2012年4月27日金曜日

クサノオウ(3/3) ディオスコリデス,プリニウス, 欧州本草 Swallow-wort,ツバメの薬草

Chelidonium majus 

クサノオウは西欧でも古くから薬草として使われ,ギリシャのペダニウス・ディオスコリデス(40- 90) の『薬物誌 De Materia Medica』の「2巻 刺激性のある薬草 (HERBS WITH A SHARP QUALITY)
「211CHELIDONION Chelodonium maius クサノオウ」 の項には
「大型のケリドニア(Chelidonia)は,葉がいっぱいに繁った小枝をもつ,1キュービット〔約457cm〕あるいはそれ以上の高さになる細い茎を出す.葉はラヌンクルム(Ranunculm)に似ているが,それよりは柔らかく,いくぶん空色がかっており,アラセイトウ同様,すべての葉腋に花が一つずつ付く.搾り汁はサフラン色(濃黄色)で,刺すように辛く,少々苦味があり,強烈な匂いがする.根は,上部では1本であるが,下の方では多数に分かれており,サフラン色(濃黄色)である.実はツノゲシに似ていて,ほっそりとして長く,その中に,小さな種が入っているが,その種子はケシの種よりは大きい.
搾り汁をハチミツツと混ぜて真鍮の壷に入れ,石炭にかけて煮たものは,視力を増す作用がある.夏のはじめに葉と根と実から汁を搾り,その後,陰干しにし,小さな丸薬に製剤する.根をアニスといっしょにブドウ酒で飲むと,黄疸を治し,ブドウ酒と混ぜて塗ると疱疹を治す.また噛めば歯痛を和らげる.
これがケリドニアと呼ばれるもので,ツバメが姿を見せると同時に地面から芽を出し,ツバメが旅立つ頃に枯れることから,そう呼ばれるのであろう.ツバメのヒナのなかに眼のみえないものがいると,母鳥がこの薬草を運んできて,その眼を治すともいわれている.
これはまた(ギリシャでは),paeonia, crataea, aoubios, glaucios, pandionis radix, philomedion, また othonion とも呼ばれ,ローマ人は fabiumガリア人はthona,エジプト人は mothothそしてダキア人はcrustane と呼んでいる.」とある.

ローマ時代のガイウス・プリニウス・セクンドゥス(22 / 23 79)の 『博物誌 Naturalis historia(77 A. D.) にも“ケリドニア” の名で記載されている.

プリニウスは,名が鳥のツバメに由来するとして,「50 ケリドニア(Chelidonia
動物も植物を発見したことがある.なかでも主なものはケリドニア(chelidonia, クサノオウ)である.ツバメはこの植物を用いて巣の中の雛の眼を治すし,ある人がいうには,眼がくり抜かれてしまったときでさえも視力を回復させる.これには二種類がある.大型のものはよく茂り,葉は野生のニンジンに似ているが,もっと大きい.それ自体は高さ二クビトゥム(two cubits high)で,明るい色をしていて,花は黄色である.小型のものの葉はツタに似ているがもっと丸くて,(大型のに比べると)もっと色が濃い.その汁はサフランの汁のように苦い.種子はケシのそれに似ている.
これら二種ともツバメが来るころに花を咲かせ,去るころに枯れる.花の咲いているときに汁を搾り,アッティカのハチ蜜(Attic honey)と一緒に銅の器に入れて熱い灰でゆっくりと煮ると,目のかすみに対して最良の治療薬となる.汁はそれ自身でも,また,この植物に因んでケリドニア(chelidonia)と呼ばれる眼薬(eye-salves)としても用いられる.」とし,その他にも,蛇の咬傷(ブドウ酒に入れて),虫歯(根をつぶし酢漬けにして),腺腫(オオバコの葉と共にハチ蜜とブタの脂を加えて)に薬効があり,化膿や腫れ物や凹みのできる潰瘍を乾燥させる効果がある.と記している.
ここに出てくる「小型のケリドニア」は同じ時期に黄色い花をつけるキンポウゲ科の Lesser Celandine (Ranunculus ficaria 右図) と考えられる.
クサノオウはこれ以降,薬草としてフックス,ライトはじめ欧州本草書には必ずと言っていいほど収載された.(左図).

ジョン・ジェラード(1545 1611 or 1612)は『本草あるいは一般の植物誌 The herbal, or, General Historie of plantes (1597) で,クサノオウは眼の疾病・障害に対するよい治療薬であることを認めながら,一年中あるので,名前の由来はツバメが来るときに咲き,去るときに枯れるからではない.とし,また,雛を親から離して人が育てても目が開く事から,親ツバメがこの草を雛に与えて目を開ける手助けをする事を否定した.一方薬効としては,ほぼプレニウスの記述を踏襲し,また歯痛の際には根を噛むことなどとした(右図).

英国では現在は春の到来を告げる花の一つとして親しまれ,ルース・レンデルは『聖なる森』で,主人公のウェクスフォード警部が,孫息子を学校に送る途中の情景として「いまは四月、木々は緑と淡い琥珀色にかすみ、五月になれば青いツリガネソウ*で一面に敷きつめられるフラムハーストの森では、いずれも鮮やかな金色のケシ科のクサノオウやトリカブト**が点々と森の地面をいろどっている。」(吉野美恵子訳,ハヤカワ・ミステリー  1999)と,バイパス建設のために失われそうな豊かな英国の自然を描いている.続編の『聖なる傷跡』 (2002) では,バイパス建設の中止で救われた森の春の情景としてほぼ同じ文章が現れている.
(注 *Bluebell, Endymion non-scripta ブルーベルのことか **Winter Aconite, Eranthis hyemalis キバナセツブンソウのことと思われる)

2012年4月24日火曜日

サクラソウとアゲハチョウ(キアゲハ)

Primula sieboldii & Papilio machaon
昨年の早春に通信販売で購入したサクラソウ苗10種,無事に夏と冬を越して,昨年は咲かなかった「笑布袋」(画像右手)にも花がつき,種々の色や花弁の形で咲き競っている.そこに,この上天気に誘われて,アゲハチョウ(キアゲハ)のお客様が.人目も畏れず次々と花を変えては吸蜜し,一寸離れては舞い戻る.羽化したばかりとみえ,まさにぴかぴかの一年生のよう.

『和漢三才図会』のアゲハチョウの挿絵も,良く眺めるとサクラソウを訪れているように見える.(左図,右)

寺島良安『和漢三才図会』(1713頃) 「鳳蝶(あげはのてふ)鳳子車 鬼車 〔和名は保保天布(ほほてふ)〕〔俗に阿介波乃蝶という〕
催豹の『古今注』に、「それは蝙蝠ぐらいの大きさがあり、黒色であったり青斑があったりする」とある。
△思うに、鳳蝶は柑・橙の木の枝葉にいる大きいきくいむしで、身体に白い輪文様がある。羽化して鳳蝶となる。黒色に白点があって稀に飛んでいるのをみる。胡蝶のように数は多くはない。
『(嶺南)異物志』に、ある人が南海で鋏蝶(あげはちよう)を見たが、大きさは蒲(がま)の穂ぐらいもあり、その肉をはかってみると八十斤もあった。これを食べてみると極めて肥美であった、とある。」(島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫)

2012年4月21日土曜日

クサノオウ(2/3) 薬効 アリ散布植物

Chelidonium majus

クサノオウの名前は,皮膚病の「くさ(湿疹)」を治す薬効があるために,「くさ(瘡)の王(おう)」と呼ばれるようになったという説があるように,民間では皮膚病の治療に用いられ,地方によってはタムシグサ,イボクサ,チドメグサ,ヒゼングサ(皮癬草)などと呼ばれる.一方本草では5~7月の開花時に地上部を刈り取り,通風のよい所で乾燥したものを白屈菜(はっくつさい,Chelidonii Herba)といい,鎮痛,鎮咳,利尿,解毒薬とし,胃の疼痛,胃潰瘍,肝臓病,黄疸,水腫,百日咳,気管支炎などに用いる(1日2-6g,煎用).また,新鮮葉の液汁を外用して,はれもの,いぼ,虫や蛇による咬傷などに用いる.

成分としてはケリドニン(右図),プロトピン,ケレリトリンなどのアルカロイドが数多く知られていて,薬理実験でケリドニンは各種平滑筋に弛緩作用と弱い血圧降下作用があり,中枢神経は抑制する.これらのアルカロイドにはいずれも毒性があり,多量に服用しすぎると昏睡を起こし,血管運動中枢が麻痺したり,強い腹痛を起こすので,民間での内服は絶対に避けるべきである. 上図右:長塩某製『礫川(小石川)官園薬草腊葉』(1813),上図左:泉本儀左衛門著『本草要正』(1862).

中国では,「白屈菜,雄黃草,觀音草」と呼ばれ,「用途: 全草和根均供藥用。根能破瘀止痛,主治勞傷瘀血、月經不調、痛經等症。帶根全草能消腫、止痛、解毒,主治蛇咬傷、瘡癤、疔毒,多用為鎮痛藥,治胃腸疼痛及潰瘍等症。也可制農藥,干品研粉撒布,可防治地蚤類害虫﹔將全草放入燒著的火堆中,可熏治果園中的無腳蜥蜴類害虫及菜園中蝶類害虫﹔鮮品加熱水浸汁噴洒,可防治蚜虫和甲虫。用,可作芳香劑。(人民網科技)」と鎮痛,止血,解毒,咬傷に用いるほか,日本と異なり,粉砕して,或いは燻蒸剤または液剤に加工して害虫を寄せ付けない農薬として使うところが興味深い. 

また,クサノオウの種は,スミレなどと同様にエライオソーム(カルンタラ,種阜(しゆふ),種枕(しゅちん),種冠(しゆかん)ともよばれ,珠柄・胎座などの一部が変化したものといわれる)と呼ばれるやわらかい多肉質の付属物をもち(左図),この付属物を好むアリを利用して種子を散布する.田中真一氏(1923,植物研究雑誌第 3 巻 1 号)はキケマン,クサノオウの 2 種子を新聞紙上に乾かしておいたところ,しばらくして無数のアリが集まってきて,各自 1 個ずつ種子をくわえ,四方八方に運んで行くのを見た.クサノオウの種子を運んだのはトビイロケアリ,キケマンの方はタロクマアリで,アリはこれらの種子をいちどは自分の巣の中に運びこむが,やがて種子だけを外に運びだした。つまりアリは巣の中で種冠だけを食い,あるいは貯えたのち,種子を廃物として外にすてるらしいのである。キケマン,クサノオウなどのいやなにおいはアリに好まれるらしいとも書いている。
クサノオウが岩塊の間や石垣の隙間によくはえるのは,種子がアリに運ばれたからであろう.こうした「アリ散布植物」は日本ではクサノオウ,スミレの他,カタクリ,エンレイソウ,カンアオイ,ホトケノザ,スズメノヤリ,ニリンソウ,フクジュソウ,エンゴサク,ムラサキケマン,ヤマブキソウ,イカリソウなど,さまざまな科にわたって 200 種以上が知られているそうだ.

ローマ時代のプレニウスや英国古本草書でのクサノオウの記載は,クサノオウ(3/3)

2012年4月17日火曜日

クサノオウ (1/3) 白屈菜 救荒本草,大和本草,和漢三才図会,広益地錦抄,東莠南畝讖,尾崎紅葉,泉鏡花『白屈菜記』

Chelidonium majus
春に石垣や民家に近い野を彩る鮮黄色の花をもつケシ科の植物.ケリドニンなどのアルカロイドを含む有毒植物だが,古くは「白屈菜」の名で,救荒植物として食用にも用いられた.切り口から出る乳液を皮膚病やイボ,できものの治療に使われたほか,江戸時代には庭に観賞用として植えられた.

明時代に周憲王が編纂した『救荒本草』(飢饉の際,食用となりうる植物を絵図を加えて注疏したもの)に「白屈菜」が記載され(左図,茨城多左衞門等刊 享保元),食用とすることは出来るが,十分な前処理によって有毒成分の除去が必要とよめる.この「白屈菜」が日本にも原生している「クサノオウ」と同定され,記述が日本の本草書に受けつがれた.

クサノオウが現存する日本の文献に現れたのは,日葡辞書(1603-4)とされる(磯野直秀).

貝原益軒『大和本草』 (1709) 巻之九雑草類の「白屈菜クサノワウ」の項には『救荒本草』の引用に続き,「葉は菊に似て大なり.菊の葉よりうすし.一葉毎に五にわかれたる内に又岐あり.三四月に小黄花を開く.花四出なり.実を結んで一房に四五莢あり.莢の内に子ある.うえて生じやすし.其茎葉を折れば黄汁いづ.味苦し.今俗に草の王と云.よく瘡腫を消す.その葉をもみてつくる妙薬也」とある(下図右).花は小さいと『救荒本草』と異なる記述をしているのが注目される.

寺島良安『和漢三才図会』(1713頃) 巻第九十四の末 (湿草類)の記述は『救荒本草』ほぼそのままで,図まで剽窃と思われる(右図左).「『農政全書』に、「白屈菜は田野に生える。苗の高さ一、二尺。初めは叢生で、茎・葉はみな青白色。茎に毛刺(はり)がある。梢の頭で叉が分かれ、上に四弁の黄花が開く。葉は大へん山芥菜の葉に似ていて、花叉も極めて大きい。また漏慮(ろうろ)の葉にも似ていて色は淡い.(荒政草部)」とあるが,特に薬用や食用に関しては言及していない.(現代語訳 島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫)

一方,伊藤伊兵衛『広益地錦抄』(1719)巻之四では,「草王(くさのわう) 菜ハ切レ有てうすくやハらかに四季共にあり.葉をつミきれは黄色成汁出る.瘡腫(そうしゅ)にぬりてよくけす妙薬なり.はな黄色春より秋まて段々にさく.實多クありこまふしてはへやすし.一本うゆれば其後ハたねをまかずして多く生る也.実を手にふるれば必鼻ひてくさめをせり.」(下図右)と観賞用・民間薬用として栽培されていいたことをうかがわせる記述がある.

確かに十分な肥料が与えられて大きく咲いた花はエキゾチックで美しいが,欠点は一つの花の咲いている時期が短く,花びらが直ぐに落ちること.左図左は,毘留舎那谷(びるしゃなや)『東莠南畝讖(とうゆうなんぼしん)』(1731)よりの図.


明治の文豪,尾崎紅葉が胃がんで苦しんでいたとき,弟子たちはこの草に薬効があるとのことで探し回ったことが,泉鏡花が明治36年に書いた『白屈菜記』に,「白屈菜採集に就ては、殆ど總出にて、百方渉獵したりけれど、いづれも平生、垣根に琴の主を差覗く風流と、晦日に落ちたるを拾ふ慾心を禁じたるを以て、道のべの草の風情を解せず。折からの萩桔梗こそ夜目にも知れ、草の王の實の小かなるを探り得で、いたづらに、嫁菜の花の紫を歎ち、名さへ狐ざゝに欺かるゝを悔ゆるのみ。云々」と述べられている.実際の効き目は鎮痛作用くらい.
(つづく)

2012年4月11日水曜日

ショウジョウバカマ(2-2) 2つの繁殖法

Heloniopsis orientalisショウジョウバカマは繁殖に,二つの方法をとっている.庭のショウジョウバカマは主に栄養繁殖法で個体数を増やしている.

ショウジョウバカマは花の咲いた後も花被はそのまま残り,色が緑色になるとともに,花茎はぐんぐんと伸び,60~80㌢ほどになる.花被の中央に位置するさく果が裂開すると無数の糸くずのような種子があらわれ,微細な種子は風によって周囲へと四散していく.花茎を伸ばすのは,付いた種をなるべく遠くに飛ばすための作戦と考えられている.1個体あたりに生産される種子数は2000~3000個以上にもおよぶ.種子はその年の秋と翌年の春に発芽するが,実生の生残率はきわめて低く,秋まで生き残る個体はきわめてまれだそうだ.


一方,越冬が終わった時点では,ショウジョウバカマは2年分の常緑葉をつけている.最下層には前々年の春に形成された数枚の2年葉,そしてその上層に前年の春に形成された数枚の1年葉がある.きびしい冬を越すために,これらの葉は耐凍性を増すための可溶性タンパクや配糖体のアントシアンが多量に蓄積されていて,濃い赤紫色となっている(上図).
また地表に接した葉の先端には小さな栄養繁殖体が形成され,根をはっている.この栄養繁殖体はやがて2年葉が脱落すると親植物から離れて独立し(右図),幼植物体として生長する.
この繁殖方法はユリ科植物としては珍しく,貝原益軒の『大和本草』 (1709) には,「シャウジャウハカマ 葉土に付き生す」と記されている.

また,飯沼慾斎の『草木図説』(1852,嘉永5年ごろ成稿)草部巻六,(牧野富太郎増補版 1912)にも,「葉凌冬テ不枯,肥大ノ者ハ,晩秋ニ至テ葉尖毎ニ一稚苗ヲ生ジ,地ニツイテヨク成長ス.」とあり,附図には(八)芽ヲ有セル葉(補)が描かれている(左図).

栄養繁殖による子株には遺伝的多様性はのぞめない.しかし,栄養繁殖で集団を維持していれば,別の遺伝子を持つ個体から,昆虫を介して受粉した種子から発芽した個体が生き残ることのできる条件にいつか遭遇し,そのときに1個体でも新しい遺伝的要素をもった個体が誕生すれば,ショウジョウバカマにとっては十分なのだろう.

2012年4月6日金曜日

ショウジョウバカマ(2-1) 大和本草,和漢三才図会,東莠南畝讖,地錦抄附録

Heloniopsis orientalis
数年前に購入した鉢植えから,ゆっくりと個体数を増やして,毎春可憐な花をつけてくれている.

北方系の植物で,アラスカ・カムチャッカ・アムール地方にも分布するが,適応性が強く,日本では海抜数十㍍の丘から三千㍍級の高山まで分布.花茎の根元に丸く広がった葉は常緑性で,降り積もった雪の下で冬をこす.早春に花をつけるので雪割り草,ユキワリバナ,また6枚の花被片をもつ花が,花茎の先端に多数集まって咲くので,その形からチャセンバナ,カンザシグサなどと呼ぶ地方もある.和名ショウジョウバカマは,謡曲の「猩々」で謡われる,酒を好む霊獣猩々の赤く垂れる髪を赤い花の塊を,葉をその袴に見立てたものという.


薬用とされなかったためか,江戸時代以前はあまり注目されなかったようで,現存の文献に現れたのは,貝原益軒『大和本草』 (1709) に「シャウジャウハカマ 葉土に付き生す 其形此の如く 葉の中より茎を生ず 処々に之有り.」(左図左)と記されたのがもっとも古いようだ.
また,寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)には,「猩猩袴(しょうじょうばかま)  俗称【本名は未詳】 △思うに,猩猩袴は高さ六,七寸.葉は蕙(かおりぐさ)に似ていて短い.五,六月に花を開くが,浅紅色で桜草の花に似ていてやや小さい.」(左図右)(現代語訳 島田・竹島・樋口,島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫)とある.色からサクラソウを連想したのだろう.


磯野直秀慶大教授の『日本博物学史覚え書 XIV』によれば,左馬之助『諸禽万益集』(1717 成)の「和産草類」で室町時代から江戸時代前期にかけて園芸品種化されたと思われる種の一つとして「せうぜうはかま」が挙げられている.
更に,毘留舎那谷(びるしゃなや)『東莠南畝讖(とうゆうなんぼしん)』(1731) には,非常に正確な図が描かれている(右図).

もっとも長文の説明は,四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録』 (1733) にあり,「猩々袴(しょうじょうばかま) 葉は地にしきれんげのごとく ふゆもかれず 葉の中より花四五寸にたち二月咲 花下へ向てうす黄色なり 又かき色なるもあり くれない成はながめよし 花の色はいろいろあり.」とあり,冬でも葉が枯れない特徴も示され,図も添付されている(左図).花色については,「薄黄色・かき色」など種々あるが,「紅色」がもっとも観賞価値が高いとある.江戸後期には花色の多様な園芸種が育てられていたのかも知れない.

ショウジョウバカマ(1)はこちらから

また,「「東アジア・北米隔離分布」概念の契機となった植物の一つとしてのショウジョウバカマについては,私のもうひとつのブログ「Antique Botanical Printに描かれた日本の花」の「海を渡った日本の花 (30) ショウジョウバカマ 「東アジア・北米隔離分布」」に記した.

2012年4月1日日曜日

ツタンカーメンのエンドウ (1) ツタンカーメンのエンドウはツタンカーメンの墓から見出されたものではない

King Tut’s Pea昨年10月に露地播きした,川口市に在住で,退職した会社の先輩 H 氏より頂いた種から育ったツタンカーメンのエンドウが花をつけた.昨年育てた「赤花蔓あり鞘豌豆 アカバナツルアリサヤエンドウ」とは花はよく似ているものの,茎や花茎,萼に紫色の斑点が入り,雰囲気が違う.

一般的には 1922年にツタンカーメンの墓から副葬品と共に発見された豆から発芽したエンドウの子孫といわれているが,これは大いに疑わしいというのが定説.
一つには副葬品に,えんどう豆がありこれが発芽したという考古学的な記録や証拠がないこと(the seed heritage experts at Kew Gardens say that “To the best of our knowledge, none of these stories is strongly supported by archæological evidence.”
 吉村作治氏「ツタンカーメン王墓からエンドウ豆は出土していませんとしか答えようがない」).
もうひとつには,エジプトの王家の谷の墓のような,人工物が原型をとどめる乾燥した場所は,種子の保存場所としては適していない事が挙げられる.
一方,19世紀から20世紀初頭のエジプトでは,お土産品として地元のエンドウが「ミイラのエンドウ」として広く売られていた.
また,カーターによるツタンカーメンの墓の発掘を財政面で支援し,(謎の)死を遂げた第5代カーナヴォン伯ジョージ・ハーバートの領地が原産地のエンドウに,その功績を讃えるためにツタンカーメンの名前を入れたという説もある.

植物に興味を持ってもらうための,ジョークやロマンとして楽しむには宜しいかもしれないが,科学的根拠には乏しいようだ.

欧米では簡単に “(King) Tut’s Pea ”と略されるが,画像を見るといくつかの種類があるようで,その中には真っ青い花をつけるレンリソウの仲間もあり,むしろこちらの方が異国的で,青いヤグルマギクの花束が,若くして残された王妃の捧げ物として発見されたツタンカーメンにはふさわしい様に思われる.


なお,日本に入り拡がった経緯については,中島氏の「ルーツその1」に詳しいが,その一部を引用すると
「昭和31年の夏のことです。アメリカに住むイレーヌ ファンスワーズ夫人より、日本から送られたサクラの種のお礼に、「世界友の会」の木下乙市さんに、二十粒(二百粒との説もあります)の「ツタンカーメンのエンドウ」の種が、その由来を書いた手紙を添えて届きました。(中略) そのエンドウの栽培に成功したのが、水戸の大町修治さんです。園芸好きのお父さんの援助が大きかったようです。大町さんは収穫したエンドウを「世界友の会」に送り返しました。それから日本各地に広がることになったのです。(後略)」とのこと.

なった実の莢は黒紫色.色素については「ツタンカーメンのエンドウ (2)」「ツタンカーメンのエンドウ(3)」参照.