2010年4月30日金曜日

イトバシャクヤク (ホソバシャクヤク) 「草原の貴婦人」

Paeonia tenuifolia

One native flower is seen-the peony-
One flower, which smiles in sunshine and in storm,
There still companionless,but yet not sad,
She has no sister of the summer field,
None to rejoice with her when spring returns,
None that in sympathy may bend it shead
When evening winds blow hollow o'er the rock in Antumn's gloom.
-Rev. W. L.Bowles ; f. Flower Lore, 199

“peony” の名は,トロイ戦争での神々の戦傷をこの植物の根で冶したという名医 Paeon の名にちなみ,古代ギリシア人はこの植物に大きな畏敬の念を持っていた.Plinyによれば,peony は最も古くから知られた薬草で,太古では医師を paeoni,薬草を paeoniae と呼んでいた.医術の神 Aesculapius は名医 Paeon が Pluto の傷を治したのをねたんで,Paeon を殺してしまった.Pluto はこの恩人を惜しんで,これを peony に変えたという(「英米文学植物民俗誌」加藤憲一 1976 冨山房).

イトバシャクヤクの原産地はヨーロッパの南東部からロシア南部の大草原.英国には1765年に入ったとの事.カーチスの Botanical Magazine の挿絵で有名な植物画家リリアン・スネリングの描いた美しい図譜が、英国王立園芸協会日本支部のHPで見られる(http://www.rhs-japan.org/fs/rhsje/c/a-art107).

2006年にホームセンターで3本の苗を購入.ようやく昨年から咲き出したが,今年は1本には2つ,1本には1つの花がついたが,もう一本には未だにつかない.結構気難しい.園芸種より花は小さく,花期も短いが,真紅の花弁と金色のしべ,そして繊細に切れ込んだ葉が美しい.原産地にちなんで「草原の貴婦人」とでも呼んでおこう.ヤマシャクヤクの白と同時期に咲けば,めでたいのだが.

2010年4月29日木曜日

イヌワラビ

Athyrium niponicum
昼すぎて日の目に遠き懸崖に
 仰げばさむき羊歯のむらがり
木下利玄

胞子が飛んできたのか,植えた植物にくっついてきたのか,庭のところどころに生えている.抜くと,折れた茎からはワラビの香りがする.イヌというだけあって,若芽(ワラビ)は堅くとても食用に出来そうもない.
この画像はスキャナーのガラス面に掘り取った葉や根を載せ,カバーをしないでスキャンして得た.バックが黒いのは反射光が少ないため.一方,昨日のタマシダは,葉の上に白いカバーを載せてスキャンし,画像処理で影を消した.

おまけには4月17日の,時ならぬ雪をかぶったヤエベニシダレの残んの花をいろどりに.昨年4月25日に弘前の桜を見に行ったときの,満開のソメイヨシノの花の上の雪を思い出した.

2010年4月28日水曜日

タマシダ

Nephrolepis auriculata
 本州南部に自生するシダだが,裏の通路に長年生えている.南国生まれだけあって,夏には大いに繁る.葉は羽片の基が耳状に飛び出して,葉の軸を覆う.貯水組織とも,これから芽が出てくるとも言われる白い球が根についているのが名の由来(右).なお,この白い球がどういう働きをしているのかは未だに不明のようだ.

 盛口満『シダの扉 -めくるめく葉めくりの世界』八坂書房 (2012) によると「沖縄の一地方ではこのタマシダの玉を,子どもたちはネコノキンタマと呼んでビー玉代わりにして遊び,また別の地方ではおじいさんの皐丸(タンメークーガー)と呼び,少し甘味があるこの玉をおやつとして食べたという.」とある.

 欧州では,古くは羊歯は花も種子もない,不思議で不気味な植物とされ,俗にMidsummer Eveに青い小さな花を開いてすぐしぼみ,たちまち種子を結んでその夜の正12時に落ちるとか,種子は魔術でなければ発見できないとか,悪魔が管理するその種子はMidsummer Eveでなければ得られず,得られた種子には霊験があって,それを身につけていれば姿をかき消すことが出来るとか,山で黄金を掘り当てることが出来るなどといわれていた(「英米文学植物民俗誌」加藤憲一 1976 冨山房).

 19世紀の半ばには富裕階級の温室で,熱帯の雰囲気を出すための小道具として競って世界中の珍しいシダ類が栽培されたようだ.また葉の精密な対称性や規則正しい並び方などに美を見出したらしく,多くの羊歯が植物図譜に取り上げられ(例えば Anne Pratt;The Flowering Plants, Grasses, Sedges and Ferns of Great Britain ),羊歯に特化した植物雑誌もあり( E. J. Lowe;Ferns: British and Exotic ),中には実物を銅版に転写して印刷した図を用いた図譜( Thomas Moore;Nature Printed British Ferns )もあった.



2010年4月27日火曜日

アマドコロ(斑入り)

Polygonatum odoratum var. pluriflorum
春,忘れた頃に芽を出してくるので,気をつけていないと他のものを植えようとして根茎を切ってしまう.園芸店で,ナルコユリ,ナルコスズランなどの名前で売られているが,ナルコユリとは違い,茎に角ばった稜がある.名は根茎の形がヤマイモの近似種のトコロ(オニドコロ)に似て,甘味のあることから来たとか.根茎を乾燥させたものは玉竹または萎蕤(いずい)という生薬であり,滋養強壮に効果があるとされる.韓国ではハーブティーの一つ「トゥングレ茶」としてひろく飲用されている.俳人小林一茶は強壮のため,近似種のナルコユリの根茎(黄精)を陰干しにして酒に漬けて服用していた.効果があったらしい.

 英名のSolomon's Sealとは,イスラエルの国旗にも使われている正三角形を2つ組み合わせた”ソロモンの指輪”と呼ばれる模様のこと(左図).この植物は秋になって茎が枯れると根茎から離れ,地下茎に残された痕跡の形がこの模様に似ているからとの事 (未確認).ソロモンの指輪は真鍮と鉄でできており,様々な天使や悪魔を使役し,あらゆる動植物の声までをも聞く力を与えると伝えられている.
 カモ類の雛の刷り込み現象を唱えたことで知られるコンラート・ローレンツ (Konrad Zacharias Lorenz, 1903-1989) は動物の行動観察することにより,その「言葉」がわかるのだ,として 『ソロモンの指環―動物行動学入門』 (1960)を書いた.

2010年4月26日月曜日

セイヨウタンポポ, O. ヘンリー, レイ・ブラッドベリ

Taraxacum officinale
I am the bold fellow. As ever was seen.
With my shield of yellow, And my blade of green.
You may uproot me. From filed and from lane;
Trample me, cut me, I spring up again.
---- Dinah Mulock Craik.

勿論,植えたわけではない.日本の在来種カントウタンポポとは総苞外片の反る点,上の写真で分かるように,雌しべの先がカールしている点が異なる.また,カントウタンポポの頭花は外側の舌状花がやや白く,全体的にやわらかく見えるので,なれると直ぐに区別ができる.

 欧米では古くから,根は炒ってコーヒーの代用に,若い葉は多少の苦味があるが,サラダなどにして食べる.また,米国の一部では,花弁を自家製醸造酒(タンポポワイン)の原料として用いる.

『最後の一葉』,『賢者の贈り物』 の作者オー・ヘンリー(O. Henry, 1862 - 1910)の “Springtime á la Carte (1906)” では,家庭料理店のメニューの「タンポポのサラダ」“DANDELION, WITH HARD-BOILED EGG” を 女性が“DEAREST WALTER, WITH HARD-BOILED EGG” とミスタイプしたことが愛する男性との再会につながる.(http://www.ciudadseva.com/sevacity/stories/en/henry/springtime_a_la_carte.htm)

また『火星年代記』,『刺青の男』などで有名な幻想作家レイ・ブラッドベリ (Raymond Bradbury, 1920-2012) の『たんぽぽのお酒』 (Dandelion Wine, 1957) では,主人公の祖父の作る黄金色の Dandelion Wine が,米国西北部の田園に住む12歳の少年の一夏の全ての喜び・楽しみを象徴する(https://archive.org/details/RayBradburyDandelionWine)など,欧米では日本以上に親しまれている.

おまけは " E. Cox, Medical Botany or History of Plants in the Materia Medica of the London, Edinburgh, & Dublin Pharmacopoeias 1819-1822 " からセイヨウタンポポの銅版手彩色図譜.



2010年4月25日日曜日

スミレ(園芸種) 夕霧

Viola mandshurica cv. “Evening Mist”
NAPOLEON'S FAREWELL.
**
Farewell to thee, France!--but when Liberty rallies
Once more in thy regions, remember me then,--
The Violet still grows in the depth of thy valleys;
Though withered, thy tear will unfold it again—
**
July 25, 1815. London. by Baron George Gordon Byron

はかなげな花が名前とよく似合う. 昨年近所のホームセンターで,売れ残りの株を安価でいくつか買って,地植えにしたものの一つ.他は去年の夏のツマグロヒョウモンの食害の影響か,葉は出したものの,花は見られない.

ナポレオンⅠ世(1769~1821)とスミレの縁は有名だが,これを含め、ヨーロッパで言及されるスミレはニオイスミレ (V. odorata) のことであることが多い.

ナポレオンⅠ世はElba島へ流されるとき,「スミレが咲く頃には戻ってくる」と公言した.彼のいないパリでは,その支持者はひそかにこの花を同士の盟花ときめ,すみれ色の指輪や合言葉で同士たることを確かめ合ったとの事.1814年には一束のスミレを描いた絵がフランス国内に広く流布した(左).一見何のこともない,スミレの花束のようだが,そこにはナポレオンⅠ世,その妃・息子の横顔が浮かびあがってくる.彼が島を脱出して1815年3月20日にパリに入城したときには,パリの女性たちはすみれ色のガウンを着て,スミレの花の雨を降らしたと言う(「英米文学植物民俗誌」加藤憲一 1976 冨山房,図も).

砂糖漬のニオイスミレの花は,ケーキの上などに彩りとして載せられているが,日本で育てると香りが薄くなるというのは,本当だろうか?


2010年4月24日土曜日

サクラソウ(5)天女 江戸文献「花譜」「大和本草」「和漢三才図会」

Primula sieboldii cv. “Heaven maiden”
品種名:天女(てんにょ),表の花色:白,裏の花色:紫桃,花筒の色:赤紫,花弁の形:重ね,花弁先端の形:かがり,花容:抱え咲き・横向き咲き,花柱形:短柱花,花の大きさ:大,作出時期:昭和後期,類似品種,その他:草姿剛直・弁質厚い・3倍体
2年前の全国都市緑化ぐんまフェアの前橋会場で購入.つつましくややうつむいていながら,表裏の色が異なるあでやかな花が名にそむかない.

 江戸時代に入ると,桜草が書物にも載るようになる.桜草が最初に取り上げられたのは,日本で最初の総合園芸書といわれる水野元勝著「花壇綱目」延宝九年(1681)であり, 「桜草 花薄色白あり 小輪 咲頃三月時分也 養土は肥土に砂を合せ用なり 肥気ある干粉少用て宜し 分植は春秋時分宜し」とあるが,この「花壇綱目」には寛文四年(1664)に成った稿本がかってあり,そこでは「桜草 紫薄色白(ぬ)白 春分植ル」とある.(http://www.ndl.go.jp/nature/img_r/027/027-001r.html).「花壇綱目」には桜草に黄花があるように記されてあるが,これは稿本の文字「ぬ紀白」の「紀」を「黄」と読み替えてしまったためらしい.

 「養生訓」で有名な貝原益軒の「花譜」元禄七年(1694)中巻三月の項には, 「桜草 三月花をひらく.むらさき色あり,白色有,淡紅黄色あり,花の大さ銭のごとし,愛すべし.紫(葉の誤りか)は蔓青(かぶら)に似て小なり.寒暑をおそれ,湿を忌.消やすし,よく保護すべし.春秋のころわかちうふ.盆にうへて,寒月は屋下におくべし.また七重草あり,同類なり,陰地をこのむ.」と出ている.この頃には露地ではなく鉢に植えて栽培・観賞していたことが覗える.

 また同じ益軒の「大和本草」宝永六年(1709)巻之七 草之三 花草の項には「桜草 三月紫花ヲ開ク 桜花ノ形ニ似タリ 又白色アリ ウスキ紅 黄色アリ 高キ事一尺餘ニスギズ葉ハ蘿蔔(だいこん)ニ似テ小ナリ 花如銭 大畏寒暑 又九輪草アリ 七重草アリ 此類ナリ好陰地」とほぼ同じ内容が記載されているが,葉の形が蕪から大根のそれに変わっているのが興味深い.

 さらに,1712年(正徳2年)頃大阪の医師寺島良安が出版した日本最初の百科事典「和漢三才図会」の「湿草類」-「桜草」の項には,「櫻草 さくらさう
△按ずるに、桜草は山谷中に生ず。即ち九輪草の一類異種なり。葉の形相似て微小辺に歯刻無く、甚だ光沢ならずして葉の心白し。(九輪草の葉の心は紫なり) 三四月に茎を抽き頂に花を生ず。九輪草の花に似て単への淡紫色、或は白色、又、桜花の如く最も艶美なる故、桜草と名づく。蒴児を結ぶ、青色、内に子を結ぶ。初めは青く後に茶褐色、人家に之れを移し種う。」と左の図の様に記載されている.内容的には,益軒よりクリンソウとの違いはずっと詳しく,また実際の観察に基づいたと思われる結実の様子や,人家で育てる事も記されている.

 寺島良安(大阪)も貝原益軒(福岡)も西日本に住んでいたので,このサクラソウに関しての記述は江戸近辺に生えていたものについてではないと思われる.

2010年4月23日金曜日

サクラソウ(4) 白蝶の契,江戸図屏風 御花畠

Primula sieboldii cv. “Engagement of White Butterflies"
品種名:白蝶の契(はくちょうのちぎり),表の花色:純白,裏の花色:純白,花筒の色:純白,花弁の形:広 浅かがり,花容:平咲き受け咲き,花柱形:短柱花,花の大きさ:大,作出時期:江戸後期,類似品種その他:性質強・草勢強いと花がつかないこともある.
大きなやわらかい純白の花と,緑の葉の対比が美しい.3年前に近くのホームセンターで購入.順調に増えてきている.

小学校の教科書にも載っている有名な江戸時代の屏風に,サクラソウが描かれている.

家光が名実共に三代徳川将軍になったことを寿ぎ,川越城主松平信綱が寛永11~12年(1634-1635)に描かせたともいわれる「江戸図屏風」(佐倉 歴史民族博物館).江戸時代初期の江戸市街地および近郊の景観と,そのなかに家光の事蹟を描き込んだ162.5×366.0㎝の六曲一双の大きく豪華な屏風.左隻第1扇の最上部には土塀に囲まれた「御花畠」が描かれている.

左図に示すように,今では失われた青いツバキ(青いマーク)と共に濃紅色のサクラソウ(赤いマーク)が描かれている.右側には黄色ともっと色の濃い紅色のサクラソウも植えてあるように見える.

従って,江戸初期にはサクラソウが庭園で栽培され,観賞されていたと思われる.徳川将軍家もみやびな文化の一つとして,京都の宮廷や貴族達の花壇に憧れ,それを模した花畠を造ったと考えられ,ここに植栽されている草木は都から運ばれてきたのであるから,このサクラソウも西から来たと推定されている.

2010年4月22日木曜日

フジ

Wisteria floribunda
枕草子 (三九段)
 あてなるもの
 薄色に白重の汗袗。かりのこ。削氷のあまづらに入りて、新しき鋺に入りたる。
水晶の珠數。藤の花。梅の花に雪のふりたる。いみじう美しき兒の覆盆子くひたる。

6年ほど前に小さな鉢植えを家内が購入.将来は藤棚をとの構想からしかったが,手入れも植え替えもされていなかった.そこで,4年前に鉢を地面に置いていたため鉢穴から出ていた太い根を切って大きな鉢に植え替えた.昨年はそれまでになく多くの花をつけたので,しめたとばかり,盆栽化を試みた.しかし,剪定が悪かったためか,今年は二房しか花がつかなかった.勉強不足.
しょうがないので昨年の花盛りの様子を左に示す.
「フジ」の海外に渡った歴史・現況や,描かれた西欧植物図譜は 私のもう一つのブログ(http://psieboldii.blog48.fc2.com/)で見てください.

2010年4月21日水曜日

西洋シャクナゲ(サー・ロバート・ピール 或いは 太陽)

Rhododendron ×hybridum “Sir Robert Peel” or “Taiyo”西洋シャクナゲといっても,欧米が原産地ではない.アジア特にヒマラヤ原産のシャクナゲを元に英国や米国での複雑な交配を経て作り出された.

気候が寒冷な英国では,原種に近い高木性のシャクナゲが特にポピュラーで,昔読んだダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ Rebecca (1938)』では,舞台となるマンダレーの屋敷の敷地の谷が一面大きなシャクナゲで埋め尽くされている場面が印象的だった.これを原作とした,アルフレッド・ヒッチコックの映画では,モノクロということもありシャクナゲの花はめだたないが,英国滞在中に訪れたロンドンの Kew 植物園のシャクナゲの群落はまさに圧巻であった.

左は1979年6月の Kew Garden のシャクナゲの谷. 1910年の日英博覧会の折に日本から来た大工さんによって建てられた立派な「勅使門」の周りでは赤いツツジが,そしてヤエザクラが満開だった.ロンドンには珍しい上天気に恵まれたが,当時の名物のストライキで,予定していたテムズ川を航行する船で Kew に行くことはできなかった.

このような高木性のシャクナゲは寒地でしか育たないので,家内のシンボルツリーとして10年ほど前に植えたのは,暖地でも生育がよく多花性の西洋シャクナゲ.期待通り多くの花をつけるが,品種名がどちらかは決着がついていない.ネットで見ると二つとも良く似ている.家庭平和のために「太陽」としておこう.



2010年4月20日火曜日

シャガ

Iris japonica
しづかなる著莪ひと群れを雨打ちて午後の曇りの果つる際を見つ 柊二

シャガ(射干,著莪)は,中国からかなり古くに入ってきた帰化植物と考えられている.
葉はてらてらとつやのある緑色で,アヤメ科の特徴の,両面が裏の葉が株の根本から左右どちらかに傾いて伸びて,葉の片面だけを上に向け,その面が表面のようになり,二次的に裏表が生じている.シャガは三倍体のため種子ができない.このことから日本に存在する全てのシャガは同一の遺伝子を持ち,人為的に広がったと考えることができる.中国には二倍体があり花色,花径などに多様な変異があるという.

花の構造は細工に富んでいる.外花被片には,基調の薄紫の上に濃い紫の斑点と中心部に黄色の立体的な筋があり,縁にはフリルがついている.内花被片は薄紫一色だが,縁には細かい切れ込みが入っている.もっともシャガらしいのは,めしべの先端のひらひらした部分,花柱枝と呼ばれ,おしべを隠して保護をしたり,蜜を目指して花の中に入ってくる昆虫にうまく花粉がつくようなトンネルを作る役目を果たしているそうだ.写真ではこの花柱枝の裏側に雄しべが見える.

引っ越して直ぐに,近所の方からカンアオイと一緒に戴き,その後日当たりの悪い裏の通路際で暮らしているが,それなりの風情をかもし出している.

歌人としても知られる佐藤達夫は「シャガは,(貴婦人の)春の装いのボンネットだといえそうである.」と”続植物誌”(学陽書房 1977)に記したが,優雅ではあるものの,宮 柊二の歌にあるように寂しさが華やかさに勝っているように思われる.

おまけはカーチスのボタニカルマガジン(1797)のシャガの図譜(銅版手彩色).

"Iris Chinensis" William Curtis's Botanical Magazine (1797)

2010年4月19日月曜日

チューリップ 園芸種 (6)ピンクダイアモンド 純正

Tulipa genisneriana cv. (6) Pink Diamond (Genuine)
 4月17日にUPしたチューリップはピンクダイアモンドではなかった.あの花は,開いたら花弁には濃いピンクの筋があり,色もピンクダイアモンドの青みが買ったピンクではなく,また花形も,よりとんがっている.
 記憶をたどると,ピンクダイアモンドを増やすつもりが売り切れで,別のピンク色のチューリップの球根を買った覚えがある.4月17日の花はその子孫と思われる.品種名は不明.

 お詫びして,本物のピンクダイアモンドの花をお見せする.

2010年4月18日日曜日

サクラソウ(3) 松の雪

Primula sieboldii cv. “Snow on pine trees” 品種名:松の雪(まつのゆき),表の花色:白・花弁の先端緑斑,裏の花色:白・花弁の先端緑斑,花弁の形:広 かがり,花容:浅抱え咲き・受け咲き,花筒の色:淡緑色,花柱形:長柱花,花の大きさ:中,作出時期:江戸後期,類似品種その他:青葉の笛・柳の雪,性質強く繁殖良・庭植に適している.(「埼玉県花と緑の振興センター」のHP(http://www.pref.saitama.lg.jp/site/sakurasou/901-20100106-170.html)より引用)

浪華さくらそう会の山原茂氏の「桜草栽培史」によると,すでに室町時代にはサクラソウの庭での栽培・観賞の記録があるそうだ.
山原氏の(http://blog.livedoor.jp/yamaharasakura/archives/cat_10007473.html)から抜粋すると,

 大乗院寺社雑事記(尋尊大僧正の日記)文明10年(1478)3月の日記末尾 「庭前草花」に「二月 同 花桜 信乃桜 岩桜 庭桜 桜草 全躰」とあるのが,初めで,実隆日記(公卿三条西実隆の日記)明応5年(1496) 閏2月6日 晴に「早朝退出、桜草・庭桜等依(後土御門天皇の)仰掘進上之」とあり,御所や公家の庭に花壇が設けられ,桜草が植えられ楽しまれていたことが推察される.
 生け花の専門家も桜草をとり上げ,「道閑花伝書」 永正三年(1506) の中に 桜草 の文字があり,また,因幡善浄坊休夢「天王寺屋茶会記」 天正十二年(1584)三月四日朝 に「床二細口 桜草 生而圓盆 ---- 花ヲイケ申候」と記されている.
 このように京・大坂・奈良で次第に桜草が知られるようになったに伴い,サクラソウが狩野光信の「四季花鳥図屏風」「花鳥図屏風」「花卉草花図襖」を初めとして,俵屋宗達,尾形光琳,酒井抱一などの作品に,春の草花として描かれるようになった.これらに出てくる桜草は色違いなどいくつか描き分けされているものもあるが,野生種ばかりである.

とのことで,色々な品種が作出され,栽培され,観賞に供されるようになったのは,江戸時代も半ば過ぎてからであろう.

この「松の雪」は近くのホームセンターで4年ほど前に購入.その後順調に繁殖している.埼玉緑化センターのコメントにあるように強健.今年は庭植えにして,来年は原種との紅白の花を期待しよう.

左の写真は昨年庭植えした原種のサクラソウ.鉢植えより早めに咲いた.左側には日よけも兼ねたキクを,右側にはジャノヒゲを植えている.

2010年4月17日土曜日

チューリップ 園芸種 (5)ピンクダイアモンド

Tulipa genisneriana cv. (5) Pink diamond
スレンダーで優しい花,よく似合う細身の優雅な草姿.特に逆光での花の色は,名の通り美しい.その割には強く,10年間何もしないでもイチゴやジャノヒゲの間から延びてくる.予定では咲いた花のはずだったが,当地でも4月中旬にしては珍しく雪が降り,堅くつぼんだまま. 雪の中のチューリップも味がある かな?



お詫びの印に10年前の姿.当時は庭に何もなかったので,色彩を考え,自由に種や球根から花を咲かせていた.手前の黄色い絨毯は種から育てた宿根アリッサム.毎年こぼれだねで芽を出していたが,3年ほど前にとうとう消えてしまった.懐かしい.

2010年4月16日金曜日

ライラック

Syringa vulgaris

"The Waste Land" (1922) by T.S. Eliot (1888–1965)

I. THE BURIAL OF THE DEAD
APRIL is the cruellest month, breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.


西脇順三郎(1894-1982)訳.
「荒地」
  四月は残酷極まる月だ
  リラの花を死んだ土から生み出し
  追憶に欲情をかきまぜたり
  春の雨で鈍重な草根をふるい起こすのだ。
(新潮社『世界詩人全集 T・S・エリオット』より)

甘い香りは魅力的.仙台の実家から持ってきた苗から成長.気候が暖かすぎるのか,花があまり着かない.今年は特に少なく,一枝しか咲かなかったのは,昨年いいかげんに剪定したからか.しかし切り詰めないと樹形が悪い.もう一寸勉強しないと.
寒い日々が続くが,庭のシャクヤクに蕾が見えてきて,アリウムの蕾も大きくなった.もう直ぐ本当の春ですね.

2010年4月15日木曜日

チューリップ 園芸種 (4)

Tulipa genisneriana cv. (4)

 チューリップの新品種育成には20~25年かかるそうだ.
 特別展「FLOWER」国立科学博物館2007年の展覧会図録での,辻俊明氏の記述によると

 まず,これぞと思う母親の花の雄しべを取り除き,これに掛け合わせたい父親の花粉を人工授粉.受粉後はアルミフォイルなどで柱頭をおおい,他の花粉がかかるのを防止.2~3ヵ月後,子房が褐変してきたら,300個ほどの種を取り出す.15℃以下になったら播種.一度低温にあわせてから発芽させ,6月ごろに葉1枚の地上部が枯れたら掘り取り,保管.この掘り取りと植え付けを5年間繰り返すと,ようやく花が咲く大きさの球根になる.
 チューリップは長い間の交配の繰り返しで色々な遺伝情報を持っているので,花が咲くまではどんな花が咲くかは予想がつかない.優秀な花の株を選別し,増やしていくわけだが,チューリップの球根は1年に2.5倍にしか増えない.10~15年かけて約6000球にまで殖やし,日本各地での試作を3年間行い,これに合格して後にようやく新品種として登録される.富山県では1951年から育種を行っているが,2007年までに「黄小町」 , 「白雲」 , 「夢の紫」 など28の国産品種を育成してきた.

とのこと.

 最近では,りん片からの細胞培養(カルス培養)系が開発され,培地上で球根の大量増殖を行うことができるようになったとの報告もあり(富山農技センター),育成期間の大幅な短縮が期待される.

2010年4月14日水曜日

チューリップ 園芸種 (3) Judith Leyster

Tulipa genisneriana cv. (3) Judith Leyster 珍しい配色,特に縞模様のチューリップが求められていた18世紀.

 単色のチューリップは単に〝交配用″としか考えられていなかった.当時チューリップは〝突然変異して″縞模様ができると考えられていた.望ましい成果を生み出すために多くの奇妙な工夫がなされた.しかし〝突然変異する″のはウィルスに感染して一橙の病気にかかったために花に変化が起こったのであって,それが花から花に感染していくことは,最近になるまでわからなかった.
 初期のフロリストの多くは,縞模様の変種は子球によってしか増殖しないこと,また〝突然変異した″チューリップを混ぜるとそうでなかったものも縞模様になることを知っていた.クルシウス自身もそのようにして変化した球根は生命力が弱いことに気がついていた.
 「クルシウスはまた,元の色から変化したチューリップは開花するとすぐに枯れてしまうということも気づいていた.世話をしてくれた人と別れなくてはならないから,色を変えることで最後に恩人の目を楽しませることを喜んでいるかのようである」とツルンフォールは記している.(A.M.コーツ著,白幡訳「花の西洋史 草花篇」 1989年)

 合理的と考えられる西欧人が,チューリップには「最後に恩人の目を楽しませることを喜んでいる」と叙情的な感慨を催しているのは興味深い.それだけ,チューリップに対する思い入れが深かったのであろう.

2010年4月13日火曜日

チューリップ 園芸種 (2) Leen van der Mark

Tulipa genisneriana cv. (2) Leen van der Mark まだ住宅がそれほど多くなかった頃,多くの品種の球根を通販で購入して植えた.蕾が大きくなり,咲くのを楽しみにしていた頃,突然背が低くなりしおれてきた.不思議に思って掘ってみると,球根がなくなっていて,茎が地面に刺さっている状態だった.調べると,モグラがトンネルを掘り,そのトンネルを使ってノネズミが侵入し,チューリップの球根を食べてしまったと判明.お向かいの方が「饅頭ぐらいの大きさのネズミが日向ぼっこをしていたよ」と目撃証言.有毒なヒガンバナ科のスイセンと混植をしてからは,そんなこともなくなったが,ユリ科のチューリップの球根は美味しいらしい.

 実際,チューリップ熱が蔓延していた頃,高価なチューリップの球根を誤って食べた話はいくつか残っている.また,チューリップをオランダにもたらしたとされるクルシウスは,球根を砂糖漬けにして保存する実験をしていて,「コリコリとしておいしい」ことが分かったと有名な園芸家のパーキンソンは記している.また第二次世界大戦の食糧不足の際には,オランダの人たちはチューリップの球根を食べたと言う.

 おまけは先日訪れた筑波山の麓の庭に見たバイモの群落.この筑波道沿道では半野生化しているバイモを多く見かけた.むかし,この地方では薬用に栽培していたのであろうか.






2010年4月12日月曜日

シバザクラ

Phlox subulata

 芝のように茎が匍匐し、桜のような花をつける北米原産の植物.よく枝分かれし地面を覆い尽くすように密生し,花を咲かせるので絨毯を敷き詰めたようになる.丘を一面に彩る修景花卉として北海道滝上町・大空町(旧東藻琴村)、埼玉県秩父市などが有名.引っ越してきて直ぐ植えたが,あまりの陰影のなさに殖やす気も失せ,今ではジャノヒゲに埋もれて肩身を狭くしているが,毎年律儀に花をつける.

 この愛らしい花も,英国では思わぬ大騒動を引き起こした.
 この花を育てていた英国のお年寄りが,マリワナを作っていたと誤解され,警察に強制家宅捜査され,また,その隣人が大麻欲しさのギャング団に押し入られたという.花の香りが大麻にそっくりだったからとの事.
 デイリーメールBBCによると,この事件は2008年10月に起きた.英国ブリストルのキングスウッドに住んでいる引退した技術者の Wiltshire さん夫妻がバカンスから帰ってみると,自宅の玄関が警察によって破られ,封印されていた.警察に事情を聞いたところ,庭の植物がマリワナの強いにおいをしていたので,捜査したとの事,結局この匂いの元は大麻ではなく,4年前に近くのホームセンターで購入し,庭一面に繁殖させたシバザクラの花の香りであった.隣人の Difford さん夫妻もこの花の香りで被害を受けた.なんと,6人の男達がハロウィーンの仮面をつけて侵入し,"Give us the weed man" と大麻を20分にわたって探し回ったのだ.Wiltshire さんのシバザクラの花の香りが当たり一面に広がって,Difford さんがマリワナを栽培していると誤解されたらしい.Wiltshire さんはもうこりごり,全部抜いて処分します.と言っているそうだ.

 シバザクラなら全て大麻そっくりの香りを出すのか,特定の品種だけか分からない.庭のシバザクラの花の香りを嗅いでみたが,甘い香りがするだけで,大麻草の香りを知らないので,なんとも言いがたい.誤解を受けそうな地域では,群落を作るには注意が必要かもしれない.

2010年4月11日日曜日

チューリップ 園芸種 (1)

Tulipa genisneriana cv. (1)
起きて見てまた直ぐ寝たくなる時の
力なき目に
愛でしチュウリップ 
石川啄木

 原産地,ペルシャの伝説では,この花はファルハッドという青年が乙女シャーリンに失恋し,自殺しようと砂漠へ迷い出たとき,砂漠に落とした涙から生まれ出たとされる.ペルシャ語ではこの花を lalé と呼んで完全な恋人の象徴とされている.

 When a young man presents one to his mistress ----- he gives her to understand, by the general colour of the flower, that he is on fire with her beauty, and by the black base of it, that his heart is burnt to a coal.
                     ---- Sir J. Chardin: Travels into Persia; f. Coats, 255 - 6

 初めてチューリップを育てた頃は,「関東地方ではウィルスの羅病が避けられない」との話に従って,花が終わると抜いて,秋に新しい球根に植え替えていた.しかし,取り残しの球根からも立派な花が咲くことが分かり,それからは葉が枯れたあと掘り上げた球根を植えなおしていた.しかしチューリップの単純さに飽いて,特に手をかけず植えっぱなしにし,邪魔にならない場所に生えたときのみ花を咲かせた.従って環境によって大きさも大分違うようになった.

 このチューリップは数年間ハンカチノキの元にヒメウツギと共に生えている.栄養が良いのか花も草丈も大きい.花弁内部の基部には黒い模様(the black base )がある ので(左図,左),恋人に捧げるにふさわしい花である.Dan-san の庭の黄色チューリップにもこの模様がある(左図,右)が,昨日のクルシアナにはこの模様はないので,心を伝えるのにはやや力不足.


2010年4月10日土曜日

チューリップ クルシアナ クリサンサ

Tulipa cv. Clusiana var. Chrysantha
  150種類あると言われるチューリップの野生種は,南欧州から中国まで分布するが,その祖先はパミール高原から天山山脈を中心とする地域にあったと思われる. 10世紀頃からオスマン・トルコで栽培され,スレイマン大王(1520~1566年)の時代1554年に,神聖ローマ帝国の大使として宮廷を訪れた西欧人がその花を見たという記録を残し,その時球根や種をウィーンに持ち帰ったとされる.

 このクルシアナという属名に名を残す17世紀初頭の有名な植物学者,カロルス・クルシウス(1526~1606) は,1593年ウィーンからオランダのライデンにチューリップの球根を運んできて,法外な値段をつけて売り出した.それからチューリップはオランダで多く栽培され, 1630年代には A. デュマの「黒いチューリップ」でよく知られるチューリップ熱が蔓延した.希少な品種に対しては「グリフォンやユニコーンを対象にしたほうがまし」と言うほどのとんでもない投機が横行したが,1637年に突然市場が底をつき,数百人が破産したと言う.

 クルシアナ・クリサンサは高さ 15cm 程度のすらりとした原種系チューリップ.外花被の外側が赤橙色,外花被の内側と内花被が黄色のため(左図の左),曇天で花を閉じているときは赤橙色に,晴天で花を開くと黄色が勝ったツートンカラーに見える.

 数年前鉢植えで頂き,そのまま中身を地植えにした.毎年可憐な花を咲かせるが,種ができないのにかなり離れた所から芽が出てくる.不思議だなと思っていたが,今年植え替えをしようと掘ってみたら,球根から出ている根の一本が太くなり,それがランナーの様に地中を伸びてその先が膨らんでいるのを見つけた(左図の右).この膨らみから葉が出て新しい個体になるのであろうか.ならば謎が解ける.栽培品種とは異なる栄養生殖法を身につけているようだ.

2010年4月9日金曜日

ヤエベニシダレ

Prunus pendula cv.Pleno-rosea
 出身地にゆかりがあるサクラをシンボルツリーにと思い,10年ほど前に成木で購入.植木屋さんの言うことを信じて「セイダイシダレ」だと思っていたが,ブログに登場してもらうために調べたら,一重の白い「センダイシダレザクラ」とは別物.「ヤエベニシダレ」であることが判明した.
 Wikipediaによると,この樹と仙台との縁は深いものの,仙台で育種されたものではなかった.小学校のとき遠足で行った榴岡・釈迦堂でも咲いていたが,伊達藩主によって元々植えられていた枝垂桜ではなかった.しかし,平安神宮の有名なシダレザクラが,仙台出身とは.

 ソメイヨシノに遅れて咲く.蕾から雌しべが覗いているのは,子供が舌を出しているようで可愛い.蕾がひらくに従い,花の色が濃紅紫色から淡紅色へと変わっていく.花簪のようにまとまった花が細い枝について,青空を背景に風に揺れるのはなかなかの風情.この根元をラッパスイセンで丸く囲んでいるが,同時に鑑賞できることはまずない.

 おまけは Dan-san の隣人のシダレザクラ.彼は “my neighbor's weeping cherry tree blossoms - very beautiful but I seem to be very allergic to this tree however.” と言ってきたので, “You might be the first cherry blossom pollen allergy patient in Seymour” と励ました.

【花おりおり】(2005年04月07日付朝日新聞夕刊) より引用

ヤエベニシダレ (文・湯浅浩史)
 一説では伊達家のサクラという。仙台や周辺に多い。京都の平安神宮の植栽も著名。エドヒガン系のシダレザクラで、花は色が濃く、八重咲き。花期は基本品種より、やや遅い。葉にも特色があり、日本のサクラでは、最も葉が細長く、先端や基部がとがる。鋸歯(きょし)も鋭い。北海道でも南部は育つ。

Wikipedia の「ヤエベニシダレ」より抜粋引用

 江戸時代から栽培されている品種で、怡顔斉(松岡玄達)の「桜品」(1758年(宝暦8年))には「千弁糸桜」として描かれている。
 明治時代、仙台市長であった遠藤庸治が仙台市内で植え増やし、また、その子孫樹を各地に贈って普及に努めた。このため「遠藤桜」あるいは「仙台八重枝垂」「仙台小桜」とも呼ばれる。現在でも仙台都市圏各地でよく見られ、また、東北地方以南の日本各地に名所がある。なお、遠藤が植え増やした八重紅枝垂は、京都御所から鹽竈神社(仙台市に隣接する塩竈市にある)に下賜されたものとも、京都の近衛家の庭にあったものとも言われる。

 八重紅枝垂は「伊達家の桜」とも言われるが、その由来は不明。第4代仙台藩主伊達綱村が、生母の三沢初子の霊を弔うため、元禄年間に釈迦堂を現在の榴岡公園(仙台市宮城野区)の地に建て、また、京都から桜の苗1000本を取り寄せて植えており、当地は江戸時代からの枝垂桜の名所となっている。これらは仙台枝垂桜ともいわれるが、花色が白や薄紅で八重咲きでもない。この榴岡公園にも遠藤は八重紅枝垂を植えており、園内では仙台枝垂桜と混在している。八重紅枝垂が「伊達家の桜」といわれるのは、各地に普及する中で、榴岡公園の仙台枝垂桜の由緒と混同した可能性が考えられる。

 遠藤は、1895年(明治28年)創建の平安神宮にも八重紅枝垂を献上しており、現在、境内の300本の桜の内、八重紅枝垂は半数の150本を数える。特に、本殿の背後にある庭園「神苑」の八重紅枝垂の並木は例年ライトアップされ、夜陰に浮かび上がる桜、そして、池に映り込む桜の美しさにより、多くの観光客を惹き付けている。また、平安神宮の八重紅枝垂は、谷崎潤一郎の「細雪」や川端康成の「古都」にも登場するほど著名で、関西地方では八重紅枝垂を「平安紅枝垂」とも呼ぶ。

2010年4月8日木曜日

スイセン トリアンドルス 八重咲き

Narcissus triandrus cv. (double type)
15種目で終わりかと思っていた庭のスイセン.最後の最後にトリアンドルスの八重咲きが咲き出した.変異は一定せず,単純な二重から複雑な八重咲きまで種々の花があり,株によって異なる.副花冠は勿論,雄しべが花弁化(花被化が正しいのかも知れないが)しているが,香り・花期・花の大きさ・草丈は一重のトリアンドルスと一致している.こんな花があったとは,これまで数年間気がつかなかった.ブログを書くために庭をよく見ている効用の一つ.



おまけはDan-sanが送ってくれた彼の庭のGrape Hyacinthの写真.ムスカリについては3月24日の記事を参照.





2010年4月7日水曜日

ヒメウズ

Semiaquilegia adoxoides
 目立たないながら,つくりがこっていて魅力的.葉は小型のオダマキのようで,一目で分かる.花もオダマキに似ているが,極小で,距がほとんどないので別属とされている.
 根が烏頭(ウズ-トリカブトの主根塊)に似て小型なためにこの名がついたとされる.しかし,トリカブトのような強い毒性はないようで,漢方では塊根を天葵子といい,清熱、解毒、利尿の効能があるとされている.

数年前の奈良旅行の際,石舞台近くの野原で採取.繁殖力はつよく,日陰でも種でどんどん増えていく.
おまけはそのとき撮影した石舞台の内部.

2010年4月6日火曜日

ヒメツルニチニチソウ

Vinca minor
 常緑の葉を持ち,強いつる性で,地面に付いた枝から根を出し拡がるこの植物は,欧州の伝承や民俗にゆかりがあるが,特に愛や死と結びついている.イタリアでは子供の死棺にこの花の輪をのせ,中世の英国では刑場に連行する死刑囚の頭にこの花輪を載せた.一方,ドイツではこの植物を「不死」の象徴とし,また催淫効果があるとし、愛情の象徴ともした。

 「社会契約論」の著者として有名な J. J. ルソー(1712-1778)にまつわる逸話もよく知られていて,花言葉 「楽しい思い出」 の由来ともなっている.
 彼の「告白」(1781)に出てくる話として,彼が若い頃,母とも慕う Mme DE Waren と共に les Charmettes の近郊を歩いている時,彼女は垣根に咲く青い花を見つけ「まあ,ここにはヒメツルニチニチソウがまだ咲いているわ(”Ah,voilá de pervenche”)」と言った.前にこの花を見たことになかったルソーだったが,極度の近眼で地上の花を見分けられなかったにも関わらず,身をかがめて見る事はしなかった.
 その後,植物の観察・研究をしたルソーは,30年後の1764年に,友人と共に Cressier の小山を登っていた時にこの花に出会い,あの懐かしくも楽しい時代を思い出し,突然,”Ah,voilá de pervenche”と喜びと共に叫んだという.(出典:“Lorraine General Tips” http://www.virtualtourist.com/travel/Europe/France/Lorraine/General_Tips-Lorraine-BR-1.html



 おまけはこの花の花言葉 (Floriography) 「楽しい思い出」 (Happy memory) にちなんで,米国の友人 Dan-san の家族の写真.
 インディアナ州の Seymour にも春が訪れ,2010年4月4日のイースターの礼拝に出席するため,晴れ着を着ている.
 彼らの後ろは東洋から(多分日本から)きたレンギョウ (Forsythia suspensa) の花.
寒かったSeymourだが,日本の季節に追いついたようだ.

2010年4月5日月曜日

サクラソウ(2) 白鷹

Primula sieboldii cv. “White Hawk”
品種名:白鷹(はくたか),表の花色:乳白色, 裏の花色:極淡紅紫色,花筒の色:紫,花弁の形:重ね,花容:平咲き・受け咲き,花柱形:短柱花,花の大きさ:中,作出時期:昭和,類似品種その他:白鷲 花弁に隙間がない・「白鷲」より小型

原種栽培に自信がもてたころ,自然観察会のバス旅行で立ち寄った道の駅で購入.育てやすく,花も美しいので,その後の園芸品種購入のきっかけとなった.
ネットで調べたら,さくらそう会(東京)の認定品種,浪華さくらそう会(大阪)の登録品種,筑波大学農林技術センターの系統保存種としては確認できなかったが,埼玉県花と緑の振興センターではこの名前で品種保存されている.上記品種データは振興センターのHP(http://www.pref.saitama.lg.jp/site/sakurasou/901-20100106-169.html)より引用.


おまけは(といっては失礼だが)
浪華さくらそう会(http://www.sakurasou.jp/newpage111.html)の廣田友重さんの「サクラソウの分類の桜草の概要 観賞の仕方」(http://www.sakurasou.jp/sakurasou2.htm)より花容の分類図と説明を引用.

花容 花弁 (花冠列片) は桜弁が基本形で図のように分けられます。咲き方は花弁の開き方によって図のような形に分かれます。また花の咲く向きには垂咲き、車咲き、受咲きがあります。花の大きさは60㎜を越える最大輪から20㎜に満たない最小輪まで変異に富んでいます。花色は野生種の赤紫を基本に、薄紫、紅、桃、白とあまり多くありません。しかし絞りや覆輪、桜草独特の表裏色違いなどがあります。これらの花弁・咲き方・咲く向き・花の大きさ・花の色が組み合わさって一つの品種が構成され、数百にものぼる品種群が生まれることになるのです。

なお,このサイトはサクラソウの歴史,品種,栽培法や展示会の情報が充実している.

2010年4月4日日曜日

ヤマブキ

Kerria japonica

山吹を屋戸に植えて見るごとに君を見まくは千年にもがな 大伴家持

日本原産.万葉時代から愛され,庭園にも植えられていた.海外でも歓迎されて,西欧植物図譜に数多く描かれているが,詳しくは私の別のブログのヤマブキの項を参照して頂きたい.

数年前に頂いた.地下茎を伸ばし,その先から芽を出しどんどん陣地を広げていくので,他の植物のために,芽を見つけては抜いている.写真の背景は3月28日に登場したシダレモモ

2010年4月3日土曜日

サクラソウ(1) サクラソウ 原種

Primula sieboldii

「我が国は 草も桜が 咲きにけり」 小林一茶

いよいよサクラソウ(日本桜草)が咲き出した.古典園芸植物の中でも比較的歴史の浅いこの花は,江戸時代中期以降から育種が盛んになった.荒川上流域の,田島ヶ原や浮間ヶ原に自生していた原種から,変異種を選抜し,それらを交配して数百種の品種になった.江戸時代前半に出た園芸書「花壇綱目」(1681)「花壇地錦抄」(1694)にはサクラソウに白と紫の2種がある事と育て方は出ているが,品種名は記載されていない.「地錦抄付録」(1783)には10品種記載され,その中には現在も栽培されている「南京小桜」もある.

利根川流域にサクラソウを回復させる運動をしている方から8年ほど前に頂いた原種の株が増えて,今では地植えを試行しているほど.育てやすかったので園芸種にも挑戦し,消えてしまったのもあったが,だんだんコツがつかめて,「庭の花」の資格を持つ株が10種ほど.順次紹介する.

2010年4月2日金曜日

スイセン トリアンドルス

Narcissus triandrus cv.

庭のスイセンでは一番遅く咲いた.原種系で,清らかな白い房咲きの花がうつむいて咲く.花冠が反り返るのが特徴.副花冠の元はやや黄緑がかり,かすかな甘い香りがする.

掲載した庭のスイセンとしては15種目.こんなに多品種のスイセンがあるとは思わなかった.スイセン関連の資料として三輪 智さん執筆の ガーデニングABC 第18回 「スイセンの世界」 (http://www.bloomfield.jp/abc/0710.html) が興味深い.

2010年4月1日木曜日

ヒトツバ

Pyrrosia lingua

「夏来ても ただ一つ葉の ひと葉かな」(なつきてもただひとつばのひとはかな)
芭蕉 元禄元年 四十五歳 笈日記
岐阜市内にある金華山のヒトツバの群生を見て芭蕉が詠んだ句.


厚みがあって硬い革質の葉をもち,匍匐茎は針金状で硬くて長く伸び、あちこちから根を出すシダ植物.
ヒトツバの葉部の乾燥させた物は、生薬で石韋(せきい)といい,泌尿器関連の病気に用いる.
数年前のお正月に訪れた三保の松原,近くの松林の下に生えていたのを記念に持ってきた.あまり観賞価値は高くはないが,栽培が容易で冬の間も緑を保つのがとりえ.

おまけはその時撮影した朝焼けの富士山.