2018年7月31日火曜日

オオボオシバナ(5)『草木図説前編』大葉バウシバナ,『教草』第十四 青花紙一覧

Commelina communis var. hortensis
幸野楳嶺 『草花百種』 上 貳篇(明治三十四年)多色木版画

NDL 大葉バウシバナ + ツユクサ(生殖部)
★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(成稿 1852(嘉永5)ごろ,出版 1856(安政3)から62(文久2))は,草類1250種,木類600種の植物学的に正確な解説と写生図から成る.草部20巻,木部10巻.草部は1852(嘉永5)ごろ成稿,56(安政3)から62(文久2)にかけて出版された.

その「巻之一」には「オオボウシバナ」が「大葉バウシバナ」の名で記載されている.
大葉ボウシバナ
近道野生ノ品ニ比スレバ全草惣テ大ニ花亦六七倍ニ至ル.生殖部同シケレドモ.
鞍狀一種ノ葯形ニ些異アリ亦以郭大圖示之 此品産地ヲ詳ニセズ.花辧大ナルヲ以テ.
染紙ヲ製ルニ必ス此種ヲ用ユ」
とあり,雄蕊・雌蕊の拡大図が附され,ツユクサとの差が明示されている.

★博物局『教草(明治57年発行)
明治初頭,日本の代表的産物・産業について取り上げた,彩色木版『教草』(30数枚1)が,当時の博物局によって刊行された.その作成の目的は,海外博覧会で日本のものづくりをわかりやすく紹介するためであり,また,それらを日本の子どもたちが学ぶ教材とするためでもあった. 
『教草』には,藍や養蚕,苧麻や葛布など,染織に関するいくつもの事柄をはじめ,漆や紙などの製法,稲や茶葉などの農作物,豆腐や蒟蒻の作り方まで,様々な産物が取り上げられている.興味深いのは,これらの作業に関わる男女が江戸時代の風俗をしていることで,この絵草子が海外の博覧会で日本の産業の紹介のために描かれたので,異国情緒を強調するためかも知れない.


その中には,近江国山田郷で,オオボオシバナの花を摘み,圧搾し,得られた汁を紙に塗り重ねて青紙を製造する行程が,それぞれの道具と共に美しい木版画で描かれている.
近江国山田郷が名産地になったのは,琵琶湖畔で,草津川・志津川・北川などの琵琶湖にそそぐ大小の川があり,適度の湿気を含んだ肥沃な土地に恵まれ,日当たりもよく,大きな用途の友禅染の京都に近いことにあったのだろう.

最後の行で「些の米醋(す)を加ふ、尤能く色を発す」と,青紙から青い色素を溶出した液(青汁)に酢を加えると青色が濃くなるとある.圧搾時に酢を加えるとある文献もあり,弱酸の存在が安定性に寄与していることが認識されていたようだ.また,利用法として菓子への着色が記されているのは,初見.

教草 第十四
青花紙一覧(あをばながみいちらん)

青花ハ鴨跖草(つゆくさ)の花なり、鴨跖草ハ何国にも自生の夥しき物なれども、近江国山田郷にて作るものハ、一種大葉のものにして、花弁の大さも常品に十倍す、故に青花紙を製するにハ、必是種を要する也、鴨跖草の種法ハ、冬月向陽の地に下種して苗を生す、三月の末に至りて畑地へ移栽へ培養す、肥ハ人糞、油渣等を用ゆ、夏用土用前より花を開く、野生の者に比すれバ、格別大にして、且美なり、毎朝露を侵し花弁を摘釆る、紅花(べにのはな)を摘むが如し、此花を用ひて汁を絞り、紙に染込たるもの、即青花紙なり、又ボウシ紙とも云

青花紙を製するにハ、先づ花を搾り、液を収むることなり、花を搾るの法ハ、花弁の生鮮なるものを撰び取り、塵芥をよく去り、竹篩いにて雌雄蕊并黄粉を篩ひ除け、桶に入れ圧板を載せ、枕木をかひしめ、木を以てしめかくれバ、青汁自から流出づ、桶の下に呑口を付け、承るに盤を以てし、他に漏れざらしむ

WUL リンク先は原HP
(http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/mu11/mu11_03287/mu11_03287_p0015.jpg)
紙を染むるの法ハ、美濃上有知(こづち)村にて製する花口紙一帖四十八葉の紙を染台の上に延べ、刷毛を用ひて青汁を蘸(ひた)し、一帖畳(かさ)ねたるまゝ刷(は)き染むるなり、紙の両角に些少の余白を止め、日光に曝し乾すなり、白を止むるゆへんハ、乾上りたる後、畳ねたる紙、花液の為に粘合したるを引離すに便利ならしめんが為なり、右の紙乾き上りたれバ、此度ハ一帖の紙を十二箇に分ち、一箇四葉づゝ畳ね置き、再び青汁を以て刷き乾かす、又其次にハ二葉づゝ畳ね、又前の如く青汁を刷き乾かす、是より後ハ幾度刷きても皆二葉づゝ染むるなり、一葉離して染むることなし、右の如する都合五十度より六十度に至る、始めて好き青花紙となる、夫を二帖合して一束と名く、即九十六葉也、四辺を剪揃へ、箱に入れ方物とす

青花を作る村数凡五十箇村、戸数凡三百五十軒、慶応丁卯年産出三千一百十帖、価金一千五百四十九両一歩二朱、明治辛未年産出一千五百七十帖、価金一千二百六十八両

青花ハ青を染むる品の内にて、別して鮮明なるものなれども、惜むべきは染上たる後一度水に入れバ、忽消滅して痕なし、仮令水に湿ハざるも、日を経れバ色減じ、久く保つ能ハざるなり、夫故衣服模様の下絵を画くにハ是非とも青花を要するなり、其他菓子を染め、燈籠を彩(あや)どるなどに妙とす、火を映(うつ)して色黯(くらま)せざれバなり、青花紙用法ハ、一葉の紙を入用たけ剪刀(はさみ)にて剪(き)り取り、碟子(こざら)に入れ、水を澆(そそ)げバ、乍ち青汁出づ、或ハ些の米醋(す)を加ふ、尤能く色を発す、且水を澆きて快く消散し、毫(すこし)も影子(あと)を止めざるなり
   明治六年一月       山本章夫 撰    溝口月耕 画

図説明 右上より左下へ
   重り石,重し竹,しめ木,桶蓋,押枕,しめ桶
   鴨跖草之圖
   花採籠,花入籠,花通し,花揉桶,敷布,箕,花入文庫,染紙載,染臺,花鉢,染刷毛
   花摘之圖,花篩之圖,花液を収むる圖,青花紙を製する圖

友禅染における青(花)汁の使い方には,以下のような記事がある.
「まず、生地につゆ草から絞った青い汁を集めた「青花」で下絵を描き、その下絵の上に、柿渋を引いた紙の筒に金の先口をつけたものから糊を細くしぼりだして、糸目糊を置いていきます。その中に筆や刷毛で染色していくことで、隣同士の色が混ざることなく、一色一色の区別が細かく、はっきりした鮮明な染めが生まれます。この後、糊伏せや鑞伏せをした上で、地染め、蒸しなどの、いくつかの工程を経て仕上げます。糸目糊を置いた部分は、染め上がって水洗し水元を経て糊を落とすと、くっきりとした白い線として残り、鮮やかな色使いとこの白い線とのコントラストがデザイン的にも優れており、友禅染の美しさを決定する要素になっています。」

2018年7月27日金曜日

オオボオシバナ(4)本草綱目啓蒙,本草綱目紀聞,本草図譜,救荒本草啓蒙

Commelina communis var. hortensis
オオボオシバナ vs. ツユクサ 2018年6月 花と葉の大きさの差に注目
 オオボオシバナという名前は明治以降に一般的になったらしく,それ以前はツユクサ(鴨跖草)とは明確には区別されずに記述され,あるいは「アオバナ-青花」や「大寫花」などと呼ばれていた.
尋常の「ツユクサ」に比べて,葉や特に花の大きさ,草丈の高さは認識されていて,水谷豊文『本草綱目紀聞(1820)では,本草誌・植物誌としては,初めて独立した項目に記された.
この花の花弁を摘んで,絞って,和紙に何回も塗り重ねたものが「青紙」で,この紙を切り,水で色素を抽出し,染め物-主に友禅染-の下絵を描くのに用いられた.下絵は,水洗すればこの青色が跡形もなく失われるという特性を生かした利用法である.
一方,光を通しても,青色がくすまないので,舶来の羊皮紙を使った燈籠の着色に用いられたという記録も残る.
(文献画像はNDLの公開デジタル画像より部分引用)

★小野蘭山『本草綱目啓蒙48 (1803-1806) は,『本草綱目』に関する蘭山の講義を孫職孝(もとたか)が筆記整理したもの.《本草綱目》収録の天産物の考証に加えて,自らの観察に基づく知識,日本各地の方言などが国文で記されている.
その「巻之十二 草之五 隰草類下」の
鴨跖草」の項には,
(中略)
江州栗本郡山田村ニハ熟地ニ栽テ花瓣ノ汁ヲ採名産ナリ.ソノ種尋常ノ者ニ異ナリ,苗高サ三四尺,葉ノ潤サ一寸許,長サ六七寸,花大サ一寸餘.毎朝瓣ヲ採,直ニ榨リテ紙ヲ染,四方ニ賣出ス,コレヲ山田ノアオバナト呼,勢州ニテハボウシガミト云.關東ニテハア井ガミト云.衣服ノ下繪ヲ畫クニ必用ノモノナリ.此紙ヲ切,皿ニ水ヲ入テ絞レハ,青汁出ルヲ用テ,衣服ノ花様(モヤウ)ヲ畫キ,糊ヲオキテ染汁ノ内ニ入レハ,皆消脱ス.又扇面ニモ用フ.色彩好ナレトモ水カヽルトキハ皆脱去ス.舶來羊皮燈ノ彩色ニ用ユ火ニ映シテ鮮明ナリ.」
と,通常の「ツユクサ」より,背が高く,葉は大きく,花も大きく,種が異なるとしている.下絵書き以外の利用法も詳しい.

★水谷豊文『本草綱目紀聞(1820) は,小野蘭山門下の豊文(通称は助六,17791833)が,蘭山著『本草綱目啓蒙』植物部の大増補を企てた著作である.項目ごとに『啓蒙』の主要な文を転写し,自己の得た知見・方言を追加,『啓蒙』に無い写生図や印葉図も付した.參考にした資料 NDL 公開本は転写本である.
『本草綱目記聞』の「隰草類」には,「オオウツシバナ(オオボオシバナ)」が,単独の項目として初めて取り上げられている.
前半の記述は豊文の師,蘭山と同一であるが,後半には豊文が聞き取ったとみられる栽培法・青紙の製造法が追加されている.特に摺る際に「」を入れるというのは,ケンペルやツンベルクの記述(”Petala cum furfure oryzae mixta humectantur”, Blog-2, 3)と関連があるのかもしれない.
オホウツシバナ アヲバナ
鴨跖草 一種
江州栗本郡山田村ノ名産ナリ.形ボウシグサニ同シテ.大ナリ.苗ノ高サ三四尺.花大サ一寸余、毎朝辧ヲトリ、直ニ搾リテ紙ヲ染、四方ニ賣出ス.
山田ノアヲバナト呼ブ.又ボウシガミ,ア井ガミト云.
衣服ノ下繪ヲ畫クニ必用ノモノナリ。此紙ヲ切リ、皿ニ水ヲ入テ絞レバ,青キ汁出ルヲ用テ,衣服ノ花様(モヨウ)ヲ畫キ,糊ヲオキテ,染汁ノ内ニ入レハ,皆消去ル.又扇面ニモ用ユ.色鮮紅ナレトモ水力カル時ハ皆脱去ス.舶来羊皮灯ノ彩色ニモ用ユ.火ニ映シテ鮮明ナリ.

江州ニテツクル法.実ヲ小便ニヒタシ置二月下種シ,肥シニハ,タクワンヅケノ塩水ヲカケル.
ボウシガミヲ製スル法.天氣ヲ見合,朝露ノ間ニ花ヲトリ,スリバチニ入,少シヲ入テスリ,ヌノ袋カ,モメン袋ニ入,ヲシヲカケ,絞リ其汁ヲ,カラスノ羽ニテ美濃紙ニハキ,莚ノ上ニノセテホシ乾シテ,又ハキ,數度如此シテ,ア井ガミトナル.」

江戸下谷生まれの幕臣★岩崎灌園(17861842)著作で,野生種、園芸種、外国産の植物の巧みな彩色図で、余白に名称・生態などについて説明を付し、『本草綱目』の分類に従って配列している『本草図譜(刊行1828-1844) の「巻之十七 湿草類」には,ツユクサの一種「たうぼうし(帽子)」として,オオボオシバナが記述されている.Blog-2 に記したように,四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録』(1733) の「巻之二△草花の部」には「大寫花(おほうつしばな),うつし花ともいふ」とあり,中国からの渡来品とも考えられていたようだ.
鴨跖草(あふせきさう) つゆくさ 尋常(つね)の物」
(略)
「一種 たうばうし 尾州

大和及近江の栗本郡山田村にて植るものハ,苗葉大にして高サ二三尺直立す.花も尋常(つね)の品より倍せり.此花を早朝に摘て汁を絞り紙に染むるを,あをがみといふ.染家(こうや)の下繪に用ひ,また燈籠等の画具に用ふ.」(適宜,改行・句読点等を挿入)

小野蘭山の孫で,蘭山の講義を『本草綱目啓蒙』48巻にまとめ刊行した★小野蕙畝(職孝)『救荒本草啓蒙』(1842)の「第二巻」には,
竹節菜 即鴨跖草
              つゆくさ あおばな おもひぐさ
              もヽよぐさ はなだぐさ ツミクサ 以上古歌
              つやくさ 倭名抄
原野ニ極テ多シ春月苗ヲ生ス莖地ニ布テ節ゴト
ニ葉互生ス形竹葉ニ似テ厚軟夏月枝梢ノ葉間ニ
花ヲ早天ニ開キ午前ニ凋ム深碧色ニシテ二辧ナリ
江州栗本郡山田村熟地ニ作リ辧汁ヲ採リ紙ヲ染
テ四方ニ賣出ス名産トス此種尋常ノ者ヨリ苗莖
トモノ長大花モ亦大ナリ毎朝花辧汁ヲ搾リ紙ヲ染
ム是ヲアイガミト云衣服ノ下繪ヲ畫ク必用ノ者
ナリ此紙ヲキリ皿ニ水ヲ入レ絞レバ青汁出ルヲ
用テ衣服ノ模様ヲ畫キ糊ヲオキ染ルトキハ自然ニ
消去ル又扇面ノ畫具トス舶來羊皮燈ノ彩色ニ用
ユ燈火ニ映シテ鮮明ナリ」
とあり,オオボオシバナに関しては,ほゞ『本草綱目啓蒙』と同じ内容が記されている.

2018年7月25日水曜日

オオボオシバナ(3)Thunberg “Flora Japonica”, 伊勢參宮名所圖會,東海道名所図会,人物東海道,梅園草木花譜


Commelina communis var. hortensis
茨城県南部 植栽 2017年7月

オオボオシバナという名前は明治以降に一般的になったらしく,それ以前はツユクサとの明確には区別されずに,あるいは「アオバナ
-青花」や「大寫花」などと呼ばれていた.
この花の花弁を摘んで,絞って,和紙に何回も塗り重ねたものが「青紙」で,この紙を切り,水で色素を抽出し,染め物-主に友禅染-の下絵を描くのに用いられた.下絵は跡形もなく水に溶けて失われるという特性を生かした利用法であった.
一方,光を通しても,青色がくすまないので,羊皮紙を使った燈籠の着色に用いられたという記録も残る.

リンネの弟子で,1775 1776年,出島の医師として滞日し,帰国後リンネの後を継いでウプサラ大学の学長になった★カール・ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828) の『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784)には,ツユクサ属の植物として「ツユクサ」に,リンネの附けた学名 Commelina communis(現在も有効)が記載されている.日本名としては,ケンペルの記載の外に,Jaragara Tsujukusa(ハナガラとツユクサ)が記されている.またその利用法(Usus)として,「花からはウルトラマリンの絵具が作られる.花辧は米の汁(米酢?)と混ぜられ,絞られる.得られた液はきれいな紙に塗られ乾かされ,この工程を何度か繰り返して製品となる」とあるようで,この製造法は,オオボオシバナを用いた近江栗太郡の青紙製造の工程そのものである.
“COMMELINA,
communis
C. corollis inaequalibus, foliis ovato lanceolate-acutis, caule repente glabro.
Commelina communis. Linn. sp. Pl. p. 60
Japonice: Koo Seki, Jaragara, Skigusa, Tsugusa et Asango, it. Tsujukusa.
Koo Seki, vulgo Skigusa et Tsugusa, aliis Asango. Kaempf. Am. ex. Fafc. V. p. 888. fig. p 889.
Crescit in Dezima et prope Nagasaki copiose, inque utraque insula Kosido dicta.
Floret  Augusto, Septembri, Octobri.
Usus  florum pro ultramarino conficiendo. Petala cum furfure oryzae mixta humectantur et massa paullo post exprimitur. Expresso succo immergitur charta pura et humectata siccatur, vicibus toties iteratis, donec ipsa charta pro colore valeat.”

京都三条大橋から伊勢神宮までの道中の地誌や名所・名物を記し,参拝客の遊山の助けにした★蔀関月『伊勢參宮名所圖會(1797) の「巻之二」には
「附言 草津より石部(いしべ)までの間(あいだ)凡百ケ村にも及(およ)びて青花紙(あおばながみ)を制(せい・まゝ)す.是近江一國の名産(めいさん)にして,月草の花を以て紙に染浸(そめひた)す.其草の名(な)俗(ぞく)に露(つゆ)草叉うつし花ぼうし花ともいふ.」
とあり,草津山田郡付近では,青紙が「近江一國の名産」として多くの村で作られていたとある.「うつし花」がオオボオシバナの別名として記されている.

★秋里籬島(あきさと・りとう)『東海道名所図会』(1797年)は,籬島の手に成る「名所図会」シリーズの6作目.京都から江戸に至る東海道の宿駅・街道筋の名所・旧跡・名物を文献と実地調査に基づいて網羅し,大本(26×18cm程度)の画面に絵入り(名所の全景に風俗画・歴史画を加える)でまとめたもので,その「巻之二」の近江地方の部には
青花(あをはな)ハ山田草津辺の
名産(めいさん)にして,漢名(かんめい)を鴨
跖草(おうせきそう),花を碧蝉花(へきせんくハ)
といふ.六七月頃に花を
摘(つ)んで紙(かみ)に染(そめ),もやう染(そめ)の
下繪(したゑ)に用ゆ.萬(よろず)の花ハ
朝日かけに咲(さ)くを,此花は
月影(かけ)に咲(さ)けば月艸(つきくさ)といふ.又露草(つゆくさ)とも呼(よ)ぶ.」とあり,図には「畑・摘花・紙に塗る・青紙を乾かす」の工程の外,花汁を搾る道具も描かれている.(原文にはない句読点を適宜挿入)
また,「碧蝉花」という,名も記録されている.
「東海道五十三次」で有名な★歌川広重(1797 – 1858)の種々の「東海道」シリーズの一つ『人物東海道』(1820)と呼ばれている浮世絵は,東海道の宿場近郊の風景と人物を組み合わせたモチーフからなっている.その「草津」には,「青花摘」の画題で,朝まだきに女性二人が「オオボオシバナ」の花をつむ風景が描かれている.朝日が琵琶湖を隔てた,比叡山を主峰とする山の稜線を茜色に染めている,夜明けからの,腰を曲げての労働は,画材にはよいが,大変だったであろう.

★毛利梅園(1798 1851)著『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 1849)の「夏乃部七」には,当時の草木図としては珍しく,日付(丁未:1847年六月十六日)の入った写生圖で,直立した太い茎と広い葉のオオボオシバナの特徴がよく捉えられている.またこの花から青紙が作られる事も認識されている.

「救荒本草及和漢三才圖會曰
翠胡蝶(スイコテウ)アヲバナ
異名 竹節菜 翠娥眉 ●(竹冠+且)竹花
大ツユクサ ○大寫花(オヽうつしはな) 藍花(あいはな) 唐(から)うつし花(ハナ) 花紺青(はなこんぜう) 以上地錦抄

翠胡蝶用其花汁濃者(ヒタシ)
染ル青紙亦為呼曰
青花色淡(ウスキ)形狀相

丁未六月十六日於
庭園寫」

2018年7月19日木曜日

オオボオシバナ(2)-仮 青花紙,毛吹草,日本鹿子,大和本草,大和本草,廻国奇観,和漢三才図会,廣益地錦抄,地錦抄,附録,物類品隲

Commelina communis var. hortensis

オオボオシバナという名前は明治以降に一般的になったらしく,それ以前はツユクサとの明確な区別なしに記述されたり,あるいは「アオバナ-青花」や「大寫花」などと呼ばれていた.この花を摘んで,絞って,和紙に何回も塗り重ねたものが「青(花)紙」で,この紙の一部を切り取り,水で色素を抽出し,その液で工芸品の着色に,また特に染め物-主に友禅染-の下絵を描くのに用いられた.下絵は跡形もなく水に溶けて失われるという特性を生かした利用法であった.

今の滋賀県草津市近辺での特産品として「青花紙」が,江戸中期,17世紀前半には記録に残っている. この「青花紙」がツユクサから得られた可能性もあるが,特産とするには,他の地方とは異なった特性を持つ製造法が存在したと思われ,それは「オオボオシバナ」の栽培と考えられる.

オオボオシバナは適度の湿度を持つ肥沃な畑で育てられた.「青花紙」の製造,特に花辧の早朝からの採取は大変な労働で,しかも工程を短時間で行わないと色素の劣化が起こるため,地元江州栗太郡では「地獄花」とも呼ばれていた.

現在では殆ど栽培・製造をする農家はいないとの事.そのため,沃素と澱粉の呈色反応を利用した「化学青花液」と呼ばれる下絵用の液が販売され,「青花液」は高級な染め物以外には使われていない.

江戸時代の俳諧論書★松江重頼『毛吹草』(1645)巻第四
「從---物聞-觸見-及類載之但--
近江 東山道
蛇骨(じゃこつ) 蟬●(流のさんずいを虫)(せんたつ) 苅安(かりやす) 辛灰(からはい) 石灰(いしばい) 滑(なめし) 蜩大豆(ひぐらしまめ) 納小豆(おさめあづき)世俗に是を大納言と云 (中略)
青花紙(あおばながみ)(後略)」と,近江地方の特産品として青花紙を紹介している.

元禄4年刊★磯貝舟也撰『日本鹿子』(1691)の「巻第八 東山道 八ケ国之内 近江国」の部の「同国中名物出所之部」の項には「○青花紙(アヲハナカミ)露草ト云草の花を取て紙を染そのかみを志ほりてこんやにてうわゑをか くなり当こくより諸国へ出すなり」とある.
同書は1412冊より成る日本全国の地誌であり、国ごとに知行高、城郭、陣屋、寺社、名所旧跡、名物、道のりなどを略記し、地図や名所の風景を挿絵で加えてある。
この「青花紙」が近江特産となっているのは,この地方では「オオボオシバナ」が栽培され,効率よく青花紙が製造されたからだと考えられる.

★貝原益軒『大和本草(1709)
「巻之九雑草類」
鴨跖草(アヲハナ)
葉ハ竹葉ニ似タリ花ノ形ハ鳳仙花ニ似テ碧色ナリ 和名月草トモ露草トモ云 苗ノ性大寒腫気ヲケシ熱ヲ消ス 蛇犬ノクラヒタルニツケテヨシ 花ハ用テ絵ヲカク 藍ノ色ノ如シ 水ニテ洗ヘバヲツル故下絵ヲカクニ用ユ 又和名ウツシ花トモ云 鈍(ニブ)色トハウツシバナニテ染ルヲ云 又白花アリ」
とツユクサの花の染料・絵具としての利用法について言及している.

長崎出島に医師として 16901692年滞日し,多くの日本の植物の記述を残した★エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651 - 1716)の『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae , 1712)には,ツユクサについて,跖鴨 Koo Sĕkĭ, vulgo Skigusa et Tsugusa, aliis etiam Asango 鴨跖 おうせき 俗に スキグサ 或は 月草 又は アサンゴ)という日本名を持つとし,その利用法として
“Usus florum est pro ultramarino conficiendo: cuius petala cum furfure oryzae mixta humectantur; massa paulo post exprimitur; expresso eius succo immergitur charta pura, et humectata exsiccatur; quod toties iteratur, usque dum ipsa charta pro colore valeat.”
とあり,花弁からウルトラマリンの色素が取れて絵を描くのに用いられる.(途中意味がつかめず).きれいな紙をこの汁に,何度も浸すと,価格が高い絵具になる.と書いてあるようだ.
ケンペルが短期間の長崎の滞在で興味をもつほど,青紙は長崎の市場に出回っていたのであろう.

★寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)の「鴨跖草(ちくさ・あをはな)」の條に
「鴨跖草(かうやのおめん,ちくさ,あをくさ)
芩鶏舌(きんけいぜつ)草,碧竹(へきちく)子,竹鶏草,竹葉菜,碧蝉花(へきさんか),淡竹葉,耳環草,藍姑(らんこ)草
本綱、鴨跖草は処処の平地に之れ有り。三四月に苗を生ず。紫の茎、竹の葉、嫩き時食ふべし。四五月に花を開く。蛾の形の如く両葉翅の如く、碧色、愛づべし。(中略)
△按ずるに、鴨跖草(和名、都岐久佐)は、俗に云ふ知久佐なり。処処に多く之れ有り。其の花汁の濃き者を用ゐて染紙を浸す。呼びて青花と曰ふ。畫の具と為す。勢州より之れを出す。江州多く作り出す
古狀 世の中の人の心はつき草のうつろひやすき色にそ有ける
翠胡蝶は即ち鴨跖草の一類か。(末の巻に見ゆ)」(読み下し文)
とあり,オオボオシバナをツユクサ(鴨跖草)と区別していないが,画料として使われる「青花(紙)」が「勢州」でも産するが「江州」の特産としているので,この「青花」はオオボオシバナ由来であろう.
なお,「日本植物方言集成」では,「あおばな」は滋賀県における「オオボオシバナ」の地方名とされ,ここ以外ツユクサを青花と呼ぶ地方はない.

★伊藤伊兵衛『廣益地錦抄(1719)の「巻之八 花木草花三十九種」には,
寫花(ウツシハナ) 一名あを花とも叉つゆくさともいふ 花形は鳥のかしらのかたちにて鳥のくちばしあるがことく花の色こいあさぎ色 花をとりて繪具(エグ)とす こんぜうの色を染る繪出て後おちやすし 水にあらひておつるゆへ下繪を書クに用ゆ されハうつし花といふ 野邉に多く生るは葉青し 是ハ青葉のうちに雪白の筋多く有て嶋のごとく はなよりまきりてなかめ有り根は冬かる、たぬをとり置春まくべし」
とあり,「つゆくさともいふ」とあるが,添付図はオオボオシバナのように思われる.

★四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録(1733) の「巻之二△草花の部」には
大寫花(おほうつしばな)
うつし花ともいふ 草立大くして三四尺ばかりにのび立葉大く花大りんにしてほうせん花の輪ほどあり ながめしよし 六月咲さかり久しき物なり 花を取りて絵具(えぐ)とす
とあり,中国からの渡来品と考えられていたようだ.草丈は1メートル近くあるとして,オオボオシバナのそれと一致する.染料・絵具の実用以外にも観賞価値も高く評価されている.

★平賀源内『物類品隲(1763) の「巻之三 鴨拓草」には,「○近-江栗-本郡山田村産葉ノ長サ六---辧大サ寸ニ近シ-人多-植テ利トス六月十三日ヨリ七月十三日ニ至テ花ヲ採ノ侯トス挙テ-家野ニ出テ花ヲ取リ汁ヲ●(手偏+容,シボ)リ紙ヲ染是ヲ青--紙ト稱シテ四-方ニ鬻(ヒサ)ク*其ノ製傳アリ」(*鬻(ヒサ)ク:売る,商う)とオオボオシバナが近江地方で商品作物として栽培されていて,青紙にするには秘伝がある事を記している.

オオボオシバナは花弁が大きく(ツユクサの8-10倍),立性の為にツユクサに比すれば花は摘み取りやすく,開花期には毎日新しい花を咲かせるため収量が多く,商品作物としての栽培に適する.
しかし早朝に開花した花はその日の昼頃には萎んでしまう上,搾り取った汁はその日のうちに紙に塗らないと変質してしまうため,青花摘みと青花紙作りは酷暑の中,長い休憩の取れない作業が連日続く過酷な作業であった.このため生産地では別名,地獄草,地獄花とも呼ばれた.
近代,ヨウ素デンプン反応を利用した「化学青花」が代わりに用いられるようになり,青花紙の需要は減り,オオボオシバナの栽培量も減少した.