2017年9月27日水曜日

タラヨウ(1) 和文献 延喜式,下学集,花壇地錦抄,大和本草,大和本草 諸品図,和漢三才図会,本草綱目啓蒙,物品識名,梅園草木花譜

Ilex latifolia
2006年5月 塩竃神社
葉面に尖った先で字を書けば,そこが黒く変わり字が浮きだす.この性質を,紙のない古い時代,インドや東南アジアで仏典を写した椰子の葉-貝多羅(ばいたら)-と同一視し,或はこれになぞらえてこの木を多羅葉(たらよう)と呼んだ.
また,葉を火であぶるとその面のみならず,その裏の面にも丸い文様が現れる.この文様のためか,江戸時代「いのちさだめ」と恐れられた「麻疹-はしか」除けの呪物としても用いられた.(文献の図はNDLの公開デジタル資料より部分引用)

木村陽二郎監修『図説草木名彙辞典』柏書房 (1991) には,出典として『延喜式』(927編纂開始,967に施行)が記載されているが,調べた限りでは,「卷第十三 中宮職,大舍人寮,圖書寮」の「御灌佛裝束」に「金銅多羅一口,【受水料】」とあるのが,見出されたのみであった.この「多羅」は,「鉢多羅-はったら」の事で,僧侶の持つべき必要最小限の持ち物の一つ,主に食器として用いた鉢及びそれを模した容器であり,多羅葉とは関係がない.

室町時代に成立した日本の古辞書の一つ,★東麓破衲編『下学集』(1444)の第三巻には,「多羅樹 タラジュ」とあるが,これがタラヨウの事であるか否かは定かではない.

染井で代々植木屋を開き,江戸一番と言われた★伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)の「地錦抄 三」には「○冬木
たらよう 葉ゆずりはの様にて各別あつし。」
「地錦抄 六 草木植作様(そうもくうへつくりやう)之巻」
「草木植作様伊呂波分
多羅葉樹(たらやうじゅ) 植替三四月」
とあり,江戸中期には,タラヨウが葉の美しさが賞されて庭木として用いられていたことが分かる.

貝原益軒★『大和本草 巻之十一 園樹」』(1709) には,
「多羅葉(タラヨフ) 葉大ニ長クシテアツシ 實ハ赤クシテ多ク 所ニアツマレリ 叉雄木アリ 無實四時葉アリ 天竺ノ貝多羅葉ニ佛經ヲカク由西域ノ書ニ見エタリ 此葉ナルヘシ 昔或古寺ノ重物ニ貝多羅ハナリトテ在シヲ見タリシカ 此葉ノ形ニシテ猶大ナル物ナリキ 西域記ニ貝(ハイ)多羅樹果熟シテ即赤シ 大石榴人ノ多レ食之トイヘリ 然レハ此地ニアルト不 此木ノ葉ノウラニ竹木ノ刺(ハリ)ヲ以文字ヲカクニ 其アト黒クシテ恰墨ニテ書クカ如シ 然レハ又此木眞ニ多羅樹ナルヘシ○此木ノ皮ヲハキテ トリモチニスル 十大功勞*ニ同シ 此木古来吾邦ニアリシニヤ處々山林ニアリ 多羅木ト云モノハ別ナリ 又一種西土ニテ大モチノ木ト云モノタラ葉似タリ 是タラ葉ノ別種也 冬モ葉不脱チ」とある.
*十大功勞:ヒイラギナンテン

また『大和本草巻之二十 諸品図中』には,
[多羅葉] 火ニテアブレバ如此 ウラ表ニ文生シテ其色黒 ウラヨリアブレバ表ニモトホル 表ヨリアブレバ裏ニモトホル 奇異ナリ 他木葉 檍(アオキ)ノ葉 木犀ナトアブレバ不シ 又モクコクノ木ノ葉ヲアブレバウラニ紋イヅ 三葉*皆多羅葉ナリ ヤキテ文生ス」(*三葉:アオキ,モクセイ,モッコクの三種の葉か.)

とあり,雌雄異株の常緑樹であり,多くの赤い実がまとまって付くこと.葉の裏に尖ったもので字を書くと,その痕が黒くなることから,真の多羅樹であろうといっている.しかし以前に見たお寺に収められていた「貝多羅」の形はこの樹の葉と同じだが,ずっと大きかったとし,生育地の違いであろうかと言った. また,樹皮からトリモチが取れることを記していて,「諸品図」には,火であぶった時の文様の出方を図示している.

寺島良安『和漢三才図会 巻第八十三 喬木類(1713) には
梖多羅(ばいたら) 梖多(ばいた)
字彙云.梖多交址(カウチ)及西域ヨリ.葉可書(モノカク)也.
翻訳名義集云多羅,舊(モト)貝多.此(ココニハ).形如此方椶櫚直ニ
而且極高サハ八九十尺華黄木子或云高-仞[七尺曰仞]
是則樹高四十九尺
西域記云南印度建部補羅国カラ多羅樹林三十
餘里其葉長廣其色光潤諸国書寫ト云フ

梖多羅(ばいたら) 梖多(ばいた)
『字彙(じい)』に云ふ,梖多は交址(コーチ)及び西域に産する.葉にものをかくことができる」とある.
翻訳名義集』に「多羅はもと貝多といった.中国では岸と訳す.形は此方(こちら)(中国)の棕櫚(しゅろ)のようで、其直ぐでかつ高い。最も高いもので長さ八、九十尺。華は黄木(米)子のようである」(巻七林木篇)とある。また同書に、高さ七仞ともいう〔七尺を一仞という〕。これすなわち樹の高さ四十九尺ということである、ともある。
『西域記』(巻第十一)によれば、南印度の(恭)建那補羅(コーンカナプラ)国の北、ほど遠からぬところに、多羅樹の林が三十余里にわたってある。葉は長く広く,色は光潤(つややか)、諸国で書写にこの葉を採って用いないところはない、とある。(現代語訳:島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫(1991))

同書 巻第八十三 喬木類』には
多羅葉(たらえふ)
按多-羅葉木青白色高者二三丈,葉似海石榴(ツバキ)而長
-五月開小白花六月結小豆(アズキ)而青色,冬熟スレバ
赤黒色作簇ツテラク葉上則其痕(アト)
トシ其文倍於火之大サニ梖多羅之類乎.今多
人家庭園

多羅葉(たらえふ)
△思うに、多羅葉の木は青白色で、高いもので二、三丈。葉は海石榴(つばき)に似ていて長く大きい。四、五月に小白花を開き、六月に子を結ぶ。大きさは小豆(あずき)ぐらいで青色。冬になって熟すると赤黒色になる。群がり成る。戯れにその葉を採り、小さな火燼(おき)を暫(しばら)く葉の上に置くと、その痕(あと)は環(わ)となり、文(もよう)は火の大きさの倍になる。これもまた梖多羅の煩であろうか。現今では多く人家の庭園に植えている。」(現代語訳:島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫(1991)) 
とあり,良安は,(西域で葉に経典を書いている)貝多羅(梖多羅)がヤシの仲間と認識し,図も貝多羅(梖多羅)と多羅葉では異なる.また,タラヨウに関してはその樹木としての性状の記載は正確で詳しく,多くの家に庭木として植えられているとある.また,葉に火燼(おき)を載せると輪のような跡が残るので,梖多羅の一種かと推測している.

★小野蘭山『本草綱目啓蒙(1803-1806)
巻之二十七 果之三 夷果類
椰子 通名 ヤシホ トウヨシノミ津軽
(中略)
又和名ニ多羅葉ト呼テ寺院ニ栽ル大木アリ.葉ハ桃葉珊瑚葉(アオキ)ノゴトク,鋸歯細クシテ厚ク
カタシ.木刺ヲ以テコノ葉ニ字ヲ書スレバ色黒クナル.マタ火ニテ炒レバ黒斑ヲナス.故
ニ,テンツキノキト云.一名カタツケバ豊州.コレモ唐山ニテ貝多葉トイフコト通雅ニ出.
本名ハ娑羅樹ニシテ,七葉樹ト同名ナリ.(以下略)」と,良安の指摘にも関わらず,「椰子」の項に入れている.

★岡林清達・水谷豊文『1809 物品識名 乾』(1809) には「タラヤウ 婆羅樹 通雅」とある.
  
★毛利梅園(1798 1851)『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 1849)には,「庚寅(文政十三年)四月一日(グレゴリオ暦1830522日)」にタラヨウを「折枝眞図」したとして,美しい花を着けた枝の図と共に,
「大和本草曰
多羅葉(タラヨウ) 
              〇娑羅葉(サラヨウ)
               貝多葉(バイダヨウ)
                             和漢通稱

西域記曰天竺佛經
              (バイ)多羅葉ヨシ則此者ナラン
              乎多羅葉葉裏楊枝
              文字書其跡墨筆而如
              書天竺貝多羅同種乎

多羅葉ノ葉火ニアブレハ丸キ形ノ紋
顕ル裏表ニ文生シ其色黒シ裏ヨリ
アブレハ表ニモ通ル表ヨリアブレハ裏ニモ
通ル奇異ナリ他木ノ葉檍(アオキ)木犀
ナトアフレハ只文ナク裏葉紙ヲヘリ如
クニムケル〇モツコクノ葉アフレバ裏ニ
文出ス三葉皆(ミナ)多羅葉ニ類ス」
とある.

江戸時代までには経文を記した「貝多羅葉」が,相当数渡来していたのだが,旧来の文献にとらわれて,「多羅葉」とは別物と言い切れなかった様だ.

2017年9月20日水曜日

ハンカチノキ(2017-2)Off-season flowering of Dove tree, 狂い咲き,アメリカシロヒトリ,アブシシン酸

Davidia involucrata

2017/09/21
今年は気候と天候の影響か,庭ではアメリカシロヒトリ (Hyphantria cuneaが猛威を振るい,ヤエベニシダレとハンカチノキの葉がほとんど食べられてしまった.そのせいであろう.二つとも秋になって花を着けた.
サクラの類の狂い咲きはよく目にするが,ハンカチノキの狂い咲きは聞いたことがない.どちらの花も,春のそれに比べれば小形で弱々しく,ヤエベニシダレの花は色も白い.

アメリカシロヒトリの虫害で葉が殆どなくなった
ハンカチノキ 2017年9月
虫害や強風によって葉がなくなってしまう事による「狂い咲き」の機作は以下のように考えられている.
「(略)私達の周囲に多いサクラを例にとって説明しましょう。サクラの花芽や葉芽は夏に分化し、秋-冬に向って越冬芽を形成し、成長が停止したまま休眠の状態に入ります。越冬芽は冬の低温で傷害を受けないように芽鱗で堅く守られています。この休眠を誘導するのは多分葉で作られるアブシシン酸(ABAという植物ホルモンだと思われます。ABAは樹芽や種子の胚などの成長を抑制することが知られています。季節が夏から秋になって日照時間が短くなると、葉はこの変化を冬に向うシグナルとして受容し、葉でABAを多く作り、芽に輸送します。秋〜冬にかけて葉は落ちてしまいますが、気温が低いため芽の成長はありません。しかし、冬の低温を経験する間にABAは減少し、同時に成長を促す植物ホルモンであるジベレリンなどの量が増加して、生長の抑制条件が除去されます。つまり、休眠状態が解除されるのです。そして、春になって気温が上昇しはじめると、越冬芽は成長し始め、開花にいたります。いわゆる狂い咲きは、花芽が分化した後、葉が異常落葉したりしてABAの供給がなくなり、しかもその後高い気温が続いたりすると、休眠状態を経ないで成長し、開花してしまうものと考えられます。(以下略)」(日本植物生理学会 みんなの広場 植物Q&A 登録番号1104 ,解答 JSPPサイエンスアドバイザー,勝見 允行氏)
ABA
つまり,葉がなくなってしまうと,夏に用意された花芽の春まで休眠を誘導・保持する ABA が葉から供給されなくなってしまうために,気温が高い状態では花芽が成長し,開花してしまうという事らしい.ハンカチノキでも同様の機作が考えられる.しかし,花芽の成長における ABA の作用には,まだ疑問点が多いとの事.

昨年の秋の剪定で,今年の春は殆ど花が咲かなかったが,アメリカシロヒトリのお蔭で花芽があることは確認できた.来年の花は期待できるかな?

2017年9月13日水曜日

ミゾカクシ-(3) 学名, ルーレイロ,ツンベルク,伊藤圭介,田中長三郎

Lobelia chinensis Lour.
2005年6月 茨城県南部
現在有効な学名 Lobelia chinensis は,ポルトガル出身で,イエスズ會の宣教師として,長期間コーチシナや中国で活動したルーレイロが,帰国後の 1790 年に,広東で観察した草本に命名し,発表した.

その六年前に,鎖国下の日本に出島医師として派遣されたツンベルクは,その著書『日本植物誌』“Flora Japonica” (1784) にミゾカクシをその漢名「半邊蓮」の日本読み(Fanpen Ran)と共に記載したが,リンネが “Species Plantarum” に収載した Lobelia erimus(ルリミゾカクシ)及び erinoideと同定してしまった.
この誤認に気づいたツンベルク1894年に★『リンネ学会誌(ロンドン)』で日本にいて見たミゾカクシに Lobelia radicans 及び L. campanuloidesの学名を与えたが,「学名の先取権」は発表年の早いルーレイロにあるため,このツンベルクの学名は現在 Synonym となっている.

ジョアン・デ・ルーレイロJoão de Loureiro (1717 –1791))は宣教師として,当時ポルトガル領のインドのゴアに三年間,後にマカオに4年間,その後 1742 年から35 年間コーチシナに滞在し,布教と共に数学者・自然科学者として活動し,その地方特産の多くの植物(特に薬用植物)の知識を蓄えた.1777年には広東に旅し.4年後にリスボンに戻った.1790年に★Fl. Cochinch. (Flora cochinchinensis: sistens plantas in regno Cochinchina nascentes. Quibus accedunt aliæ observatæ in Sinensi Imperio, Africa Orientali, Indiæque locis variis. Omnes dispositæ secundum systema sexuale Linnæanum.)” 全二巻を刊行したが,その第2巻,514 ページに広東で見たミゾカクシにLobelia chinensis の名を与えて発表した.

GENUS XLVIII. LOBELIA.
Char. Gener. Cal. 5-fidus. Cor. 1-petala, Irregularis, Caps. infera, 2,
3-loccularis. Lin. sy. pl. G. 1091


Sp. I. LOBELIA CHINENSIS. * Puôn fuén lién.
Differ, spec. Lob. foliis lanceolatis, integerrimis: floribus solitarris, terminalibus: caule repente.
Hab, & notae. Caulis erbaceous, filiformis, annuus, procumbens, repens : ramis erectis , 5-pollicaribus. Folia lanceolata , Integerrima glabra, alterna, seslilia. Flos dilute caeruleus, pedunculatus, folitarius, terminalis. Calyx 5-fidus, laciniis brevibus, subulatis, interruptis, patulis. Corolla tubus fissus : limbus 5-partitas, laciniis lanceolatis, inaequalibus. Filamenta 5, plana , longa, tubum antherarum sustinentia. Stigma 2-sidum , revolutum. Capsula 2-locularis, ovata , apice dehiscens : seminibus sub-rotundis , plurimis , minimis.
Habitat inculta prope Cantonem Sinarum.
Observ. Foliis integerrimis , & pedunculis florum terminalibus differt tam a Zeylanica , ( Lin. sp. 23. ) quam ab Erinoide, (Thunb. Jap. pag. 326.) quamvis utraque & solo natali , & habitu non yalde distet a Chinensi. 
(図は Internet Archive より)

この記事で彼は中国(広東)では Puôn fuen lien(半邊蓮か)と呼ばれている事を記し,ツンベルクの “Flora Japonica” L. erinoide とは異なるとしている.

鎖国中の日本に,出島医師として1775 – 1776年に滞日し,オランダ商館長の江戸参府にも参加したカール・ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828) は★『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784)に,多くの日本に生息する植物を記載し,学名を与えた.
その 325-326 ページで,日本での呼び名が“Fanpen Ran”(半邊蓮)とあるミゾカクシを,リンネが「植物の種 (Species Plantarum)」(1753)に記載したLobelia erimus(ルリミゾカクシ)及び erinoideと同定したが,これは結果的に誤同定であった.
                         LOBELIA.
Erimus L. caule decumbente, follis lanceolatis serratis, pedunculis longissimis.
Lobelia Erinus. Linn. Syst. Nat. Tom. 2. p. 667
Mant. p. 483. Sp. Pl. p. 1321.
Japonice: Fanpen Ran, i. e. Flos floribus secundis.
Caulis decumbens, ramosus.

326 SYNGENESIA. Superflua.

Folia undulata, subdentata, sessilia, glabra.
Flores axillares pedunculis folio duplo longioribus.

erinoides. L. caulibus decumbentibus filiformibus, foliis petiolatis
oblongis dentatis.
Lobelia erinoides. Linn. syst. Nat. Tom. 2. p. 667,Mantiss. 291. spec, Pl. p. 1322.
Crescit in insula Nipon.
Floret Iunio. (図はInternet Archiveより)

ツンベルクの『日本植物誌』に所収された植物を学名のアルファベット順に配列し,その和名・漢名を記した★伊藤圭介訳述『泰西本草名疏1829 (文政12)には,
LOBELIA ERINOIDES. LINN                   ハタケムシロ 半邉蓮」とあり,ミゾカクシと考定しているが, “LOBELIA ERINUS. LINN.” については記事がない(右図,NDL).

その後,ツンベルクはこの誤同定に気が付いたのか,1794年の『ロンドン・リンネ協会会報』(Transactions of the Linnean Society of London.)に,この二種を Lobelia radicans, L. campanuloides と改めて報告した.

XXXIV. Botanical Observations on the Flora Japonica.  By Charles
Peter Thunberg, Knight of the Order of Wasa, Professor of Botany and
Medicine in the University of Upsal, F, M, L. S.

Lobelia radicans: foliis lanceolatis undulatis serratis, caule decumbente radicante.
  Lobelia Erinus. Flor. Japon. p. 325.
  Caulis herbaceus, decumbens, radicans, ramosus, filiformiangulatus, glaber.
  Rami rariores, erecti.
  Folia alterna, lanceolata, sessilia, decurrentia, undulata, subdentata, patula, glabra, unguicularia.
  Flores axillares, solitarii.
  Pedunculi uniflori, folio duplo fere longiores.
Lobelia campanuloides: foliis subpetiolatis lanceolato-oblongis dentatis,
caulibus decumbentibus, pedunculis elongatis.
  Lobelia erinoides. Flor. Japon. p. 326.
  Caulis decumbens, sub-simplex, elongatus, filiformis, striatus, glaber, pedalis et ultra.
  Folia alterna, subsessilia, lanceolata, acuta, obsolete serrata, glabra, patentia, sub-pollicaria.
  Flores terminales in ramis elongatis.

しかし,この学名 Lobelia radicansは,ルーレイロが中国産のミゾカクシに与えた学名に先取権を譲り,現在では Lobelia chinensis synonym とされている.

一方,Lobelia erinusL. campanuloides)は,ウプサラ大学に保存されていた,ツンベルクが採取した腊葉標本を検討する事によって,実はヒナギキョウであることが確認されている(田中長三郎, 九州帝國大學農學部學藝雜誌 (1925) 1(4), p191-209 『二三の THUNBERG 植物に就て』).
九大農学部の田中長三郎1885 - 1976)は,大正11年(1922)にウプサラ大学に赴き,ツンベルクの残した標本を詳しく検討した.その報告「田中長三郎, 九州帝國大學農學部學藝雜誌 (1925) 1(4), p191-209 『二三の THUNBERG 植物に就て』には,
「凡そ Thunberg 時代の植物記文は Linnaeus に比して甚しく増大したりとは云へ猶甚だ簡素たるを免れざるものあり.叉Thunberg の日本植物を採集したる時たるや鎖國時代の厳重なる監視の下に行われたるが故標本の不完全なる多きは止むを得ず.叉Thunberg 腊葉は僻遠の地に保存され容易に看査すべからずものあり.是等の理由は右の如き不明品を今日まで残存せしめし主たる理由にして,彼の Maximowicz 如き優秀なる日本植物研究家の Sweden 訪問を以ても猶不解決の問題を多く残せる所以なり.茲に於て著者は大正十一年九月多數の日本植物標本を携へて Upsala 大學を訪問し,多年願望せる Thunberg 植物腊葉を實査し,具に名實を對審査定する事を得たり.今茲に掲ぐる所は即當時の研究に基けるものなり.」

Lobelia erinoides LINN. ex THUNB. 326
 本種は後 Lobelia campanuloides Thub. In Tr. Linn. Soc. II (1794) : 330 と改偁せり,名鑑は之をミゾカクシに充つも標本はヒナギキヤウなり,而してヒナギキヤウは別に Campanula marginata THUMB. 89. として存す,今 Ind. Kew これをWahlenbergia gricillis SCHRA. Blunnenbachia (1827) 38 in oba. に充つるも,Thunberg の方遙かに antedate なる故 Wahlenbergia marginata (THUNB.) DC. Mon. Camp.: 143 を採用せざる可からず.」とある.

なお,シンガポール国立公園のHP (NParks Flora & Fauna Web) によれば,ミゾカクシは日本,韓国,中国,ネパール,バングラデシュ,インド,東南アジア,マレーシアに分布している.また,米国では庭の湿性地のグランドカバーとして用いられ,一部の州では帰化が確認されている.