Hypericum monogynum
原産地中国での呼び名は「金絲桃」が一般的で,「美容柳」は日本での漢字名称である.中国での地方名としては叫狗胡花(安徽霍山),金線蝴蝶(重慶南川,浙江樂清),過路黃(重慶奉節),金絲海棠(山東嶗山),金絲蓮(陝西石泉),土連翹が挙げられている.現代中国では観賞用とともに,果実と根とが薬用として供されている.即ち,果実は連翹(オトギリソウ)の代用品として,根は能く祛風・止咳・下乳・調經補血の作用があり,外用としては跌打損傷や蛇の咬傷を治すとされている.
古くは薬用として使われていなかったためか,文献には取り上げられていなかったようで,明時代の絵入り百科の王圻『三才圖會』には,黄色い蕊が金の糸のように花の外まで広がるとある.同じく明代の王象晋の植物文化史『二如亭群芳譜』(群芳譜)には,名前の為か,「夾竹桃」と並んで桃果の部に附録とし記載されている.明代の農書『陶朱公致富奇書』には,「高二三尺五月初開花」と樹高や咲く季節や,キンシバイと思われる植物への言及もある.清代の汪灝らの『御定佩文齋廣群芳譜』は『二如亭群芳譜』の改定・拡充をした敕撰植物史であるが,「金絲桃」は,「桃花」に移動され,追加の記事が増補された.清の陳淏子『秘傳花鏡』には,繁殖法と共に甘い実は薬としても用いられるとあるが,具体的な薬効は示されていない.清代の王槩(おうがい)によって刊行された彩色版画絵手本『芥子園画伝』には,南宋の有名画家「林椿」が描いた金絲桃とトンボの絵が多色木版で模刻されている.清末の呉其濬『植物名實圖考』では,記述は『秘傳花鏡』と同一であり,添付図はむしろキンシバイに似ている.
★明王圻 (1592-1612) 纂集『三才圖會 全百六卷』萬暦37(1609)序刊の「草木十二巻 花卉類」には,岩の上に生育している植物の図に
「金糸桃
金絲桃如桃而心有黄鬚鋪散花外若金絲然亦根
下劈開分種」とある.花は桃の花に似ているので一見キンシバイのように見えるが,雄蕊は花の外まで広がっている.
明代の王象晋 (1561-1653) が自耕経験と広範な文献収集により編撰した『二如亭群芳譜』(群芳譜) (1621) は17世紀初期の多種作物生産及び生産に関する問題について論述した巨著.各書毓物詞條の下に植物の特徴と品種,園芸技術,附録(関連植物),典拠,詩歌等を載せる.
明の役人であった王象晋は1607年から1627年にかけて,使用人を率いて庭を経営し,さまざまな植物を植え育て,また古代の本を大量に収集した.主に陳景沂『全芳備祖』(寶祐年間,中国・南宋の理宗の治世に使用された元号.1253年 - 1258年)を元として,10年以上をかけて『二如亭群芳譜』を編集した.全30卷,40餘萬字.400種以上の植物と185種の牡丹を記録.明代介紹栽培植物的著作.
この書の「果部巻之二,果譜二」の,「【桃】」の部には,桃の記述の後に
「○附録
金絲桃 花如桃而心有黃鬚鋪散
花外若金絲然以根
下劈開分種易活 」
とある.この項は『全芳備祖』には見当たらず,王象晋が『三才圖會』の記事を追加転記したものと思われる.
明代(1368-1636)に著されたとされる★『陶朱公致富奇書』(作者不詳)は,農業で成功した陶朱公(別名:范蠡)の「農書,四卷,或分八卷。包括谷、蔬、木、果、花、藥、畜牧、占候諸部,是較流行的農書」で,1775年 明陳繼儒撰,清石巖逸叟増定の『重訂増補陶朱公致富奇書』には,
「 金絲桃 金梅附
金絲桃高二三尺五月初開花花六出中有長鬚花辧大
於桃狀如桃花但色黄耳春分時候分栽一種似梅者
名金梅其花差小比金桃更勝」とある.
金絲桃には,桃ではなく梅に似た花をつける類があり,差は小さいが金糸桃の方が観賞価値が高いとある.梅に似たものはキンシバイかと思われる.
皇帝の命により『二如亭群芳譜』の改定・拡充をした清代の★汪灝・張逸少・汪漋・黃龍睂等敕撰『御定佩文齋廣群芳譜』(1708)は,百卷からなる園芸書.
その「卷二十六 花譜 桃花二」の部に「附錄 金絲桃」の項があり,【原】で,『二如亭群芳譜』の記事を引用し,【增】で群芳譜に無い記述を追加している.
「 附錄 金絲桃
【原】金絲桃花如桃而心有黃鬚鋪散花外若金絲然以
根下劈開分種易活 【增】金絲桃南中多有之塞外遍
地叢生六七月花開尤為絢爛花五瓣如桃而長色鵝
黃心微綠莖起處一苞有綠盤盤出五花開則五花俱
開如黃金然」
清代の博物学者★陳淏子(ちん こうし.1612年 - 没年不明)著『秘傳花鏡』(1688) は,彼が 77歳の時に刊行した花木・花草の種類・栽培法と,鳥・獣・魚・昆虫の飼育法を述べた書物で,その「巻之三 花木類攷」には,巻頭の簡単な図と共に
「金絲桃
金絲桃.一名桃金嬢.出桂林郡.花似桃而大.其色更
頳.中莖純紫.心吐黃鬚鋪散花外.儼若金絲.八九月
實熟.青紺若牛乳狀.其味甘.可入藥用.如分種當從
根下劈間.仍以土覆之.至來年.移植便活.」
とある.図は稚拙で花は合弁のように見え,雄蕊の數は少ないが,花弁の外まで延びている様を示している.
この書は日本に伝わり,平賀源内が校正し1773年に『重刻秘伝花鏡』を刊行した.
頳:あかい,鮮やか
儼:さながら,まるで(…である).
仍:よって.よりて.したがって.すなわち.つまり.
よる.従う.
清代に★王槩(おうがい)によって刊行された彩色版画絵手本『芥子園画伝(かいしえんがでん)』は,中国・清代に刊行された彩色版画絵手本.古くからの歴代画論に始まり,山水,花鳥などの技法を解説した絵画論として広く普及した.
王槩(1645年-1710年以後)は,清の康煕年間に南京で活躍した文人・画家で,詩文・画・篆刻にすぐれ,画は大幅の山水画を得意とし,人物・花鳥画も善くした.古人の銘品絵画を摸刻した図をつけた上記教本『芥子園画伝』を弟二人(王蓍(字は宓艸.1649年-1737年)と王臬(字は司直))とともに制作したことで最も知られる.
その17巻「花鳥譜」には,目次に「金絲桃 倣林椿畫 王司直題」とあり,ビョウヤナギと蜻蛉の図が収録されており,
「黄桃學金母
絳翅比紅児」と題がある.
この図の原画は南宋錢塘(今浙江杭州)人,林椿の絵画で,彼は南宋の第二代皇帝孝宗淳熙(1174—1189)の宮廷の画院で,最高位の画家として金帶を賜った.
題はこの書の刊行者王槩の弟で,共同刊行者の一人王臬(司直)による.題の意味はよく分からなかった.
この書の「巻之二十七 羣芳」に
「金絲桃
花鏡 金絲桃一名桃金嬢出桂林郡花似桃而大其色更頳中
莖純紫心吐黃鬚鋪散花外儼若金絲八九月實熟青紺若牛
乳狀其味甘可入藥用如分種當從根下劈間仍以土覆之至
來年移植便活」とある.内容的には陳淏子著『秘傳花鏡』と同じ
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