2021年10月31日日曜日

ダルマギク-2(仮) 和-2 江戸後期,明治,昭和 佛頭菊,薩摩菊,信濃菊 物品識名,梅園草木花譜,草木錦葉集,草木図説,有用植物図説,牧野 日本植物圖鑑

 Aster spathulifolius


西日本,竹島,鬱陵島,朝鮮半島,ロシア沿海州の海岸に自生するキク科の多年草で,秋に紫や白の一重の舌状花と中心部に黄色い管状花を咲かせる.乾燥や海からの塩分を含んだ強風に耐えるために,毛の多い厚い葉を持ち,莖も木質化する.江戸初期には江戸で栽培され,達磨の名は,鉢植えにした時,盆栽に似る草姿に拠るとされるが,他に佛頭菊や,由来地によると思われる薩摩菊の名もある.

 和名中心の動植鉱物辞典の嚆矢★岡林清達・水谷豊文『物品識名(1809 ) には,「ダルマギク  ダルマサウ」とある.
 当時としては珍しく,大半が実写である図譜の★毛利梅園『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 1849)には,自宅の庭で鉢で育てた「ダルマギク」の正確で美麗なスケッチが載せられている.花の色,葉の柔毛や木質化した莖,下葉の枯れた様子など,出色の花譜である.
 斑入りや変わった色や形の葉を持つ植物の図譜,★水野忠暁『草木錦葉集(1829) には,黄色い斑入りの「ダルマギク」の図と短い説明文が記載されている.
 江戸時代の植物図鑑の最高峰,★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(1856 - 1862)の「巻之十七」に,「ダルマギク」の記述と絵がある.学名やオランダ語名はないが,Inura 属(オグルマ属)ではないかとのコメントがある.絵も美しいが葉の柔毛が十分に表現されていないように見える.この叢書を増補・改定した★牧野富太郎『増訂草木図説』(1907 - 22)には,現在の標準的な学名と共に自生地が追加されている.
★田中芳男,小野職愨共著『有用植物図説』(1891)の「觀賞類」の章に「ダルマギク」が,別名は「シナノギク」として掲載されている.
★牧野富太郎『牧野 日本植物圖鑑』(1940)には,「和名ノ達磨菊ハ其矮性ノ草狀ニ基ヅク」と達磨の名の由来を述べている. 


★岡林清達・水谷豊文『物品識名(1809 ) は,品名を和名のイロハ順とし,ついで水・火・金・土・石・草・木・虫・魚・介・禽・獣に分け,各項にその漢名・和の異名・形状などを記した辞典.序によれば,『物品識名』は,初め水谷豊文(17791833)の友人岡林清達が着手したが眼病で中絶し,豊文が継続,完成させた.イロハ順といっても,江戸時代の場合は第2字目以下はイロハ順ではないが,本書は「キリシマ・キリ・キリンケツ」のように,第2字目も同じ名を連続する工夫をしているので,一般的なイロハ引より使いやすい.本書は和名中心の動植鉱物辞典の嚆矢だったので,大歓迎された.
 この書の「乾」の巻の「タ」の部には,「ダルマギク  ダルマサウ」とある. 


★毛利梅園(1798 1851)『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 1849

梅園は江戸後期の博物家.江戸築地に旗本の子として生まれ,長じて鶏声ケ窪(文京区白山)に住み,御書院番を勤めた.20歳代から博物学に関心を抱き,『梅園草木花譜』『梅園禽譜』『梅園魚譜』『梅園介譜』『梅園虫譜』などに正確で美麗なスケッチを数多く残した.他人の絵の模写が多い江戸時代博物図譜のなかで,大半が実写であるのが特色.江戸の動植物相を知る好資料でもある.当時の博物家との交流が少なかったのか,名が知られたのは明治以降.

この花譜の「秋之部四」に
「和漢三才圖會出 佛頭菊 達磨菊(ダルマキク) タルマサウ サツマキク
 辛卯*九月二十六日
 庭上一鉢 机?眞寫」の文と共に,舌状花冠の色,葉の柔毛や木質化した莖,下葉の枯れた様子など,美しく正確・精密なダルマギクの絵が残る.舌状花がやや細めで半八重に近いのが目につくが,当時はこのような変種があったのであろう.
*
辛卯:1831


 ★水野忠暁『草木錦葉集』(1829).忠暁は幕府旗本で, 草木の培養に長け斑葉植物を集大成した本書を著した.絵は大岡雲峯(1765 - 1848)と関根雲停(1804 - 1877).木版芸術としても大変優れた美しい図である.

 将軍,大名そして旗本御家人まで.江戸時代は草花を愛する武士がすくなく,栽培される草花も,椿・菊・朝顔・牡丹・万年青などさまざま.美しさだけでなく,趣向の新しさを求めて,変わった色や形,あるいは斑入り植物を栽培し品評する趣味も広がった.本書は緒巻・前編・後編から成り,緒巻では斑入り愛好家の間で用いられる「通言」(特殊な用語)や各種栽培法,害虫の駆除法などを述べ,前編後編では「いろは順」に,斑入りや奇形の草木を写生図を添えて紹介している.「む」の部で中断しているものの千点余を掲載.図のほとんどは大岡雲峰の門人,関根雲停によって描かれている.
 この叢書の「後編 巻之四 たの部」に「(十二)達磨菊(だるまきく)
 ○佛頭菊(ぶつとうぎく)○久しく葉あり室(むろ)へ入葉は毛多くなり平(ひら)み丸く出来(でき)のびず 黄布 ○並」とある.
「布」は「斑入り」のことであるが,「出来」と「並」が何を意味する「通言」なのか,調べきれなかった.


★飯沼慾斎(1782-1865)『草木図説前編(草部)』(成稿 1852ごろ,出版 1856 - 1862),草部20巻に草類1250種の植物学的に正確な解説と写生図から成る.『草木図説』にはラテン語の学名や時にオランダ語も加えられている.リンネの分類に従い,『本草綱目』による配列より近代化されている.慾斎に大きな影響を与えたのは宇田川榕菴の『植学啓原』と伊藤圭介(1803 - 1901)の『泰西本草名疏』である.リンネの分類体系のためには雄しべ雌しべを正確に数える必要があったことは、慾斎の花部の描写を丁寧で正確にした.その「巻之十七」に,

ダルマギク

茎菊の如く硬く.梢に多葉纂簇し冬猶不枯.葉形楕圓にして末濶く厚柔にして軟毛茸
あり.夏末臺を抽くこと尺許.数枝に分れ毎頭一花.形鶏児腸(よめな)花に似て差や多弁.缺筒
淡藤花色にして.中心完筒淡黄色

按亦前条の属*に可収か」とある.舌状花を「缺筒」,管状花を「完筒」と言っている.なお,「*前条の属」とは,前々項の「ミズギク」の項の「イヌラ inula」屬である.現代では,Aster 属(シオン属)に帰属されている.図は白黑の対比が美しいが,大きな特徴である,葉の「軟毛茸」が見て取れぬのが残念.

この叢書を増補・改定した★牧野富太郎『増訂草木図説』(1907 - 22)の「草部 四輯 巻十七」(1912)には「○第六圖版        Plate VI.
ダルマギク
  Aster spathulifolius Maxim.
  キク科(菊科) Compositæ

 茎菊ノ如ク硬ク.梢ニ多葉纂簇シ冬猶不枯.葉形橢圓ニシテ末濶ク厚柔ニシテ柔毛茸
 アリ.夏末臺ヲ抽クコト尺許.数枝ニ分レ毎頭一花.形鶏児腸(ヨメナ)花ニ似テ差ヤ多辧.缺筒淡
 藤花色ニシテ.中心完筒淡黄色

按亦前条ノ属ニ可収カ,

[補]壹岐,對馬,筑前并ニ長門ノ海岸ニ自生ス即チ玄界洋方面ノ産ナリ(牧野)」とある.学名と産地が追加されている.

★田中芳男,小野職愨共著『有用植物図説』(解説3冊・図画3冊・目録1冊,1891)及びその英訳書 “Useful Plants of Japan Described and Illustrated”1895)の「觀賞類」の章に「ダルマギク」が,別名は「シナノギク」として掲載されている.NDLのデジタル公開資料の図版はモノクロで解像度の悪い図であるが,原図は彩色されたもので,多色版の早い公開が望まれる.

「有用植物圖説. 目録索引 

有用植物圖説分類目次並書圖之數

第一  穀菽類

第二  葉菜類

第三  根菜類

(中略)

第廿四 觀賞類 自第七三四至第一〇一〇計二七四圖

第廿五 覆栽類」

「有用植物圖説 解説 巻之三」には,

「(八三二) ダルマギク シナノギク*1       佛頭菊 群芳譜*2
菊科ノ宿根草ナリ多ク園養ス莖高サ尺許葉ニ毛茸アリ秋月莖頂ニ帯紫淡紅色ノ數花ヲ開ク」
とある.

「有用植物圖説 圖画 巻之三」には,図があり,「No. 832, Darumagiku.
Aster spathulifolius.
COMPOAITÆ
第八百卅二
ダルマギク
二分の一
(菊科)」との説明文がある.

更にこの書の英訳書 “Useful plants of Japan, described and illustrated.” (1895) には,
832. Aster spathulifolius, Max., Jap . Daruma- giku,
Shinano-giku ; a garden perennial herb of the order Compositæ ,
growing to a height of about 1 ft. Its leaves are covered with
fine hair. In autumn it produces several purplish pink flowers
at the top .”
とある.

*1シナノギク:    シナノギクの名は「日本植物方言集成」八坂書房(2001)にも,Y-List にも見当たらず.

*2佛頭菊 群芳譜:王象晉『二如亭羣芳譜(羣芳譜)』(1621)「巻之三 花譜 菊花」に,

黃佛頂,一名佛頭菊,一名黃餅子,一名觀音菊。黃,千瓣,中心細瓣高起,花徑寸餘,心突起似佛頂,四邊單瓣,瓣色深黃。
黃佛頭,花頭不及小錢,明黃色,狀如金鈴菊,中、外不辨,心、瓣但見混同,純是碎葉,突起甚高,又如白佛頭菊之黃心也。
佛頭菊,無心,中邊亦同。」

白佛頂,一名瓊盆菊,一名佛頂菊,一名佛頭菊,一名銀盆菊,一名大餅子,菊單瓣,中心細瓣突起,花徑寸餘,心突起,如黄佛頂。」
とある.しかしこの「佛頭菊」は,ダルマギクの事ではなく,花の形状が大仏様の頭に似ている千重の花を持つ菊の品種名と思われる.

著者の田中芳男(1838 - 1916)は,幕末から明治期の博物学者,動物学者,植物学者,農学者,園芸学者,物産学者.「日本の博物館の父」として知られる.1875年(明治8年)田中芳男訳纂『動物学初篇哺乳類』(1875)は簡略な図解であるが,分類階級の訳語として,classに「綱」,orderに「目」,familyに「科」,genusに「属」,speciesに「種」の訳を用い,これが今日に及んだ.1881年(明治14年)大日本農会結成に参画し,1882年に大日本水産会と大日本山林会の創設に尽して日本での農学と農林水産業の発展に貢献.

小野職愨(1838 1890)は日本の植物学者で,祖祖父は小野蘭山である.田中芳男のもとで,明治の植物学の教育のための教科書の翻訳などを行った.ジョン・リンドリーの,"School Botany" (1860)を翻訳し,その中で,日本最初の植物学術用語の英語,ラテン語,日本語の対訳辞典『植学訳筌』(1874)を出版した.

★牧野富太郎『牧野 日本植物圖鑑』(1940)には,「

だるまぎく

Aster spathulifolius Maxim.

九州竝ニ中国西部ノ産ニシテ、海邊ニ生ズル多年生草本ナレドモ幹ハ木質ヲ呈ス。高サ約 30 – 60 cm許、密ニ枝ヲ分チ矮性狀ヲ呈ス。葉ハ互生シテ相重ナリ、箆狀倒卵形ヲ呈シ、下部ハ狭窄シテ葉柄ト成リ、葉頭ハ圓クシテ全邊或ハ多少鈍齒ヲ有シ、毛多シ。秋時、紫色ノ頭狀花ヲ枝頭ニ着ケ、花々相集リ、周邊ニ舌狀花、中心ニ黄色管狀花アリ。往々觀賞品トシテ栽培ス。和名ノ達磨菊ハ其矮性ノ草狀ニ基ヅク。」とあり,達磨の名の由来を述べている.

2021年10月24日日曜日

ダルマギク-1 和-1 江戸 佛頭菊,薩摩菊 倭漢三才圖會,諸禽萬益集,廣益地錦抄,草木弄葩抄,絵本野山草,中山傳信録物産考,和訓栞

Aster spathulifolius


 
西日本,竹島,鬱陵島,朝鮮半島,ロシア沿海州の海岸に自生するキク科の多年草で,秋に紫や白の一重の舌状花と中心部に黄色い管状花を咲かせる.乾燥や海からの塩分を含んだ強風に耐えるために,毛の多い厚い葉を持ち,莖も木質化する.達磨の名は,鉢植えにした時,盆栽に似る草姿に似るとされるが,他に佛頭菊や,由来地によると思われる薩摩菊の名もある.

 初見は絵入り百科事典として有名な★寺嶋良安『倭漢三才圖會』(1712成立)で,その「巻之九十四本 湿草類」に「佛頭菊(だるまさう)」と葉と花のついた一枝の図がある.後者の図は葉がまるで蓮の臺(蓮台)の様に描かれ,これから「佛頭菊」の名がついたかに思われる.
 一方,故磯野直秀教授『資料別・草木名初見リスト』による初見は,★源止龍(左馬介)『諸禽萬益集』(1717年成稿述)で,後半の草花のリストに「達磨菊」の名が載る.
 江戸染井の代々続いた植木職人・園芸家の★伊藤伊兵衛三之丞と政武著・画『廣益地錦抄(1719) は花卉だけではなく,有用な植物を記録した書だが,この書には,「薩摩菊」の名で,ダルマギクが記載され,近年薩摩から種が導入されたとある.
 ★菊池成胤?『草木弄葩抄(1735)は,知名度は低いが,先行する『花壇綱目』や『花壇地錦抄』より記載がはるかに詳しい園芸書で,草類だけを載せる.この書に「だるまぎく」の項があり,その記述は後の『絵本野山草』に剽窃されている.
 絵手本として刊行された★橘保国『絵本野山草』(1755)には,「達广菊 だるまきく」と題された絵と,『草木弄葩抄』(1735)とほぼ同一の説明文が記されている.
 琉球の物産を絵入りで紹介している★田村藍水『中山傳信録物産考』(1769)には,白花のダルマギクが「佛頭菊 薩言ダルマキク 其花似菊白色」として記載されていて,沖縄にも自生している事が分かる.
 江戸後期の国語辞書★谷川士清編『和訓栞』(1777 - 1887)の「きく」の項に「仏頭菊」が見えるが,これは花の形状を指すものと思われる.

 ★寺嶋良安『倭漢三才圖會』(1712成立)の「巻之九十四本 湿草類」に

佛頭菊(だるまさう) 〈俗云達磨草〉按佛頭菊直莖無枝椏、葉團有段刻、淺緑色厚柔而不潤、文理如皺異常、數十葉叢叢抱莖生、状似濱菊、九十月開白花單葉頗似菊」とある.

「仏頭菊(ダルマサウ)
△按ずるに,仏頭菊は直ぐなる茎,枝椏無く葉は団くして段刻有り.浅緑色,厚柔にして潤はず.文理皺の如くにして常に異なる.数十葉叢叢として茎を抱へて生ず.状は浜菊に似たり.九十月に白き花を開く.単葉頗る菊に似たり.」(読み下し)

「仏頭菊(だるまそう)俗に達磨(だるま)草という
△思うに,仏頭菊は,茎は其直ぐで枝椏(えだ)はなく,葉は団(まる)くて段になった刻(きれこみ)がある.浅緑色で厚く,柔らかくて潤(うるおい)いはない.文理(すじめ)は皺のようで,常のものとは異なっている.数十葉が叢叢(そうそう)として茎を抱いて生えている.状(かたち)は浜菊に似ている.九,十月に白花を開くが,その単葉(ひとえ)は菊に大へん似ている.」(現代語訳)と,一般的な紫色ではなく,白色の花を記録している.京都には,白色種が先に入ったのであろうか.また絵には,わざわざ葉を一枚描き,他の菊とは異なる点に注目しているようだ. 

★源止龍(左馬介)『諸禽萬益集』(1717年成稿述,1742年写)


本書は江戸時代3大養禽書の一つだが,著者の実名は不明.巻1は飼育法,巻2は各論で,和鳥125品について解説する.後書で著者は『草花伝』という自著もあることを記し,外来種では金糸梅・日々草・葉牡丹など,和産種では京鹿子・達磨菊・釣舟草・羽衣草・二葉葵・柳蘭などの内外計210ほどの名を挙げるが,そのなかには初出名が少なくない.
 そのリストの中に「達磨菊」とダルマギクの名がある. 

★伊藤伊兵衛三之丞,政武著・画『廣益地錦抄』(1719)の「巻之八 花木草花三十九種」に
薩摩菊(さつまきく) 葉は丸くしげりて表(オモテ)うらに白毛(ハクモウ)おほ
くあり極(キハメ)てあつく手にてなづれば毛氈(モウセン)かびら
うどのごとくにやはらかに夏ふゆともにしぼ
まず八九月ころはなさく花形はひとへの菊に
似てさくら色はなおほくさくながめあり近年
さつまよりたね来るよしにてきつまきくとい
ふを近此ハ達磨(タルマ)きくといふまただるま草とも
いふ」


と詳しい性状が記されており,「葉に白毛が生えていて,撫でると,まるでビロードや毛氈の様だ」と,実際に育てた人ゆえの観察が記載されている.

★菊池成胤?『草木弄葩抄(ソウモク ロウハショウ)』(1735)は,知名度は低いが,先行する『花壇綱目』や『花壇地錦抄』より記載がはるかに詳しい園芸書で,草類だけを載せる.著者名は明記されていないが,序文の筆者菊池成胤(浪華の人)と思われる.現存本は上巻であり,これには図が一つも無い.凡例によれば図集を下巻として出版するとあるが,刊行された形跡は認められない.上巻も国立国会図書館本以外に知られていないようである.見出し数は209だが,同一項に類品を挙げる場合が少なくないので,総品数はこれよりかなり多い.ただし,凡例で断っているが,品種の多いキク・シャクヤク・ボタン・ユリは載せない.新出品はあけぼの草・いわかがみ草・うらしま草・君かげ草(現スズラン)・なるこゆり・水芭蕉(すべて原記載名)など,15品ほど.注目されるのは,斑入(ふいり)品が30ほど挙げられている点で,江戸時代園芸の大きな特徴である斑入嗜好がすでに始まっていたとわかる.「斑入」の用語も2カ所で初出する.『絵本野山草』(宝暦5年=1755刊)は全163項目だが,うち半数の82項が本書の記文の全部あるいは一部の転写である.
その「四十二丁」に

だるまぎく
葉あつく,うすき毛茸(ひげ)有.草だちふとく,花のかたち,
ひとへのきくのことき,うすむ
らさきいろのはな,葉のつぢきはにさく.又白花あり.なづれハは,もうせんひろうとのごとく,
やはらかに,四季に葉あり.又,達摩(だるま)草とも,ほてい菊共,さつまきく共いふ.」
とあり,葉の觸感に『廣益地錦抄』の影響が見て取れる. 


江戸時代の「絵本(画本)」は,画業志望者用の絵手本であった.『絵本野山草』(1755)もその一つで,大坂の絵師橘保国(号,後素軒)の描いた,画業志望者用の草木画の絵手本集である.図の脇に「花朱 生エンシ クマ」などと,使用する絵具や描き方を指示しているが,指示の無い品も多い.掲載品は全163品(品種を含めず)で,外来品も少なくない.その花期・花色・形状などは図とは別の頁に詳しく記されているが,記文の約半数は前出『草木弄葩抄』の文をそっくり,あるいは部分的に用いている.図では葉のつき方の互生と対生が誤っているなど.植物の細部は必ずしも正確ではない.

「巻之四」に記載されている「ダルマギク」に関しても,図には,ロゼット状の根生葉は描かれず,一茎につく花の数が多く,また周辺花の舌状花冠が長すぎ,筒状花冠による中心花が小さすぎるなど,違和感もある.また,説明文は下線部分の別名と花期及び生育地を除いては,『草木弄葩抄』とほぼ同一である.生育地には海岸がなく,ヨメナと同じようである.
 「だるま菊 布袋(ほてい)菊 谷ぎく 薩摩菊

葉あつく,うすき毛茸(ひげ)有.草だちふとく,花のかたち,ひとへのきくのことき,うすむ
らさきいろのはな,葉のつぢきはにさく.又白花あり.なづれは,もうせんびろうどの
ごとく,やはらかに,四季に葉有.又,だるま草とも,ほてい菊,さつまぎくいふ.
  八月より九月迄咲.山谷の草也. 


★田村藍水『中山傳信録物産考』は,江戸の文人・田村登(
1718 - 1776)が1769年に著した本で,琉球の動植物が,漢文による説明と,一部彩色された図とで紹介されていて,写本が現在まで伝わっていて,NDLには二種が公開されている.
 全体としては,徐葆光(じょ・ほこう 生年不詳 - 1723)の記した『中山傳信録(ちゅうざんでんしんろく)』(1721年)の琉球に関する記述をもとに再編集した内容となっている.徐葆光は1719年に冊封使(さっぽうし=琉球国王の即位を認め祝う外交使節)として清から来琉し,その見聞の成果をまとめたのが『中山傳信録』で,最初は1721年に中国で出版され,さらにそれが当時の「日本」に伝わると京都や江戸で出版され,琉球を知るための基本文献として広く読まれた.

 『物産考』全3冊のうち,第1冊(=巻1)では,おもに琉球諸島の地誌と特産物について,第2冊(=巻2巻)では,『中山傳信録』第六巻のなかの琉球の動植物・物産をもとに記されていて,第3冊(=第3巻)には『中山傳信録』には掲載の無い琉球の動植物が記されている.
 この第3冊は第2冊に続き,琉球の植物図譜となっているが,冒頭に「付録」という題名を付け,「中山傳信録は非常に詳しく琉球の動植物について収録しているが,掲載の無い植物もあるようなので,この「付録」に記す」と述べられている.彩色のある図と彩色の無い図が混在しているが,植物の名称・植生や特色などについては植物により詳しいものと簡略なものがあるが,やはり琉球特有の植物で,当時の「日本」ではめずらしい動植物については詳しい記述がみられる傾向があるようだ.当時の「日本」でもよく知られている植物については,和名が記される以外,特に記述が無い植物が多くみられる.
 また「薩州方言(さっしゅう・ほうげん=鹿児島地方の方言)」の名称を示している植物が多く,薩摩藩の動植物図譜などを参考にした可能性が高いと考えられている.

 この第三巻には,白い花のダルマギクの絵が収載されており,
佛頭菊 薩言ダルマキク 其花似菊白色」とある.写本では舌状花冠の先端が尖っているが,特徴である根生葉や木質化した茎がよく描かれている. 


★谷川士清(ことすが)編『和訓栞(わくんのしおり)』は江戸後期の国語辞書で全93巻.安永6 - 明治20年(1777 - 1887)刊.3編からなり,前編には古語・雅語,中編には雅語,後編には方言・俗語を収録.第2音節までを五十音順に配列し,語釈を施して出典・用例を示す.

その「前編七,幾」の部に
「きく (中略) 蝦夷には,春白花の菊ありといへり,菊花種類多しといへど,單瓣,重瓣,有心,無心,旋心,佛頭,蜂窠の七品をもて總る也といへり,近年一株にて,五色を備るあるに至る,」とあるが,この「佛頭」菊は,王象晉『二如亭群芳譜』(
1621)にあるように,花の形状から来た園芸種を示すものと考えられ(次記事,参照),ダルマギクを表した物とは考え難い.