2010年7月31日土曜日

カワセミ(翡翠) (1) 遭遇 (2)美しい羽,鳳冠,長恨歌,古事記,ソニドリ

カワセミ(翡翠、Alcedo atthis)カワセミ科 

***夏枯れで、庭で咲く花は数少ないので、番外編として近隣で見たカワセミのお話を。なおこれは今年の1月に作成した文を基にしている。

 (1)遭遇
 宅地開発の進む当地だが、まだまだ里山の風景が残っている。特に田んぼを潤した絞り水を水源とする小さな川は数多く、それぞれ利根川に注ぐまでにコサギ・ハクセキレイ・セグロセキレイなど多くの野鳥の命を支えている。

 先日そんな川の土手を散歩していたら、目の端にコバルトブルーのきらめき。カワセミだった。枯れたアシに止まると、お腹の部分の赤褐色が目立つが、川面をかすめて飛んでいるところを上から見る羽は、金属光沢を持ったラピスラズリの青色。下流から上流へ、双眼鏡で観察しながら追跡をした。
翌日、デジカメを持ってほぼ同じ時刻に行くと、目が慣れたのか直ぐに発見。今度は下流に向かって移動していったが、枯れアシの茎に止まったところを撮影。しばらく待っていると、今度は上流方向へ移動する一羽が出現。写真を撮りながら追跡したが、警戒心が強い。車が近くを通っても逃げないが、人間は横目で見ながら、なかなか近寄らせてくれない。それでも望遠の最大倍率で数枚の写真を撮り、フンの形跡から止まる頻度が高そうな場所を確認できた。


 写真をじっくり見ると、下流に移動した個体(左)は、くちばしが上下とも黒いことから雄、上流に移動した個体(右)は、下くちばしが赤っぽいことから雌と思われた。この小川はこの番(つがい)の縄張りになっているのであろう。川の傍には小高い丘があるので、そこに巣穴を掘っているのかもしれない。

(2)美しい羽
 カワセミの青い羽の輝きを見ていたら、1982年に国立博物館で開催された「北京故宮博物院展」で見た青く輝く冠が、カワセミの羽で作られていたのではと思い出し、古い絵葉書を引っ張り出した。明の第14代神宗万暦帝(1563~1620年/在位1572~1620年)の妃、孝端皇后(1599~1649)の“鳳冠”だった(左)。他にもネットで調べるとこの皇后のいくつものカワセミの羽で作られた鳳冠が現存することが分かった。

 中国では古くから、カワセミの羽のきらめく青色が珍重されたようで、唐の時代、玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードから、白居易によって作られた有名な長恨歌(ちょうごんか 806年)に以下のような一節があり、楊貴妃の頭をカワセミの羽が飾っていたことが伺われる。

六軍不發無奈何 宛轉蛾眉馬前死・・・・・もはや軍は進もうとせず、如何ともしがたく、優美な眉の美女(楊貴妃)は天子(玄宗)の馬前で死したのであった。
花鈿委地無人收 翠翹金雀玉掻頭・・・・・花のかんざしは地に落ちて拾い上げるものもなく、かわせみや金の雀、宝玉の髪飾りも同様であった。
 また、この詩には、皇帝の旗や寝具の装飾にカワセミの羽や意匠が用いられていることが詠われ、中国では古くから高貴な人々の象徴として、またその服飾品を飾るために使われていたことが分かる。

 一方古代日本では、カワセミは「ソニドリ(青土鳥)」と呼ばれ、古事記(太朝臣安萬侶 和銅5年(712年))には、大国主命の歌の中に「カワセミ色の青い服」と読み取れる一節「蘇迩杼理能 阿遠岐美祁斯遠(そに鳥(どり)の 青(あを)き御衣(みけし)を)」がある。
 また天若日子(アメワカヒコ)の葬儀に際して、カワセミを死者に備える御饌を作る者に指名した(「翆鳥為御食人(翆鳥(そにどり)を御食人(みけびと)とし)」)という記述がある。
前者は単に羽の色を表しているので分かりやすいが、後者では、葬儀の役目に全て鳥が充てられている(雁:葬送の時、死者の食物を頭にのせて行く者、鷺:箒持ち、カワセミ:お供えを作る者、雀:米つき女、雉:泣き女)。人の名前だとする説もあるが、マザーグースの「Who killed Cock Robin? (誰が駒鳥を殺したの?)」に通じる不思議な世界を感じる。

 いずれにせよ、カワセミが美しい青い鳥との認識はあったかも知れないが、玉虫の様にはその羽を装飾に使うという習慣はなかったと思われる。日本人の美意識にはきらびやか過ぎたのかも知れない。

-続く-

2010年7月30日金曜日

カノコユリ 自生地,シーボルト,「これより美しさでまさるユリはない」,香りとその成分

Lilium speciosum九州北部や島々(甑島の自生地は有名),四国の山地のがけなどに自生.日本の花に少ない色合いが賞されて古くから栽培されていた.花色は赤花系のほかに白花系の個体もみられ,シラタマユリとして昔から鑑賞用に栽培されている.和名は白地に紅色の斑点が,鹿の子絞りのようにつくことからで,花びらが反り返るのが特徴.

1830年にシーボルトが欧州に持ち帰り,球根が2年後に花を咲かせたときには,その美しさに人々は感嘆し,「これより美しさでまさるユリはない」とまで称賛され,球根は同じ重さの銀の価値があるとされた.詳しくは私のもうひとつのブログ「海を渡った日本の花」カノコユリの項を参照ください.

佐竹 義輔ら『日本の野生植物 草本 フィールド版』(平凡社,1985)や長田 武正ら『検索入門 野草図鑑 ②ユリの巻』(保育社,1983) では,カノコユリには香りがないとされているが,実際に嗅いで見ると,実に良い香りがする. この香りに誘われたか,ツマグロヒョウモンが花を訪れた. カネボウ化粧品が,この香り成分を分析した結果 ・スパイシー感のあるオイゲノール・フローラル感のあるリナリールアセテート・パウダリーな甘さをもつバニリン などが検出され,これらの成分から穏かな甘い香りが構成されていることがわかった.
再構成されたカノコユリ応用の香りを嗅ぐ事で,左脳ゆらぎリズム度が上昇し,気分がよく快適度が上昇し,また,右脳ゆらぎリズム度も無香時にくらべ上昇し,香りにより,よりリラックス(鎮静)することがわかったとの事.

2010年7月29日木曜日

トウワタ

Asclepias curassavica熱帯アメリカ原産のガガイモ科の半低木状多年草,寒さにやや弱いので園芸上は一年草として扱われている.高さ50~100cmになり,全体に無毛.表面の粗い披針形の葉を対生する.
天保12年(1842年)にオランダ船がダリアやハナカタバミと共に持ち込んだことが記録に残る.
アメリカ大陸を縦断することで知られるオオカバマダラの幼虫はこの属(Milkweed)の葉を食草として,体内に食草由来のアルカロイドを貯める.蛹や成虫もこの毒素を持ち続け,鳥などに捕食されるのを防ぐ.


10年程前,勤めていた研究所の近くの公園で,近くの住民達が作っていた花壇から種を頂いて播いて育てた.花の形は繊細だが,配色が上品でない上,葉が大きくがさつ.一年で積極的な育成は中止したが,こぼれ種(綿毛に乗った飛び種)で庭のところどころで生育.

数年前訪れた奈良県の吉野山では,地元の古い商店街で道にプランターを並べてこの花を育てていたのにはびっくり.もっと日本情緒豊かな花を使えばいいのに.

FAVORITE FLOWERS of GARDEN AND GREENHOUSE. BY EDWARD STEP(英国)1896年 多色石版

2010年7月28日水曜日

セントウリディウム

Xanthisma texana (=Centauridium drummondii) 旧学名のセントリディウムの名で流通.米国テキサス地方の野生種.草丈 1.5mほどになり,多数の鮮黄色で花弁に光沢がある花をつける.夜には花を閉じるので,英名は sleepy daisy, また原産地にちなんで star-of-Texas.咲き終わった花を覆うように枝が伸びて新しい花をつけるので,花ガラを摘む必要がない.苗の葉の形と色は特異で,一目で分かる.

15年ほど前にタキイから種で購入.数年間はこぼれ種で日当たりの良い場所で大きく育ち,道行く人の目を楽しませていたが,最近は細々と継代.種を採取し,積極的にまた復活させようと思っている.

2010年7月27日火曜日

ヒャクニチソウ

Zinnia elegans原産地の中心はメキシコで,古くから栽培されていた.アズテック人の園芸技術は高度に発達していて,1520年スペイン人が侵入した当時,皇帝モンテズマの庭は,ヨーロッパにある庭のどれと比べてもひけをとらないすばらしいものであった.彼の庭にはヒャクニチソウの他に,ダリア,ティグリディア〔アヤメ科の植物〕,ヒマワリ,アサガオが咲いていた.彼は庭師を領土の隅々まで派遣し,新しい草や木を収集させたという.エレガンス種は 1769 年にスペインのマドリード植物園にもたらされた.この時には淡紫の一重咲きの花がついた。エレガンス種から多くの園芸種が作出され, 1829 年に赤が、1832 年に白が開花した。八重咲きはフランスで 1856 年に作り出された。一代交配種が作られたのは 1963 年にアメリカで作られた品種「ファイアー・クラッカー」が最初.(A. M. コーツ著 白幡ら訳『花の西洋史-草花篇』)。


万延元年(1860) 9 月に帰国した遣米使がシュッコンアマ,マツバボタン,パンジーなどと共にヒャクニチソウの種子を持ち帰った.但し,発芽したか否かは不明.一般に庭の花として普及したのは明治以降.

越してきた初期には色々な種類のヒャクニチソウを育てた(左)が,ウドンコ病の蔓延により終止符が打たれた.この原種に近い花は耐病性が高いのか,毎年こぼれ種で生えてくる. 洗練されていないが,夏の暑さに負けない元気さと素朴な花がとりえ.黄色い雌しべを見るたび,子供の頃の夏休みを思い出す.

2010年7月24日土曜日

リクチメン

Gossypium hirsutum春に播いた種から育てたワタが花を咲かせた.数種のワタがあるそうだが,これは米国南部の Cotton belt をはじめ,世界でも最も多く育てられているリクチメンという種類.昨年から育てているが,高さがせいぜい1.5m.それでも実は20個ほどついた.

花ははじめは淡黄色だが,次の日にはピンクになってしぼみ,まるで「スイフヨウ(酔芙蓉)」の花のよう.色が変わるのは,花弁の中でアントシアニンが作られるからだとのことだが,雨の日や曇りの日には赤くなる速度が遅い.Factorは紫外線などの光なのか,温度なのか,一つの花にアルミフォイルの袋をかぶせて,日光を遮断し,かぶせない花と比較した.その結果,ふたつの花に変色の速度に変わりはなく,どうも温度の効果が大きいようだ.また白い花に酢をかけても赤くはならなかった.

赤くなった花弁はやがて落ち,珠のような実が現れ,これが丸々と太り,やがて弾けて中から白い繊維が現れる.
ワタの実-綿花-は鳥や動物には食べられないと思われる.一方大きさの割りに質量が低いし丸っこいので,地面に落ちると風でころころと転がっていき,雨にぬれたり湿度の高いところでは繊維がぬれてべったりと地面に張り付き,種が地面に固定され,この繊維は腐って種が発芽した後の栄養になるのだろうと考えられる.
人はワタの子孫繁栄戦略を利用していることになる.

2010年7月22日木曜日

ハマナデシコ サマーラベンダー

Dianthus japonicus cv. “Summer lavender”原種は日本の海岸の崖地や砂浜に生育する多年草で,茎は太く草丈は 30cm~50cm になる.海岸で生きるために,葉はクチクラ層が発達し厚く,光沢があり水分の蒸発を防ぐ.野草とは思えないほど美しい花は茎の先に集散花序をなし,直径約 1.5cm の紅紫色の5弁花を集まって咲かす.萼筒は 1.5cm~2.0cm と長め.古く江戸時代から品種改良が進み,赤花や白花品種もある.

5年ほど前,近くの園芸店から鉢植えで購入.なった種を秋に播いたら発芽,冬も厚い葉でのりきり,それ以降毎年こぼれ種で増えていく.切花にも出来そうだが,葉と花のバランスが気に入らず,地面に放置.

Van Houtte "THE FLORE DES SERRES ET JARDINS DE L'EUROPE" (ベルギー 1845),多色石版 に描かれたハマナデシコ.赤色の園芸種?

2010年7月21日水曜日

センニチコウ ローズネオン

Gomphrena globosa cv.”Rose Neon”原産地はブラジル・パナマ・ガテマラ.
日本には江戸時代に入ってきたと思われ,四世伊藤伊兵衛著『地錦抄付録』(1733年)巻の三には「天和(1681~1683年)、貞享(1684~1687年)年中来ル品々」として,千日紅をるこう,柊南天,朝鮮朝がほと共に挙げている.
文献としては松平直矩の『松平大和守日記』(1642-95)寛文4年(1664年)七月二十一日に五時花(ゴジカ)・千日花(センニチコウ)箱ニ植ル。と記され,水野元勝著『花壇綱目-初稿』(1664年)には紅黄草(フレンチマリーゴールド)三葉丁子(アフリカンマリーゴールド)日向葵(ヒマワリ)等と共に記載されている.

貝原益軒著『花譜』(1694年)の下巻,十一月には○水仙 ○千日紅 ○三波丁子(サンハ丁子、せんじゅぎく アフリカンマリーゴールド)が挙げられ,千日紅と三波丁子は外来園芸植物としては例外的に高い評価を受けている(左図右.いたずかはし:わずらわしい。めんどうである).

伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695年)には,「千日向 花形丸クして山もものごとく色こいむらさき十月の此花を茎共ニ切てかけほしにして冬立花の草とめなけ入等ニ用ル花の色変わらすして重寶成物」とドライフラワーにして,冬のいけばなの彩りに用いると重宝とされている.

寺島良安『和漢三才図会』(1713年頃)には,花の形はヤマモモの実に似ている.種をもみ砕いて播くとよいとある(左図左)

キバナセンニチコウとの違いは,花が白く,葉の幅が広いこと.草姿が大きいので,花が小さく見える.今年初めて種をまいたが発芽率はよく,成長も旺盛.ストロベリーフィールズに比べると品がないが,夏の暑さにはよく似合う.

2010年7月20日火曜日

フウセンカズラ

Cardiospermum halicacabum 原産地は熱帯アメリカで,世界各地に帰化.亜熱帯地方では多年草.英名は Balloon Vine や Love in a puff .前者は実の形からで和名はこれの日本語訳か.後者は膨らんだ実の中にある種にハートの模様があるからであろう.一時下痢止め薬やホメオパシー治療薬として検討されたとのこと.

実の大きさが想像できないような小さな花.解剖してみると,造作は精巧で,真ん中の黄色い部分が雄しべ.コバエがよく訪れている.実は緑の内はよいが,熟して茶褐色になると汚らしい.中には茶色い種が3個.ベージュ色のハート部分に目を入れるとお猿の顔になる.
熟して落ちた実は,風でころころと転がり,散布される.落ち着く先は,枯葉などで栄養分は豊富で湿り気が多いくぼ地なので,子孫繁栄.

2010年7月19日月曜日

アサガオ(2)花壇地錦抄・和漢三才図会・変化朝顔

Ipomoea nil (2)日本に移入されたアサガオの花は紺色と思われ,これがキキョウの古名との共通点で,やがて此の名を奪ったのであろう.白い花が突然変異で現れ,それから各種の色が育成されたといわれている.
伊藤伊兵衛「花壇地錦抄」 (1695年)では白,赤,浅黄,るりと花色の違いで分類している.
貝原益軒「大和本草」 (1709年) 巻の六 草の二 牽牛子 花に淡い青,青紫色,白色があって,薬用には花の深青なるを使うべきで,小牽牛花(コアサガオ)というのには紺・白・碧で 昼でもしおれない.
寺島良安「和漢三才図会」 (1713年頃)種が黒いのと白いのがあり,前者は紺色を帯びた薄赤,後者は紅色を帯びた薄青の花を着けるとして,薬効について述べている.

江戸後期になると花色・花の形・葉の形・草姿のいろいろと変化に富んだ,いわゆる「変化朝顔」の育種・鑑賞が盛んになり,多くの図鑑が発行され,その中には今では見ることの出来ない黄色いアサガオも掲載されている.
明治以降,細々と伝えられていた変化アサガオの系統の維持は,国立遺伝学研究所(三島)で行われていたが,1993年にこれに従事していた田村仁一氏の退官後は,これらの系統は九州大学に移管され,九大理学部で種子の更新をし,また愛好家に実費で配布している.
九州大学の「アサガオホームページ」(http://mg.biology.kyushu-u.ac.jp/index.html)では多くの品種の写真を見ることができる.
変化アサガオは一代限りの花が多いので園芸種としての普及は難しいだろうが,遺伝子の働きを理解することによって,他の植物へ応用できれば,有用な遺伝子研究となるのではと思われ,日本の重要な遺伝子資源といえよう.

2010年7月16日金曜日

アサガオ(1)

Ipomoea nil (1)
「見しおりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん」 光源氏
「秋はてて露のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔」 朝顔
源氏物語 二十帖 「朝顔」

中国原産で,遣唐使が奈良時代末期に薬用としてもたらしたとされる.種子は「牽牛子」(けんごし)と呼ばれる生薬で日本薬局方にも収載され,下剤としての薬効が強い.名前の由来は,牛を牽いて行き交換の謝礼としたこととされている(中国の古医書「名医別録」).

日本では薬用と同時に観賞用として価値を認められ,『源氏物語』五十四帖の巻名の一つ(第二十帖)として,また姫君の名前に用いられる.
また,『枕草子』 第六十七段 「草の花は」では,「草の花は、なでしこ。唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。をみなへし。桔梗。あさがほ。かるかや。菊。壷すみれ。 -------- 夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、いひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそ、いとくちをしけれ。などさはた生ひ出でけん。ぬかづきなどといふもののやうにだにあれかし。されど、なほ夕顔といふ名ばかりはをかし」と,清少納言の好きな花のひとつで,当時朝顔は夕顔よりもポピュラーであったことが推察される.
江戸時代には,花・葉の形の変わった「変化(ヘンゲ)朝顔」の栽培が盛んになる.

曜白と呼ばれる種類の朝顔,こぼれ種でこの数年は庭のあちらこちらから生育して,モモなどの木に絡みついて成長.花の時期はきれいだが,秋に枯れた蔓をはずすのは一苦労.最近は不適切な場所に発芽した株は苗の段階で排除しているが,それでも目の届かなかったところでひそかに蔓を伸ばす.

2010年7月15日木曜日

キバナセンニチコウ ストロベリー・フィールズ

Gomphrena haageana cv. “Strawberry Fields” キバナセンニチコウは北米南部原産.日本には大正年間に入ってきた.センニチコウに似ているが,花の色が黄色であること,葉が細いことなどの違いがある.細長い葉は対生し,長い毛がある.観賞する紅色の部分は苞であるが,中から5弁の黄色い花が出て,花序のアクセントになる.

名前のように,花期は長い.次々と花が咲くためでもあるが,紅色の部分が花弁ではなく,苞なので長持ちするからである,苞は中の種が成熟すると共に,下部から退色し褐色になりはがれるが,伸びていく頂部は新鮮で美しい.種を採る場合は砂と一緒にこすって,枯れた苞を除くと発芽率がよい.ドライフラワーにすると長く楽しめ,クリスマスリースに使える.

今年は発芽に失敗して数株しか得られなかったが,一面に咲かすと名前の通り「苺畑」.
歌の様に“For ever”とはいかず,冬になると枯れてしまい残念.左は数年前の様子

2010年7月14日水曜日

タカサゴユリ

Lilium formosanum 原産地は台湾で(種小名Formosa は台湾の別名. 15 世紀に船から台湾を見たポルトガル人がイラ・フォルモサ!( Ilha Formosa! =美しい島)と言ったことから),日本には観賞用に 1923 年あるいは 37 年に導入されたという.花は横からやや下向きに咲く.花被片は6枚,白色で外面の特に中肋に沿って赤紫色を帯びる事が多い.翼をつけた薄い種子を多くつけ,風で運ばれて分布を拡げる.テッポウユリに似るが,茎が比較的太く紫色を帯び,濃い緑色の細い葉を多くつける.

庭に自然に生えてきた.写真の個体は花被外面に赤紫色の筋が無くほとんど純白色.香りはテッポウユリほどはない.また,花の美しい時期も短く,直ぐにしおれて汚らしい褐色になってしまう.

背の高さは日当たりの良いところで1m程度,キンカンの間から伸びたのは日光を求めて3mにもなった.

一時はかなりの株がまとまって花をつけ,ユリの花畑になったが,やがて消え,周辺部にぽつぽつと新しい株が伸びてきた.左は最盛期の頃,花被外面の赤紫色の筋がはっきりしている株もある.








2010年7月13日火曜日

ボタンクサギ

Clerodendrum bungei中国の南部からインド北部が原産の灌木.枝や葉に独特の臭気があるが,珊瑚細工のような花は美しく香りも良い. メキシコ,南米,米国の南部州に帰化し,いくつかの州では有害植物として販売が禁止されている.拡がるので,コンテナーに植えるのがよいとされている.日本では観賞用として栽培されているが,湿地に野生化していることも多い.最近では葉に白い斑が入った品種が園芸店で売られている.

壊される古い都営住宅の庭から頂いてきた数本の苗が,簡単に根付き拡がった.日陰でも良く育ち,直径20cmほどの大きな花序をつける.吸枝*を出して拡がるので,かなり離れた所から芽が出てきて,抜いても抜いても退治できない.我が家でも庭の有害植物のひとつ.
クサギの仲間らしく,開花後に花弁の側面が背面に反って,花穂の華やかさを一段と増す.
(*)吸枝 ( きゅうし ) sucker :匍匐(ほふく)枝の一種。直立する茎の基部に生じ、地中を横に伸びて各所から根が出、先端の芽は普通は休眠芽にならずに生長する。

2010年7月12日月曜日

オニユリ

Lilium tigrinum 朱い花弁に黒褐色の斑点をもつ特異なユリ.いかにも丈夫そうな紫がかった茎に白い毛,葉のつけ根には紫褐色のムカゴを持ち,動物的な感じさえする.
古い本草書では「巻丹」とも呼び,根が甘くて食用にはなるが,薬用にはならないと,苦い白いユリのそれとは一線を画している.日本で見るものは古く中国から食用として入ったものであろうと考えられ,3倍体なので種子はつけず主に珠芽(葉腋につくむかご)により増殖する. 1977年以降に対馬と韓国南部に 2 倍体が自生しているのが確認されている.
日本・中国から渡って,花のラファエロ ルドーテの「ユリ図譜」にも描かれ,今では世界中で栽培され観賞されている.( 「海を渡った日本の花」オニユリの項 参照)

仙台の実家から持ってきたいくつかの植物のうちで最も繁茂している.
珠芽が落ちると発芽し,2~3年目には花が咲く.狭い庭に花が咲く個体が 50 本以上.あちらこちらに拡がっていので,適宜間引いている.若い茎が途中で折れると,その頂上に,通常の葉腋につくものとは比べ物にならない大きな珠芽がつく (左).その場で発芽しているものさえある.成長や開花のための栄養が集中するためか.


2010年7月11日日曜日

ホウセンカ(鳳仙花)

Impatiens balsamina

薄らかに紅くかよわし鳳仙花 人力車(くるま)の輪に散るは急がし   北原白秋

東南アジア原産,日本には中国経由で室町時代に入ったとされ,1454(享徳3)年序の部類別辞典「撮壌集」に名が載る.観賞用として庭園で栽培されている.
貝原益軒 『花譜』 (1694) に「鳳仙花(ほねぬき,つまくれない)女子の爪を染る草也.---- 此草小毒あり.牙に近づくべからず.歯そんず.魚の肉のごとき物を煮るに子を数粒入れば,やわらかになる.魚の骨ののんどにたちたるに,此實を服すれば,しるしあり.故に骨抜といふにや.--------」
伊藤伊兵衛 『花壇地錦抄』 (1695) に「ほうせんくわ 白赤さらさのいろいろ有」
貝原益軒 『大和本草』 (1709) に「鳳仙花(ツマクレナイ) 一名金鳳花又名夾竹桃 其實は急性子 其花数品あり 女児此花と酢漿草の葉をもみ合せて爪を染む紅色となる.六七月に花開く 其實は骨骾を治す.」
小野蘭山 『本草綱目啓蒙』(1806)13 鳳仙に,「ホウセンクハ通名 ツマグレナヰ古名 ツマベニ---」
と,この花をカタバミの葉と揉んで,女児が爪を染める遊びをし,また実を服すると咽に刺さった魚の骨(骨骾)をとると記している.
現在も種は急性子(きゅうせいし),全草を乾燥させたものを鳳仙(ほうせん)、花は鳳仙花(ほうせんか)と呼びそれぞれ漢方薬として用いる.

昨年種から育てた株からのこぼれだね.種にカワセミの肉の黒焼きと同様に咽に刺さった魚骨をとる薬効があり,別名になるほどよく知られていたとは---.カワセミの場合は摂食した魚の骨をペリットとして吐き出しているところを見て薬効を考え付いたと分かるが,ホウセンカの場合は,実が種をはじき出すところからの連想なのであろうか? 骨をやわらかくして嚥下させる効果があるのか? 
大和本草を流し読みしていたら,ギボウシにもこの効果があるとあり,これはギボウシの粘液で咽のすべりを良くしてとこじつけられよう.

2010年7月10日土曜日

マンリョウ(万両)

Ardisia crenata冬につく紅い実を鑑賞するために庭で栽培される,関東以西に自生するヤブコウジ科の常緑小低木.関西の商家では,赤い実の着くセンリョウ(千両)・アリドオシ(蟻通し)と共に,店先に植えたり,正月に飾ったりして「千両・万両有り通し」と裕福に過ごせるよう縁起を担ぐ.

日本で観賞されるようになったのはセンリョウより後のこと.大和本草,和漢三歳図会,花壇地錦抄には見られず,文献上に初めて見えるのは小野 蘭山の『本草綱目啓蒙』(1803).
一方,千両は『花壇地錦抄』(1695)の「實秋色付て見事成るひ」に,「南天」や「やぶこうじ」と共に「仙蓼(せんりやう)」の名で「草.葉ハ茶の葉のごとくにして,あかき實一所にこゞなりてつく.小つふなり」と記載されている.万両は仙蓼が千両と変わってから,それより大きいことに由来して万両と呼ばれる様になったと思われる.古典園芸植物のひとつで,江戸時代には色々変種が育種されたそうだが,かなり後期になってからであろう.アメリカ合衆国では,ナンテンと同様,鳥が散布する種から拡がり,外来有害植物として問題になっている.

引っ越してきて,鬼門に植えてから10年.毎年赤い実をつけるが,花は見ていなかった.現時点では花はまだ蕾だが,花開いたら写真は替える予定.庭には鳥が落とした種からヤブコウジ(十両)が多数出てきている.

2010年7月9日金曜日

サミダレギキョウ

Campanula grandiflora cv.
桔梗の花 咲く時ぽんと 言ひそうな   加賀千代女
ふっくらと桔梗の蕾張りもてり 五つに割れん 線くきやかに  池尾満喜子

矮性種より背が高く,花茎も多く出し,枝分かれして一茎につく花の数は多く,花の色がやや薄い.キキョウの英名はBalloon flower.蕾を見ると東西を問わず印象は同じと思う.また池尾満喜子さんの歌は開く直前の蕾の様子を的確に捉えている.

花が終わって切り戻すと,8月にもう一度咲くが,その時期にはクロウリハムシがやってきては花や蕾を食い荒らし,無残な有様に.木酢を撒いてもものともしない.そんなに花弁が美味しいのか.


2010年7月8日木曜日

コバギボウシ(フクリンギボウシ)

Hosta albo-marginata コバギボウシの種小名 albo-marginata は「縁が白い」との意味で,葉に白い縁取りのあるフクリンギボウシ(コバギボウシの園芸品種)が最初に欧州に入ったので,これに対して付けられた.

コバギボウシは花被の内側に濃い紫色の線があるはずなのだが,この花の線は薄い.しかし,オオバギボウシのそれより明瞭で,草姿は全体的に小さく,葉には覆輪が入っているので,コバギボウシの園芸種のフクリンギボウシと考えていたが,だんだん自信がなくなってきた.花被の内側の線が薄いのは日当たりがよくないからか,栄養が足りないからか?違う種の覆輪が入った変種か?
「海を渡った日本の花」のコバギボウシの項にはいくつかの図譜を挙げたが,これより花色も筋も濃紫.

2010年7月7日水曜日

ルコウソウ 花壇地錦抄,大和本草,縷紅草,蔦蘿

Quamoclit pennata魚の骨のような細かい切れ込みが入った葉と,星形の小さな花が特徴のつる草.熱帯アメリカ原産,世界各地で観賞用に栽培され,しばしば逸出している.

伊藤伊兵衛著「花壇地錦抄」(1695年)には るこう 葉もあいらしく花小りん朱のことく蔓ニからミてあさがおのことしいろいろのつくり物ヲして此草からましむ とあり,江戸で広く栽培されていたと思われる.
貝原益軒著 「大和本草」1709年 巻之七 草之三 の花草類には柬蒲塞牽牛花(カホチャアサカホ、るかうさう)は寛永年間 (1624~1644) に渡来したと記されている.
一方四世伊藤伊兵衛著「地錦抄付録」(1733年)巻の三には「天和(1681~1683年)貞享(1684~1687年)年中来ル品々」として,“るこう”が“千日紅,柊南天,朝鮮朝がほ”と共に挙げられている.

日本においては漢字で「縷紅草」と表記し,細いつるの絡まる様子と紅色の花をうまく現しているが,中国では「蔦蘿」でこれは日本では「つたかつら」と読みルコウソウのみを言うわけではない.

10年ほど前に種を購入して,その後こぼれだねで毎年生育.白い花をつける株もあったが消えてしまった.葉や茎は特有のにおいを持つ.枯れた茎は強いので,秋に絡まったネットやフェンスからはずすのは一苦労.

2010年7月6日火曜日

ヒナギキョウ

Wahlenbergia marginata 地を這う茎から 15cm ほどの細い花茎を伸ばし,一個の花をつける.碧い花の大きさは 1cm ほどで,形はキキョウに良く似ているが,花柱の先は3裂(キキョウは5裂).どちらも雄しべ先熟.キキョウ科の特徴として,茎を切ると白い液をだす.
前田利保の命で編纂され,1853年(嘉永6年)に序文が書かれた植物図譜 『本草通串証図(ほんぞうつうかんしょうず)』 に 「金線釣葫蘆,ヒナ桔梗」 と 「小葉ヒナ桔梗」 の 2 種が収載されている.この書は「本草-薬用植物」の図譜であるので,太い根が薬用として用いられていたと思われるが,現在では日本では用いられていない.中国では,根・全草を薬用にするそうだ.ヒナギキョウ属の植物は,主に南半球に約100種があるが,東アジアにはこの1種が分布するのみ。
2005年の正月に訪れた三保の松原の路傍で採取.鉢で育てているが強健.花が小さい上,細い茎が風に揺れて撮影が難しい.全体像は無理なので,可憐な花のアップにした.

2010年7月5日月曜日

トマト(チェリートマト,ミニトマト)

Lycopersicon esculentum var. cerasiforme
さ庭べにトマトを植えて幽かなる花咲きたるをよろこぶ吾は    斎藤茂吉

栽培されているトマトの中では原種に近い品種.沢山の果実が総状につき,果実を横切りにしてみると中は二つに分かれていて,原種の痕跡を見ることが出来る.大きなトマトは,品種改良の結果これがいくつもの室に分かれている.メキシコ東海岸の南部のベラクルス市近郊では現在でもチェリートマトの栽培種と野生型が見られ,しかも野生種から栽培種への移行をしめす色々な中間型がみられるらしい.

トマトが一般的に食用とされたのは比較的最近.南米から欧州に入った16世紀当初は,果実があまりに鮮やかな赤色だったので有毒と思われ,主に観賞用に育てられていた.食用としての利用が記録されたのは欧州で18世紀中ごろ.したがってイタリア料理に欠かせない素材になったのはそれ以降.

日本では狩野探幽の『草木花写生図巻』(1661-74年)に「唐なすび」として花と緑・黄・赤の実が描かれているが,花弁の先は今のトマトのより丸く,実は稜がはっきりとしている (左図「ボタニカルアートの世界」朝日新聞社編1988より引用).
貝原益軒の『大和本草』(1709年)巻之九 草之五 雑草類に「唐ガキ又珊瑚茄と云う」と記載され,毘留舎那谷著『東莠南畝識』(1731年序,図1723~1748年)の冊巻2には,花弁の先がとがり,実がやや丸いトマトが「珊瑚珠茄子」として描かれていて,国立国会図書館のHPで見ることが出来る.日本で食用として栽培されるのは明治時代.普及するのは第二次大戦以降.

昨年苗で購入したミニトマトの落ちた実から生えてきた.発芽時期は遅く,まだ小さいが既にいくつか実をつけている.ナス科の植物の連作は避けたほうが良いとのことだが,無料で得られた苗なので,実が収穫できたらもうけもの.

2010年7月4日日曜日

キキョウ矮性種

Campanula grandiflora (dwarf type)秋の七草のひとつだが夏も来ないうちに咲いた.背が低く花が大きいのでサミダレギキョウの矮性種か.
キキョウは東アジアに広く分布する多年草で,国内で野生種は減っているが,2008年8月の榛名山麓,日当たりのよい草原のユウスゲの道には多く見られた.

美しい花が古来より愛され,「アサガオ」や「アリノヒフキ」という名で万葉の時代から親しまれていた.かなり早くから園芸品種が成立していたらしく,貝原益軒の『花譜』(1694年)に「紫白二色あり.(中略)八重もあり」と記され,また,伊藤伊兵衛の『花壇地錦抄』(1695年)には絞り咲きや各種の八重咲き,「扇子桔梗(あふききけう)」と名づけられた帯化茎(たいかけい)のものなど8種があげられている.
越中富山藩第10代藩主 前田利保の命で編纂され,1853年(嘉永6年)に序文が書かれた植物図譜『本草通串証図(ほんぞうつうかんしょうず)巻二』には,現在は見ることのできない緑色の八重咲きや濃い黄色,花弁が基部深くまで切れ込んでそれぞれが外側に丸まってウサギの耳のような形になる「兎耳桔梗」,花弁が平皿のような形になる「紋桔梗」などのほか,現在も見られる桃色やウズキキョウ,早咲きのものなど14種が美しい多色木版で収録されている.残念ながら,これらの多様なキキョウの園芸品種は,その多くが明治の中ごろまでに絶えてしまった.根は漢方薬にも利用される.

Curtis Botanical Magazine (英)1805年 銅版手彩色


2010年7月3日土曜日

ジャノヒゲ(リュウノヒゲ) “玉竜”

Ophiopogon japonicus cv. “Gyokuryu”今の時期に葉の下で咲く花は目立たないが,冬につける光沢のある美しい碧青の実は目を引き,俳句や短歌は主にこの実を題材にする.しかし,花もよく見ると可憐で美しい.

日本、中国、朝鮮半島などに自生する.日陰でもよく育ち,強健で冬でも葉が枯れないので花壇の縁取りやグラウンドカバーに用いられる.細長いほふく枝を出して広がり,密生する.細いひげ根を多数出すが,その一部は紡錘状に膨らむ(左,スキャナー取り込み画像).
この部分をそのまま,あるいは中心柱を抜いて乾燥したものを「麦門冬」と呼んで,漢方で鎮咳・去痰・緩和・消炎・解熱・利尿・強心・滋養・強壮などの目的で配合される.日本でのジャノヒゲの栽培は18世紀から始められ,一時は盛んに輸出された.

ほふく枝からの子株を移植して増やし,斜面や雨水受けの溝の側に植えて土留めに使っている.紡錘状に膨らんだ根は,つぶすと刺激性のよいにおいがする.冬に鳥が食べ,青い皮がなくなった半透明の種子が,落とした糞の中に見られる.集めて播いてみているが,まだ芽はでてきていない.

海を渡って,日本のスズランという名でルドーテの「ユリ図譜」に描かれている.詳しくは私のもうひとつのブログ「海を渡った日本の花々-ジャノヒゲ」をご覧願いたい.

2010年7月2日金曜日

マルミキンカン

Fortunella japonica果皮がそのまま食べられる例外的柑橘.果皮には珍しく糖分を1%含み,甘みがある.
年に4~5回咲く花は白く,さわやかな良い香りがするので,ハチやアブ類が多く訪れる.濃緑色の葉や枝との対比で,白い花糸も花弁と同様目立つ.果実は球形で小さく6-8g.果面は滑らかで,熟すと淡橙色を呈す.果皮は厚さ2mm内外で甘味を持つ.4-6室.果肉は酸味が強いが糖は多い.種子は4-5粒.木は常緑でわい性.枝葉は密生し短いトゲがある.

江戸時代に清の商船が遠州灘沖で遭難し清水港に寄港した.その際に船員が清水の人に贈った砂糖漬けの金柑の実の中に入っていた種を植えたところ,成長しやがて実がなり,日本全国へ広まったという伝承があるが,我が国には江戸時代以前に伝わっていたようである.中国揚子江中流地域の原産といわれる.

植えて10年近く.実はなったりならなかったり.常緑なので目隠しにはよい.5月に植木屋さんが入って剪定.現在は非常に多くの花が咲いているが,この時期の花は実になりにくいとの事.今は花と実を同時に見ることが出来る.




2010年7月1日木曜日

ツルレイシ(ニガウリ,ゴーヤー) 「景年花鳥図 ベニマシコ」,大和本草,菜譜,和漢三才図会

Momordica charantia var. pavel夏の日差しをさえぎるグリーンカーテンとして,また,育てやすい夏の家庭菜園の野菜として定番になったゴーヤー(ニガウリ).さわやかな香りのする黄色い柔らかな花と濃い緑の葉との対比が鮮やか.現在は若い実が食用とされているが,古くは黄色く熟れて割れた実を鑑賞するために栽培されていた.

育てた方はご存知だと思うが,収穫し損なって黄色く熟したニガウリは裂開して,真紅の種を露出し美しい.しかも果肉の苦味は失せ,種を包む液もなめると甘い.これは種が熟する前は,苦味で鳥や獣に食べられるのを防ぎ,熟したら目を引いて,食べてもらって,糞と一緒に種をばら撒いてもらうというニガウリの子孫繁栄の戦略と思われた.しかし,種は大きいので,食べている鳥は見た事はない.南方の原産地には種散布を手伝う鳥がいるのだろうと思っていたが,先日,明治24年(1891)に京友禅の下絵のために出版された木版画集「景年花鳥図(今尾景年)」に,ニガウリ(錦茘枝)の熟した実をついばむベニマシコの図を見出した(左).従ってこの時代には京都でニガウリを栽培して,黄色い果肉と赤い種の熟れた実を高級衣料の図柄になるほど美しいと感じていたことが推察されたので,その歴史を調べてみた.

原産地は南アジア.14-15世紀に明時代の中国を経由して沖縄王国に伝えられ,15世紀初頭には日本に伝来したと考えられる.室町時代の装剣金工家,後藤乗真(1512-1562)の作と伝えられる笄(コウガイ)にニガウリの割れた実をモチーフにしたものがある.
慶長 8年(1603)に出版されたイエズス会宣教師編『日葡辞書』にニガウリの名がヘチマ、タウマメ(ソラマメ)、タウキビ(トウモロコシ)、ニンジンと共に初出している.また林羅山(1583~1657)の多識篇(1612年)には栽培の記載があるので,本州でも400年以上の栽培の歴史がある事になる.

貝原益軒の「大和本草(1709年)」,「菜譜(1704年)」及び,寺島良安の「和漢三才図会(1712年頃)」には「苦瓜(錦茘枝・ツルレイシ)」として記載され,「南方から来た.ぶつぶつとした疣のある,レイシに似た実をつける.緑のうちは苦くてうまくない.熟して黄色くなると割れて赤い種が見えるようになり,観賞用になる.また甘いので子供が喜んで食べる.」と書いてあり,南国では食用にしているとは認識していたが,むしろ観賞用の植物と考えていた事が裏付けられた.


昨年,購入した苗に成った黄色く熟した実から種を取り,赤い被覆物を洗い,中から出てきた亀の形をした堅い種子を保存.今年この種の頭にあたる突起を爪切りでちょん切って播き,出てきた芽から咲いたのが,冒頭の画像.