2016年12月27日火曜日

2017年 酉年年賀状



毎年,Antique Botanical Print のコレクションの中から,その年の干支の名にちなんだ花の図を賀状のイラストに使って,一部の方には楽しみにして頂いている.12年前の酉年には「鶏頭」の図を採用したが,ニワトリの名の植物のプリントがないので,「トリ」及び「鳥類」まで広げて,上記オオボウシバナの漢名が「鴨」を含んでいる「鴨跖艸の一種」と書かれているので,これを用いた.(鴨跖艸とは,ツユクサの事.跖とは足の裏).なお,「洋種」というのは画家の誤解.

他には,以下の三枚があったが,トリカブトは縁起が悪いし,メギは刺が多いので,却下.


左より
    Berberis thunbergii, “Curtis’s Botanical Magazine”, Plate 6646 (1882)
「メギ(メギ科)」別名「コトリトマラズ」
    Aconitum stoerkeanum, Thome O. W. “Prof. Dr. Thome's Flora von Deutschland, Oestrreich und der Schweiz in Wort und Bild fuer Schule und Haus, Mit 160 Tafen in Farbendruck, auch Originalzeichnungen von Walter Mueller in Gera.” Gera-untermhaus. Verlag von Fr. Eugen Koeler. XIII, 2. 58, 254 (1886)
トリカブト」の一種
    Aconitum fischeri, “Curtis’s Botanical Magazine”, Plate 7130 (1890)
トリカブト」の一種

2016年12月20日火曜日

オシロイバナ-7 『遠西醫方名物考』-2 ヤラッパと誤考定.ヤラッパの処方・主治.駆虫藥としても.葯剌巴華爾斯(ヤラッパ樹脂)の製法

Mirabilis jalapa

シーボルトの来日前からヤラッパ根はじめ多くの西洋医薬品が主に中国経由で輸入され,薬種店で売られていた.ヤラッパ根やヤラッパ樹脂はその強い薬効ゆえ高価で取引されたと見え,偽物や偽薬も売られていて,以下の書には真物の見分け方も記されている.

宇田川榕菴
藤浪剛一編『医家先哲肖像集』
(1936)NDL
★宇田川玄真 (1769-1834) 著,宇田川榕菴 (1798-1846) 校補『遠西醫方名物考』(1822) には,西洋の薬物が名前のイロハ順に記載され,産地や形状,製法,薬効,処方が述べられ,西洋の薬学を集大成した書として日本の医学に計り知れぬ貢献をした.その「巻之十 〔也〕」の部には,蘭藥の下剤(瀉下薬)として尋用されていたヤラッパ」の記事がある.その中で榕菴は「オシロイバナ」を「葯剌巴(ヤーラッパ)」と誤考定し,和産の葯剌巴(オシロイバナの根)に薬効がないのは,気候のせいで根が大きくならないためであろうとし,舶来特にインド及び米国の品を推奨している.

既に〔形状〕と〔物〕については,「オシロイバナ-5 『遠西醫方名物考』-1」に述べているので,以下に[主治〕を記す.この項には瀉下作用の他にサナダムシの駆虫作用もあることが取り上げられている.ヤラッパ根にはサントニンなどとは異なり,直接の駆虫作用はないものの,瀉下に伴い,寄生虫が排泄されるものと思われる.

巻之十 〔也〕」
葯剌巴(ヤーラッパ)羅 「ヤーラッペ」蘭
〔形状〕(略,『遠西醫方名物考』-1
〔物〕(略,『遠西醫方名物考』-1

[主治〕根性熱.味辛.留飲停水.粘液膽液ヲ瀉下シ又小便ヲ利ス故ニ水腫ニ多ク良効ヲ稱ス
〇黄疸痛風傷冷毒痛ヲ治ス
〇體中粘液或ハ水液過多ニシテ血液ノ運行怠慢ナル症或ハ粘液腫或ハ粘壅滞シテ發スル諸症等總(スベ)テ粘液諸病ニ効蟲ヲ殺シ殊ニ絛蟲*(スンバクチウ)ヲ驅泄ス  *サナダムシ
〇壯實ニシテノ壅塞アル等.總テ峻下劑ヲ用フベキ者及ビ壯-熱ナク寒冷ニ屬スル諸病ニ尤
〇此藥甚ダ刺戟衝動スル故ニ脆弱ニシテ感動シ易キ人ハ是ヲ用ヒテ腹痛攣急ヲ發スルコトアリ或ハ肺及ビ腹部諸藏ニ焮衝アル者ハ是ヲ用テ大ニ害アリ
〇葯剌巴(ヤーラッパ)ハ甚ダ粘ル華爾斯(ハルス)ヲ含ムコト多キ故ニ是ヲ服シテ胃腸ノ●(ネ+辟)襀(ヒダ)ノ膠著シテ溶化セザルコトアリ故ニ沙糖或ハ石鹸.扁桃.雞子黄*等ノ石鹼質ノ品ヲ是ニ研和シ良   *雞子黄:鶏卵の黄身
〇服量末トシ五■ヨリ半錢ニ至ル.或ハ他ノ下劑ニ加ヘテヨク瀉下ス或ハ桂ノ少許ヲ加ヘ用ヒ或ハ桂ト山柰ノ末ヲ加テ燒酒ニ浸シ藥氣ヲ出シ用ヒテヨク停水ヲ瀉下シ胃腸ヲ健運ス水腫ニ尤モ驗アリ
〇水煎ニハ一二錢ヲ用フ
〇葯剌巴(ヤーラッパ)ヨリ華爾斯(ハルス)ヲ取リ(製法次ニ出)用ヒテ峻下ノ藥トス然レドモ凡ソ華爾斯(ハルス)ノ下劑中ニ於テ此物.性緩ニシテ害ナシ服量一■ヨリ十二■ニ至ル.五歳以下ノ兒ハ半■ヨリ一二■マデ用フ」水液ヲ瀉下スルニハ是ヲ末トシ十■ヨリ十六■マデ用フ」少年虛人等ノ感觸シ易キ者ハ右服量ノ半バヲ用フ」此華爾斯(ハルス)ノ質.甚ダ膠粘ニシテ溶解シ難キ故ニ是モ亦沙糖.雞子黄*石鹼.扁桃ノ如キ石鹼質ノ品一倍ノ量ヲ加エ用フベシ」丸薬ト爲スニハ石鹼ヲ等分ニ研和シ三■ヲ一丸トシ病ノ輕重ニ隨ヒ一丸ヨリ七丸マデ一服トシ用ヒテ瀉下ノ良劑トス」或ハ此末十六■ヲ適宜ノ雞子黄*ニ研和シ或ハ葡萄酒二錢ニ溶化シ用ヒ或ハ雞子黄石鹼ニ研和シテ丸トシ或ハ雞子黄適宜接骨木花水,遏爾託亞(アルタア)舎利別各二錢ニ是ヲ研和シ一服トス
〇險重ノ咽喉焮腫脳焮衝等ハ初發刺絡*ヲ施シ速ニ右ノ諸方ヲ擇ミ用レバヨク其病毒惡液ヲ下部ニ導泄シテ治ス.是レ初發速ニ用ヒザレバ終ニ薬劑ヲ嚥(ノミ)下スコト能ハザレバナリ」或ハ是華爾斯(ハルス)十六■ヲ燒酒二錢ニ溶(トカ)シ菫菜舎利別三錢ヲ和シ一服トシ用ルモ良 [叔][技][依][伍][叔][福]
*刺絡:刺絡鍼法

葯剌巴(ヤーラッパ).華爾斯(ハルス) 「レ シーナ.ヤーラッパ」羅
 「製法」      葯剌巴(ヤーラッパ)根 粗末  四▲
                          燒酒 三十度者                                 十▲
右硝子壜ニ内(イ)レ固封シ沙火上ニ置キ.時々其壜ヲ振蕩シ浸スコト三日.濾(コシ)テ其液ヲ取リ又其滓ニ燒酒十▲ヲ加ヘ沙火ニ置コト前法ノ如クシ濾テ其液ヲ取リ終ニ其滓ヲ搾(タキ)ニテ搾(シボ)リ其液ヲ取テ前ノ液ニ合シ硝子壜ニ内(イ)レ静定シテ垽(オリ)ヲ去リ濾過シ蒸露罐(ランビキ)ニ内(イ)レ雨水八▲ヲ加ヘ文火ニテ蒸餾シ蓋ク其燒酒ヲ滴シ去レバ華爾斯(ハルス)ハ罐底ニ残ルナリ是ヲ取リ蒸餾水ニテ洗ヒ其水少シモ味ナキニ至ルベシ其罐内ノ液モ亦華爾斯(ハルス)ヲ含ム故ニ又蒸餾シテ其液ヲ引テ去レバ華爾斯(ハルス)自ラ罐ソコニ凝結シテ粒ヲ爲ス是レヲ取リ洗フコト前法ノ如クシテ前ニ取ル華爾斯(ハルス)ト合シ是ニ二十度ノ燒酒少許ヲ加テ溶(トカ)シ文火ニ上セ乾シ貯フ幾那(キーナ)ノ華爾斯(ハルス)ノ製法モ是ト同シ」新鮮ノ葯剌巴(ヤーラッパ)根.二十▲ヨリ華爾斯(ハルス)三十六▼許出ツ  *文火: 弱い火力
〇此華爾斯(ハルス)ハ赤赭ニシテ黒色ヲ帯ビ碎ケバ光澤アリ燒酒ニ溶化シ易ク日ニ投シテヨク燃.粘着セザルヲ上品トス」或ハ◆(滸ノ午を旨)(チャン).格碌波尼亞(コロポウニア).藤黄等ヲ以テ是ヲ贋造セル者アリ然レドモ是ヲ火ニ投スレバ松脂様ノ香氣アリ
[技][叔][伍][叔][依]」

遠西医方名物考.
巻-36 アルタア
「華爾斯(ハルス)」:オランダ語Hars,樹脂
「蒲里阿尼亞(ブリオニア)」吐剤・下剤として用いられるヨーロッパ産ウリ科の蔓草“Bryony
「的列面底那(テレメンティナ)」:スペイン語 trementina,テレピンテイナ.松杉類のヤニから作る油脂,テレピン精油
「亜尓多亜(アルタア)」:アオイ科植物アルテア(ウスベニアオイ?)の根より得られる多糖類
「格碌波尼亞(コロポウニア)」:オランダ語Kolophonium, ロジン(英: Rosin).松脂(まつやに)等のバルサム類を集めてテレピン精油を蒸留した後に残る残留物で,ロジン酸(アビエチン酸、パラストリン酸、イソピマール酸等)を主成分とする天然樹脂
「藤黄」:タイ・ベトナムなどに産するフクギ属(Garcinia)の植物からとった黄色の樹脂.GAMBOGE

本文中の秤量単位は蘭原書そのまゝを用いていて,記号も原文に近い記号を新たに作成して使用している.記事中では,■や▲の記号を用いているが,本文中の単位との対応関係は以下の通り.なお,一錢は3.75gと考えられる.

また,[技][叔]などは引用文献で,フランスの著述家ノエル・ショメル(Noël Chomel1633 - 1712)の『日用百科辞典』 Dictionnaire œconomique)をシャルモ (J.A. de Chalmot, 1730-1801) が蘭訳した“Huishoudelijk Woordenboek” が主らしいが,調べきれなかった.

オシロイバナ-8 シーボルト『薬品応手録』 ヤラッパ 鬼茉莉

2016年12月13日火曜日

オシロイバナ-6 Resinae Jalapae, ゴルテル原著,宇田川玄随ら譯 『内科撰要』 火炭母根脂,『增補重訂内科撰要』 葯刺巴華爾斯

Mirabilis jalapa

Johannes de Gorter (1689-1762)
Wikimedia Commons
初期は外科系が主流であった日本の西洋医学も,出島の医師との交流から内科系も加えて発展するようになり,西洋内科医を標榜する者も出るようになった.江戸詰の津山藩医宇田川玄随(槐園,1756 -1798)は,オランダ人の医学者ゴルテルGorter, Johannes de, 1689-1762)のオランダ語で書かれた “GEZUIVERDE GENEESKONST, OF KORT ONDERWIJS DER MEESTE INWENDIGE ZIEKTEN TEN NUTTE VAN CHIRURGIJNS, die ter Zee of Velde dienende, of in andere omstandigheden, zig genoodzaakt vinden dusdanige Ziekten te behandelen. (Amsterdam, 1744) ” を訳して,日本最初の西洋内科書『内科撰要 12 (1793-1808)』を刊行した.
玄随の没後,息子の玄眞1769-1834),弟子の藤井方亭1778-1845)の校定・増訳を得て『增補重訂内科撰要 18 (1810)』が完成した.初版で「哥爾都(コウルツ)」となっていた部分を「熱病」と改めるなど、よりわかりやすい文章になっている.

ゴルテルは,オランダのライデン大学で学位をとり,ハルデルウェイク(Harderwijk)大学の教授を務め,一時はロシア王室からペテルスブルグに招聘されるほど,その名は高かった.ハルデルウェイク大学にいたころには,カール・フォン・リンネが学位を取得するために来訪して,息子の David de Gorter (1717–1783) と親交を結び,後にDavid は医師兼植物学者として活動した.リンネはゴルテル父子に,南アフリカ北西部に自生する一年生のキク科植物のゴルテリア属(Gorteria)を献名した.

この書は内科書であるので,治療法としては薬物療法が主である.原著を確認すると,ひとつの病状(XII. HOOFDSTUK. VAN DE WATERZUCHT. (Hydroprs)),即ち「水腫」の治療劑としての瀉下藥に,ヤラッパ根樹脂(Resinae Jalapae)が配合されていたことが判明した.

"VAN DE WATERZUCHT. 71
XII. HOOFDSTUK.
VAN DE WATERZUCHT. (Hydroprs) 

76. Wanneer in de natuurlyke hollighe-   Bepaling.
den van ons lichaam in plaatze van
damp ‚ of in de vette zak (I) in plaats van vet,
een wateragtige of slymige vocht wordt ver-
gadert; of by aldien in de kleine watervaten
zoo een overvloed van waterige of slymige stof
wordt gevonden, dat daar door dat deel of
die deelen zwellen, wordt deeze ziekte WA-
TERZUCHT genaamt. Dit gebeurt over het
geheele lichaam of in een byzonder deel, waar-
uit dan tot bezwaring van het geheugen veel
namen worden gemaakt , welke veelmalen noch
met het deel,noch metde ziekte overeenkomen.
(中略)

Ten anderen Purgeer middelen. Als,
. Gum. Galbam', Dracbm. i.
Scammonei,
Resinae Jalapae, aa. Dracbm. ?.
Sal Tartari, Scrup‚ i.
Ol. Carui. Gtt. v.
M. F. Pilulae. Gr. iij. "
(以下略,Googlebooks)

これを手掛かりに,早稲田大学図書館.古典籍総合データベースの『内科撰要12巻 (1798年版)と『增補重訂内科撰要 18 (1822年版)を確認したところ,興味深い知見が得られた.宇田川玄随が訳した原著そのものも,早稲田大学図書館.古典籍総合データベースで見ることができた.(リンク先は早稲田大学図書館.古典籍総合データベース

宇田川玄隨 藤浪剛一編
『医家先哲肖像集』(1936) NDL 
宇田川玄随の『内科撰要 12 (1798)』には,この項は以下のように訳されていて,この版では Resinae Jalapae,は「火炭母根脂」と考定されている.
水腫篇 第十二
水腫ノ病.羅甸(ラテン)ニ是ヲ非獨碌布私(ヒドロプス)ト謂フ.凡ソ吾人ノ身體ニ徧ク自然ノ玄孔有テ.發出ノ蒸気ヲ含有シ.又脂胞ナルモノアリ.脂有テ焉(ココ)ニ充ツ.其發出ノ蒸気ヲ含有スヘキ玄孔.及其脂ノ有ヘキ脂胞中ニ.入リ代テ水液或ハ粘稠液コヽニ聚リ.又ハ細小ナル水道ニ.水液或ハ粘稠液アルコトヲ得ルニ因テ.各部ニ於イテ腫張スルコトヲ爲ス.此ヲ名テ水腫ト曰フナリ.
(中略)
○第二ヲ下剤トス便チ左ニ示ス.

瀉水丸方
              瓦而抜奴謨(ガルバヌム*             一錢 世醫石榴樹脂ヲ用テ之ニ代フ必ズ以(ユエ)有ン
              蘇甘謨扭母(スカムモニウム**)  西洋ニ没食子ヲ代用ス 
各五分
              火炭母根脂
                             三分錢之一
              酒石鹽
                             五滴
              葛縷子(カリュイ)油***
                             藥店ニ貨スル所真ノ防風ナル者即是ナリ.多ク江州伊吹山ヨリ之ヲ出ス.故ニ伊吹防風トモ云.西昼?ニ据ルニ茴香及ヒ蒔蘿ヲ代用スヘシ.

右件合シテ調匀シ.毎一錢.二十丸ト爲シ.日ニ三次コレヲ三丸ツヽ用フ.須ク下利ノ多少ヲ視テ其服度ヲ増減スヘシ.即チ日ニ圊ニ上ルコト三回ナルヲ以テ度トス.其夥ク水液ノ泄除シテ大ニ従来(コレマテ)ト証候(ヨウタイ)ノ變ルニ至ルマテハ.此薬ヲ渝ズシテ用ヘシ.若シ患者罷困耗損シテ気力虚極スルコト有ルニ至ラハ.廼チ二度ニ一度交逓(ウチマセ)シテ一二ノ強壯ナラシムノ剤ヲ用テ可ナリ.爰ニ又其兩効ヲ兼子全セル喜賞スヘキノ良方アリ.其運行ヲ強壯ニシ又能ク下利セシム.即チ左ニ示ス.(以下略)

*ガルバヌム:GALBANUM,独特の強いにおいのするゴム性樹脂,アジア産セリ科オオウイキョウ属 Ferula galbanifluaの植物から採る.
**スカモニア:Scammony アジア産のヒルガオ科の蔓植物,スカモニア Convolvulus scammoniaの樹脂.下剤に使われる.
***葛縷子(カリュイ)油:キャラウェイ- 西アジア原産のセリ科の二年草,Carum carvi の未熟果実より得られる油.

宇田川玄眞 藤浪剛一編
『医家先哲肖像集』(1936) NDL
20年後に刊行された玄眞と藤井方亭がかかわった『增補重訂内科撰要 18巻』(1822年版) では,Resinae Jalapae,は「葯刺巴(ヤーラッパ)華爾斯(ハルス)」と訳されている.

水腫篇 第十三
羅甸名「ヘイドロプス」
和蘭名「ウァートルシュクト」
水腫ノ大較ヲ論ス
夫レ平全ノ身體ニ在テハ諸腔中ニ蒸気アリテ發出シ脂膜中ニハ脂肪アリテ焉(ココ)ニ充ツ 諸腔ハ頭胸腹ノ三腔.其他諸器ノ空間ヲ爲ス處ヲ云.其腔ノ裏面周圍ヨリ常ニ蒸気ヲ發出スルナリ.惣身ノ皮ト肉トノ間ニ周ク脂膜アリテ脂肪充ツ或ハ内部諸蔵ニモ亦コレアリ然ルニ水液若(モシ)クハ粘稠液.其諸腔或ハ脂膜中ニ聚リ或ハ水脉ニ於テ水液若(モシ)クハ粘稠液アルコト過多ナルトキハ其部腫張ヲ爲ス.是ヲ名テ水腫ト曰フ
(中略)
○第一ニ吐劑ナリ.
(中略)
○第二ニ下劑ナリ左ノ方効アリ
瀉水丸ノ方         [瀉水丸]
              瓦而抜奴謨(ガルバヌム) 一錢
              蘇甘謨扭母(スカムモニウム)【名】****   
              葯刺巴(ヤーラッパ)華爾斯(ハルス)【名】            各半錢
              酒石鹽【名】        一●                     
              葛縷子(カリュイ)油【名】                          五滴
右仵調匀シ.毎一錢.二十丸トシ三丸宛用ルコト日二三次(ド).是ヲ用テ患者圊(カハヤ)ニ上ルコト日二三回(ド)ヲ度ス.故ニ下利ノ多少ヲ視テ服度ヲ増減スベシ○患者甚ダ虚脱スルヲ以テ右ノ劑ヲ用フル間ニ非レバ此劑ヲ變ゼズ其剰餘多ノ水液ヲ多ク驅除スベシ○若(モ)シ患者虛衰スルヲ以テ右ノ劑ヲ用フル間ニ一二ノ強壮劑ヲ交(ウチマゼ)シテ用フベキ症ナルトキハ其兩効ヲ兼タル藥劑ヲ用フベシ.左ノ劑良驗アリ
(以下略)

****【名】:『遠西医方名物考』(1822)に記載の薬物か

ゴルテルの原著での Resinae Jalapae(ヤラッパ根樹脂)は,『内科撰要 12 (1798年版)』では,「火炭母根脂」と訳され,『增補重訂内科撰要 18 (1822年版)』では,「葯刺巴(ヤーラッパ)華爾斯(ハルス)」と訳されている.この20年間に,「ヤラッパ Jalapa =火炭母草」から,「ヤラッパ Jalapa =葯刺巴(ヤーラッパ)」に蘭医の間での認識が改められた.

前記事に述べたように「火炭母草」はオシロイバナと誤校定された植物であり,その正体は「ツルソバ」とされているが18世紀終わりには,まだその知識は著名な蘭学者の間でも共有されていなかったようだ.しかし,19世紀に入っては,多くの西欧科学の導入,和蘭薬物の輸入によって,Resinae Jalapaeが「葯刺巴(ヤーラッパ)華爾斯(ハルス)」の名で専門店で売られ,比較的容易に得られていることが推察できる.(華爾斯(ハルス,hars):オランダ語で樹脂)

国立国会図書館「あの人の直筆 」, 第一部近世,第3章科学の目 ②横文字との格闘」○宇田川玄随 及び NDL 所蔵の『宇氏秘笈第一冊』に「内科撰要」の草稿の一部を見ることができるが,和綴じの罫紙を横にしてオランダ語の原文と訳語を記し,胡粉で修正した部分も見られる.刊本と比較すると、訳文ができあがるまでの苦心が見て取れる.残念ながら水腫の項は見ることができない.


オシロイバナ-7 『遠西醫方名物考』-2 ヤラッパと誤考定.ヤラッパの処方・主治.駆虫藥としても.葯剌巴華爾斯(ヤラッパ樹脂)の製法
オシロイバナ (5) 伊藤圭介『泰西本草名疏』,草稿.シーボルト & ツッカリーニ“FLORE JAPONICAE, FAMILIAE NAURALES”

2016年11月29日火曜日

オシロイバナ (5) 伊藤圭介『泰西本草名疏』,草稿.シーボルト & ツッカリーニ“FLORE JAPONICAE, FAMILIAE NAURALES”

Mirabilis jalapa

伊藤圭介 (18031901) は名古屋生まれの植物学者.24歳の時,長崎でシーボルトから博物学の教えを受ける.
L:泰西本草名疏草稿
R:泰西本草名疏
泰西本草名疏』は,彼が文政11 (1828) 長崎にてシーボルトから贈られたツンベルク(C. P. Thunberg)の『日本植物誌』(Flora Japonica)をもとに,ここに記載された日本産植物の学名(ラテン語)をABC順に並べ,対応する和名と漢名を記した書であり,付録で,リンネの分類法を日本で最初に紹介したことに,大きな意義がある.
草稿」中にとあるのは,既に長崎でシーボルトから得ていた見解であるが,文政11年秋に発覚したシーボルト事件のため,刊本ではシの字が削られ印のみとなる.また本文中ではシーボルトに「稚(ワカ井)膽八朗」の仮名を使い,既に死亡したとした(稚=椎=シイ+膽八=ホルト(ノキ)=シイボルト).

★伊藤圭介『泰西本草名疏』下 八(1829)には,『日本植物誌』の Mirabilis jalappa について,
[十一 方言録* IEN CHI HOA トアリ按ニ臙脂花]
MIRABILIS IALAPPA. LINN.** オシロイバナ
紫茉莉 尋常藥用ノ「ヤラッパ」ハ蓋シ旋花甘藷ノ類ニシテ CONVOLVUS. ナリ先輩紫茉莉ニ充ルノ説誤ナルベシ ホウセン
MIRABILIS HIBRIDA. R.S.** オシロイバナ〕」

とあり(左図,右側,NDL),シーボルトの言(〇)から,汎用されている「ヤラッパ」はヒルガオ科の植物で,オシロイバナ(紫茉莉)に充てるのは間違いだとしている.一方漢字名として「臙脂花」を挙げ,また和名として「ホウセン」を記している.
十一
方言録ニ IEN
MIRABILIS IALAPPA. LINN. オシロイバナ紫茉莉
尋常藥用ノ「ヤラッパ」ハ蓋シ旋花甘藷
CHI HOA
ノ類ニシテ CONVOLVUS. ナリ先
アリ按ニ臙脂花
紫茉莉ニ充ルノ説誤ナルベシ
ホウセン
 [MIRABILIS HIBRIDA. R.S.  オシロイバナ ]
 

*方言録」および学名を与えた人物「**西名」について,関連部分を同書の凡例部から拾うと
*方言録:余西遊中般●(風+忽)爾孤(ハンビユルグ)ガ撰スル諸国物産方言録〈紀元一千七百九十二年鏤版〉ヲ閲ス其書ハ欧羅巴諸州ヲ初メ其佗支那交趾等諸国ノ方言ヲ纂輯スソノ漢名ハ音譯スルモノニシテ漢字ヲ記サレザレドモ〈余間漢字ヲ塡ムルモノアリ然トモ轉音頗ル多キニ似テ隱當ナラザルモノ蓋シ少カラズ〉茲ニ一二ヲ鼇頭ニ抄録シ漢名ノ當否ヲ参考ニスルノ一助トス」とあり,検索したが,該当する書は見出せなかった.

**西名:編中舉ル所ノ西名ソノ●(鋻の又を十)定ノ人ハ林娜斯(リン子ウス)春別爾孤(チュンベルグ)最トモ多シ其陀稚氏引用スルモノ諸家●(鋻の又を十)定ノ名亦一ナラズ通編各名ノ下左ニ列スル符號ヲ標ス
LINN.                   加禄律斯(カロリス).林娜斯(リン子ウス)
TH.                       加禄兒百篤爾(カロルペトル).春別爾孤(チュンベルグ)
R.S.                      爾謨爾(ルームル).斯屈兒的斯(スキュルテス)」
とあり,夫々,
LINN.: カール・フォン・リンネ(Carl von Linné1707 - 1778),ラテン語名:カロルス・リンナエウス(Carolus Linnaeus),『植物の種』(Species Plantarum, 1753
TH.: カール・ペーテル・ツンベルク(Carl Peter Thunberg1743 - 1828),『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784
R.S.: Roemer et Schultes, Roemer, Johann Jacob (1763 – 1819) & Schultes, Josef (Joseph) August (1773 – 1831)” Systema Vegetabilium” (1817 – 1819)
と判明した.

シーボルトが “MIRABILIS HIBRIDA. R.S.” としたオシロイバナの学名は,Roemer et Schultes “Systema Vegetabilium, 612-3” (1817 – 1819) に記載されている Mirabilis  hybrida Lepelletierと思われるが(右図, BHL/Biblioteca Digital),このラテン名は現在では殆ど見ることができない.

一方,この刊本の原稿も,NDLで公開されていて,★伊藤圭介『泰西本草名疏 草稿』〔文政 11-12 (1828-1829)〕の「M」部には(左上図,左側,NDL)
Mirabilis Jalappa Thu [ in. hibrida, MS] (ホウセン キンホウケ)
【按二 紫茉莉ヲ云カ 紫茉莉ハ Mirabilis hybrida ??
 ヲシロイバナ】
とあり,Mirabilis hibrid とシーボルトが同定したことが分かる.
刊本と比較すると,ツンベルクの示した学名が正として採用され,また,和名の「キンホウケ」が記載から外れている.

シーボルトが帰国後,ドイツの植物学者 ミュンヘン大学教授のツッカリーニ(ヨーゼフ・ゲアハルト,Joseph Gerhard (von) Zuccarini, 1797 - 1848)と共著で,Abh. Akad. Muench に発表した日本の植物に関する報告書,★“FLORE JAPONICAE, FAMILIAE NAURALES, ADJECIS GENERUM ET SPECIEREM EXEMPLIS SELECTIS. SECTION ALTERA PLANTAE DICOTYLEDONEAE (GAMOPETALAE, MONOCHLAMMYDEAE) ET MONOCOTYLEDONEAE. には,オシロイバナの記事がある(Abh. Akad. Muench. (1846) 4(3): 208)(下図,上部).
407. Mirabilis L.
720. M. Jalapa L. Thunb. Fl. jap. p. 91.
Wir haben die Pflanze nicht selbst gesehen, aber Thunberg sagt, dass die Japaner aus dem Samenmehl dieser Art eine weisse Schminke bereiten. Da nun dieselbe Art nach Hooker (Beechey p. 207) auch in China, nach Loureiro in Cochiuchina und nach audern Angaben in Ostindien vorkommt, so zweifeln wir nicht an der Richtigkeit der Thunbergischen Bestimmung.”

その記事では,オシロイバナの学名を,Mirabilis Jalapa とし,ツンベルクを参照し,「我々(シーボルト自身)は(日本では)この植物を見ていない.しかし,ツンベルクの『廻国奇観』にこの植物の記事があり,(種子内の)白い粉を化粧に使っていると述べている.フッカーは『ビーチェイ艦長航海記の植物記』では中国に,ルーレイロはコーチシナ(交趾支那,現在のベトナム南部)で記録し,また東インドでの生育も観察されていることから,(日本で生育しているという)ツンベルクの見解を否定はしない.」とある.

ルーレイロの記事では,オシロイバナの根のヤラッパ根との混同を記して,更にオシロイバナの根にも弱い瀉下作用があるとしている.
ここで引用されている,フッカーとルーレイロの記事の出典は以下の通り.

Hooker & Beechey, “The Botany of Captain Beecheys Voyage” (1841), p. 207
フレデリック・ウィリアム・ビーチェイ (Frederick William Beechey, 1796 - 1856) は英国の海軍士官. 1825 年から三年にわたって英国海軍の”Blossom” 號を率いて,ベーリング海峡を東側から探検・探査した.
この隊が航海中に収集した植物標本を,英国の有名な植物学者フッカー (William Jackson Hooker, FRS1785 1865)が研究・同定し 1841 年に出版したのが本書.(図はGooglebooks)

Loureio “Flora Cochinchinensi” (1790), Vol.1, p.101
ジョアン・デ・ルーレイロ(João de Loureiro1717 - 1791)は,ポルトガルのイエズス会宣教師,古生物学者,医師,植物学者.宣教師としてインドのゴアに3年,マカオに4年赴任した後,1742年にコーチシナを訪れ,その後30年間以上滞在した.ルーレイロは薬用植物の性質や使用法を学び,アジアの植物相の専門家となった.1777年に広東を旅し,4年後に帰国し,『コーチシナの植物』("Flora Cochinchinensis")1790年)を出版した.(図は BHL/MoBot)