2010年5月31日月曜日

タチアオイ(3)

Althaea rosea (3)

白き指に紅のにじみてなまめけるにほやかさもて咲く葵かな    木下利玄

花の形や色や模様の変異は多いが,葉の形もいろいろで,五角形に近いものからとんぼ型まで.特に米国から渡来のは複雑な形をしているようだ.

(承前)
☆「大和本草」貝原益軒 宝永6年(1709)
 蜀葵 からあふい 花として淡紅,浅紅,紫,黒,白,一重,八重があるが,鮮紅が観賞用には最もよい.茎皮から縄や布が造れ,茎を焼いて灰とすると火種が長持ちする.と記載.

☆「和漢三才図会」寺島良安1713年頃
 蜀葵 からあふい 「大和本草」より詳しく,薬効にも言及.枕草子の「からあふひ、日の影にしたがひてかたぶくこそ、草木といふべくもあらぬ心なれ」を引用.他に葵類としては葵(フユアオイ),錦葵(ゼニアオイ),兎葵(ウスベニアオイ?),黄蜀葵(トロロアオイ)龍葵(イヌホオズキ)が記載されている.

☆「広益地錦抄」伊藤伊兵衛 1719年
 巻之四 薬種
「蜀葵 しょくき 今花壇にうゆる大あふいのことなり 花はいろいろ品あれ共薬種にハ紅白花さくを用ト云 花のさかり久しく下より段段花ひらき末までさきてのほる俗にいふ此花末迄さきてのぼり極る時節梅雨の終わりなりといふ   茎を水にひたしてかわをさりてタイマツにしてよく火をとほるなり」.
 巻之八 花木草花
「立葵 たちあおい 根は芋に似てほそ長く丸し叉欝金草の根のごとく初春に葉を出す五六寸ほどの小草なり葉形あふひの葉に似て茎に三葉ツツ出る葉のうへに花さくはなの董三数あり色青し叉うへに花三出にさくはなの色白し二月すへよりひらくきれいなる草たちなり小鉢に植てよし」(図は左)

☆「地錦抄附録」四世伊藤伊兵衛 1733年
記述なし

と園芸書に記載が多く,江戸時代に非常に広く栽培され,珍重されていたことが分かる.またこの時点では立葵は図にあるオオバナノエンレイソウをそう呼んでいた可能性があると思われる.


2010年5月30日日曜日

タチアオイ(2)

Althaea rosea (2)アメリカから通販で買った種から咲いた花.色も花弁の形もそれまでになかった.簡単に交雑するようなので,どんな花が出てくるか,楽しみ.通りがかりの人に,研究のために植えているのですか?と聞かれたほど,この季節はタチアオイばかりが目に付く.

手元にある江戸時代の園芸関連の資料を見ると,江戸中期まで現在のタチアオイは「葵,あふい,蜀葵,からあふい」と呼ばれ,立葵はエンレイソウの事を指したと思われる.昨日のタチアオイ(1)で「江戸時代に名が立葵となった」としたが,江戸中期以降のことと考えられる.


☆「花譜」貝原益軒 1694年
蜀葵 あふい 日本人が1474年(大明成化甲午)に明国で初めてこの花を見て作った漢詩が見事だとほめられたと中国の文献を引用.日本に入ったのは平安時代とされるが,その後あまりポピュラーにはならなかったと思われる.花として真紅,浅紅,紫白色,一重,八重がある.若い葉は食べられる.と記す(左,中村学園のHPより引用).


☆「花壇地錦抄」伊藤伊兵衛 1695年
草花夏之部 葵のるい 中末
 くれない  八重ひとへあり花形木綿のはなのことし
 むらさき  ひとへもせんようもあり
 雪白    せんやうとひとへあり
 源氏    うすいろニて花のへりしろし八重一重有り


☆「増補地錦抄」伊藤伊兵衛 1695年
立葵 花しろく葉あふいのことくなる小草なり.あいらしく見事成物
「増補地錦抄」挿絵には小あふい,大あふいがあり,大あふいはタチアオイと考えられる.「広益地錦抄」の記述を考え合わせるとここの「立葵」はエンレイソウの類の様に思われる.(続く

2010年5月29日土曜日

タチアオイ(1)

Althaea rosea (1) 5万年前のイラクのシャニダールのネアンデルタール人の遺跡でこの花の花粉が発見され,古代から花の美しさは認められていたようだ.
原産地は中東,中国にはおそらくは山のシルクロード(インド・ミャンマー)を経て四川省に伝えられ,唐代以前には蜀葵(しょくき)の名で,一番の名花とされた.
日本においては,918年ごろに成立したという日本最古の本草書「本草和名」に「ショクキ(蜀葵)」の和名として「加良阿布比」を挙げており,平安時代には既に伝えられ,唐葵と呼ばれていたことが分かる.清少納言『枕草子』第66段「草は」に,「からあふひ、日の影にしたがひてかたぶくこそ、草木といふべくもあらぬ心なれ」と太陽の運動と共に茎の先端が動く事を興がっている.江戸時代に名が立葵となった.
一方欧州へは十字軍によって運ばれたと考えられ,17世紀初頭には「この植物は宮廷を初め広々とした庭に最も似つかわしい.とても堂々としてどっしりしているからである」と記されている.19世紀には,中国の種が導入され,しばらくは花屋が扱う大事な花として,ダリアと妍を競った


勤めていた新宿の研究所近くのお宅に咲いていた底紅の花の種を頂いて播いたら,真紅から桃色まで色々な花の株が出た.よほど土が合うと見えて近所の名物に.
調子に乗って,米国から通販で種を購入して育て,色々な花を楽しんでいる.悩みはハマキムシと発芽率の良すぎる種.左は数年前の最盛期の様子.








2010年5月28日金曜日

セイヨウノコギリソウ

Achillea millefolium

Thou pretty herb of Venus’s-tree,
Thy true name it is Yarrow;
Now who my bosom friend must be,
Pray tell thou me to-morrow.
-Northall, 113

英名は“Yarrow”,学名のAchilleaは、ギリシャの英雄アキレスに因む.トロイ戦争の時、敵将Priamの婿Telephusがアキレスの槍で傷を負ったとき,Telephusは「アキレスがその傷を治す」との神託をうけ,アキレスに治療を依頼した.アキレスは自分の槍のさびを削り取り,そのくずから生いでたノコギリソウでその傷を治したという.また,これとは別にアキレスが治したのは部下の傷だったという話も伝わっている.いずれにせよ,古くから傷の万能薬とされ,戦傷とのゆかりから「戦争」の象徴ともされている.millefoliumとは「美しい葉」のスカンジナビア語由来とか.

葉はもむといい香りがして,いかにも薬草として効果がありそう.10年ほど前に頂いてから,地下茎を伸ばしてどんどん勢力範囲を広げている.葉は美しく,花も人目を引くがその生命力にはあきれ気味.

薬草としてか,観賞用としてか,5万年以上前のネアンデルタール人の身近に存在していたと考えられている.
イラクのシャニダールで発見されたネアンデルタール人の住居の洞窟で,埋葬されたと思われる人骨の周りから,何種類かの植物の花粉がまとまって発見された.その場所は洞窟の入り口から遠いので,風等の自然の力で集まったのではなく,死者を悼むために,一緒に埋めたなのものだと考えられている.その花粉の一つとしてノコギリソウの花粉が同定された.他の植物もマオウを除いて美しい花をつけ,またいくつかは現在でもハーブや食用として使われているので,呪術的な意味があったのかも知れない.

図は数年前地元の自然観察会の講話に使ったスライド.

2010年5月27日木曜日

サクラソウ(12) 絞龍田 宴遊日記,江戸名所圖會,白魚と桜草で,紅白の土産

Primula sieboldii cv. Shiboritatuta 品種名;絞龍田,品種名仮名;しぼりたつた,表の花色;鴇色紅絞り,裏の花色;鴇色紅絞り,花筒のいろ;紅色,花弁の形;広かがり弁,花弁先端の形;広桜弁,花容;浅抱え咲き,花柱形;僅長柱花,花の大きさ;大,作出時期;江戸後期,類似品種;,その他;縞が安定せず紅色無地のものを「竜田の夕」と呼ぶ.

江戸太平の世の中で,桜草の大群落を物見遊山として見にゆく桜草狩りも盛んになる.

大和郡山城主 柳沢信鴻(1724-1792)が六義園に隠居したのちの『宴遊日記』(安永10年1781)の三月十七日条には
土堤の下ハ野新田に続きたる広野,桜草所々に開き,あちさいに似て黄なる花の草,解夏草一面,三町はかりにて畑の間へ入, …
帰路娵菜,野韮,忍冬を取々行,広野少手前にて先剋次兵衛方に有し客,後家主人と見へ少女婢等五六人・武士五六人程随,広野にて桜草を堀,向ふより婦四五人来,従者のいへる…
(『宴遊日記』中のサクラソウの記録は別記事参照

と多くの人が桜草の花見に行楽している様子が窺える.

また,文政11年(1827)に初版がでた江戸の名所案内 岡山鳥著,長谷川雪旦挿絵の『江戸名所圖會』は,春夏秋冬を43の項目に分類し,その名所の故事来歴,訪ねる季節,道案内などを記した行楽ガイドブック.自生する野草を紹介しているのは四季を通じて「春之部」での菫と桜草だけで

○ 桜草
 尾久の原―王子村と千住とのあひだ.今は尾久の原になし.尾久より1里ほど王子のかたへ行きて,野新田の渡しといへるところに,俗よんで野新田の原といふにあり.花のころはこの原,一面の朱に染むごとくにして,朝日の水に映ずるがごとし.またこの川に登り来る白魚をとるに,船にて網を引き,あるひは岸通りにてすくひ網をもつて,人々きそひてこれをすなどる.桜草の赤きに白魚を添へて,紅白の土産[いえづと]なりと,遊客いと興じて携へかへるなり.

 昔は白魚が隅田川の名物で,尾久あたりまで屋形船をくりだしてさかのぼり,白魚を舟の引き網や手網で漁り,岸に着けて一面を紅に染める桜草を摘んで,紅白の土産としゃれこんだ,早春の風流このうえない遊びがはやった時代があったと書かれている.左に示すように大変楽しい花見の宴の様子が描かれている(国立国会図書館).

 このように自生地に行楽する事は幕末からさらに明治に入っても続く.

2010年5月26日水曜日

サクラソウ(11)人丸 喜遊笑覧,サクラサウ 押花集

Primula sieboldii cv. Hitomaru

品種名;人丸,品種名仮名;ひとまる,表の花色;桃色内白,裏の花色;桃,花筒の色;桃,花弁の形;広,花弁先端の形;桜,花容;星咲き,花柱形;短柱花,花の大きさ;大,作出時期;明治後期,類似品種;衣通姫・槙の尾,その他;花弁厚い・早咲き・花茎やや短,

星咲きのため,開花途中の花の形は人形の様に見える.花弁が厚く,やや重たげに頭を垂れ風情があるが,雨には弱い.表裏の色がはっきりと異なるため華やか.3年前に購入したが,なかなか増えない.

 江戸時代中期の江戸でのサクラソウの楽しみ方には2つあった.一つは地元の農家が,野生の桜草を掘りとって植えた鉢を,一鉢四文で江戸市中で振り売りしていたので,これを買って自宅で鑑賞したのである.桜の次に桜草という事で広く知られるようになる.ただこの桜草は春の一時を楽しむだけで,育てることまではしなかったと思われる.
 もう一つは実生によると思われる種々の園芸品種の誕生である.喜多村 信節(きたむら のぶよ, 1783 - 1856) 著の『喜遊笑覧』(文政13年(1830))に
   安永七・八年(1778・9)さくら草 形のめづらしきがはやり 権家贈りものとす。数百種に及ぶ。 と,花弁の形の珍しい株が見出され,あるいは育てられ,しかもそれが有力者への贈り物として用いられるほど高い評価を得られていたことが窺える.

 桜草は花の変異の大きい植物で,今日の自生地でも色の濃淡や,白色の株,花弁の巾の広狭,弁先の切れの形などに変化した個体が見られる.このような株をもとに実生栽培をすれば,変わり花がたくさん得られても不思議はない. その「形のめづらしき」花の実物が巣鴨薬園長の渋江長伯が寛政年間(1789~1800)に作製した「サクラサウ 押花集(62品種)」に見ることができる.弁巾の広いものは少ないが,先の細かく切れた花が目につく.


その画像が国立国会図書館 「描かれた動物・植物(江戸時代の博物誌)」(http://www.ndl.go.jp/nature/cha1/index3.html)で見ることが出来る.引用すると,

『サクラサウ』 渋江長伯製 寛政元 (1789) ~寛政12 (1800) 頃 押花 1冊

サクラソウは18世紀後半に流行し始め、花弁や色の変わり物が現われました。示した個所の右が花銘「古今集」と「多武峯」、左が「舞之袖」と「井出ノ里」です。上2点は花が6裂 (野生品は5裂) 、左下は花が極小の奇品です。本書は見返しに寛政年間 (1789~1800) の作成とあり、全58品。著者渋江長伯は幕医で、幕府の巣鴨薬園などを管理し、また綿羊を飼育しました。


2010年5月25日火曜日

ホオズキ

Physalis alkekengi var. franchetii
『大和本草』には,ほおずき(ほほつき)の語源として,「ホホという臭虫(カメムシ)が好んでこの葉を食べる」からとある.現在も「ホオズキカメムシ」という名前のカメムシがいるが,ホオズキの旧音(旧かなづかい)は「ほほづき」であり,たとえば和名類聚抄(931-938, 早稲田大学図書館蔵:http://www.littera.waseda.ac.jp/wamyou/index.html) では「酸漿」の項に和名として「保々豆岐」としている(「豆」は「づ」(du)音).この当時「づ」と「ず」は別の音であり,「ホホが好き」に由来するのであれば「ほほずき」となるはずであるので,この説は頷き難いとのこと.なお,『大和本草』には他に「“酸漿”はカタバミのことで,ホオズキには“酸醤”を充てるのが正しい.衣類の穢れを落とすのに用い,この色が着いたらムクロジの皮か赤小豆の粉で洗って落とす」と記され,この赤い実(漿果)が呪術的な意味合いを持っていた事が窺える.

家内が近くの小学校で行う「課外授業」の教材とするため,去年の春に種をまいた.二年草なので昨秋は実をつけず,冬を越し地下茎で広がってようやく花をつけた.実とは異なり,花の地味な事.

おまけの写真は数年前の秋に撮った 食用品種 ショクヨウホオズキ (Physalis pruinosa) 一名ブドウホウズキ.実は赤くならず,甘酸っぱく食用にされる.一株だけ田んぼのあぜ道に生えていた.どなたかが実をとるために栽培していたのかは不明. 味見する勇気はなかった.

2010年5月24日月曜日

番外編 わら人形遊び

わら人形遊びの正体
スイートアリッサムの項で記した,バルセロナでみた不思議な行事.「スペイン探偵団」の掲示板にした質問に対してセビリアに滞在中の池田さん(HP http://mrikeda.blog99.fc2.com/)からご丁寧な回答を頂いた.コメントを抜粋引用すると,

この遊びは,主に19世紀に女性たちが,思う限りの悪口雑言を言いながら歌いながら行った「(男性の)藁人形を毛布で放り上げる胴上げ」 (manteo del pelele) 由来で,古い,人間や犬を毛布で放り上げる悪戯が,カーニバルの行事に変わったもの様です.

中丸 明氏の「スペインを読む事典」(278頁)に pelele について以下のように書かれていますが、これを読むとスペインでのこの習慣の意味が分るような気がします。

『ドン・キホーテ』前篇17章で、主人公ドン・キホーテは、遍歴の騎士たるものは宿賃を払う義務はない、とさっさと出発してしまう。貧乏クジを引いたのがサンチョ・パンサだ。宿の亭主と同宿の男たちはサンチョを裏庭に引きずり出すと、毛布の真ん中にころがし、その端をしっかりつかんで、カーニバルのときに犬を投げ上げて楽しむように、彼を宙高く毛布(ケット)上げにしたのである。
 カーニバルになると人々は家の出窓に藁人形を吊るす。この人形をペレーレという。「デクノ坊」とか「役立たず」の意味もある。女房の尻に敷かれている男もペレーレだ。
藁人形を毛布上げにする風習は、ゴヤも『あやつり人形』という作品に残している。
 毛布上げされるのは藁人形だけではない。犬も猫もさんざんな目にあう。ロバの尻尾に藁人形をくくりつけ、火をつけて追いまわすといったこともやる。
 この、ペレーレを宙高く上げる遊びをスポーツ遊戯に取り込んだのが、フランス人のリュー・トランポリンだ。ペレーレに始まったトランポリンが、第二次大戦中、米空軍によって操縦士の適正テストに使われていたと知ったら、サンチョは仰天するだろう。

マドリッドの Pozuelo de Alarcón での行事の動画が以下のサイトで見られ,最後に伝統にのっとり?藁人形は燃やされてしまいます。
YouTube - Manteo del Pelele - La Poza ( http://www.youtube.com/watch?v=F4FK_j817yA&feature=player_embedded )

池田さん,ありがとうございます.こんなときにつくづく w.w.w. のありがたさが実感できる.



という事で,行事のオリジンは,かなり残酷な,リンチの要素も含む遊びであった事が分かり,ゴヤが《女の妄》として取り上げた訳も理解できそう.使っている毛布の図柄や,上げているのが子供の様に見えるのにも意味があるのだろうか.
上は,ドン・キホーテの従者サンチョ・パンサがケット上げされる場面の挿絵,ゴヤの《わら人形遊び》(1791-92),銅版画集『妄』より《女の妄》(1746-1828)のイメージ.

シャクヤク(3)ラテンドレス

Paeonia lactiflora cv. Latin Dress

瓶にさす芍薬の花茎長にかたむきかりて此方に薫る       木下利玄

牡丹は幹の老ひからびて、しかも眼さましく艶なる花を開く処おもしろく、芍薬は細く清げなる新しき茎の上に鮮やかに麗はしき花を開く処美し。牡丹の花は重げに、芍薬の花は軽げなり。牡丹の花は曇りある様にて、芍薬の花は明かなる様なり。牡丹は徳あり、芍薬は才あり。
幸田露伴 『讕言』


ほぼ純白の花弁の内の数枚に,真紅の縁取りが入る八重咲きの西洋シャクヤク.フラメンコを踊るスペインの舞姫の衣装をイメージしているのか.庭の5種のシャクヤクの中では一番遅く咲く.香りは強く,一本の切花で部屋全体が薫りで満たされる.家内のお気に入り.

シャクヤクの蕾にはアリが好んで集まる.見ていると蕾を覆うガクの上を行ったりきたり止まったり.分泌される蜜をなめているようだ.品種により分泌量に差があるのか,ラズベリーサンデーにアリが最も多く集まるが,このラテンドレスにはほとんど来ない.

蕾を齧ろうとしてくる昆虫から花を守ってくれるガードマンなのだろうが,切花にして部屋に持ち込む時には困りもの.息を強く吹きかけて落ちてもらってから持ち込んでいるが,複雑な花びらの構築の中にいるのはどうしても落としきれない.


2010年5月23日日曜日

オッタチカタバミ

Oxalis stricta
オッタチカタバミは,2000年代に入る頃から急速に増え始めた帰化植物.都市の道端や中央分離帯などでよく見かけるが庭にも入ってきている.花も葉の形もカタバミに似ているが,茎が立ちあがり,枝を放射状に伸ばすのが特徴.花後,花柄が下を向くこと,茎に白い毛が多く,托葉がごく小さくて目立たないことからカタバミと見わけられる.

庭には3種のカタバミの仲間が生えている.カタバミとアカカタバミ.そしてこのオッタチカタバミ.いずれも抜いても抜いてもはびこる厄介者.
尊敬すべき科学者,朝永振一郎博士は,庭の小道に群れ咲いたカタバミの花が可憐で美しいと随筆に記したが,その境地に達することは出来ない.

おまけはホオズキの項とも関連する『大和本草』のカタバミの項.中村学園のHPより引用.


なお,昨日書いた「大きな布に人形を乗せてみんなで空中に跳ね上げる遊び.」について,「スペイン探偵局」に質問したら,Tamaさんがスペイン語のWiki("EL PELELE")http://es.wikipedia.org/wiki/Pelele_%28mu%C3%B1eco%29を教えて下さった.
残念ながらスペイン語が読めないので,まだ謎のまま.
ゴヤは宮殿の壁を飾るためのタピストリーの下絵(カルトン)の「わら人形遊び」 "EL PELELE" にも,この情景を描いている.

2010年5月22日土曜日

ニワナズナ(スイートアリッサム Sweet alyssum)

Lobularia maritima
種小名に「海の近く」とあるように,原産地はマカロネシア(Macaronesia:ヨーロッパや北アフリカに近接する大西洋の複数の島々)や地中海沿岸地方だが,温帯に広く野生化。野生種の花は白だが,紫色や最近では黄色やオレンジ色を帯びた花色の品種もある.英名の通り非常に甘い香りがする.中国では“香雪球”と呼ばれるが,花の集団が丸くまとまるものもあり,なるほどと思わされる.

引っ越して直ぐに種から育て,15年以上こぼれ種で継代生育し,日当たりの良い場所に広がっている.時々紫色がかった花をつける株も出るが,白が優勢.晩春から初夏,秋の二期が最盛期で,天気の良い日には甘い香りが2階まで立ち上る.最近はハバチの類の黒いいもむしのご馳走になり,白黒の対比も楽しめる.地中海沿岸原産だけあってアルカリ性の土壌を好み,道のコンクリートの舗装の割れ目からも生えてくる.そういえば,1978年12月に訪れたバルセロナ近郊の海岸,石灰岩の崖の上は,白いこの花に覆われていた.

おまけはそのときに見た風景.ゴヤの銅版画集 「ロス・ディスパラティス(妄)」 1864年の中,「女の妄」に描かれている,大きな布に人形を乗せてみんなで空中に跳ね上げる遊び.どんな意味のある遊びなのか,大人も参加.


2010年5月21日金曜日

シャクヤク(2) ラズベリーサンデー Raspberry Sundae, Evanston Il. がサンデー発祥の地

Paeonia lactiflora cv. Raspberry Sundae 花の大きさに比べて,茎が細い芍薬は,牡丹に比べて繊細な感じを与えるが,それだけ雨に弱い.

貝原益軒は、自宅の庭で花や野菜の栽培し,その経験に基づいて,「花譜」と「菜譜」に肥料の与え方や移植の時期に至るまで植物の栽培方法について詳細に記載した.
「花譜 中巻 四月」1694年の「芍薬」には肥料のやり方,増やし方,土の作り方を事細かに述べると共に「花のとき、しの竹をたて、たすくべし。かたぶきたをるるがためなり。雨ふらば、すだれを以ておほふべし。花すみやかにをちず。花をちて後、茎をきりさりて、元氣を根に帰らしむべし。」とある.現代の愛好家も花茎を支柱で支え,ビニールの傘を立てて花を雨から守る.

そのような保護をしていなかった庭のシャクヤクの花たちは,一昨日と昨日の雨で,重たげに首をうなだれている.切花にして,飾ったほうがよさそうだ.

Evanston の Drugstore
サンデー(sundae)は,アメリカ合衆国で生まれたアイスクリームを主体としたデザートで,ひとすくいのアイスクリームにシロップやチョコレートや果物のソースをかけたもの.花の形や色がラズベリーのシロップをかけたサンデーに似ているから名づけられたのであろう.購入時のラベルにはラズベリー・サンダー(Raspberry Sundea)とあり,ネットや花木園でもその名前で紹介されている場合があるが,誤りと思われる.

Wikipedia によると,私が 1979-80 年に住んでいた米国イリノイ州エヴァンストンは,このサンデーにゆかりがある土地だった.
全米でも最初(1890年)に宗教上の理由から日曜日にソーダ水を販売することを禁じる条例を可決した自治体の一つだったエヴァンストンの Drugstore や菓子屋では,クリームソーダを日曜日に販売できなくなったため,アイスクリームにシロップをかけただけの「ソーダ抜きのソーダ」を合法的に販売し,これをサンデーソーダと呼んだ.しかしこのデザートが月曜日も販売されたため,地元の有力者がこのデザートを安息日 (Sunday) と同じ名前で呼ぶことに反対し,発音は同じのままでつづりが Sundae に変えられたという.

2006年3月に苗を購入.西洋シャクヤクの品種で育て易く,大株になって,柔らかい印象の中輪の花をいくつもつける.八重で,内側の花被は複雑に折りたたまれ,開ききらないうちはオールドローズの花の様に見える.開くと内弁が盛り上がり「冠咲き」になる.蕊はほとんど見えず,甘くさわやかな香りがする.

おまけは欧州原産 Paeonia mascula の多色石版図譜 (Prof. Dr. Otto Wilhelm Thomé Flora von Deutschland, Österreich und der Schweiz 1885, Gera, Germany)

2010年5月20日木曜日

シャクヤク (1) 晴姿 花の相(大臣),『菜譜(中)圃菜(下)』花の食べ方

Paeonia lactiflora中国では花の王は牡丹で,花の相(大臣)が芍薬とされる.勿論中国原産で,平安時代前期以前に薬用植物として日本に入ってきて(『文華秀麗集』 (818年)),その後鑑賞用として改良された.

日本のシャクヤクは一重咲きが中心で,特に雄蕊が大きく発達して盛り上がり花の中央部を飾るものが多く,全般にすっきりした花容である.この花型を「金蕊咲き」と呼び,海外では「ジャパニーズ・タイプ」と呼んでいる.

伊藤伊兵衛の『増補地錦抄』1695年と『花壇地錦抄』1695年には計160の品種が記載され,また左のような図によって各品種の差異を記しているが,やはり一重咲きが基本である.

一方,貝原益軒の『菜譜(中)圃菜(下)』1704年には「(牡丹と同じく)花白きとうす色なるをとりて、熱湯につけもみて醋、塩、酒、或醤油と醋をかけ食す。また醋みそにて食す。赤花は性味あしし。」と食べ方を記している.どんな味がするのだろうか.

英国には1784年頃にロシア人の旅行家パラスがシベリアから持ってきたが,根や種が食用になるということで消えてしまったらしい.
1805年にバンクス卿が中国からミルク色の花を手に入れ,これから種々の色のシャクヤクが生み出された.また19世紀の初期からは多数の庭向きの美しい花の栽培種が中国から輸入され,現在の西洋シャクヤクが育種された.

2006年3月に苗を購入.この品種は西洋シャクヤクの系統で育て易いはずだったが,2年間は葉を伸ばすばかり.ようやく昨年から花をつけ始めた.やや日当たりの良くないところでも生育して花をつけるが,もっと肥料を与えなければいけない.八重で蕊はほとんど見えず,甘いがやや不快な香りがする.

2010年5月19日水曜日

クロタネソウ(ニゲラ)『新渡来花譜』「銀鮮花」

Nigella Damascena クロタネソウは欧州南部原産で,江戸時代末期に渡来.『新渡来花譜』には白い八重の花をつける個体が「銀鮮花」として載る.華やかさには欠けるが,種子・葉・花・果実それぞれに興味をそそる.葉は羽状複葉で小葉は糸状に細裂し光沢があり,葉腋から出た枝の先端にそれぞれ直径3cmほどの花を一つつける.がく片は花弁状になり,一重や八重がある.果実は球状に膨らんだ蒴果で,多くの黒い種子が入っている.これが学名,和名の由来.

この種子には芳香があり,矯臭剤として使われる.欧州では民間薬として利尿や腸カタルの治療に用いられたとのことだが,含まれているプロトアルカロイドのdamascenine (2-(Methylamino)-3-methoxybenzoic acid methyl ester) は有毒という報告があるので,大量摂取は危険かもしれない.

一方,良く似たNigella sativa の黒い種は“black cumin (Kalonji)”と呼ばれ,香辛料としてインドやペルシャ料理に良く使われている.この植物の灰青色の花は直径4cmとやや大きく,葉は3回羽状複葉である点が異なる.

引っ越して直ぐに種を買って育て,それから十数年.毎年こぼれ種で春の終わりを彩ってくれている.開花初めは白っぽいが日光に当たると青くなる.一重の方が好ましいが,八重咲きが多くなってきた.おまけは5年ほど前のニゲラ花壇の風景.細かく分かれた葉の霧の中の青い花が,英名の “Love in a mist” にふさわしい.

欧州では広く親しまれ,1890年にイタリアで出版されたドイツの工芸家 A. セダー篇の叢書 "Die Pflanze in Kunst und Gewerbe (The Plant in Art and Trade)" にも多色石版で描かれているので, http://psieboldii.blog48.fc2.com/blog-entry-38.html でご覧ください.

2010年5月18日火曜日

オオサトメシダ

Athyrium × multifidum
日本でシダは約 630 種が記録されているとか.同じ北半球の島国イギリスでは約 70 種であることを考えると,日本はシダの豊富な国である.昔からシダは食用(ワラビ・ゼンマイなど)や薬用(オシダ;綿馬根(めんまこん),ヒカゲノカズラ;石松子(せきしょうし)など),篭の材料などの生活用品を作る材料として,またノキシノブやウラジロの様に季節を演出する風物として日本人の生活と深く結びついていた.現在でもその独特の形状を愛する人は多く,シダのサイトや図鑑も数多い.

裏庭に植えた覚えのないシダが生えている.特徴は中軸と葉の根元が紫色を示すこと.図鑑を調べたが名前は分からない.
こんなときに頼りになるのが,植物相談サイト「四季の山野草」http://www.ootk.net/shiki/ の掲示板.ここに写真を送って管理者おおたけさんに訊くと,園芸種でない限り親切な答えが返ってくる.今回も

おひさしぶりです。
お尋ねのシダは、葉の形、並び方からすると サトメシダ の仲間で 、中軸が紫色になるオオサトメシダ(http://nopanoniwa.jp/fern/Woodsiaceae/oosatomesida.htm)ではないでしょうか。胞子は葉が若い時期はまだできていないはずです。
オオサトメシダは当HPには未掲載ですので、参考サイトや他の資料などで確認されてください。

とリンクの HP まで教えてくださった.そこによると,オオサトメシダ;サトメシダとヤマイヌワラビの中間型。中軸は紫色を呈する。で写真も一致したので,これと同定した.

シダのような平面の葉は,写真よりスキャナーの方が微細な構造も再現できる.3.5年間,高頻度で使っていた G-F700 のガラス面の光源側が汚れてきたので,今回GTX8200 (6400dpi) を購入.これらの画像は GTX8200 を用いて得た.なお,上の画像で左は表,右は裏面で胞子嚢は見られなかった.

2010年5月17日月曜日

ヤマシャクヤク

Paeonia japonica日本に自生しているボタン科の草本としては,本種とベニバナヤマシャクヤク (P. obovata) の2種が知られている.『花譜』に「草牡丹」 「花しろし。春秋に分かち植べし。」と簡単に記述され,『大和本草』(巻之七  草之三)には「葉は牡丹に似ていて,白い花を一つ開く.実は牡丹に似ている.云々」として記載されているが,『和漢三歳図会』には「山芹菜(俗云 草牡丹)」として,記述は正しそうだが,似ても似つかぬ植物の絵が添えられている.


純白の珠玉のような蕾から始まり,大きな花の白い花弁・黄色い葯・臙脂色の花糸と柱頭,そして柔らかい葉と褐色を帯びた細い茎の対比が美しい銘花.近くのホームセンターでの惹句は「森の貴公子」.

5年ほど前に鉢で購入後,地植えにしたが,必ずしも毎年咲くわけではなく,一昨年1花,昨年3花,今年は0花.という訳で,昨年の写真で見ていただく.
イトバシャクヤクとは良いペアだと思うのだが,残念ながら同時期には咲かない.

おまけは蕾の画像.ふくよかでいかにもお育ちがよさそう.

2010年5月16日日曜日

エビネ

Calanthe discolor sp.
日本原産のラン類の中では鑑賞性の高い花を持つ種の一つ.古くから栽培されていたが,江戸時代に育種・鑑賞された,いわゆる「古典園芸植物」ではない.

17世紀末に出版された園芸書『花壇綱目』にはエビネの栽培法が記されている.また,『花譜』に簡単な記述,『大和本草 諸品図』には可愛らしい図(左)が載っている.
一方,『和漢三歳図会』では藜蘆(りろ,ホソバシュロソウ)と同じ項に記載され,毒草類に分類されている(中村学園のHPより引用).


60年代末からの山野草ブームの一つとして70年代後半にエビネブームが起き,各地で展覧会が開かれ,雑誌が発刊され,古典園芸植物や東洋ランに倣ってたくさんの品種が命名された.その中には高額で取引されたものもあったが,エビネ属はウイルスに侵されると観賞価値が著しく下がり,東洋ランのように投機対象にできるほどの栽培安定性は無かった.ウイルス防除の煩雑さに疲れた趣味家が次々と撤退し,このブームは十年を待たずして終焉.現在では山野草の中の一ジャンルとして安定した位置にあるとの事.

それでも愛好者は多いと見え,近くのホームセンターでは一年に一度,多数のエビネ類を展示・即売しているが,その中にはかなり高価な株もある.そこで「庭用エビネ」として安価で売られていたのを購入.適地を求めて3度ほど移植を行っているので,ご機嫌は良くない.

おまけは Curtis Botanical Magazine 1888年のキエビネ Calanthe striata の図譜(石版手彩色).

2010年5月15日土曜日

カンアオイ(寒葵)

Asarum nipponicumご近所の方から頂いてもう10年以上.裏の通路脇に生存していたが,ほとんど気にもしていなかった.このブログを書き始め,はたと「カンアオイの花は」と葉をかき分けてみたら,結構な数の花を見つけた.開花期は秋から初冬にかけてなので,形状は留めているものの,既に実になっているものと思われ,切ってみたらスミレの種のような種がぎっしりと詰まっていた.花よりは葉の方が観賞価値が高い.我が家の庭でも2種類の葉の模様の個体が見られた(写真右下).葉を切るとカンファー様の香りがする.

地面すれすれに咲くこの花の”花粉媒介者”としては,小形のナメクジ・カタツムリ,ヤスデや小形のムカデが挙げられていたが,日本産のタマノカンアオイと,アメリカ産のフタバアオイの仲間で別々に,花が腐蝕臭を出してキノコバエを呼んで花粉を運ばせているという研究が発表された.キノコバエは豪州の地面の下で咲くラン(アンダーグラウンドオーキッド)の”花粉媒介者”であると言われている.
成熟した種はその場で落ちて発芽するので,自然界での分布を拡げる速度は遅く,従って地域的な進化や変異は非常に大きいと考えられ,多くの変種が認識されていたが,最近の遺伝子解析で必ずしもそうではないとの知見がでているそうだ.

中国ではウスバサイシンの仲間の根と根茎を乾燥したものを「サイシン(細辛)」,カンアオイの仲間の根と根茎を乾燥したものを「土細辛」とよび薬にし,日本でも漢方薬として使われることがある.

日本では,江戸時代に”斑入り青軸”のカンアオイを珍重して「細辛」とよび,色々な変異種が愛玩された.現在も江戸時代からの品種が栽培され,その後に発見された品種を加えた「細辛銘鑑」(番付)が愛好家の間で作られている.

おまけは Curtis Botanical Magazine (英) 1840年のタイリンアオイの図譜(石版手彩色).

2010年5月14日金曜日

サクラソウ(10)初姿

Primula sieboldii cv. Debutante品種名;初姿,品種名仮名;はつすがた,表の花色;純白~赤紫,裏の花色;桃色・白斑入り~赤紫,花筒の色;淡桃色~赤紫,花弁の形;元細,花弁先端の形;桜,花容;つかみ咲き,花柱形;同長花,花の大きさ;大,作出時期;昭和,類似品種;,その他;繁殖力大・結実しやすい.
「白鷹」がうまく育てられたので,その次の年にどこかの道の駅で購入.順調に繁殖している.同じ株の中でも花色の咲き分けが楽しめる.

サクラソウの花の一個一個の写真を撮るのは難しい.複数の品種の花の大きさを相互に比較し,また微細な花弁の切れ込みを正確に記録するためには,押花がよいが,これでは花色の退色が著しい.
そこで,スキャナーのガラス面に一個の花を置いて,直接スキャンすることを試みた.左にいくつか示したが,平咲きの系統の花はきれいにスキャンでき,大きさの相互比較や花弁の形,花弁先端の形,ピン型か非ピン型かなどはよく見えるが,裏の花色は見ることができない.また,平咲き以外の花容の花では,よほど焦点深度が深くないと咽の部分の花色の記録できない.解剖した花を用いたり,置き方を工夫したりしなければならないであろう.
左は「大朝日」,雪の結晶のような,カワラナデシコのような,花弁先端の複雑な形が良く見られる.右は上段左から「駒止」「初姿」,下段左から「慶雲」「絞龍田(2つ)」.大きさの差,斑入りや絞り模様の入り具合が良く見て取れる.但し左右の画像は倍率が異なる.

2010年5月13日木曜日

サクラソウ(9) 駒止 江戸近辺 荒川流域での桜草群落の出現,桜草作伝法

Primula sieboldii cv. Hitchrack
品種名;駒止,品種名仮名;こまどめ,表の花色;淡いとき色,裏の花色;淡いとき色,花筒の色;とき色,花弁の形;重ね,花弁先端の形;桜,花容;平咲き・受け咲き,花柱形;短柱花,花の大きさ;中,作出時期; ,類似品種; ,その他;よい香りがする 
桜草にイメージがぴったりの淡い桜色の花弁,草姿も端麗.2006年にホームセンターで苗を購入.お気に入りだが, 残念ながら繁殖力はあまり旺盛ではないようだ.

桜草についての資料は,前出の『地錦抄附録』(享保13年1733)の記録以降,しばらく現れないが,この間に新しい変化があったと考えられる.それは江戸近辺,荒川流域での桜草群落の出現である.当時の江戸の町は火災が頻発し,また町の拡大に伴って,建築資材としての葦の需要が高まっていた.良い葦を得るために葦原は春先に火入れされ,これが桜草の生育にとって好条件となり,桜草の群落が人目につくようになったと考えられる.

天保の終わり頃書かれたと考えられ,写本でのみ伝えられた『桜草作伝法』,著者は不明ながら,内容は大変高い水準に達しており,浪華さくらそう会のHPで原文も現代文訳も読むことが出来る.その第一部は桜草栽培史に充てられており,江戸時代後期の江戸の地における栽培の様子が詳述されていて,そこに次のような記述がある.

 「桜草を翫ぶことは 享保の頃より見出し 翫ひ候ことにして 追々江戸へ取出し 詠めしことゝ思れ候 其頃好事の輩は遠路をいとはず 野原に足をはこび,中には替り色花もあれかしとたつねしに 一通りの華のみにて 稀に白花を得しとなり.」 (武蔵の地で)桜草を楽しむのは享保ごろから始まり,それがだんだんと江戸に伝わり鑑賞されるようになったと思われる.その頃花好きの人は遠路をいとわず野原に出かけ,変り花もあればと捜したが,普通の花ばかりで,稀に白い花を得ただけであったという.  このように著者は「享保時代に桜草の群落の存在と鑑賞の風習が江戸に伝わったと思う」と述べているが,この荒川流域のサクラソウの群落の出現が,それまで限られた場所でしか見る事の出来なかったサクラソウの美しさを,江戸の町の人々が愛でる機会を一般化したことは間違いないだろう.

2010年5月12日水曜日

ヒメウツギ

Deutzia gracilis
ウツギと名の付く日本原産の樹木は多い.少なくとも6科36種.ウツギ科のウツギの類は互いに花が良く似ているが,花糸の翼の特徴で見分けられる.
ヒメウツギはウツギによく似ているが,樹姿・枝・葉・花共に,より繊細であり,また葉に星状毛が少ないので,白い花と緑の葉の対比が美しい.早咲きなので,挿し木で増やされた株が温室中で促成栽培され,早春から鉢植えなどで売られている.
1840年代にイギリスに導入され,1851年に初めて展示された時,銀メダルを獲得した.オランダでは,球根床のあいだに植える間作作物として毎年栽培され,春になると大量に市場で売られていた.1898年頃の英国の種苗商はこのヒメウツギをオランダから大量に輸入し市場にだしていた.

枝はアーチを描いて伸び,その先が接地すると,そこから根を出して増える.5年ほど前に一本頂いた株から今では10株ほどに増え,ハンカチノキの根元をすっぽりと雪の小山で覆うようになった.
佐々木信綱作詞「夏は来ぬ」の一節の「卯の花の匂う垣根に」の歌詞について,ウツギの花には香りがないので,この「匂う」は花が美しく咲くさまを描写しているのだと言われているが,このヒメウツギの近くに行くとは確かに甘いにおいがする.なお,海を渡ったウツギについては,私の別のブログの「ウツギ」の項をご参照願いたい.

2010年5月11日火曜日

サクラソウ(8)墨染川 チャールス・ダーウィン

Primula sieboldii cv. Sumizome River 品種名;墨染川,品種名仮名;すみぞめがわ,表の花色;紅紫色筋入り底白,裏の花色;紅紫色,花筒の色;紅紫色,花弁の形;重ね,花弁先端の形; ,花容;浅抱え咲き,花柱形;僅長柱花,花の大きさ;中,作出時期;不明,類似品種; ,その他;花弁の表側の花色に刷毛入りが特徴

2年前の全国都市緑化ぐんまフェアの前橋会場で購入.濃い紅紫色の地に銀色ともおもえる筋が刷毛目の様に入るインパクトのある花.時間と共に紅色が濃くなる.銀色の筋を川波に見立てたのか,墨流し染めの模様に見立てたのか.

さくらそう(6)漁火 の項で,「サクラソウの花には、めしべが長く、おしべは下の方に付くもの(ピン型)と、おしべが上の方について、めしべが短いもの(非ピン型)との2つの型があり,1881年(明治14年)に進化論で名高いチャールス・ダーウィンが発表した有名な研究となっている.」と記したが,その原報 Charles Darwin “On the Two Forms, or Dimorphic Condition, in the Species of Primula, and on their remarkable Sexual Relations” (Journal of the Proceedings of the Linnean Society of London (Botany) 6 , 77-96 (1862) ) をBiodiversity Heritage Library  http://www.biodiversitylibrary.org/bibliography/349 で読むことが出来る.

彼は英国産や中国産など数種のサクラソウの仲間を用いて調査・研究し,ピン型・非ピン型の個体数はほぼ同数であること,ピン型同士,非ピン型同士の交配はうまくいかないが,ピン型と非ピン型の交差交配はうまくいくと述べている.また当時の有名な植物画家の W. H. フィッチに,左図のような木版画を作成してもらい(Mr. D. Oliver 宛の手紙 23 March 1861),掲載した.
縦断面図の陰影のつけ方に古きよき時代の香りがする.



2010年5月10日月曜日

シラン(紫蘭,白及)

Bletilla striata
紫蘭咲いていささか紅き石の隅目に見えて涼し夏さりにけり 白秋

部以西の湿原や崖下などに自生する地上性蘭の一種.地下にある偽球茎は白及(びゃくきゅう)と呼ばれ,粘液質が多く皮膚や粘膜を保護する作用があるので,漢方薬として止血や痛み止め,慢性胃炎に用いられる.
ラン科植物には珍しく,日向の畑土でも栽培可能なので,観賞用として庭に植えられる.極めて丈夫な植物で,半日陰から日向まで適応し,乾燥にも過湿にもよく耐え,栽培しやすい.

『花壇地錦抄』 元禄八年(1695)草花夏之部,蘭のるい に「葉はささのようで,中から濃い紫の花が出る」とある.
左は『大和本草』のシランの項,下は『大和本草諸品図 上』よりシランの図(宝永6年(1709)).いずれも中村学園のHPより引用.

 
 以前勤務していた会社の方から頂いて,10年以上.よく拡がったが,中部以西の産らしく,霜に弱い.今年は早春の暖かさに誘われて出た芽が遅霜に傷めつけられ,花穂は短く花の数も少ない.来年は霜よけをしてみよう.近くに白いシランを植えているが,今のところ『和漢三歳図会』の記述と異なり枯れてはいない.

 また,『大和本草』や『和漢三歳図会』で「葉が広く短く花がよい別種」として言及されているケイ,ケイラン(=蕙蘭)は,台湾と中国の広東省を主な原産地とする蘭で,古くから日本でも観賞用に栽培されているが,属が異なるシンビジウム属.