載されている.表は 6行各2段に区切られ,上段にシーボルトが同定或は命名した学名,下段にカタカナの日本名と漢名が記されている(左図).

 この表を附録とした論文『全日本帝国有用植物概要“Synopsis plantarum oeconomicarum universi regni Japonici”』は 「バタビア芸術科学紀要 Verhandelingen van het Bataviaasch Genootschap van Kunsten en Wetenschapen. Batavia (Verh. Batav. Genootsch. Kunsten)」12: 1 – 74 (1830) に発表された.この論文の本文中で,シーボルトはアマナについて,

 ” XLIV. ORNITHOGALUM , Linn.
 86. O. edule, Sieb. Amana, Japon. (v. v. h. b.)*
 Bulbi mucilaginosi eduntur.”
と記して,アマナをユリ科オオアマナ屬に帰属させ,「食用になる」という意味の “edule” を種小名とし,「日本名は,アマナ.実際に生体及び腊葉標本を観察した.自生及び庭園でも栽培され,粘液性の球根は澱粉質で食べられる」と記した(左図). *(v. v. h. b.): Quas ipse vidi vivas siccatasve, signis : (v. v.) (v. s.), quasque in horto botanico colui, signo: (h. b.).

 一方,付表では,第一表の “ I. ALIMENTA SIMPLICIA(食用)” の部の “E. Radices sobolesve. (根菜)a. Cruda, cocia , siccata, salsave.(生・調理・乾燥で可食)” のカテゴリーに,上段には,“19. Ornithogalum edule, Sieb.”,下段には「アマナ 山慈姑」と記されている(上図左図).しかし,シーボルトのアマナの記述はあまりに簡便すぎ,同定には情報が不足であり,また属が誤りであったため,この学名は現在,「nom. nud. 裸名」とされている.

 シーボルトがオランダにもたらしたと思われるアマナの標本は,現在でもオランダ,ライデンの Naturalis Biodiversity Center に保存されていて,L 0175925とL 0327467の二つの画像を NET で見ることができる(上図右部).「トンボラン」「アマナ」,「カタクリ」との名が毛筆で書かれているので,シーボルト滞日中に弟子が採取した個体に由来すると思われる.