2015年4月22日水曜日

カラスノエンドウ-3 「薇」 詩経(2) ,「小雅」〈鹿鳴之什:采薇采薇〉〈谷風之什:四月〉の薇,白川訳.「薇」を「ゼンマイ」と考定したのは?

Vicia sativa subsp. nigra 
2015年04月
「薇」は中国においては古くから山菜として知られていた.五経の一つで,孔子以来,儒家の経典とされた中国最古の詩集『詩経』は,周王朝の初期から東遷後百数十年に及ぶ(前10―前6世紀),朝廷の祭祀・饗宴の楽歌,各地方の民間歌謡など計305編を集録している.「国風」・「小雅」・「大雅」・「頌」の4部からなり,「薇」が詠われているのは,諸国の民謡を集めた「国風」の〈召南〉に一編,宮廷で用いられた楽とされる「小雅」の〈鹿鳴之什〉と〈谷風之什〉に各一編が収録されている.

山崎闇齋點  詩経 呂 采薇
明和刊 NDL
この『詩経』の〈谷風之什〉の詩において,「」と「」と「」とが対になって用いられていたこと,及び前の記事に述べた『詩経「国風・召南」〈喓喓草蟲〉』における「」に對する朱子の註「、似而差大。有芒而味苦。山閒人食之。謂之迷蕨。胡氏曰、疑莊子所謂、迷陽者。夷、平也。」から,わが国において「」は「ゼンマイ」と考定されてしまい,この誤った解釈と読み方が定着してしまったと考えられる.

「小雅」〈鹿鳴之什〉の「采薇采薇」は,立命館大名誉教授 白川静博士(1910 - 2006)によると周王朝の朝廷で歌われた「軍歌」の一種で,玁狁(けんいん,北方の族.昆夷(こんい)・燻粥(くんいく)ともいい,のちの匈奴族にあたるの来寇に際して、出征した征夫の雄々しさと、望郷の情を歌う.
白川博士は「 ぜんまい。わらびよりやや大。また迷蕨ともいう。詩文は、かりに「さわらび」とした。」と訳について記している.

この詩で「采薇」は,懐かしい故国と暖かい家庭をシンボライズしており,「」がいかに当時の一般家庭での家庭料理の材料になっていたか,しかも,柔らかい早春の芽生えから,硬くなった年の暮れの葉 (或は果実) まで採集されていたかが分かり,興味深い.このように長期間採取され食用として利用されるので,この「」はゼンマイとは考えられない.

作品名
采薇采薇

収載書名
『詩経』「小雅 鹿鳴之什」

訳者名
白川静

訳書名
『詩経雅頌1(『東洋文庫』635)




を采り を采る
(わらび)を 采りに采る
亦作止
も亦作(おこ)れり
も もえ出づる
曰歸曰歸
歸りなむ 歸りなむ
歸りなむ 歸りなむ
亦莫止
歳も亦莫(く)れぬ
年もはや 暮れそむる



靡室靡家
室靡(な)く 家靡きは
家離(さか)り さすらふも
玁狁之故
玁狁(けんいん)の故なり
玁狁の 故ぞかし
不遑
啓居するに遑(いとま)あらざるは
安らぐに ひまなきも
玁狁之故
玁狁の故なり
玁狁の 故ぞかし



を采り を采る
を 采りに采る
亦柔止
も亦柔(わか)し
も しなやかに
曰歸曰歸
歸りなむ 歸りなむ
歸りなむ 歸りなむ
心亦憂止
心も亦憂(うれ)ふ
わが心 憂はし



憂心烈烈
憂心 烈烈として
わが憂ひ いやましに
載飢載
載(すなわ)ち飢ゑ 載ち渇く
身のかつれ 渇くごと
我戍未定
我が戌(まもり) 未だ定まらず
わが戍 成らざれば
靡使歸聘
帰聘する所靡し
家問はむ すべもなし



を采り を采る
を 采りに采る
亦剛止
も亦剛(かた)し
も たけにけり
曰歸曰歸
歸りなむ 歸りなむ
歸りなむ 歸りなむ
亦陽止
歳も亦陽(た)けたり
年もはや 更(ふ)けにけり



王事靡盬
王事 盬(や)むこと靡(な)し
えだちごと 果てなくて
不遑
啓處するに遑(いとま)あらず
安らぐに 遑なし
憂心孔疚
憂心 孔だ疚(うれ)ふ
わが憂ひ いやませど
我行不來
我が行 來(ねぎら)はれず
勞(ねぎ)らひの こともなし

中略

昔我往矣
昔我が往きしとき
昔われ 出でしとき
楊柳依依
楊柳 依依(いい)たり
さ柳ほ しだりたり
今我來思
今我れ来れば
今われ 歸りきて
雨雪霏霏
雨雲 霏霏たり
ふる雪は しきりなり



行道遲遲
道を行くこと 遅遅たり
道ゆくも たゆたゆし
載飢
載(すなわ)ち渇し 載ち飢う
身は渇き かつれたり
我心傷悲
我が 心傷悲す
わが心 悲しめど
莫知我哀
我が哀しみを知る莫(な)し
知る人もなし


山崎闇齋點 詩経
 小雅 明和刊 NDL
白川静博士によると「小雅」〈谷風 こくふう〉の「四月」(右図)は,「社會詩。世がれ、秩序は失われ、生活は破壊されている。誠實に努力していても生きる道はない。この世に、上手に生きる者もあるが、正しいものは救われない。そのなやみを訴える詩。」とされている.
この詩の第八章において,「山有」と「」と「」が,後句の「隰有杞」の「杞 くこ」と「 なつめ」のように対として用いられている.白川博士は前者をまとめて「わらび」と訳し,後者もまとめて「なつめ」と訳している.一方,「語釋」では,「○蕨 わらび、ぜんまい」「○ 枸(くこ)となつめ」と注釈している.

この詩のように「」と対になって用いられていたこと,及び『詩経「国風・召南」「喓喓草虫」』における「」に對する朱子の註「賦也而差大有芒芭而味苦山間人食之謂之迷蕨胡氏日疑即荘子所謂迷陽者夷平也(賦なり。は、に似て差(ヤヤ)大なり。芒有りて味苦し。山間の人之を食ひ、之を迷蕨と謂ふ。胡氏日はく、疑ふらくは即ち『荘子』に謂ふ所の迷陽なる者ならん、と。夷は、平なり。)」から,わが国において「」は「ゼンマイ」と校定されて,この誤まった解釈と読み方が定着していると考えられる.

作品名
四月

収載書名
『詩経』「小雅 谷風」

訳者名
白川静

訳書名
『詩経雅頌1(『東洋文庫』635)




四月維夏
四月 維(これ)夏
四月 夏に入り
六月徂暑
六月 徂(はじ)めて暑し
六月 暑さも盛り
先祖匪人
先粗 人に匪ずや
み祖(おや)たち 情もあらず
胡寧忍予
胡寧(なん)ぞ予(われ)に忍べる
どうしてうちすてたまうのか



秋日淒淒
秋日 淒淒(せいせい)として
秋の日は すさまじく
百卉具腓
百卉(ひゃくき)具(とも)に腓(や)む
百草(ももくさ)は うらがれる
亂離瘼矣
亂離(らんり)して瘼(や)めり
世の乱れに疲れ果て
爰其適歸
爰(いづ)くに其れ適歸(てきき)せむ
おちつくさきもない



冬日烈烈
冬日は 烈烈たり
冬の日は きびしく
飄風發發
瓢風は 發發たり
つむじ風が 吹きめぐる
民莫不穀
民 穀(よ)からざる莫(な)きに
人はみな 倖なくらし
我獨何害
我 濁(ひと)り何ぞ害ある
どうして 私だけがなやむのか



中略





匪鳶
鶉に匪ず 鳶に匪ず
鶉でもない 鳶でもない
翰飛
翰く飛んで天に戻らむや
空に飛べるわけがない
匪鱣匪鮪
鱣(たん)に匪ず 鮪に匪ず
鱣(ふか)でもない 鮪でもない
潛逃于淵
潜(ひそ)みて淵に逃れむや
淵にひそめるはずがない



山有
山に(けつび)有
山には わらび)があり
隰有杞
隰(さわ)に杞(きい)有り
隰(さわ)には杞(なつめ)がある
君子作歌
君子 歌を作り
うまし人 この歌をつくり
維以告哀
維(これ)を以て哀(あい)を告ぐ
かくして世の哀しみを訴える

白川博士は,「薇」を「ゼンマイ」と解しているが,既に述べたように,「薇」はワラビでもゼンマイでもなく,カラスノエンドウ類(野豌豆)に該当すると考えられる.茨城大学の加納喜光氏は「日本では薇をゼンマイと訓じる。しかしこれは誤りで、薇はスズメノエンドウ(小巣菜Vicia hirsuta)などのソラマメ属の植物を指す。」と指摘している(「埤雅の研究・其八 釈草篇(4)」茨城大学人文学部紀要『人文学科論集』4429-44頁、20059月).

諺の「周の粟を食らわず」の元となった伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)の逸話については,別の記事に記す.


2015年4月20日月曜日

カラスノエンドウ-2 「薇」 詩経(1) 国風「喓喓草虫」の薇,白川訳,朱子注

Vicia sativa subsp. nigra
2015年04月
 「薇」は中国においては古くから山菜として知られていた.中国最古の詩集『詩経』には,三つの歌に「薇」が詠われている.また,諺の「周粟を食らわず」の元となった伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)の逸話では,山中に隠遁した二人の食した山菜はこれだという説もある.

詩経-山崎闇齋點 明和刊 NDL
五経の一つで,孔子以来,儒家の経典とされた中国最古の詩集『詩経』は,周王朝の初期から東遷後百数十年に及ぶ(前10―前6世紀),朝廷の祭祀・饗宴の楽歌,各地方の民間歌謡など計305編を集録している.「国風」・「小雅」・「大雅」・「頌」の4部からなり,「薇」が詠われているのは,諸国の民謡を集めた「国風」の〈召南〉に一編,宮廷で用いられた楽とされる「小雅」の〈鹿鳴之什〉と〈谷風之什〉に各一編が収録されている.

「国風」〈召南〉「喓喓草虫」は,立命館大名誉教授 白川静博士(1910 - 2006)によると「草摘みの歌」の一種で,兵士として徴用された夫の健勝を,新しい生命力をみなぎらせた野草の芽を摘むことによって祈る意味がある「恋愛詩」と考えられている.

白川博士はまた,「薇」を一般的に言われている「ゼンマイ」ではなく「わらび」と訳しているが,既に述べたように,現在では「薇」はワラビでもゼンマイでもなく,カラスノエンドウに該当すると考えられている.茨城大学の加納喜光氏は「日本では薇をゼンマイと訓じる。しかしこれは誤りで、薇はスズメノエンドウ(小巣菜Vicia hirsuta)などのソラマメ属の植物を指す。」と指摘している(「埤雅の研究・其八 釈草篇(4)」茨城大学人文学部紀要『人文学科論集』4429-44頁、20059月).前記事参照

しかし,和訳のリズムからすると「わらび」の方が口ずさみ易く,食用の野草として親しみがあってイメージが湧くので,こちらが採用されたであろうか.

作品名
草虫
収載書名
『詩経』「国風・召南」 
訳者名
白川静
訳書名
『詩経国風』(『東洋文庫』518)

喓喓草虫
喓喓(えうえう)たる草虫
ようよう いなご
趯趯阜螽
趯趯(てきてき)たる阜螽(ふしゆう)
ばたばた はたおり
未見君子
未だ君子を見ざれば
あいみぬうちは
憂心忡忡
憂心 忡忡(ちゆうちゆう)たり
こころなやまし
亦既見止
亦既に見
やつと会えて
亦既覯止
亦既に覯()
やつと相見て
我心則降
我が心 則ち降る
心がいえた



陟彼南山
彼の南山に陟(のぼ)
南山に陟つて
言采其
(ここ)に其の(わらび)を采()
そのわらびをとる
未見君子
未だ君子を見ざれば
あいみぬうちは
憂心惙惙
憂心 惙惙(てつてつ)たり
こころなやまし
亦既見止
亦既に見
やつと会えて
亦既覯止
亦既に覯ひ
やつと相見て
我心則説
我が心 則ち説(よろこ)
心がとけた



陟彼南山
彼の南山に陟り
南山に陟つて
言采其
言に其の(わらび)を采る
そのわらびをとる
未見君子
未だ君子を見ざれば
あいみぬうちは
我心傷悲
我が心 傷悲す
こころなやまし
亦既見止
亦既に見
やつと会えて
亦既覯止
亦既に覯ひ
やつと相見て
我心則夷
我が心 則ち夷(たひら)
心なごんだ
WUL


中国宋代の儒学者,朱子(1130 - 1200)は,詩經の解釈考証の書として最も重きを置かれた『詩經集傳(南宋)』のなかで,この詩の「」の項の注釈として「賦也。、似而差大。有芒而味苦。山閒人食之。謂之迷蕨。胡氏曰、疑莊子所謂、迷陽者。夷、平也。」と記し,「」は「」と似ているが,それより大きく,芒があって,味が苦いとしている(右図 松永昌易(1619-1680)評註『詩経集註・朱熹集伝』(寛文4年刊の再刻) WUL).この「芒」がいわゆる「のぎ,禾」なのか,他の付属体なのかは調査中.

さらに,この詩のように,中国の古い文献では,しばしば「」と「」が相対するように用いられていることから,日本ではこの二つの植物を「わらび」と「ぜんまい」と校定し,「」をゼンマイと読むようになったと考えられる.