2018年6月30日土曜日

ツグミ(15) 漱石の死期を早めたのは,ツグミか,ピーナッツか


夏目漱石(1867 – 1916)は,若い時から胃弱で悩まされ,「明暗」の連載途中に享年50歳で胃潰瘍で永眠した.ツグミの粕漬が胃潰瘍を悪化させ,死を早めたとの説がある.

★高浜虚子『漱石氏と私』には,漱石への紹介の労をとった事のある渡邉義雄氏から虚子へ「この冬休暇に帰って猟をして居るうち今日山鳥が一羽とれましたから御礼の印に御送り致します。ツグミではないから安心して食って下さいませ。」との書状が送られたとある.虚子は「山鳥は早速調理して食った。旨(うま)かった。ツグミ云々(うんぬん)とあるのは漱石氏が胃潰癰(いかいよう)を再発して死を早めたのはツグミの焼鳥を食ったためだとかいう話があったのによるのであろう。」とある(初出:「ホトトギス」1917年).

大正五年十二月九日に亡くなった漱石の遺体は,主治医の一人であった長與又郎博士によって解剖され,その剖検所見が発表されたが,それには,十二月九日の死に至った病状の「發端ハ十一月ノ十六日ニ糟漬ノ鶫ヲ晩ニ食ベラレタノニ始マツタラシイノデアリマス、」とある.

一方,夫人の★夏目鏡子述,松岡譲録『漱石の思ひ出』には,十一月二十一日に辰野隆*の結婚披露宴が築地の精養軒で行われ,列席した漱石が消化に悪いとは知りながら,大好物の南京豆を食べてしまったことにあると思っていたような記述がある.
*辰野隆(1888 - 1964):フランス文学者,随筆家,3148年東京大学教授,48年日本芸術院会員,62年文化功労者

江戸時代から病人の保養食として栄養価が高く消化し易いとされていたツグミも,「漱石の死期を早めたツグミの糟漬」と,とんだ悪評を被っている.

★夏目鏡子述,松岡譲録『漱石の思ひ出』岩波書店 (第一刷1929,第十二刷 1982
六〇 死の床
十一月二十日前のことでした。山田三良さんの奥さんがお見えになつて、その二十一日に御自分のお嬢さんが辰野隆さんと結婚され、その披露が築地の精養軒であるから、是非出席して戴きたい、辰野の方でも是非にと望んで居りますからといふお頼みなのですが、相變らず夏目の方では、自分はのつぴきならない義理のある所の外はどこへも出ないことにして居るし、叉そんな席へ出るのが實に億劫だといつてお斷わりして居ります。奥さんは奥さんで、さうでもありませうが、折角私がかうやつて上がつて、こんなにもお願ひするのですから、そんな因業なことを仰言らずに來て戴きたいと涙を流しでのお頼みです。夏目もそれに動かされて、私を呼びまして、どうだいと申します。そこで私も奥さんの身になつても孝へて上げると、さう迄仰言つて下さるのにと存じまして、折角なんですから参りましてはとすゝめました。が、ふと孝へてどうしてもおいやなのですかと念を押しますと、いや、どうしてもといふわけではないが、どうも面倒臭いのだといふ例のとほりの曖昧な返事です。ではとにかく其時になつて行けないやうだつたら其時の事として、一旦おうけしておいたがよからうといふので、奥さんも大層お喜びになつておかへりになりました。
(中略)
さて當日の二十一日になりますと、心配して居た紋付もいい具合に間に合ひました。看て見て気のついたことですが、下着から帯から何から何迄すつかり新らしものづくめなのです。變なことになつたものだなと又も気になりよしたが、ともかく出かける時刻も迫まつたので書齋に參りますと、胃が痛いといつて、面白くない顔をしてぼんやりして居ります。無理に連れ出しても悪いし、後で又床につかれるやうなことがあつてはと存じまして、そんならどうなさいます、おやめにしませうかと訊ねますと、行けないことはないから、ともかく行かうと申しまして、それから大儀さうにして支度をしました。

精養軒へ行つて見ますと、どういふのか食堂の席が、男女別々になつて居ります。出がけ胃が痛いといつてゐたので内々心配して居りますと、食卓には南京豆が出て居ります。悪いものが出てる、自分が側に居たらとめるのだが、ひょつとしたら誰も小言をいふものが居ないのをいいことに喰べてるかも知れない、と心配しましたのは、夏目が叉この南京豆が大の好物で、散歩をしたりしますと、どこで見附けるものやら、砂糖のついた南京豆を一袋買つて參りまして、机のわきにおいて一人でぼり/\たべたり、時には子供達にもいいものをやらうなどといつて一緒に喰べたりするのですので、なるべくそんなものは胃の爲めに喰べてくれない方がいいにと思つて、見ると没収したりして居たものなのです。どうも比の日は遙かに様子を見てるとつまんで居るらしいので、後でやられなければいいがと案じて居たものなのです。それで気になつてゐたので、かへりに一緒になつた時、貴方、豆をたべましたかと尋ねますと、喰べたと申します。胃が痛いなんかといつてて、いやな人ねと言ひますと、なあに、もうすつかりなほつたよと、来た時とは違つて大分気分もよろしいらしく平気で言つて居りました。其晩は何事もなく安眠致しました。

(その後 症状悪化)(中略)(十二月九日)

大阪朝日新聞に掲載された
夏目漱石の臨終を描いた
小川千甕のスケッチ(「新聞集録大正史」より)
この暮れ方,非常に苦しがりまして,私がちょっと座を外づしましたうちに,胸をあけてこヽに水をかけてくれと申しますので、看護婦が霧を吹きかけてやりますと、「死ぬと困るから。」とか。何とか言つたと思ふと、そのまゝ目を白くして了つて、全く意識を失って了ひました。急を聞いて私もすぐにかけつけます。茶の間や離れに集まつておられた方々もつづいてかけつけられます。もう全く死の状態です。

私は水筆を取つて、次々にわかれを惜しむ方々へお渡しました。
今度は白い布で目をつぶらせるやうにして上から撫でました。かうしてたうとう日が暮れて間もなく息を引き取りました。大正五年十二月九日の六時一寸前のことでございました。
(後略)」

六二 解剖
さて翌日はいよく解剖といふので、澤山のお弔問客の間を寝臺車にのせられて醫科大學に参りました。
立會人には私の代理として弟の中根倫、矢來の兄さんの代理として長男の小一郎、それから門下の総代として小宮さん,この三人が参りました。主治醫の眞鍋さんがいらしたことは勿論でございます。杉本博士も御一緒のやうでした.
そのうちに思つたより早く又も寝臺車で送られてかへつて參りましたが、其時眞鍋さんが大層この解剖のこと喜ばれまして御禮を仰言いました。脳と胃とはおすゝめにより大學の方へ寄附いたしました。
この解剖については其後一週間ばかりしてから、當の執刀者長與博士の御講演がありまして,私なども拝聽に出ないかとすゝめられたものでしたが,たうとう參りませんでした。今其時の御講演の筆記が「日本消化器病學會雜誌」の別冊として出て居りますから、それをこゝへ拝借することに致します。病気の經過なども詳しく専門的にお話しになって居るので,其點でも大變御參考にならうかと存じます。

夏目漱石氏剖檢(標本供覧) 長與又郎博士述

漱石夏目金之助先生御遺族ノ特恵ニ依リマシテ、今月ノ十日ニ大學ノ病理學教室ニ於テ、私ハ夏目先生を解剖致シマシタ。此解剖ノ目的ハ,夏目サンノ脳ヲ研究スルコト、モウ一ツハ先生ノ最モ悩マサレテ、サウシテ同時ニ死ノ原因ニナツタトコロノ先生ノ消化系統ヲ調ベルノニ在ツタノデアリマシタカラ、従ツテ解剖ハ脳ト腹部ダケニ限ラレマシテ、胸部其他ノ所ヘハ及バナカツタノデアリマス。
(脳の解剖所見 中略)

次ニ今度ノ現症ノ發端ヲ御話シマス、今度ノ出来事ハ總テ胃ノ症状デアリマス、發端ハ十一月ノ十六日ニ糟漬ノ鶫ヲ晩ニ食ベラレタノニ始マツタラシイノデアリマス、其晩カラ胃ニ膨滿ノ感ガアリ又疼症ガアツタ、ドウモ胃ノ狀態ガ面白クナカツタ,二十一日ニ或人ノ結婚披露ニ列席シテ其時ニ洋食ラ試ミタ.其晩カラ胃ノ具合ガ段々面白クナク、翌二十二日ニ益々悪クナリマシテ、其晩ニ少シ嘔吐ガアつた.此時ノ嘔吐ハ唯ダ食ベタ物ヲ吐イタノデアリマシテ、血液ハ少シモ出ナカツタ,
(治療の経過 中略)
然ル七日ニナリマスト,心臓ノ力ガ弱クナツテ來マシテ,脈ノ状態ガ悪クナル、細且頻ニナツテ八日ニナリマシテハ益々脈ノ状態ガ面白クナイ.屡々『カンフル』ノ注射ナドラ試ミテモ餘リ反應ガナイヤウデアル.九日ノ朝ニナリマシテハ全ク『カンフル』モ無効トナリ形勢ハ愈々悪クナツテ來タ、脈博ハ百二十體溫ハ三十五度位デ、腹部ハ膨滿シテ太鼓狀ニナル.ソノ日ノ午後六時脱血死ノ狀態ノ下ニ終ニ死ナレタノデアリマス.(中略)以上ノ臨床ノ経過カラ考ヘマスルト

イフト,夏目サンハ二ツノ重大ナ疾病ヲ持ツテ居ラレタ.一ツハ糖尿病デアリマシテコレハ可ナリ前カラノ病デ,ソレガ近來ニナツテ益々増悪シタ、モウ一ツハ胃ノ症状デアリマシテ,ソレハ恐ラク胃潰瘍デアラウトイフ二ツノ大キナ病ヲ持ツテ居ラレク、併ナガラ先月ノ二十八日ノ大出血及本月二日ノ大出血共ニ一囘モ口カラハ血チ吐イテ居ラレナイノデアリマス、前ニ修善寺ノ潰瘍出血時ハ口カラ吐カレクノデアリマスガ,今度ハ皆便ノ方二出タノミデアリマス、此關係カラシテ十二指腸ノ潰瘍デハナカラウカトイフ疑ヒガ醫師ノ間ニアツタノデアリマス、
而シテ死ノ直接原因ハ二回ノ大出血ニヨルコトハ疑ヒナイノデアリマス。

 夏目サンハ消化器系統コトニ胃ヲ病ンデソノタメニ少ナカラズ悩マサレ終ニコレガ死病トナッタノデアル。「猫」ニオケルソノ主人公ハ大変胃ノ弱イ人デアッタ。マタ、「思ヒ出スコトナド」ノ中ニモ修善寺ニオケル胃潰瘍ノコトガ書イテアル。夏目サンガ天下ニソノ名ヲ知ラレタ「猫」ガ出ル前カラスデニ胃ハ健全デナカッタ。夏目サンノ多クノナサレタ仕事ハ始終コノ胃ニ悩ンデオラレルソノ間ニ出来上ガッタトコロノ産物デアリマス。
腦ニ關スル研究ハ今日マダシテ居リマセヌデ,是ハ何ヅレ詳シク調ベタ上デ適当ナ方面ニ於テ報告スル積リデアリマスガ,夏目サンハ消化器系統コトニ胃ヲ病ンデソノタメニ少ナカラズ惱マサレ終ニコレガ死病トナツタノデアル。『猫』ニ於ケル其主人公ハ大變胃ノ弱イ人デアツタ.マタ、『思ヒ出スコトナド』ノ中ニモ修善寺ニオケル胃潰瘍ノコトガ書イテアル。夏目サンガ天下ニ其名ヲ知ラレタ『猫』」ガ出ル前カラスデニ胃ハ健全デナカツタ。夏目サンノ多クノ成サレタ仕事ハ始終コノ胃ニ悩ンデ居ラレル其間ニ出來上ガツタトコロノ産物デアリマス。夏目サンハ消化機病トハ餘程深イ因縁ガアルノデアリマシテ一代ノ文豪デアルトコロノ夏目サンノ消化機ニ關スル臨床的觀察ト同時ニ,特志ニ因リマシテ行ハレタル解剖ノ所見ヲ,消化機病雑誌ニ既述シテ置クトイフコトハ夏目サンノ個人ノ歸史トシテモ不要ナコトデハナイ、叉醫學ノ方面カラ考ヘテモ種々吾人ノ參考に(まゝ)價スルモノガアリマスカラ意義アルコトヽ信ジマス。叉我々トシテハ科學ニ對シテモ興味ト同情トヲ常ニ持ツテ居ラレク不朽ノ文豪ニ對シテ、平素抱キツヽアツタ敬意ト共ニ,其遠逝ニ向ツテ深厚ナル弔意ヲモ併セ表シタイノデアリマシテ,旁々所見ノ大要ヲ報告シ標本ヲ供覧センガ爲メ此席ニ出マシタ譯デアリマス。(大正五年十二月十六日講演)」

日本消化器病学会雑誌 第十六巻第二号 別刷 夏目漱石氏剖検 1917(大正6)330 長与又郎 

一方,小説家德田秋聲 (1872 – 1943) は自然主義文学者としての『黴』や『あらくれ』で有名だが,随筆家としても多くの著述をのこした.その中には,郷土の味 鶇 を題材にした作品がある.
母親の葬儀のあとの情景を描いた『鶫の羹』(1918)と,『灰皿: 随筆集』 (砂子屋書房, 1938)の中の「鶫・鰒・鴨など」で,彼は(鶫の羹ほど)「食べものゝうちでは、これほど細(こまや)かな味をもつてゐるものを他にもとめることができないと信じている。」などと言っている.

2018年6月12日火曜日

ツグミ(14)「狩獵鳥獸」捕獲数 大正12年-昭和15年,岐阜県での鳥屋遊び,岐阜市案内,大井名勝

Turdus eunomus


大正七年(1918)に大改訂された「鳥獸獵規則」によって狩猟してよい「狩獵鳥獸」と指定されたツグミは,昭和二十二年に「鳥獸獵規則」が改訂されるまでは,主に霞網で大量に捕獲され,スズメと並んで最も多数が,量(羽×体重)ではスズメを抜いて最も多量に,捕獲されて食用とされた.
大正十二年度から昭和十五年度*で残っている公式の統計(「狩獵免許者ニ依ル鳥獸捕獲數調」農林省畜産局)では,昭和3年に440万羽をこえるツグミが捕獲されていた
*昭和8年度の記録は,NDLの公開デジタルでは見つけられなかった.

★農林省畜産局『狩獵統計』の「狩獵免許者ニ依ル鳥獸捕獲數調」には,大正七年(1918)の「鳥獸獵規則」によって狩猟してもよいとされた「狩獵鳥獸」全ての,大正十二年度から昭和十五年度の間の,狩獵免許者による捕獲実績が,各県別に記載されている.この表には各狩獵鳥獸の標準単価や標準重量も併記されていて,興味深い.

捕獲数のもっとも多かった昭和3年度ツグミの標準単価は 0.15 圓,標準重量は 0.082 kgとされ,同年度のスズメの標準単価は 0.05 圓,標準重量は 0.022 kgとされている(一圓 2,000 円で換算すると,ツグミは一羽 300 円,スズメは 100 円).これらの数値はあくまでも免許を取得していた者による公式な届け出に基づくので,密猟によってこれ以上の数のツグミが捕獲されていた可能性は否定できない.


捕獲数は昭和三年度をピークに漸減傾向が明らかで,乱獲による影響が考えられる.

安価ではあるが,捕獲数が多いため,その経済的な価値は捕獲全鳥類の中でも三番目で,スズメの十位を凌駕する.
留鳥のスズメと比較しても多いツグミの捕獲数は,地域的にも偏りがあり,捕獲数上位十位までの県で,全捕獲数の 80% 近くを占め,渡りの経路で,短期間に霞網で多量に捕獲されていたことが分かる.一方スズメは上位十県で 60% 以下であり,あまり地域的な偏りはないようだ.

多く捕獲できる地域では,霞網にかかったツグミをその場で焼いて,酒のつまみとして食べるのが秋の風物詩となり,客寄せのアトラクションとなった.また,粕漬として保存し,名産品として各地へ送った.金澤出身の徳田秋声は好み,夏目漱石は死の直前に賞味したという(次記事).

★岐阜市教育会編『岐阜市案内 : 附・長良川鵜飼記』(大正41916
「◎鶇獵(つぐみれう) 恵那(えな),加茂(かも),土岐(とき),の諸郡に於て秋期(十月下旬より十一月上旬迄)之を行ふ
 山頂に網を張り,囮を以て類を呼び之を捕ふ,其實况(じつきやう)甚だたくみにして,興あり,鳥叉味よく,古き以前よりこの地方の特産として鶇の糀漬(かうぢづけ)は最も有名(いうめい)なり.」

同じ岐阜県で,中山道大井宿を中心にし,現在の恵那市の中心地を構成する町の一つである大井町のツアーガイドともいうべき★松下辰造『大井名勝(大正91921) には
『大井名勝』(大正9) NDL
東濃の捕鳥 鶇(ツグメ) -鳥屋遊び
 東濃殊に木曾山系中なる恵那ヶ岳の峰續き阿木の龍泉寺山に於ては鶇鳥の捕獲數年々多大なり.抑ゝ鶇は素と西比利亞の産,其の産地の大曠原も漸く極寒降雪の期に達せんとするや,各其餌に滿足せんが爲め遂に一大群を作つて日本内地の最大山系上を辿りつゝ目的地南洋諸島へと渡り行かんとす,龍泉寺山近傍實に之れが衝路にして,時としては張りたる霞(カスミ)網を突破せらるゝ如きの大群團が襲來すること屢々なり.以て年々の捕獲量をも推察すべきなり.
 拂暁より午前八時前頃迄數百數千の鶇群が飛來するとき,突然百兵の踏來するが如く暴風にも似たらん其羽音,飛行機にも似たらん,其迂鳴り,舞ひ來り舞ひ下るところの光景は唯々壮絶凄絶と言ふの外なし.
 渡る鶇,群(ム)れに大恵那ひヾきけり.
其の之れが捕獲の法,先づ網場(アミバ)には霞網(カスミアミ)を張り,囮(オトリ)を備へ,曳鳥(ヒキトリ)を設け,且跳木(ハネキ)を装す,既にして囮先づ啼けば,天空の鶇之が爲め呼ばれ,飛翔徘徊のもと曳鳥もて之を誘ふ,機を見て跳木を揮へば終に網羅し得るの順序なり.循環転々羅するあり,逃ぐるあり,鳥屋内には巨瓶一筒,豫め醇酒を燗し赫々たる爐中に鶇を投じて之を燒かば濃脂滿々大に火勢を煽つて美肉忽ち成る,佳醤に浸して後ち且飲み且食ひ且網する其味,其快,其頻との相錯綜するところ忙殺場裏趣味津々として眞個秋天の一快事なり.
以上の殘禽餘鳥は大井近傍關戸山正家山愛宕山等各山丘上(サンキウゼウ)に鳥屋袋ありて之を捕獲するの設備あり,鶇の外シナイアトリカシラヒワ等の如き端鳥までを獲とらるゝ.季節は十月中旬より十一月下旬に亘る稍〃寒気且晴天の日,霜ある朝の如き尤も好し之を鳥屋遊びと云ふ,近年都會よりも,忙裏一日を割愛して態〃來観する人,尠からず.獲たる鶇は麹漬となし,後ち各所に向けて販賣する.即ち大井名産の一なり.」
と美文調でその行楽を描く.

2018年6月11日月曜日

ツグミ(13)鳥獸獵規則-2,大正七7年「狩獵鳥獸」の指定

Turdus eunomus

 ツグミは明治時代から昭和22年(1947)に狩猟対象から外されるまで,野鳥としては,スズメと並んで最も多数,量(羽×体重)ではスズメを抜いて最も多量に捕獲されて,食用とされた(次記事).

明治六年(1873)に『鳥獸獵免許取締規則(鳥獸獵規則)』が公布されたが,これは獵銃を扱う際の規制であり,また,明治十年(1877)には,銃獵を行える期間・時間が規制されたが,その対象となる野生の鳥獣に関しては特段の制限はなかった.

明治二十五年(1892)の『狩猟規則』には,銃猟以外に放鷹,黐縄叉は擌を用いる猟が免許を得るべき猟法として指定され,更に「鳥獸保護」の章によって,ツル,ツバメ,ヒバリなど,保護すべき(捕獲禁止の)鳥獣が指定された.第二十五條で,ツグミには「三月十五日ヨリ十月十四日マテヲ保護期間トシ其期間捕獲スルコトヲ禁ス」と一応の保護期間が設定されたが,ツグミが日本に渡ってくる時期を考慮すると,その保護の効果はほとんどなかった.

大正七年(1918)には,「鳥獸獵規則」が大改訂され,捕獲してはいけない「保護鳥獸」ではなく,狩猟してよい「狩獵鳥獸」が指定され,それ以外の鳥獣の捕獲は違法とされた.これが現在の「鳥獣保護法」の原点とされるが,昭和二十二年に改訂されるまでは,ツグミは狩獵鳥獸のままであり,公式の統計(「狩獵免許者に依る鳥獸捕獲數調」農林省畜産局)が残っている大正十二年から昭和十五年の間で,昭和三年には,440万羽をこえるツグミが捕獲されていた(次記事).

大正七年四月四日の官報第一六九八號
法律
朕帝國議會ノ協賛ヲ經タル狩獵法改正法律ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
御名  御璽
大正七年四月二日
              内閣總理大臣 伯爵寺内正毅
              農商務大臣    仲小路廉
              大藏大臣     勝田主計
法律第三十二號
 狩獵法
          第一條   狩獵鳥獸以外ノ鳥獸ハ之ヲ捕獲スルコトヲ得ス
 狩獵鳥獸ノ種類ハ主務大臣之ヲ定ム
 主務大臣ハ特殊ノ狩獵鳥獸ノ保護蕃殖ノ爲必要ト認ムルトキハ區域ヲ定メ其ノ捕獲ヲ禁止叉ハ制限スルコトヲ得
第二條 狩獵鳥類ノ雛及鳥類ノ卵ハ主務大臣ノ定ムルモノヲ除クノ外之ヲ捕獲マタハ採取スルコトヲ得ス
第三條(以下略)」(左図,NDL)
と,改正した狩猟法には狩猟できる鳥獣を指定して,それ以外の鳥獣の捕獲を原則的に禁じることとした.

「狩獵鳥獸」の種類を指定した主務大臣の令は,見いだせなかったが,二年後の大正九年に静岡縣警察部保安課の『行政警察参考資料. 第一編』の「六 狩獵鳥獸ノ名稱ト種類」に,狩獵鳥獸名とその種類が記録されているので,鳥類の部を以下に示す.(下図,NDL)


「六 狩獵鳥獸ノ名稱ト種類
信天翁:アホウドリ,コアホウドリ,クロアシアホウドリ
鸕鶿:ウミウ,カハウ,チシマウガラス,ヒメウ
五位鷺:ゴイサギ
蒼鷺:アヲサギ
鴨:ツクシガモ,アカツクシガモ,マガモ,カルガモ,ヲカヨシガモ,ヨシガモ,シマアジ,コガモ,トモヘガモ,ヲナガガモ,ハシビロガモ,ヒドリガモ,アメリカヒドリ,リウキウガモ,キンクロハジロ,スズガモ,ホシハジロ,メジロガモ,アカハジロ,ホヽジロガモ,コホリガモ,シノリガモ,ビロウドキンクロ,クロガモ,ケワタガモ,コケワタガモ,ヲシドリ
鋸齒鳧:カハアイサ,ウミアイサ,ミコアイサ
雁:マガン,コカリガネ,ヒシクヒ,オホヒシクヒ,サカツアガン,コクガン,シジウカラガン,ハクガン
鵠:ハクテウ,オホハクテウ
鷲:イヌワシ,ヲジロワシ,オホワシ,カムムリワシ,
熊鷹:クマタカ
隼:ハヤブサ,チゴハヤブサ,シロハヤブサ,
雉:キジ,コウライキジ
鸖雉:ヤマドリ,アカヤマドリ,コシジロヤマトリ
鶉:ウヅラ
松鶏:エゾヤマドリ
秧鶏:ヒメクヒナ,シマクヒナ,マミジロクヒナ,ヒナクヒナ,リウキウヒクヒナ,リウキウオホクヒナ,クヒナ
鷭:バン,オホバン
大膳:ダイゼン
胸黒:ムナグロ
千鳥:コバスチトリ,イカルチトリ,コチトリ,オホメダイチトリ,メダイチトリ,シロチトリ
計里:ケリ,タゲリ
鷸:キヤウジヨウ,タイシャクシギ,ホウロクシギ,チウシヤクシギ,コシヤクシギ,オホメリハシシギ,ヲグロシギ,オヲハスシギ,ノリハヒシギ,キアシシギ,タカブシギ,エソシギ,クサシギ,コアヲアシシギ,アヲアシシギ,ツルシギ,アカガネシギ,エリマキシギ,ハイイロヒレアシシイギ,キリアイ,アカエリヒレアシシギ,トウ子ン,ヲジロトウネン,ヒバリシギ,コオバシギ,オバシギ,チシマシギ,サルハマシギ,ウヅラシギ,ハマシギ,ミユビシギ,ヘラシギ,アメリカシギ,『タシキ,ハリヲシキ,チウシキ,オホシキ,コシキ,アオシキ,ヤマシキ,タマシキ』田鴫類(乙種)
鳩:キジバト,シラコバト,キンバト,カハラバト,カラスバト,ヲカサワラカラスバト,アカガシラカラスバト,リウキウカラスバト,アヲバト,リウキウアヲバト,チウダイアヲバト
鵯:ヒヨドリ
鶇:ツグミ(黒鶇及虎鶇ヲ除ク)
眉茶𫛉:マミチヤジナイ
白腹:シロハラ
烏:ハシブトガラス,ハシボソガラス,ワタリカラス(ホシカラスヲ除ク)
橿鳥:カケス,ミヤマカケス(ルリカケスヲ除ク)
蠟嘴:シメ
鵤:イカス,リクゼンイカス
交啄:イスカ,ナキイスカ
猿子:ギンザンマシコ,オホマシコ,アカマシコ,ベニマシコ,ハギマシコ(オガサワラマシコヲ除ク)
花鶏:アトリ
鶸:ヒワ(アヒワ,ベニヒワ,シロハラベニヒワ,カワラヒワ)
鷽:ウソ
雀:スズメ
入内雀:ニウナイスズメ
頬白:ホホジロ
深山鳥:ミヤマホホジロ
青鵐アヲジ(シマオヲジヲ除ク)
黒鵐クロジ
頭鳥:カシラダカ
野鵐:ノジコ
(以下 獣類は省略)」

2018年6月10日日曜日

ツグミ(12)鳥獸獵規則-1,明治6年・明治10年,明治25年

Turdus eunomus

ツグミは明治時代から昭和22年(1947)に狩獵対象から外されるまで,野鳥としては,スズメと並んで最も多数,量(羽×体重)ではスズメを抜いて最も多量に捕獲されて,食用とされた(次々記事).

明治六年(1873)に『鳥獸獵免許取締規則(鳥獸獵規則)』が公布されたが,これは獵銃を扱う際の法律であり,また,明治十年(1877)には,銃獵を行える期間・時間が規制されたが,狩猟対象に関しては特段の制限はなかった.
明治二十五年(1892)の『狩猟規則』には,銃猟以外に放鷹,黐縄叉は擌を用いる猟が免許を得るべき猟法として指定され,更に「鳥獸保護」の章によって,ツル,ツバメ,ヒバリなど,保護すべき(捕獲禁止)鳥獸が指定された.その第二十五條においてツグミには「三月十五日ヨリ十月十四日マテオ保護期間トシ其期間捕獲スルコトヲ禁ス」と一応の保護期間が設定されたが,ツグミが日本に渡ってくる時期を考慮すると,この規制による保護の効果はほとんどなかった.

1873 明治六年一月二十日太政官布告第25 『鳥獸獵免許取締規則(鳥獸獵規則)』
〇第二十五號 (一月二十日)(布)
鳥獸獵免許取締規則等別紙ノ通被定候ニ付管内無遺漏觸示シ願出候者有之候者ハ身元並近傍故障
有無相糾差支無之ハ規則ニ照準鳥獣獵免許鑑札相渡屹度取締可相立事
但從前ノ獵銃税ヲ相廢シ第二十八號布告ノ銃砲取締規則第六條ハ此規則ニ引換候事
一 従来鳥獸獵差許來候地所ノ字地名共取調七月迄大蔵省ヘ届出銃獵ノ分ハ陸軍省ヘモ可届出事
 但從來許來候地所ニテモ人民障碍相成候場所ハ更ニ禁止ノ見込取調本文同様可申立事
一 鳥獸獵免許ノ者ハ新古ニ拘ラス名面取調毎年十二月迄大蔵省ヘ届出銃獵ノ分ハ陸軍省ヘモ可届出事
一 鑑札免許税ハ収入ノ度毎大蔵省ヘ相納一ケ年分一人別帳ヲ製シ毎年十二月限リ同省ヘ差出右總計ハ雑税帳ヘ組入歳入皆濟帳ヘ以成算可致事
一 新規免許鑑札願出候者ハ時間ノ遅速ニ拘ラス税金ハ一ヶ年ノ本額可爲納事
一 過料金ハ一ヶ年ニ括リ明細仕譯書ヲ以テ司法省ヘ可差出事
一 鑑札雛形ノ通相心得焼印並割印ノ儀ハ在來相用爲見本一枚大蔵省ヘ可差出事
一 從前免許鑑札ヲ渡置モノ此規則ニ從ヒ免許改渡税金上納濟ノ分ハ下戻更ニ本額ノ税金可爲致上
 納事
右之通候事

(別紙)
鳥獸獵規則
第一條     銃砲ヲ用テ鳥獸ヲ獵シ以テ生活トスル者ヲ職獵トシ遊樂ノタメニスルヲ遊獵トス
第二條     銃獵ノ事今免許鑑札ナキモノ一切禁止シ有害ノ鳥獸ヲ威シ或ハ殺スコトハ地方官ノ便宜ニヨリ臨時ノ免許ヲ與フヘシ
第三條     職獵遊獵トモ必ス願書ニ名住所身分年齢ヲ記シ地方官廳ヘ願出免許鑑札ヲ受ケ出獵ノ節ハ必ス之ヲ所持スヘシ
第四條     獵鑑札ハ一人一己ノ用トナスヘクシテ只一ヶ年ノミ効アリトス
第五條     鑑札ヲ渡スニハ職獵ニハ壹圓遊獵ニハ十圓ツヽノ税ヲ納ムヘシ
第六條     鑑札ハ各地方廳ニテ別紙雛形ノ通製造シ相與ヘ尚翌年モ願出ルモノハ最前ノ手續ヲ用ユヘシ
第七條     鑑札ハ貸借或ハ賣買スルコトヲ禁ス
第八條     鑑札ヲ遺失スル者及遺失セル観察ヲ拾ヒ得ル者ハ直ニ管廳ヘ届出ツヘシ
 但其遺失セシ者ハ印鑑遺失例ニ照スヘシ
第九條     左ノ輩ヘハ鑑札ヲ與フヘカラス
一 十六歳以下ノ幼者
一 獵銃用ヒ方ヲ知ラサル者
一 白痴瘋癲等人事ヲ辧セサル者
一 故ナク弓箭銃砲ヲ放ツノ刑ヲ受ケシ者
一 山林田野川澤等ノ監守者
一 獵事ニ關スル諸規則ヲ犯シ前計ノ言渡ヲ謹守セサルモノ
第十條   (略)
第十一條                左ノ場所ニハ銃獵スヘカラス
  一 人家稠密ノ地
  一  人家アル所及人ノ往來作業スル所都テ銃丸ノ迸リテ人ヲ害スルノ恐レアル所
  一  禁獵制札ノ場所
  一  他人ノ住居或ハ構内
但獵銃ヲ所持スル者銃砲取締規則ニ照準スヘキ事
第十二條                獵ヲ禁スル地ニ非スト雖モ田畑植物ヲ踏荒シ且樹木ヲ毀損スルコトヲ厳禁トス
第十三條 銃獵期限ハ十二月一日ヨリ三月中ヲ限リトス右時限ノ外ハ出獵ヲ禁ス
但銃獵期限ハ地方ノ模様ニヨリ其見込ヲ以テ此期限ヲ伸縮シ山間等沿革ノ地ハ其期限ヲ定メサルコトモアルヘシ
第十四條 戸長邏卒地主山林田畑川澤等ノ監守者銃獵者所持ノ鑑札ヲ檢査スルノ權アルヘシ若シヲ犯スモノハ右ノ輩申立ニ據リ
ソノ罪ヲ論ス猶決シ難キ時ハ證人ヲ以テ證スヘシ
第十五條 (以下第二十三條まで略)
第二十四條 鳥獸ノ死シ或ハ落酔スヘキ餌或ハ藥品ヲ用井テ獵スルコトヲ禁ス
第二十五條  (以下略)

明治十年一月廿三日 第十一號布告
★鳥獸獵規則
第一條     小銃ヲ用テ鳥獸ヲ獵シ生業トスル者ヲ職獵トシ遊樂ノ爲ニスルヲ遊獵トス
第二條     銃獵免狀ナキ者ハ總テ銃獵スルヲ禁ス但有害鳥獸ヲ除ク爲メニハ地方官ノ便宜ヲ以テ臨時ノ免許ヲ與フヘシ
第三條     銃獵免狀ヲ得ント欲スル者ハ願書ニ族籍職分住所姓名年齢ヲ詳記シ東京府下ニ於テハ内務省(警視廳云々)其他ハ該地方官廳ハ差出スヘシ
第四條     免狀ハ其効一期限ニ止ルモノトス免狀ハ貸借
第五條     免狀ヲ願受クル者ハ左ノ通リ免許税ヲ納ム
  一 職獵税                           金壹圓
  一 遊獵税                           金拾圓
第六條      (免狀ノ毀損,盗難,紛失ノ場合ノ処置)
第七條      (免狀ヲ付与デキナイ者ノ条件)
第八條      左ニ記列シタル場所ニ於テハ獵銃ヲ爲スヲ禁ス
  一 都府市街地ハ勿論衆人羣集ノ場所
  一 銃丸ノ達スヘキ恐レアル人家ニ向ヒタル距離
  一 禁獵制札ノ場所
   但制札ハ獵銃二挺ヲ交叉シタル圖ノ下ニ銃獵禁制ノ四字ヲ記シ掲ケ置クヘシ
  一 作物植付アル田畠内或ハ社寺人家等ノ構内
   但シ該主叉ハ管守人ノ許諾ヲ得タル者ハ此限リニアラス
第九條      (獵銃ノ定義,制限)
第十條      銃獵期限ハ十月十五日ヨリ四月十五日迄ヲ以テ一期トス是時限ノ外ハ銃獵ヲ禁ス
 但地方ノ景況ニ依リ已ムヲ得ズコノ時限ヲ伸縮スルトキハ其理由ヲ農商務省ヘ届出ヘシ
第十一條 日没ヨリ日出迄ノ時間ハ銃獵ヲ禁ス
第十二條 (以下第十七條まで略)

明治二十五年十月 勅令 第八十四號
★狩猟規則 ( 明治25年10月 6日勅令第84号 )
第一章 獵具獵法
第一條 此規則ニ於テ狩猟ト称スルハ銃器、各種ノ網、放鷹,黐縄叉ハ擌ヲ以テ鳥獣ヲ捕獲スルコトヲ謂フ
 前項各猟具ノ種類及制限ハ農商務大臣ノ定ムル所ニ依ル
第二條 爆發物、据銃若シクハ危ナル罠若シクハ陥穽ヲ以ッテ狩獵ヲ爲コトヲ得ス
 前項ノ外ノ猟具、猟法ニシテ第一條ニ掲ケサルモノニ就テハ地方長官(東京府下ハ警視總監以下倣之)ハ農商務大臣ノ認可ヲ經テ便宜取締規則ヲ設クルコトヲ得
第三條 日出前、日没後又ハ市街、人家稠密ノ場所、衆人群集ノ場所ニ於テ若クハ銃丸ノ達スヘキ虞アル建物、船舶,汽車ニ向テ銃獵ヲ爲スコトヲ得ス
第四條 左ニ掲クル場所ニ於テハ狩猟ヲ為スコトヲ得ス
 一 御猟場
 二 禁猟制札アル場所
 三 公道
 四 公園
 五 社寺境内
 六 墓地
 七 欗,柵,圍障ヲ設ケ叉ハ作物植付アル他人ノ所有地但所有者叉ハ管理人ノ承諾ヲ得タルトキハ此限リニ在ラス
第五條 地方長官ハ土地所有者ノ出願ソノ他ノ理由ニヨリ必要ト認ムル場合ニ於テハ禁獵制札建ツルコトヲ得

第二章 狩猟免許
第六條 狩猟ヲ爲サント欲スル者ハ地方長官ニ願出テ免狀ヲ受クルヘシ但欄、柵又ハ圍障アル宅地内ニ於テ銃器ヲ使用セスシテ狩猟ヲ爲ス者ハ此ノ限ニ在ラス(以下略)
第七條 免狀ヲ分チテ職獵免狀,遊獵免狀トシ更ニ分チテ各甲乙二種トス
 職獵免狀ハ生計ノ爲ニ狩獵ヲ爲ス者ニ下付シ遊獵免狀ハ有樂ノ爲ニ狩獵ヲ爲ス者ニ下付スルモ
 ノトス
 甲種免狀ハ銃器ヲ使用セスシテ狩獵ヲ爲ス物ニ下付シ乙種免狀ハ銃器ヲ以テ狩獵ヲ爲ス者ニ下
 付スルノノトス
第八條 左ニ掲クルモノハ狩獵免狀ヲ受クルコトヲ得ス
              一 判任以上ノ官吏及其待遇ヲ受クル者
              二 所得税ヲ納ムル者
              三 地租拾五圓以上ヲ納ムル者
              四 所得税拾五圓以上ヲ納ムル者ノ家族
第九條 免狀ヲ受クル者ハ左ノ區別ニ從ヒ免許料ヲ納ムヘシ
              狩獵免狀            甲種                      金五拾錢
                                           乙種                   金一圓
              遊獵免狀 甲種                      金五圓
                                           乙種                   金拾圓
第十條 甲種免狀ノ有効期限ハ十月十五日ヨリ滿一箇年トシ乙種免狀ノ有効期限ハ十月十五日ヨ
 リ翌年四月十五日マテトス
第十一條 (略)
第三章 獵區設定 (略)
第四章 鳥獸保護
第二十四條 左ニ掲クル鳥獸ハ捕獲スルコトヲ禁ス
              一 鶴各種
              一 燕各種
              一 雲雀
              一 鶺鴒
              一 四十雀(シジフカラ)
              一 日雀(ヒカラ)
              一 五十雀(ゴジフカラ)
              一 葦雀(ヨシキリ)
              一 鷦鷯(ミソサザイ)
              一 杜鵑
              一 啄木鳥(キツヽキ)
              一 鶲(ヒタキ)
              一 椋鳥(ムクトリ)
              一 田〓(タヒバリ)
              一 一歳以下ノ鹿
第二十五條 左ニ掲クル鳥獸ハ三月十五日ヨリ十月十四日マテヲ保護期間トシ其期間捕獲スルコトヲ禁ス
              一 雉
              一 鸐雉(ヤマドリ)
              一 鶉
 一 鴻雁
 一 鳬各種 
 一 鷸(シギ)各種
 一 鷭(バン)
 一 鵠(クヽヒ)
 一 鶇(ツグミ) 
 一 鷺各種
 一 鳩各種
 一 鵙(モズ)
 一 樫鳥(カシトリ) 
 一 秧鶏(クヒナ)
 一 鹿
 一 羚羊(カモシカ)
 一 兎 

地方長官ハ土地ノ情況ニ因リ農商務大臣ノ認可ヲ經テ適宜三十日以内前項ノ期限ヲ伸縮スルコトヲ得
第二十六條 (有害鳥獸ノ驅除)
第二十七條 捕獲ヲ禁セサル鳥獸ト雖モ特ニ保護ヲ要スルトキハ農商務大臣ハ此規則ニ拘ハラス其捕獲ヲ停止スルコトヲ得
第二十六條 第二十四條及第二十五條ニ掲クル鳥類ノ卵叉ハ雛ヲ取リ若クハ之ヲ賣買スルコトヲ禁ス
第五章 罰則
(以下略)