2021年7月30日金曜日

ビヨウヤナギ (8)-仮 江戸-6,明治-1,茶席挿花集,生花早満奈飛,花道池坊指南,諸流図式生花秘伝独稽古,「未央柳」『長恨歌』

 Hypericum monogynum

前々記事に記した如く,ビヨウヤナギ-金絲桃の花材-特に茶花としての価値は高く,江戸後期から明治時代の多くの活け花技法の書に花材として取上げられている.一方『諸流図式生花秘伝独稽古』では,「未央柳」の別名は「聖柳-ギョリュウ」であるとし,ビヨウヤナギは金絲桃と区別している.また,ビヨウヤナギの「切り花鮮度保持剤」として,「土殷孽の粉」を水に混ぜると良いと記載されている書がある.
 ビヨウヤナギが,日本の文献に現われた最初は「ビヨウ」と呼ばれ,「美陽」で表わされていたが,これに「美容」が充てられ,葉が柳に似ている事から「美容柳」とされ,後に唐の詩人白居易(772 - 846)作『長恨歌』から,「未央柳」と記されるようになったと思われる.中国では「金絲桃」が一般的で,「未央柳」とは呼ばれていないようである.
 『長恨歌』には「帰来池苑皆依旧/太液芙蓉未央柳/芙蓉如面柳如眉」(帰り来たれば池苑(ちゑん)皆(みな)旧に依(よ)る/太液の芙蓉 未央(びあう)の柳/芙蓉は面の如く 柳は眉の如し)(帰って来ると、池も庭も皆もとのまま/太液池の芙蓉、未央宮の柳/芙蓉は(彼女の)顔のよう、柳は眉のよう)とあり,楊貴妃の容貌を「太液池の芙蓉(蓮の花)」に,眉を「未央宮の柳」に例えたのであって,未央柳という植物があり,その花や葉に楊貴妃を重ねたわけではない.


★柿園(佳気園)著 芳停野人編 岩崎常正(灌園)画『茶席挿花集
(1824) は月別の花材のリストと主な花の多色刷図譜である.この書の几例には
 一,四季の花を十二の月に分けしといへども年の寒暖地の陰陽にて一棟ならずまづ其時の花を尋ね給はば其月と前の月後の月とを一讀あるべし 此の三月のうちよりいけてよき花を得る也 これ時候によりて花に遅速あれば当月ばかりにてはつくさざるゆえ也 (中略)
 一,此書佳気園(柿園)翁の集められしを予又岩崎灌園先生に請て漢名を正し 剛定補入す然れども翁の開所をも残せるもの多し 且つ草木異名あまた也 ここには只つねにいわ所の名を記す.
 などと,花期は年や所によって差のあることや,本書の成立並に編集の意とするところを書き加えている.

その「三月」の部に「金絲桃(きんしたう) 未央柳 びよふやなぎ 花黄 葉柳ノごとし」とある.残念ながら灌園による図の部にビヨウヤナギの絵はない.


★鶏鳴舎暁鐘成(暁
鐘成(あかつき かねなり,17931861)江戸時代の大坂の浮世絵師,戯作者)著『生花早満奈飛(いけばなはやまなび)』(1848)は天保六年(1835)から嘉永四年(1851)に刊行され10編からなる生花一般の初心者向きの入門手引書で「生花早学」とも書く.いけばなにかぎらず、多くの入門書が、「早学」と題して流派にこだわらず手軽に刊行され、世にむかえられた時代をあらわす著作とされる.
 この書に,織田有楽齊が考案した「子持筒」に生けた「金絲桃(きんしたう)」と「長春(てうしゆん)」(コウシンバラ)の図が掲げられている.が,モモと金絲と柳を満足させるような微妙な花木が描かれている.



★春陽軒義鳳・琴松国文雅「花道池坊指南」(明治四四(
1911))の「水揚げ法」の章には,「山吹と金雀枝と未央柳
一.山吹,金雀枝(えにしだ),未央柳(びようやなぎ)には,土殷孽(どゐんけつ)の粉(こ)を少(すこ)しく其花器中へ入れ
れ置けば,能く勢(いきおひ)を助けます.」とあり,土殷孽の粉を水揚げ補助剤として使う事を推奨している.

★月養斎小花信「改訂増補 諸流図式生花秘伝独稽古」(明治四四(1911))の「草木水上げ法并に養ひ法秘傳の部」には
「〇未央柳の養(やしなひ)と水上秘傳
未央柳 一に聖柳(ぎよりよ)と云ひ枝葉ともに細なる物にて木の性もろく折やすし挿法(いけかた)は垂枝柳(しだれやなぎ)と大体同様の物にて他の花をあしらいひに用ゆべし
〇未央柳水上法秘傳
未央(びほう)やなぎ(ぎよりよ共云)は朝疾(はや)く露ある内に切り取り,湯にさし入れて養ひ,後水へうつして挿すべし.
金絲桃〇金莖花水上法秘傳
金絲桃〇金莖花は,莖の元を鐵槌(いかづち)に打ひしぎ,土殷孽の粉を少し瓶水に和(ませ)して生(いけ)べし」とあり,未央柳と金絲桃は別物としており,前者はギョリュウ科の落葉小高木,ギョリュウ(御柳,聖柳)としている.また,「生花秘傳草木性質と花体の部」には,
「〇金絲桃の花体」として,生け花としてのビヨウヤナギの図があるが,これは前に述べた『生花早満奈飛)』(1848)の「金絲桃」と「長春」の図の剽窃である.

木村陽二郎監修『図説草木名彙辞典』柏書房 (1991) によれば,その他下記の華道書にビヨウヤナギが花材として記載されているそうだが,未確認.
 
〇:佐藤友之助「松月堂古流諸国集会花譜」(明治二七(1894)〜明治三六(1904))
 
〇:小倉照月「池の坊流 生花の手びき」(明治四三(1910))

鮮度保持剤とされた「土殷孽」については次記事.

2021年7月20日火曜日

ビヨウヤナギ (7) 江戸-5,小野蘭山,大倭本草批正,十品考.金糸桃はテンニンカ?

Hypericum monogynum

蘭山先生十品考

******文献画像は NDL の公開デジタル画像よりの部分引用********

江戸時代の本草学者,小野蘭山1729 - 1810)は,京都に生まれ,はじめ松岡恕庵(1668 - 1746)に師事したが,師の死後は独学し,25歳ですでに多くの弟子を集めた.寛政十一 (1799) 年,70歳で江戸幕府に招かれ医学館の本草教授.翌年から文化三 (1806) 年にいたる6年間,関東,中部,近畿の諸国をめぐって草木の観察と採取を行い,報告書を将軍に献上した.主著『本草綱目啓蒙』 (48) は,蘭山の孫の職孝と門人の岡村春益が蘭山の口述筆記をまとめたもので,当時の本草百科事典として医学者必読の書であった.門人も飯沼慾斎,岩崎灌園,水谷豊文,山本亡羊ら非常に多い.


 蘭山は,貝原益軒の『大和本草』中の誤謬を指摘し,訂正を試みた講義を行い,弟子の井岡冽(れつ)に『大倭本草批正(ひせい)』に筆記させた.
この書の[巻十二] 花木の項には
「金絲桃 轉ジテビジョヤナキト云二三尺叢生ス枝上ニ花ツク五辨
  黄色黄蕋長シ花鏡ニ金絲桃ト云ハ別物ナリ」
と「ビジョヤナギ」(びようやなぎ)は『秘伝花鏡』に掲載されている「金絲桃」とは異なると言ったが,何とは言っていない.

 一方,蘭山は彼の七十歳の古稀の祝が弟子たちによってなされとき,それまで明らかにしていなかった植物の漢名を和名に考定した『十品考』を著わして弟子に授けた.後に蘭山の書いた字のまま木版印刷して『蘭山先生十品考』と題し祝の出席者に配布した.序文は医官越智(百々)俊道*が書き,寛政十年と記してある.本文は万寿竹(ホウチヤク),満天星(ハクテウ花),雁来紅(日々花),金糸桃(テンニンクハ),竜骨木(キリンカク),女萎(牡丹ヅル),木黎蘆(ハナヒリノキ),中天蓼(コンロンクハ),赤楊(ハリノキ),練鵲(フウチヤウ)の十品の解説である(植物名の表記は原文のまま).このようなものが秘伝というべきものであろうか疑問ではあるが.

 蘭山が『秘伝花鏡』にいう「金糸桃」と考定した「テンニンカ」は,東南アジアの熱帯・亜熱帯地方原産のフトモモ科の常緑低木である.1738年には渡来していたことが,当年作成の『筑前國産物絵図帳』に図(http://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/gallery/006/04/04_053.html)がある事(故磯野慶大教授)から,これ以前に渡来していたことが分かる.従って蘭山も見ていた或は情報を得ていた事はありうるが,テンニンカ(Rhodomyrtus tomentosa (Aiton) Hassk.)の花は紅色後白色で,蘂は多数ながら花の外に飛び出してはおらず,何故蘭山がこのような考定をしたか,『秘伝花鏡』にある「一名」の「桃金嬢」がテンニンカの漢名(現代中国では桃金娘)である事が原因かと思われる.
*
百々俊道(17711818 どど-しゅんどう 江戸時代後期の医師.京都の人.小野蘭山に本草学を学ぶ.朝廷の医師をつとめ,法眼(ほうげん)となる.著作に「本草類抄備要方」.

 『蘭山先生十品考
小引
我邦本草家自古未審漢名者凡有十品我蘭山先
生講説之暇博求遍索始闡其幽然而帳秘不言者
蓋有年矣今茲戊午春以先生七十初慶門下執事
偏謀同心獻壽於東山第一楼予亦陪焉及酒酣先
生出此書授之諸子蓋酬其酒饌也其巻拈列漢籍
中諸可爲徴之文毎品不下數十條然先生將臨席
時草々所筆無復別副而諸子各有欲得之意予因
謀之用其手稿上刻刷而頒之以均其恵名曰十品
考云

寛政十年 戊午季春                   醫官百々俊道謹誌


金絲桃  テンニンクハ 與 金絲海棠同名
秘傳花鏡云金絲桃一名
桃金嬢出桂林郡花似
桃而大其色更頳中莖
純紫心吐黃鬚*
花外儼若金絲八九月
實熟青紺若牛乳狀
其味甘可入藥用如分
種當從根下劈間仍以
土覆之至來年移植便


引用元の『秘伝花鏡』の原文では「錯」ではなく「鋪」であり,意味が異なる.

闡:音読み:セン; 訓読み:ひらく,ひろまる,あきらか. 意味. 開けるという也意味がある.広まるという意味もある.また,明らかにするという意味
錯:乱れて入りくむ.
鋪:しく.しきつめる.

Rhodomyrtus tomentosa (Aiton) Hassk. 和名:テンニンカ,中国名:桃金孃
 左図:Curtis, W., et al., Botanical Magazine vol. 7 (1794), t. 250
 右図:Miquel, F.A.W., Choix de plantes rares ou nouvelles, cultivées et dessinées dans le jardin botanique de Buitenzorg (1864), t. 3

from plantillustrations.org

2021年7月8日木曜日

ビヨウヤナギ (6) 江戸-4,薬品手引草,本草図譜,草木図説後編 木部,剪花翁伝

 Hypericum monogynum

******文献画像は NDL の公開デジタル画像よりの部分引用********

  漢方薬品名便覧『薬品手引草』には,「金絲桃(キンシタウ)びようやなぎ之」とある.江戸時代末に作られた二大植物図譜の一つ,岩崎灌園『本草図譜』には,「連翹」(オトギリソウの類)の一種として,金絲桃(びやうやなき)が彩色図と共に収載されているが,記述には「花は大翹(トモエソウ)に似て蘂長し黄色なり實も又大翹と同じ」とトモエソウを引き合いに出している.飯沼慾斎『草木図説後編 木部』では,ビヨウヤナギは金絲梅(きんしばい)の同属異種とし,ツンベルクの記録したラテン名を宛てている.

 ビヨウヤナギは花材としても用いられ,華道家の視点から花卉植物を記した中山雄平『剪花翁伝』には,ビヨウヤナギの繁殖・栽培法や水揚げ法が丁寧に記され,花材として人気があったことが伺われる.また,この項には癪に効果がある薬草として用いられているとある.


漢方薬品名便覧で,薬種の漢名をイロハ順で掲げ,和名・異名を注した★加地井高茂 []薬品手引草(1778) の「下巻 畿部」には,
「金絲桃(キンシタウ)    びようやなぎ之」
とある.

★岩崎灌園(17861842)『本草図譜(刊行1828-1844) 飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』と並び称せられる江戸時代末に作られた二大植物図譜のひとつで,江戸下谷生まれの幕臣岩崎灌園の著作.野生種,園芸種,外国産の植物の巧みな彩色図で,余白に名称・生態などについて説明を付し,『本草綱目』の分類に従って排列している.灌園(名は常正)は文化4年(1807)頃に起筆した『本草図説』を土台に,本書92冊(巻5~96:巻1~4は存在しない)を予約制で制作・配布した.最初は全巻を木版本として刊行する計画で,最初の4冊(巻5~8)を天保元年(1830)に刊行したが,費用調達が無理だったらしく,5年間の空白の後,筆写・手彩本とする方針に切り替え,天保6年に次の4冊(巻9~12)を配布した.以後は完結までこの方式を続け,天保13年(1842)に灌園が没した後は子息信正が継ぎ,弘化元年(1844)に配布を完了した.全体で草木2920品を取り上げるが,動物・鉱物は扱わない.灌園は幕府の徒士(かち)という小身だったが,若年寄堀田正敦(17581832)に見出されて,『古今要覧稿』の草木部の執筆を担当したり,薬園の設置を許されたりと,活躍の場を与えられた.


筆彩の写本であるため,巻11 以降の『本草図譜』には,出来栄えが劣っていたり,絵の一部(枝の数など)を省略した本も見受けられる.下図,左端図は田安家への配布本であり,全面的に優れている.中央図は本多豊後守助賢(信濃飯山藩の第6代藩主,17911858)に配本されたもので,右端図は大正五年から本草図譜刊行会が刊行した印影書である.
この叢書の「巻之十九 隰草類 連翹(??をとぎり)」の部に

一種 金絲桃(きんしたう) 三才圖會
びやうやなき
金絲海棠 廣東新語
小木細莖葉は水楊*に似て花は大翹**に似て
蘂長し黄色なり實も又大翹と同じ三才圖會
に云如桃而心黄鬚花外金絲
亦根下劈開分種畫譜言亦同」とある.
水楊:ネコヤナギの別称.Salix gracilistyla
大翹:トモエソウHypericum ascyron
上のビヨウヤナギの図を見ると,田安本は色が鮮明で,花絲やその先端の葯の描写も明瞭である.更に本多本と比べると,葉脈の数や葉の配置,幹の形状などが異なり,より描写に優れている. 

★飯沼慾斎『草木図説後編(1832)
  慾斎 (1783 1865) は医者であるが,偉大なナチュラリストでもあった.世情騒然たる幕末,大垣郊外の静かな五十歳を過ぎて別荘平林荘に隠棲し,こつこつと飽くことなく植物の花の構造を顕微鏡で調べて分類し,リンネの分類法に準拠して記載文と図を作製し続けた.そして,わが国で最初の科学的植物図鑑『草木図説』草部二十巻,木部十巻を編んだのである.草部は安政三年 (1856) から自費出版されたが,木部その他は未刊に終わった.


その木部の写本には
「第十八綱
第三目
ビヨウヤナギ
金絲桃
ビヨウヤナギ 金絲桃

葉金絲梅ニ似ニテ大ニシテ差軟枝梢分岐シテ五月花ヲ開ク蕚
五葉花弁亦金絲梅ニ似テ大ニ子室椎子状一柱長ク頭五
ニ分レ鬚蕋細シテ尤長ク弁上ニヒロガリ浅黄葯アリソノ数多
シテ難算概ルニ金絲梅ト同属異種
第三十四
Hypericum monogynum.          Eenuymge hyperinum
                             ヒベリエム モノギヌム 羅     ヱーンラヱーヒヘ ヒペリユム 蘭
とある.

★中山雄平著,松川半山画『剪花翁伝 (1847著,1851出版) ,他の園芸書と趣の異なり「いけばな」をたしなむ人々に焦点を当てて執筆されている特異な書.「いけばな」愛好者のための実践的な花井栽培ハンドブック,切り花取り扱い技法ハンドブックとでもいうべき内容と性格とをそなえており,伝統的な「いけばな」文化の中心地である京・大坂ならではの地域性豊かな,かつ質の高い近世園芸書として評価することができよう.切花栽培法を四季に分け,各草木の特色,開花時期,品種などについても記す。その意味でも本書が,数多ある近世園芸書のなかでも異色な存在であることは間違いない.

 中山雄平(生没年不明)江戸時代後期の園芸家.大坂の人.他に『草木保育剪伐法』が明治
28年に出版されているが,内容は図版も含めて『剪花翁伝』と同一.
 松川半山(1818 - 1882年)江戸時代後期から明治時代にかけての大坂の浮世絵師
『剪花翁伝 夏 五月開花之部』には,花色,花形,開花時期,生育に適した土地,施肥時期や繁殖法と共に,生け花に使うための切る時刻や水揚げ法が丁寧に記されている.また,葉が「癪」の特効薬とされているともある.

○金糸桃(びやう) 花,一重.色,黄(き).開花,五月,梅
天(つゆ)より半月(はんげつ)計(ばかり)もあり.方,半陰(かげ).地,半
湿.土,回込.肥,大便,寒中に入べし.
株(かぶ),九月中に分植(わけうゝ)べし.
 
●(遷のしんにゅうを扌(てへん)に)(さしき),春ひがんに枝三寸許に剪て,少し
斜(すぢかい)に(さし)て,即時(そくじ)に日(ひ)覆(おほい)すべし.後(のち)に              
指頭(ゆひさき)をもて土(つち)の乾(かハき)・湿(しめり)を圧(おし)て試(こゝろミ)るへし.指形(ゆびあと)の速(すミやか)にふかく入(いる)ものハ可(よき)也.堅(カた)くして指点(ゆびあと)なきものハ既(すて)に乾(かハ)ける也.此時(とき)水(ミつ)を
湊くべし.後(のち)に又(また)乾堅(かたく)なる時(とき)ハ,淡小便を
灌(そそ)ぐべし.寒中には大便を入べし.葉ハ
柳(やなぎ)に似て,枝は飴(あめ)色也.葉,長くして丸
からず.積気(しゃくき)を治(ぢ)するに妙(めう)なりといへり.
 
花剪(はなきる)の時(とき)は,日の出(いづ)るまでによし.其後(そのヽち)
ハ花(はな)いたむなり.升水(ミつあけ)ハ,切口より上に
鑢(やすり)をかけて(さし)おくべし.」とある.

現代語訳「○びようやなぎ 花は一重咲きで,黄色.開花は五月の梅雨から半月ばかり咲きつづける.半日陰の半湿りの土地を好む.土壌は回塵がよい.肥料として寒中に大便を施す.九月の中,すなわち霜降のころに株分けをする.
挿し木は,春の彼岸ころに,枝を三寸くらいに切って少し斜めに挿し,日が当たらないようにすぐに覆いをする.その後で,土の乾き具合,湿り具合を,指先で土を押してみて計る.指がすぐに土に深くはいる間はそのままでよい.かたくなって指がはいらなかったら,土が乾いてしまっているのである.このときに水をかける.その後また土が乾いたら,薄めの小便を施す.寒中には大便を施す.葉は柳の葉に似ていて,枝はあめ色である.葉は長めで丸みがない.癪(しゃく)の治療に効果があるという.
切り花にするときは日の出前に切り取る.日の出後に切ると,花がいたむものである.水揚げは切り口より上部にやすりをかけて活ける.」