2012年7月11日水曜日

ナンテン (3/4) 花壇地錦抄・増補地錦抄・本草綱目啓蒙・廻国奇観

Nandina domestica
撮影 200711月 米国ワシントン D. C.

江戸時代の本草書・園芸書での記事(2

伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695     冬木之分 実秋色付て見事成る類
南天 本草綱目ニ其ノ種是木ニテ草ニ似タリ故ニ南燭草木ト号ス云云あるひハ南天燭といひ叉ハ草木ノ王などゝ異名さまざま有ていみしき物なれ共今ハ何国ニも多クして手水鉢の近所大形(かた)雪隠のあたりに植て朝夕目近物なれバくわしくいふもくどししかし唐(から)南天といひて近年珍敷(めずらしき)種ありいかんとなれバ木のしかミてちいさきによく実なりて見事也

伊藤伊兵衛『増補地錦抄』(1695巻之五
白南天 葉も木も南天とおなじ実のかたち又おなじ色白ク随分きれいに見事成物立花に立ませて珍敷

現在栽培されている赤い実をつける種としてはシナナンテン(支那南天,cv. Pavifolia )もあり,ナンテンに比して葉は小さく丸みを帯び,果実は殆ど垂れ下がらない.上品なので特に花材として人気がある.『花壇地錦抄』にある,「唐(から)南天」かもしれない.

小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806) 巻之三十二 木之三 灌木類
南燭 ナンテン ナツテン(京)ランテン(上総) 三葉(和方書) 〔一名〕闌天竹 南天竹 天竹 南天竺 大椿 黒飯樹 烏飯子 南竺枝子 烏飯葉 烏葉 烏草 天燭 南天燭 惟那木之王 南草木 南続 楊桐草
人家二多ク裁。葉ハ楝(センダン)葉二似テ、鋸歯ナク、冬ヲ経テ枯ズ。五月枝頭二長穂ヲ出シ、多ク枝ヲ分テ花ヲ開ク。五出ニシテ白色、黄蘂、後円実ヲ結ブ。熟シテ色赤シ。春二至リ猶アリ。一種白実ナル者アリ。一種淡紫実ナル老アリ。フヂナンテント云。凡ソコノ木多ク叢生ス。一叢百余株ナル者アリ。南土ニハ柱トナスべク、扁額トナスべキ者アリ。花戸二一種ヒラギナツテント呼者アリ。一名ヒイラナンテン(土州)、唐ナンテン(勢州)。此木モト加州ヨリ出。葉ニ大刻アリテ杓骨(ヒイラギ)葉ノ如シ。花ハ穂ヲナシ、黄色、形豆花ノ如シ。是別種ニシテ南燭ノ類二非ズ。漢名詳ナラズ。

ナンテンの『本草綱目啓蒙』に記載されている地方名はわずか二つで,しかもナンテンの転訛であることは,この植物が自生ではなく,比較的遅い時期に移入された事を示唆すると考えられる.

ケンペルは『廻国奇観』(1712年)に,ナンテンを漢名「南燭 Nandsjokf」,俗称を「Natten または Nandin」として紹介した.属名はこの最後の語 Nandin から来ている.1804年に中国からカーがイギリスに導入.比較的短期間のうちに英国の温室では珍しくなくなったとの事.英語名は葉の形と直線的に立つ茎から「天国の竹 heavenly bamboo」.あるいは,赤い丸い実から,「カニの目」.今では欧米でも繊細な葉と鮮やかな実が冬の彩となる植えこみとして珍重されているが,繁殖力の強さからか,米国フロリダ州では有害侵入植物に指定されている.
詳しくは「海を渡った日本の花 ナンテン」(psieboldii.blog48.fc2.com/blog-entry-12.html)御参照下さい.

ナンテン (2/4) 大和本草・和漢三才図会

ナンテン (4/4) 『出雲風土記』のサセノキはナンテン? 古事記,烏草樹(サシブ),佐斯夫能樹(サシブノキ),南燭,シャシャンボ

2012年7月7日土曜日

ナンテン (2/4) 大和本草・和漢三才図会

Nandina domestica

江戸時代の本草書・園芸書での記事(1)

貝原益軒『大和本草 (1709),巻之十一,園木に「南天燭」として「本草灌木類ニノセタリ.移シ植ルニ活キ易移シ?年花ツホミヲ盡折厺ヘシ.然ズバ木衰フ.肥壌ノ地ニ植ヘ時々糞ヲ施セハ栄ヘ美ハシク実多シ.綱目ニ載タル沉括カ筆談ノ説當レリ」とあり,移植しやすく,多肥により観賞価値がより高く成長する事を記した(左図).

寺島良安『和漢三才図会』(1713頃),灌木類「南天燭(なんてん,ナンテンチョツ)」の項に,いくつかの漢名を挙げた上(右下図),
「『本草綱目』(木部潅木類南燭〔集解〕)に次のようにいう。
南燭は木であるが草に似ている。それで草木の王と称する。人家では多く門や塀のそばの庭に植えている。この木はなかなか大きくなりにくい。はじめ生え出てから三、四年は状は(とうな)のようで、また梔子(くちなし)にもよく似ている。二、三十年で大株になる。葉は対生しない。此禦(さんばん,沈丁花の類)に似ていて光沢があり滑らかである。
味は酸っぱい。冬にもめげず凋まず,枝・茎は徴紫。大きなもので高さ四、五尺。大へんに肥えて脆く推(くだけ)折れやすい。七月に小白花を開き、実は群がって結ぶ。生(わかい)のは青く,九月に熟すると紫色になる。内に細子があって味は甘酸っぱい。小児はこれを食べる。汁を取って米を浸し、烏飯(道術家の食物という)を作って食べる。身体によい。これを青精飯という。あるいは子は丹のように赤いともいう。
枝・葉〔苦酸、渋〕 泄(げり)を止め、睡(ねむけ)を除き、筋を強くし、気力を益す。長らく服用しつづければ、長生きし餓えることはなくなる。
子〔酸甘〕 筋骨を強くし、気力を益し・精を固くし、顔色はつやつやする。」
と薬効が大であることを記し,更に,
「△思うに、南天燭〔俗に南天という〕は『画譜』には闌天竹(らんてんちく)とある。葉は大へん竹に似ていて、子がなり穂が出来る。丹砂のような紅色で、いつまでも色はあせない。これを庭に植えて火災を防ぐ。大へん効験がある。また糖蜜に入れて食用に供するともいう。
元来、山中に産するものであるから、湿を悪む性質がある。肥料には茶の煎滓(いりかす)を用いたり、米の泔水(とぎしる)を注いでもよい。子を播いてよく芽生える。子は朱赤色。皮を剥ぐと内は白く、大豆の肉のようで二片に分かれる。まだ紫色で内に細子のあるものは見たことがない。
近頃、子の白い南燭があって、珍とされている。一般に、南燭の葉を饙飯(こわめし)に敷いたり、檜の葉を饅頭に敷いたりして人に贈るが、これはいずれも無毒だからである。だいたい、この樹は大きくなりにくいとはいうが、山陽の地などには大木があり、作州や土州の山には長二丈余、太さ周一尺二、三寸のものがある。枕に作り、俗に「邯鄲の枕」という〔邯鄲の枕の事については中華の巻を見よ〕。希有の物なのでそう称するのである。遠州の一の宮(小国神社)は満山これ南天で、実の盛りのときは大へん美しい。」(現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫)

と,多くの記事がある.前半の「実は熟すると紫色になる」の記事は『本草綱目』の引用だろうが違和感がある.後半には良安の観察も組み入れられ,シロミナンテンが現れた事や当時の使用法や伝承が記されていて興味深い.

ナンテン (1/4) 特異な花,出雲風土記・明月記

ナンテン (3/4) 花壇地錦抄・増補地錦抄・本草綱目啓蒙・廻国奇観

2012年7月5日木曜日

ナンテン (1/4) 特異な花,出雲風土記・明月記

Nandina domestica

庭に樹木が来てから,鳥の落し物由来と思われる,植えた覚えのない草木が樹下に芽生える様になった.木本で多いのはヤブコウジだが,他にもセンリョウやサンショウが大きくなってきた.このナンテンもその一つ.存在を確認してから4年ほど,今年初めて花をつけた.

その花の形状は風変わりで,乳白色の花被片は31組で交互に重なり6列,5重で30枚ほどが数えられる.開花すると芽鱗状の花被片は速やかに脱落し,残った58枚が6個の鮮やかなオレンジ色の葯を囲んで反転する.地面には落ちた花被片が白米をこぼしたように見られる.萼と花弁の区別は不明瞭で,残った大型の6枚ほどが花弁らしい.萼片を25個内外つける植物は珍しく,中井猛之博士はこの特徴からメギ科より独立させてナンテン科とした.秋には多くの赤い実をつけ,観賞価値が高いが,ヒヨドリなどがこの実をついばんで散布する.

「出雲風土記」「仁多郡」の産物として「南天燭(きしぶ)」として記載されているという説もあるが(倉敷市立自然史博物館「出雲風土記の植物」 http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/plant/bungakusakuhin/izumofudoki.htm),しかし『出雲国風土記,全訳注 荻原千鶴』,『東洋文庫 風土記 吉野裕訳』の「仁多郡」では確認できなかった.平安時代に,薬用或いは観賞用として中国から移入された可能性が高く,現在でも自生は人里近い野山が主である.確認されている初出文献は,鎌倉時代の公家で,歌人・書家としても有名な藤原定家の日記『明月記』(治承4年(1180年)~嘉禎元年(1235年))の,寛喜二年(1230)の六月二十二日の記に「昏レニノゾミ 中宮ノ権ノ大夫 南天竺ヲ選バレ 前栽ニ之ヲ植ウ」であるとされている.

江戸時代には薬用のみならず,観賞用としても価値を認められ,シロミナンテン・チモトナンテン・イカダナンテン・ササバナンテン・タキノカワ・フジミナンテン・チジミナンテンなど多くの品種が登場した.

ナンテン (2/4) 大和本草・和漢三才図会

2012年7月1日日曜日

シャクトリムシ 大和本草・和漢三才図会・本草綱目啓蒙



庭のフレンチマリーゴールドの茎に,体をいっぱい伸ばして着いていた.体色が,赤い茎とは大きく違うので,擬態にはならないのではと思ったが,色の感覚が人間と違う鳥類などの捕食者には見えにくいのかも知れない.

シャクガの類の幼虫.通常のイモムシは,胸部に3対の足を持ち,腹部に5対の疣足があるが,シャクトリムシでは腹部の疣足が後方の2対を残して退化している.そのため移動には、まず胸部の足を離し体を真っ直ぐに伸ばし,その足で物に掴まり、次に腹部後部の疣足を離し,体の後端部を胸部の足の位置まで引き付ける.この時に体は逆U字型になる.それから再び胸部の足を離し,ということを繰り返して移動する.この行動が,全身を使って長さを測っているように見えることから,「尺取り虫」と呼ばれる.英語名のloopers, spanworms, inchworms もこの行動に由来する.

この奇妙な行動は古くから人の目を引き,貝原益軒『大和本草』 (1709) 巻之14陸蟲シャクトリムシ には左図の様に記されている.

また,寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)(島田・竹島・樋口訳注,平凡社-東洋文庫)には

蠖(しゃくとりむし,チッポ)

 虫+就(しょくしゅく), 歩屈(ほくつ)
[和名は乎岐無之(おきむし).俗に尺取虫という〕
『本草綱目』(虫部、化生類、木宏虫〔集解〕)に、蚕に似ていて木の葉を食べ。(いもむし)よりも小さく、進むときは首尾を互いにくっつけ屈めてのち、伸ばす。老いると糸を吐き室を作り、化して蛾となる、とある。『羅山文集』(『詩集』巻第五十七、十二虫、尺取虫)に
化工到処入微塵 自然の化工は到る処、微塵にまで入る。
㊀眇形含気均 ㊀の眇形も気を含んで均(ひと)し。
一屈一伸知進退 一屈一伸して進退を知り
笑他直尺枉尋人 他の尺を直し、尋(尺も尋も長さの単位。一尋は八尺)を枉(ま)げる人を笑う
とある。(右図)
㊀=虫偏に就

•小野蘭山『重訂本草綱目啓蒙』(1803-1806)巻之三十五,虫之一 卵生類上
「ウイキヤウノムシ」の項の
〔集解〕に「尺蠖ハ、ヲキムシ シヤクトリムシ スソントリムシ タカハカリ」などの地方名をもち,また文献には「 屈伸虫 屈申虫 曲曲虫」などの名で記され,「此虫夏秋ノ候、草木上テ生ジテ葉ヲ食フ。形細長ク両頭ニ足アリ。腰ヲ屈シ首尾相就テ行。ソノ状人ノ両指ニテ寸尺ヲ度ルニ似クリ。故ニ、シヤクトリムシト名ク。易二尺㋥之屈、以求(レ)信也ト云、是ナリ。小ナル者ハ一寸ニ及バズ、大ナル者ハ二三寸二過。緑色ナルモノアリ、灰色ナル者アリ、褐色ナル者アリ。皆老スレバ羽化シテ蝶トナル。」とある. ㋥=虫偏に

英国で,シャクガの一種,オオシモフリエダシャク Biston betularia の白い体色を持つ種 f. typica の数が工業化に伴って減少し,黒い体色を持つ f. carbonaria が増えた現象を,大気汚染に伴う樹木の幹がススで暗くなり,目立つ白い体色を持つ種が捕食者により多く食べられたからだとする「工業暗化」の概念が提出され,進化論の中の「自然選択」を強調して説明する時に引用された.詳しくは Wikipedia の「工業暗化」の項.