2023年5月26日金曜日

ガーンジー・リリー (14-6) ハコネシダ 石長生 オランダソウ カツテイラ,ヘンネレス.地錦抄,広益地錦抄,大和本草,本草綱目記聞,用薬須知,和漢三才図会

 ドイツ人博物学者エンゲルベルト・ケンペルが,イチョウを Ginkgoとして,初めて西欧に紹介した際,葉がホウライシダ類(Adiantum, 英名:Maiden hair fern)に似ている事を述べた.また彼は将軍謁見のための江戸参府の道中(1691年)で,箱根山中で薬効があると聞いて採取し,ハコネクサ(Fákkona Ksa)とその名を記したハコネシダ(現在有効な学名:Adiantum monochlamys D.C.Eaton)を,ホウライシダ屬のホウライシダ(A. capillus-veneris L.)と同定した.

  ケンペルがハコネシダの薬効を教え,オランダソウの名が生じたと,松川二郎『科学より見たる趣味の旅行』(1923)の「箱根巡りの科學」,牧野富太郎『牧野日本植物図鑑』(1940)の「ハコネサウ」に記されているが,ケンペルが訪れた1691年より前に刊行された『本草瓣疑』(1681),『広益本草大成』(1689)に,「阿蘭陀艸(オランダソウ)」の名や「オランダ人が箱根で採ってから,初めて産後産前の諸症状に効くこの薬草の事が分かった」との記述があるので,ケンペル以前に来日した西欧人が関与していると思われる(前記事).

また,ハコネシダ(虎の尾,小鳳尾艸,石長生)の蠻名として「カツテイラ」「ヘンネレス」「カツヘレサウ」「へねれんさう」が記録されているが,これは,ホウライシダの古いラテン名の“capillus-veneris”(ビーナスの髪)の前半・後半に由来すると考えられる.どのような経緯でこの名が,比較的早く知られたのかは不明.

 ハコネシダは薬草として箱根の土産物にもなった(「七湯の枝折」(1861))が,一年中小型の可愛い葉が美しい緑を保ち,繊細な茎が漆を塗ったように光沢がある事から,『地錦抄』(1695),『広益地錦抄』(1719)で高く評価されたように,観葉植物としても育てられた.


貝原益軒★『大和本草』(
1709)には,石長生,ハコネソウに関連する三種の植物の記述がある.その中で,「石長生」は「シノブ」と考定し,「箱根草」は万葉集にも詠われた「和草(にこくさ)」と,またオランダ人が薬効あるとした「箱根草」に似てより小さい種を「虎の尾」として,蠻語で「カツテイラ」「ヘンネレス」と言うと記した.更に万能薬とされていた「ウニカウル」(イッカクの角)に加えると,婦人薬として効果があるとした.

松岡玄達の★『本草綱目記聞』(1712以前)では「石長生」がハコネクサに考定されているが,別項で「鳳尾草」は「かつへらさう」であるとし,同人★『用薬須知』(1712)では,ハコネシダは「小鳳尾艸」の名で記載され,蠻名は「カツヘレサウ」で「嚏噎ヲ治ス」との薬効があるとされた.

★寺島良安『和漢三才図会』(1712頃)には,箱根草,石長生,虎尾草が項目としてあり,「箱根草」には「オランダ人が薬効があると言った」事が,「石長生」には,ホウライシダのラテン名由来の「かつへらさうへねれんさう」の別名が記された. 

江戸・染井の植木屋★伊藤伊兵衛三之丞・政武父子『地錦抄』(じきんしょう)シリーズは,1.花壇地錦抄』(三之丞著,5冊,1695年刊),2.『増補地錦抄』(政武著,8冊,1710年刊),3.広益地錦抄』(政武著,8冊,1719年刊),4.『地錦抄附録』(政武著,4冊,1733年刊)の4点が順次刊行された.

★『花壇地錦抄』(三之丞,
1695)の「四季草花之巻五 葉ノ見事ナル類」に


箱根草(はこねくさ)こまかに見事なる草立之莖ハ成程

細ク其色漆をぬるがことし相州箱根山ニ多し

阿蘭陀(オランダ)人江城参上ノ時箱根にて是を取産後産

前の諸疾に妙也卜云一名阿蘭陀草共云ト本草瓣

疑に見ゆ」とある.
 また,栽培法として「はこね草 野土ニ植ル日かげの木の下ニ植えてよし」とあり,薬草としてのみならず,園芸草本としての価値も高く認められている.

★『広益地錦抄』(政武,1719)の「巻之五 藥草五十七種」には,
阿蘭陀草(おらんださう) 葉こまかに付
小草なり巠
ほそく極テ黒クして黒漆(コクシツ)
ぬるがごとくしだれて見事

花はさかず葉乃ながめ
ある事花にかへたり
所々深山岩窟(ジンザンガンクツ)に生藥に
箱根山成ルを用異名を
はこね草と云婦人の
産後産前の諸疾(シツ)に
せんじ用て妙なりと云」と,阿蘭陀草を本名として,花は咲かないが枝垂れた様は見事で,素晴らしいと褒めている.


儒学者として名高い貝原益軒(1630 - 1714)は,動植物にも関心が深く,著作には『大和本草』のほか,『花譜』『菜譜』があり,『筑前国続風土記』や多数の紀行書にも博物誌的記述が少なくない.★『大和本草』(1709)の「巻之九 草之五 雑草類」には,
石長生(シノフクサ) 莖黒ク或紫色細莖ナリ葉似蕨又似檜四
 時不多ハ生石岩又生山陰苗ノ高尺許今按
 草弘景時珍所説ノ石長生ノ形-狀ヨクシノフニ合ヘリ

〔和品〕和草(ニコクサ)
 藻鹽草曰爾許(ニコ)草ハ萬葉ニハ和(ニコ)草トカケリ花モ
 葉モコマカナリアヲ根トモ古歌ニヨメリ○篤信云和(ニコ)-
 是俗ニ云ハコ子草ナルヘシ箱根草ハシノフニ似テ小ナリ
 葉細シ莖紫-色光アリ莖硬シ又黒色ナルモノアリ相州
 箱根山ニ多シ他州ニモ岩-上古-墻石壁ナトニ生ス

〔和品〕虎
 小草ナリ箱根草ヨリ細ニシテ柔ナリ最美(ウルワシ)箱根艸
 ニ相似テ不同蠻語ニカツテイラトモヘン子レストモ云狀
 如此産後ニ紅夷人コレヲ用ユ日本人ハ四物湯ト等
 分ニ合セ産前後ニ用テ
 驗アリカゲホシスル又
 膈症ニ此草ヲアメンタウス
 氷沙糖三種等分ニ合セ服ス甚驗アリシノフハコ子草
 虎ノ尾三物相似テ不同三才圖会草木五曰地-
 根狀如莖細ニシテ上有黄點子花葉三月
  四五寸許四月リテ乾用主臓毒下-神速○今
 按此亦石長生之類歟」とある.この「カツテイラ」及び「ヘン子レス」は,ホウライシダの古いラテン名であり,後にリンネによって種小名に採用された “capillus-veneris”(ビーナスの髪)の前半・後半に由来すると考えられる.これらの名は,ハコネシダの別名とされているので,益軒の云「虎の尾」はハコネシダと考えられる.また,紅夷人由来の婦人薬としての処方と,『本草綱目』由来の薬効の両方が記されている.
 さらに,「巻之十六 獸類」の項には
ウニカウル 蠻語ニ一角ヲウニカウル云是一獸ノ角ナリ
其獸ノ名シレズ犀角ノ類ナルヘシ蠻國ヨリ來ル俗ニ
稱スル處ノ功能ヲコヽニ記ス○解諸毒及酒毒
能解魚毒菌毒○食傷ニハ水ニテ用○傷寒
水ニ溺死ニ水ニテ服ス姉人血積痛○産前後難
産腹痛箱根草末ニ加用○咽痛甚シク飲水不ニ

○(以下略)」とあり,イッカクの角の粉末をハコネソウ末に加える処方がある事を記録した.

松岡玄達 本草綱目記聞』(1712以前)には
鳳尾草 凢呼鳳尾草者三種貫衆一名鳳尾草
金星草一名鳳尾草別一種載千群芳譜有大葉鳳尾
草貫衆類也与?別也有小雉尾草大蕨ノ類也一根
数十茎四散スルモノヲ鳳尾草ト云小ナルモノハカツヘル草也小鳳
尾草蛮名カツヘレサウ用■(膈の月を口)噎之ヲ治ス巴旦杏鳳尾草氷
砂糖甘草細末而練蜜ニテ用甚有功ト云フ」とあり,また,同人の『用薬須知』(1712)には
「小鳳尾艸 蠻名カツヘレサウ 蠻人ノ傳ニ多ク用イテ嚏噎
ヲ治ス 巴且杏(アメントウ)鳳尾草 氷砂糖(コホリサトウ)甘艸 細末シテ蜜ニテ煉
ニ間有効ト云 又大葉ノ鳳尾アリ貫衆ノタグ
ヒノ通名ナリ 此ト別ナリ 小雉尾草モアリ 犬ワラビノ類ヲ
指ス 一根數十莖ニシテ四モニ散ズル者ヲ鳳尾艸ト云
ナルモノハカツヘレ艸ナリ」なりとあり,氷砂糖と甘草との配合剤の処方が載る..


江戸期の絵入り百科事典として著名な★寺島良安『和漢三才図会』(1712頃)の「九十二末 山草」の部に
箱根草(本名未詳)

△按ズルニ,箱根草ハ相州箱根山ニ之レ有リ.小草ニシテ苗ノ高サ六,
七寸,細キ茎褐色,葉ノ形ハ銀杏(ギンナン)ノ葉ニ似テ小サク,其ノ根ハ細ク,
糸ノ如クシテ短シ.未ダ其ノ本名ヲ知ラズ.相伝ヘテ云フ,能ク産前
産後ノ諸血症及ビ痰飲ヲ治ス.往年阿蘭陀人之レヲ見テ良草有ルト称
ス.請ヒテ之レヲ採リ得テ,甚ダ以ッテ珍ト為スト云フ.」とあり,また「九十八 石草」の部には,
石長生かつへらさうへねれんさう)(シツチヤンスエン)
    丹草 丹沙草 〔俗に加豆閉良草とも,閉禰連牟草〕
本綱,石長生ハ石巌ノ下ニ生ズ.葉ハ蕨ニ似テ細ク,竜須ノ如ク,色
ハ檜ニ似テ沢勁ニ,茎ハ紫色,高サ尺余,余草ト襍(マジハ)ラズ四時凋マズ.
茎葉(鹹,微寒,小毒アリ) 寒熱ヲ治シ,諸風ヲ逐ヒ,疥癬ヲ治シ,
邪魅ヲ辟(サ)ク.
△按ズルニ,石長生ハ渓澗井石ノ間ニ生ズ.状蕨ニ似テ,面(メン)背青ク,
夏ニ背ニ子ヲ着ク.茶褐色ニテ虎尾草ノ子ノ如ク,茎ハ紫黒,折傷及
ビ痰咳,隔噎ノ薬ト為ス.」
虎尾草(とらのを) 俗稱〔正字未考〔止良乃於〕〔濕草ニ同名アリ〕
△按ズルニ,虎尾草ハ石縫ノ間及ビ竹藪ノ中ニ生ズ.葉ハ大葉ノ蕨(ワラヒ)
葉ニ似テ,甚ダ厚ク硬(コワ)ク微カニ反リ,枝椏無ク,其ノ背ニ茶褐色ノ粉
點有リテ花實無シ.彼ノ粉點ハモシ是レ子ト為ルカ.其ノ散ジ布ク処
(ハル)カニ二三尺ヲ隔テ,亦タ自然ニ出生ス.一茎僅カニ寸許リ,頂(イタダキ)ニ一
葉有リ.蕎麦ノ葉ニ似テ微カニ三稜ヲ成シ,尋(ツイ)イデ二葉ト爲ル.此ノ
時虎ノ尾草ノ苗ト云フヲ織ル音無シ.終ニ茎葉全ク備ハル.亦一異也(ナリ).人家ニモ亦タ之レヲ栽ウ.」(原文は何れも漢文)とある.
 良安は,「箱根草」と「石長生」を別種とし,オランダ人の関与と蕃名とを振り分け,薬効も前者には婦人薬,後者には『本草綱目』のそれを記した.

(続く)

2023年5月21日日曜日

ガーンジー・リリー (14-5) ハコネシダ 石長生 和文献・考定和名-2.和刻本草綱目,松下本-和名なし,貝原本-ヒナハラ,若水本-ヨメガハヽキ.本草綱目品目-ハコネサウ(初出).本草瓣疑-阿蘭陀艸,広益本草大成-箱根艸,和爾雅-ハコ子クサ

 ドイツ人博物学者エンゲルベルト・ケンペルは『廻国奇観』“Amœnitates Exoticæ”(1712)の中で,初めてイチョウを Ginkgoとして,西欧に紹介した.そのなかで,葉がホウライシダ類(Adiantum, 英名:Maiden hair fern)に似ている事を述べた.この著作にはホウライシダ屬のホウライシダ(A. capillus-veneris L.)と彼が考定した植物が記載されている.将軍謁見のための江戸参府の道中(1691年)に,箱根山中で薬効があると聞いて採取し,ハコネクサ(Fákkona Ksa)とその名を記したハコネシダ(現在有効な学名:Adiantum monochlamys D.C.Eaton)である.彼の腊葉標本は現在も大英博物館に保存されている.

 牧野富太郎は,ケンペルがハコネシダの薬効を教え,オランダソウの名が生じたと『牧野日本植物図鑑』(1940)の「ハコネサウ」に記したが,ケンペルが訪れた1691年より前に刊行された『本草瓣疑』(1681),『広益本草大成』(1689)に,「阿蘭陀艸(オランダソウ)」の名や「オランダ人が箱根で採ってから,初めて産後産前の諸症状に効くこの薬草の事が分かった」との記述があるので,ケンペル以前に来日した西欧人が関与していると思われる. 

江戸前期からハコネシダ(ハコネサウ)と考定されるようになった「石長生」は,中国の古い本草書『神農本草経』にも記載されている薬草である.シダ類である事は確かだが,現在でもその本体は明確ではない.前記事では,日本の江戸以前の本草書における「石長生」の考定を追ったが,ここでは江戸前期の本草書での「石長生」の考定和名を追ってみる.
 江戸時代以降,日本での本草書の標準となった李時珍『本草綱目』(1578)は斬新な内容だったので,本家の中国でも版を重ねたが,日本でも寛永14年(1637 の江西本を嚆矢とし,何種もの和刻本が刊行された.その中には考定された和名が追刻された品目がある版も多い.
「石長生」に対しては,初期の松下見林本(「篆字本」-1669)までは和名はないが,貝原本(「校正」-1672)には「ヒナハラ」,最善本とされる若水本(「新校正」-1714)には「ヨメガハハキ」の和名が刻されている.
「校正」で「ヒナハラ」と和名を記した貝原益軒は,『本草綱目品目』(1680頃)で,「石長生」を「ハコネサウ」と考定しなおし,これはハコネソウの初出であった(磯野初見).
 遠藤元理『本草瓣疑』(1681)には,「箱根草(はこねくさ)」が一項目として載り,「オランダ人が江戸参府の途上,箱根で採って産後産前の諸症状に効く」と言ったとして,「阿蘭陀艸」の別名を記す.オランダ人の関与を示す初見である.但しケンペルの江戸参府途上の箱根での「はこねそう」の採取は1691年(元禄4年)なので,このオランダ人がケンペルとは考え難い.
 岡本一抱撰『広益本草大成』(1689)には,「石長生」と「箱根艸」が別項目として収載され,前者には『本草綱目』の記述の一部が,後者には「オランダ人が箱根で採ってから,初めて産後産前の諸症状に効くこの薬草の事が分かった」と記載されている.
 貝原益軒の養子貝原好古『和爾雅』(1694)には,「石長生」に「ハウヒサウ,シノブ,或云ハコ子クサ」の和名が載っている.

 中国本草学の集大成として明代の★李時珍『本草綱目』(1578)は,それまで出版された多くの本草書を引用しながら著者自身の見解を附した大作で,1871種の薬種を収録している.1596年(万暦23年)に南京で初版が上梓された(南京の古称,金陵にちなんで,金陵版と呼ばれる).この書を林羅山(1583 - 1657)が1604年以前に入手していた事が,彼の読書目録からわかるが,慶長12年(1607年)には彼が長崎でこの書を入手し,駿府に滞在していた徳川家康に献上していて,これを基に家康が本格的に本草研究を進める契機となった事はよく知られている.『本草綱目』の明版・清版は世界各国に伝えられ,とりわけ漢字圏の日本・朝鮮・ベトナムでの本草研究に多大な影響を与えてきた.ただし本書の朝鮮版・ベトナム版はなく,中国以外で全巻を復刻したのは現在に到るも日本しかない.


 本書の「草之九 石草類」に収められている「石長生」に対して,初期の松下見林本(「篆字本」-1669 ①)までは和名はない.
 貝原益軒が校正したとする版(貝原本,「校正」-1672 ②)には「ヒナハラ」の和名が添刻されている.この和名は,前記事に載せた林羅山『多識編』(1612)にしるされた「石長生」の和名「比那和良」に由来すると考えられる.
 最善本とされる稲生若水(16551715)が校正したとする版(若水本「新校正」-1714 ③)には「ヨメガハヽキ」の和名が刻されている.八坂書房編『日本植物方言集成』(2001)には,ハコネシダの地方名として24の名が収載されていて,その中には「よめがさら 甲斐,よめがはし 甲州,よめがははき 甲州,よめのかんざし 越後,よめのぬりばし 越前,よめのはし 能登,よめのははき 近江」と「嫁」がつく方言が多くあるが,若水がなぜ,甲州地方の方言をここで採用したのかは分からない.当時ハコネシダを束ねて乾燥させ,葉を落として黒褐色のつややかな細茎だけにしたものを,文人達が机上を掃く箒として用いていて,その名がヨメガハヽキだったのかも知れない.


★貝原益軒『本草綱目品目』は,『本草名物附録』と共に,1672年初刊の『本草綱目』和刻本(貝原本)の附録だが,執筆されたのは 1680 年の可能性がある.との故磯野慶大教授の見解に従って,著作年代を1680頃とする.貝原本に添刻されている和名と比較すると,この著作の方が年代が後と考えられる.この書で益軒は「石長生」を「ハコネサウ」と考定しなおし,これはハコネソウの初出であった

 江戸時代前期の本草家で,京都の製薬業者の★遠藤元理(??)『本草瓣疑』(1681)の「巻之五 異国産 十七種」には,「箱根草(はこねくさ)」が一項目として載り
「【四】箱根草(ハコ子クサ)                         一名阿---(ヲランダサウ)
---人江-城参-上ノ時箱根ニ
テ採之産-後産-前ノ諸疾ニ妙ナ
リト云 今諸-山ニ多
 葉ノ形ノ細ニシテ莖細ク堅ク甚タ
 黑ク狀シノブ艸ニ似タル小草
 ナリ石-岩ニ生ス」とある.一方この書に「石長生」は見いだせなかった.調べた限りでは,この記事がハコネシダをオランダ人が薬草とした最初の文献ではある.

 ★岡本一抱(1654 - 1716)撰『広益本草大成』(1698)は通称『和語本草綱目』とよばれ,2310冊本からなり,収録の薬物は1834種で,明・李時珍の「本草綱目」所載の1788種に46種の新種を追加している.各個の薬物には,一抱が自ら描いた図があり,古今の説を自己の見識によって取捨して引用するとともに,自らの経験を参酌したその解説は詳細で平易である.
 この書の「巻之十 附録」には,
石長生鹹大冷○治-瘡大-ライ(サケ)鬼邪。治-蟲疥(ヒサン)(タムシ)」と,『本草綱目』の一部を引用し,また,「巻之十 ○新増附録」には,
箱根(サウコン)(ハコ子グサ)
血分産前産後諸疾○阿蘭陀(ヲランダ)人來聘ノ時。箱根(ハコ子)ニ於テ
是ヲ采(トリ)シヨリ。人始テ知。葉莖(クキ)(ホソ)ク茎ハ堅(カタ)ク黒ク。シノブ艸ニ似(ニ)タリ。今
諸山ノ石岩(セキガン)ニ多ク生ス」とある.記述は『本草瓣疑』とほぼ同じで,オランダ人が指摘して,初めて薬効が知られたとある.図は見いだせなかった.

 ★貝原好古『和爾雅』(1694)の「艸木門 第二十二」には,「石長生 ハウヒサウ,シノブ,或云ハコ子クサ」と和名が載っている.『和爾雅』は叔父益軒の養子,貝原好古(かいばら-よしふる,16641700)が著した江戸前期の8巻の辞書.中国の「爾雅」に倣って日本で用いられる漢語を意義によって24門に分類し,音訓を示し,漢文で注解を施した書. 放屁草

続く