2021年6月28日月曜日

ビヨウヤナギ (5) 江戸-3,重刻秘伝花鏡,質問本草,物品識名,草花写生,梅園草木花譜,秘伝花鏡会識

 Hypericum monogynum

******文献画像は NDL の公開デジタル画像よりの部分引用********


清代の博物学者★陳淏子(1612 - 没年不明)著『秘傳花鏡(1688) は,花木・花草の種類・栽培法と,鳥・獣・魚・昆虫の飼育法を述べた書物で,日本に伝わり,平賀源内が校正し1773年に『重刻秘伝花鏡』として刊行した.この書の
「巻之三 花木類攷 (図なし)」に

金絲桃 ビヤウヤナギ
--桃。一---嬢。出--。花似而大。其色更
-莖純-心吐--。儼若-。八--
實熟。青-紺若-。其味甘。可。如分種
-サキ。仍以。至來年。移便活。」
「金絲桃。一名は桃金嬢。桂林郡に出。花桃に似て而大。其色更頳し。中莖純紫心黃鬚を吐き花外鋪き散す。儼から金絲の若。八九月實熟す。青紺牛乳の狀の若く。其味甘し。藥に入れ用ゆ可。如し分種は根下は從劈さき開く當に。仍土を以之を覆。來年に至。移しに便活す。」とある.


 ★1789 中山呉子善,呉継志『質問本草』(1837年刊)は,1789 年に琉球中山および掖玖諸島の草木 160 種に関し,薬効を福建等の中国医師 45 名に質し作成したと始めに記す.草木の線描と簡単な効用を紹介.作者の呉継志,また,成立についての詳細は不明. 1873年江戸の須原屋,山城屋等で発行.
この書の中に「猪(チョボリュウ):別名、金絲梅(キンシバイ)」の項がある.キンシバイは中国中南部原産で、日本には宝暦十年(1760年)に渡来している(平賀源内『物類品隲』).しかし写生図の花弁や葉の形,雄蕊の長さは、むしろ先に渡来したビヨウヤナギのそれに似ている.また,「猪柳」はビヨウヤナギの中国名の一つであるので,むしろビヨウヤナギの可能性が高い.
             金絲梅
  辛-丑清-舶漂-
 猪--柳 --春」
とある.

 ★岡林清達・水谷豊文『物品識名 坤』(
1809跋)には
「比部 木」に「ビヤウヤナギ       金絲桃 廣東新語」とあり,前記事に記載した『廣東新語』を典拠としている


★牧野貞幹『草花写生

 笠間藩主牧野貞幹(17871828)による草花の彩色図集.筆致は繊細で,図の肩に名称を記した小紙片が貼付されている.版心に「喬木園」と刷り込んだ料紙を使用.明治41871)年付の後人の手になる序によれば,巻2の全て及び巻4の半分までは笠間藩士吉田良林写という.各冊に「笠間文庫」の朱印が,また,特に貞幹自筆の部分には,最後に「笠間城/主牧野/貞幹写」の朱印が押捺されている.NDLの前身東京書籍館が,明治8年に文部省から交付された旧笠間藩所蔵本中のものである.
 『草花写生 巻二』には,「金絲桃 ビヤウ柳」と題された図がある.葉や雄蕊はビヨウヤナギの特徴を捉えているが,花弁が細過ぎるのが気になる.

★毛利梅園(1798 1851)『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 – 1849
 江戸後期の博物家.名は元寿,梅園は号.江戸築地に旗本の子として生まれ,長じて鶏声ケ窪(文京区白山)に住み,御書院番を勤めた.20歳代から博物学に関心を抱き,『梅園草木花譜』『梅園禽譜』『梅園魚譜』『梅園介譜』『梅園虫譜』などに正確で美麗なスケッチを数多く残した.他人の絵の模写が多い江戸時代博物図譜のなかで,大半が実写であるのが特色.江戸の動植物相を知る好資料でもある.当時の博物家との交流が少なかったのか,名が知られたのは明治以降.

 この叢書の「夏之部三」にビヨウヤナギの図が収載されているが,花弁も葉もその形状は正確で,葉裏の白さなども実物の写生ならではの描写である.


「大和本草曰
  金絲桃(ビヤウヤナキ) 通称 キンシバイ
     和漢三才圖會喬木類 美容柳(ビヤウヤナギ)正字未詳
    三才圖繪如シテ桃而心有
    黄鬚-花外
    金絲

  未央柳     群書     其樹柳ノ葉ニ似テ五月雨ニ
                                          
黄花ヲ開キ六月ニ渡ト云ヘリ
                                          
是正ニ美陽柳也
  美陽(ビヨウ) 地錦抄

      乙酉*林鐘**十日
      涼風半息?寫」とある.
  *乙酉:文政8年(1825年)
  **林鐘:陰暦6月の異称


★小野職博(蘭山)(述)『秘伝花鏡会識』中村宗栄写(
1827)は,陳淏子著『秘傳花鏡』(1688),平賀源内校正『重刻秘伝花鏡』(1773)に対する蘭山のコメントを纏めたものと思われるが,その「花木類」の部に
金絲桃 ビヨウ柳ノ訓非之比書ニ云形状ヲ考ルニ花桃
 
ニ似テ大其色更頳又九月実熟青紺若牛乳状其味
 
如比形状者日本未見之今和名ヒヤウ柳ト云ハ三
 
才圖會ニ金絲桃ト云物形状能合ヨリ比書所説同名異物
 
之ヒヤウ柳色黄色実硬シテ難爲食用多クハ熟セスシテ墜
 
落ス樹ハ挿テ能ク活ス」とある.
蘭山は金絲桃をビヨウヤナギと同定するのには疑いを持ったようで,「ビヨウヤナギの実は黄色で堅く食べられない.多くは熟せずに落ちる.『秘傳花鏡』の「九月実熟青紺若牛乳状其味甘」の記述に合わない」としている.

******文献画像は NDL の公開デジタル画像よりの部分引用********

2021年6月26日土曜日

ビヨウヤナギ (4) 中国-2,金絲桃,『新鐫木本花鳥譜』.金絲海棠,『廣東新語』

Hypericum monogynum


 ★(明)黄鳳池編『八種画譜』は,唐詩画譜3集(①『唐詩五言画譜』,②『新鐫六言唐詩画譜』,③『唐詩七言画譜』)及び同人編④『新鐫木本花鳥譜』,⑤『新鐫草本花詩賦』,⑥『新鐫梅竹蘭菊四譜』,以上,集雅斎より刊行された6種に,清絵斎より刊行された(明)唐寅⑦『唐六如画譜(唐解元倣古今画譜)』,(明)張成龍(白雲)選⑧『名公扇譜』の2種を併せた8種の画譜を収めた叢書で,寛文十二年 (1672) に日本では中国画譜として初めて覆刻され,日本で広く普及した.図は NDL の公開デジタル画像より部分引用

 鳳池は徽州(今日の安徽省)の人であり,この書物は天啓年間(1621-1627)に刊行された.①~➂は唐の詩人の五言,六言,七言,絶句の詩をそれぞれ50首選び,その風景を図にし,原詩を左側に書いた.また④~⑥の三巻は花鳥画譜である.図はあるが,詩はない.主に花についての記述を「三才圖會」などからの抜粋や,園芸家による栽培法などを記している.
 『新鐫木本花鳥譜』には,「金絲桃花」の項があり,岩と鳥(種類不明)と共にビヨウヤナギが描かれた絵と
 「金絲桃花 花如桃而心有黄鬚鋪散
  花外若金絲然亦根下
  劈開分種」と「三才圖會」の「金絲桃」の記述そのものが載せられている.


★『廣東新語』(
1678)は明朝末から清朝初頭に活躍した著名な学者・詩人の屈大均(16301696)が,明の郭棐(1529-1605)が成立に関わった『廣東通志』の不足を補うために著した地方史.全二十八巻で,「天語」,「地語」,「山語」,「水語」,「石語」,「神語」,「人語」,「女語」,「事語」,「學語」,「文語」,「詩語」,「藝語」,「食語」,「貨語」,「器語」,「語」,「舟語」,「墳語」,「禽語」,「獸語」,「鱗語」,「介語」,「蟲語」,「木語」,「香語」,「艸語」,「怪語」等の部からなる.
その「卷二十七 艸語」に「秋海棠」の章があり,中に「金絲海棠」として,ビヨウヤナギが記載されている.花の形は桃に似て,雄蕊が多く長く
海棠絲の様で,その雄蕊の先に小さな珠があるので,海棠の名がある.香りがない野の花である.としている.図は NDL の公開デジタル画像より部分引用

《卷二十七 艸語》


秋海棠
秋海棠,無香.有客嘗從禺峽歸猿洞采得秋海棠,
甚香,謂嶺南諸花,其香者多生谷,人所罕見,不
獨秋海棠為然.予謂南州炎德,陽多而氣常泄,陽
多故花厚於色,氣泄故花薄於香.𨗉谷幽巖之間,
陰積寒凝,日光稀照,故花氣不泄而多香.故夫花
薄於香者,陽氣純在色也;薄於色者,陽氣純在香
也.端州𦏰峽有春海棠,花與秋海棠相似,亦香.
而葉大有毛,葉面紅綠色,有細白點如粟甚多,背
紅紫如古番錦,莖淡紫而長.西寧有野海棠,開在
春夏之交,花稍大,不香.又有金絲海棠,五出而大
瓣,與鬚蕊皆黃,一名金絲桃.其花如桃而大,故名
桃.其鬚多而長,如海棠絲,絲末各有一小蕊珠,故
名海棠,亦不香.是皆野花.大抵花之美者,多在
野花.

2021年6月22日火曜日

ビヨウヤナギ (3) 中国,金絲桃,三才圖會,陶朱公致富奇書,秘傳花鏡,芥子園画伝,植物名實圖考

Hypericum monogynum

原産地中国での呼び名は「金絲桃」が一般的で,「美容柳」は日本での漢字名称である.中国での地方名としては叫狗胡花(安徽霍山),金線蝴蝶(重慶南川,浙江樂清),過路黃(重慶奉節),金絲海棠(山東嶗山),金絲蓮(陝西石泉),土連翹が挙げられている.現代中国では観賞用とともに,果実と根とが薬用として供されている.即ち,果実は連翹(オトギリソウ)の代用品として,根は能く祛風・止咳・下乳・調經補血の作用があり,外用としては跌打損傷や蛇の咬傷を治すとされている.

古くは薬用として使われていなかったためか,文献には取り上げられていなかったようで,明時代の絵入り百科の王圻『三才圖會』には,黄色い蕊が金の糸のように花の外まで広がるとある.同じく明代の王象晋の植物文化史『二如亭群芳譜』(群芳譜)には,名前の為か,「夾竹桃」と並んで桃果の部に附録とし記載されている.明代の農書『陶朱公致富奇書』には,「高二三尺五月初開花」と樹高や咲く季節や,キンシバイと思われる植物への言及もある.清代の汪灝らの御定佩文齋廣群芳譜は『二如亭群芳譜』の改定・拡充をした敕撰植物史であるが,「金絲桃」は,「桃花」に移動され,追加の記事が増補された.清の陳淏子『秘傳花鏡』には,繁殖法と共に甘い実は薬としても用いられるとあるが,具体的な薬効は示されていない.清代の王槩(おうがい)によって刊行された彩色版画絵手本『芥子園画伝』には,南宋の有名画家「林椿」が描いた金絲桃とトンボの絵が多色木版で模刻されている.清末の呉其濬『植物名實圖考』では,記述は『秘傳花鏡』と同一であり,添付図はむしろキンシバイに似ている.

 ★明王圻 (1592-1612) 纂集『三才圖會 全百六卷』萬暦371609)序刊の「草木十二巻 花卉類」には,岩の上に生育している植物の図に

金糸桃
金絲桃如桃而心有黄鬚鋪散花外若金絲然亦根
下劈開分種」とある.花は桃の花に似ているので一見キンシバイのように見えるが,雄蕊は花の外まで広がっている.

 明代の王象晋 (1561-1653) が自耕経験と広範な文献収集により編撰した『二如亭群芳譜』(群芳譜) (1621) 17世紀初期の多種作物生産及び生産に関する問題について論述した巨著.各書毓物詞條の下に植物の特徴と品種,園芸技術,附録(関連植物),典拠,詩歌等を載せる.

明の役人であった王象晋は1607年から1627年にかけて,使用人を率いて庭を経営し,さまざまな植物を植え育て,また古代の本を大量に収集した.主に陳景沂『全芳備祖』(寶祐年間,中国・南宋の理宗の治世に使用された元号.1253 - 1258年)を元として,10年以上をかけて『二如亭群芳譜』を編集した.全30卷,40餘萬字.400種以上の植物と185種の牡丹を記録.明代介紹栽培植物的著作.

この書の「果部巻之二,果譜二」の,「」の部には,桃の記述の後に
附録

金絲桃 花如桃而心有黃鬚鋪散
花外若金絲然以根
下劈開分種易活 」

とある.この項は『全芳備祖』には見当たらず,王象晋が『三才圖會』の記事を追加転記したものと思われる.

 明代(1368-1636)に著されたとされる★『陶朱公致富奇書』(作者不詳)は,農業で成功した陶朱公(別名:范蠡)の「農書,四卷,或分八卷。包括谷、蔬、木、果、花、藥、畜牧、占候諸部,是較流行的農書」で,1775 明陳繼儒撰,清石巖逸叟増定の『重訂増補陶朱公致富奇書』には,

           金絲桃 金梅附
金絲桃高二三尺五月初開花花六出中有長鬚花辧大
於桃狀如桃花但色黄耳春分時候分栽一種似梅者
名金梅其花差小比金桃更勝」とある.
金絲桃には,桃ではなく梅に似た花をつける類があり,差は小さいが金糸桃の方が観賞価値が高いとある.梅に似たものはキンシバイかと思われる.

 皇帝の命により『二如亭群芳譜』の改定・拡充をした清代の★汪灝・張逸少・汪・黃龍睂等敕撰『御定佩文齋廣群芳譜』(1708)は,百卷からなる園芸書.

その「卷二十六 花譜  桃花二」の部に「附錄 金絲桃」の項があり,【原】で,『二如亭群芳譜』の記事を引用し,【增】で群芳譜に無い記述を追加している.

「  附錄 金絲桃
【原】金絲桃花如桃而心有黃鬚鋪散花外若金絲然以
根下劈開分種易活 【增】金絲桃南中多有之塞外遍
地叢生六七月花開尤為絢爛花五瓣如桃而長色鵝
黃心微綠莖起處一苞有綠盤盤出五花開則五花俱
開如黃金然」

清代の博物学者★陳淏子(ちん こうし.1612 - 没年不明)著『秘傳花鏡(1688) は,彼が 77歳の時に刊行した花木・花草の種類・栽培法と,鳥・獣・魚・昆虫の飼育法を述べた書物で,その「巻之三 花木類攷」には,巻頭の簡単な図と共に
金絲桃
金絲桃.一名桃金嬢.出桂林郡.花似桃而大.其色更
頳.中莖純紫心吐黃鬚散花外.儼若金絲.八九月
實熟.青紺若牛乳狀.其味甘.可入藥用.如分種當從
根下劈間.仍以土覆之.至來年.移植便活.」

とある.図は稚拙で花は合弁のように見え,雄蕊の數は少ないが,花弁の外まで延びている様を示している.

この書は日本に伝わり,平賀源内が校正し1773年に『重刻秘伝花鏡』を刊行した.

頳:あかい,鮮やか
儼:さながら,まるで(…である).
仍:よって.よりて.したがって.すなわち.つまり. よる.従う.

 清代に★王槩(おうがい)によって刊行された彩色版画絵手本『芥子園画伝(かいしえんがでん)』は,中国・清代に刊行された彩色版画絵手本.古くからの歴代画論に始まり,山水,花鳥などの技法を解説した絵画論として広く普及した.

 王槩(1645-1710年以後)は,清の康煕年間に南京で活躍した文人・画家で,詩文・画・篆刻にすぐれ,画は大幅の山水画を得意とし,人物・花鳥画も善くした.古人の銘品絵画を摸刻した図をつけた上記教本『芥子園画伝』を弟二人(王蓍(字は宓艸.1649-1737年)と王臬(字は司直))とともに制作したことで最も知られる.

その17巻「花鳥譜」には,目次に「金絲桃 倣林椿畫 王司直題」とあり,ビョウヤナギと蜻蛉の図が収録されており,
 「黄桃學金母
  絳翅比紅児」と題がある.
 この図の原画は南宋錢塘(今浙江杭州)人,林椿の絵画で,彼は南宋の第二代皇帝孝宗淳熙(11741189)の宮廷の画院で,最高位の画家として金帶を賜った.
題はこの書の刊行者王槩の弟で,共同刊行者の一人王臬(司直)による.題の意味はよく分からなかった.

★呉其濬 (1789-1847)『植物名實圖考』清末 (1848) は,薬草のみならず植物全般を対象とした中国初の本草書として名高い.『図考』には実物に接して描いた,かつて中国本草になかった写実的図もある.幕末~明治の植物学者・伊藤圭介はこれを高く評価し,植物に和名をあてて復刻.のち伊藤本から中国で再復刻された.
この書の「巻之二十七 羣芳」に
金絲桃
花鏡 金絲桃一名桃金嬢出桂林郡花似桃而大其色更頳
莖純紫心吐黃鬚
散花外儼若金絲八九月實熟青紺若牛
乳狀其味甘可入藥用如分種當從根下劈間仍以土覆之至
來年移植便活」とある.
内容的には陳淏子著『秘傳花鏡』と同じ