2024年2月20日火曜日

スノードロップ-11  D.H.ロレンス(D H Lawrence)「チャタレー夫人の恋人(Lady Chatterley's Lover)」a snowdrop of forked white fire

Galanthus nivalis


 DH.ロレンス著『チャタレー夫人の恋人』は,その自然描写が美しく,数多くの草木が場面に合わせて登場する事でも,英国近代文学の傑作と思われる.英国の春を告げる花-アネモネ(ヤブイチゲ),ブルーベル-の記載回数は多いが,春に先駆け咲くスノードロップは,最終第19章の,「チャタレー夫人の恋人」である森番のメラーズ(Oliver Mellors)が,チャタレー準男爵夫人コンスタンス(Constance Chatterley,コニー,Connie)に宛てた手紙の中に,象徴的に二回登場するに過ぎない.その中でメラーズは,二人の間の交情の安らかな休止を “like a snowdrop of forked white fire.” に例えている.この “forked” (分岐した)は,スノードロップの花の比較的大きな三つの真っ白い外花被からすると「三つに割れた」の訳が適切で, コニーの白い胴体と二つの腿に,また真ん中の小さな内花被は,女性器に例えられるとも思われる.

原文では,
The Grange Farm
Old Heanor
29 September
(中略)
 So I love chastity now, because it is the peace that comes of fucking. I love being chaste now. I love it as snowdrops love the snow. I love this chastity, which is the pause of peace of our fucking, between us now like a snowdrop of forked white fire. And when the real spring comes, when the drawing together comes, then we can fuck the little flame brilliant and yellow, brilliant. But not now, not yet! Now is the time to be chaste, it is so good to be chaste, like a river of cool water in my soul. I love the chastity now that it flows between us. It is like fresh water and rain. How can men want wearisomely to philander. What a misery to be like Don Juan, and impotent ever to fuck oneself into peace, and the little flame alight, impotent and unable to be chaste in the cool between-whiles, as by a river.(中略)
 But a great deal of us is together, and we can but abide by it, and steer our courses to meet soon. John Thomas says good-night to Lady Jane, a little droopingly, but with a hopeful heart.”とある.

この部分の和訳を,以下の和訳本の出版年順に並べると,初訳の①では,snowdropを花とは認識せず,「雪片」や(雪の)「滴り」と誤訳している.しかし,「二人のあいだの」(forked white fire)を「三叉の白い炎」としているのは,偶然ではあろうが,スノードロップの花のかたちを現して妙である.

①伊藤整訳『ロレンス チヤタレイ夫人の恋人』新装世界の文学セレクション36,中央公論社(1994
「だから今、僕は貞潔を愛しています。それが交わりによって生ずる平和というものだからです。僕は今、身を清く保っていることを喜ばしく思っています。雪片が雪を愛するように、僕はそれを愛しています。僕はこの貞潔を愛しています。それは僕らの交わりの安らかさの休止であり、二人のあいだの三叉の白い炎の滴(したた)りです。そしてほんとうに春が来て、いっしょに住めるようになれは、その時は僕らは、この小さな炎を輝く白熱に燃え上がらせることができます。今はまだです。まだその時ではありません!今は身を清らかに保っているべき時です。それは、僕の魂のなかに涼しい水の流れがあるように気特のいいことです。僕はいま二人のあいだに流れているこの清らかさを愛します。それは新鮮な水か雨のようなものです。(中略)
 しかし僕らの大きな部分はともに生きているのです。僕らはそこに身を寄せて早く再会できるように、はからいましょう。君のジョン・トマス君は、少しうなだれた姿で、しかし希望に満ちてジェイン夫人におやすみなさいを言っています」

以下出版年順に比較すると②以下では,snowdropを花と認識して「スノードロップ」或は「マツユキソウ」と訳しているが,forked を「二叉」あるいは「先の割れた」と訳していて,実際にスノードロップの花を観察して訳しているのか,疑問に思われる.

②ロレンス,伊藤整訳,伊藤礼補訳『完訳チャタレイ夫人の恋人』新潮社(1996
「だからいま僕は貞潔を愛しています。それが交わりによって生ずる平和というものだからです。僕はいま身を清く保っていることを喜ばしく思っています。スノードロップが雪を愛するように、僕はそれを愛しています。僕はこの貞潔を愛しています。それは僕らの肉の交わりの休止と平和であり、二人のあいだの二叉の白い焔の咲かせたスノードロップなのです。そしてほんとうに春が来て、いっしょに暮らせるようになったとき、その時僕らは、この小さな焔をあかあかと、黄金色に燃えあがらせることができます。しかし、今ではありません。まだその時ではありません! 今は身を清らかに保っているべき時です。純潔であることは、魂の中に涼しい水の流れがあるように気持ちのいいことです。僕は今二人のあいだに流れているこの清らかさを愛します。それは新鮮な水か雨のようなものです。(中略)
 しかし僕らの大きな部分は共に生きているのです。僕らはそこに身を寄せて早く再会できるように、はからいましょう。ジョン・トマスは少しうなだれた姿で、しかし希望に満ちて、ジエイン夫人におやすみなさいを言っています」

DH.ロレンス,永峰勝男訳『新訳チャタレー夫人の恋人』彩流社(1999
「だから今、俺は貞節を大事にしている。と言うのも、それはセックスをやって生ずる安らぎなのだからだ。俺は今貞節を守っていることが楽しい。まつ雪草が雪を楽しむように、それを楽しんでいる。俺は二叉に分かれた白熱の火のようなまつ雪草のように、今俺達の間にあるこの貞節を楽しんでいる。それは交接後の安らかな休止なのだ。そして本当の春が来た時、互いに抱き合うことが出来た時、その時俺達は交接して、あの小さな炎を燦然と、黄色に輝かすことが山来るのだ。しかし今は駄目だ。まだ駄目だ、今は禁欲を守るべき時だ。禁欲して貞節であるのは俺の心に清涼な水が流れているように、とてもよいことだ、今二人の間に貞節が流れているからこそ、俺は貞節を大切にする。それは新鮮な水や雨のようなものだ.(中略)
「しかし俺達の大部分は一緒にいる.そしてその現状に従って行動し,早く会えるように舵取りをして,進んでいくほかない.ジョン・トーマスは少しうなだれてはいるが,しかし心に希望を抱いて,ジェーン夫人にお休みと言うよ」

DH・ロレンス,武藤浩史訳『チヤタレー夫人の恋人』筑摩書房(2004
「だから、今のおれは、おまんこからもらった安らぎゆえに、貞節を愛している。貞節であることを愛している。スノードロップの花が雪を愛するように、おれもそのことを愛している。おれたちのおまんこの安らぎの休止であるこのおれたちの間の貞節を、先の割れた白い炎のスノードロップのように愛している。それで、本当の春がやって来たら、二人が一つになることができたら、その時は二人でおまんこして、小さな炎を黄色く輝かして輝かしてやればいい。でも、今は違う、今はまだだ! 今は貞節の時で、おれの魂を流れる涼やかな川のように、貞節であることはすばらしい。それが二人の問を流れているからこそ、おれはその貞節を愛している.新鮮な水と雨のようだ。(中略)
 でも、二人の大部分は今でも一緒なのだから、俺たちはそれを信じていって、近い内に又会えるように、舵を取っていこう。チンスケしゃんは、ちょっとうなだれて、でも希望に満ちた心で、マン姫しゃんにおやすみと言っています。」

DH・ロレンス,木村政則訳『チャタレー夫人の恋人』光文社(2014
「だから、いまの僕は貞節を好ましく思っています。交わりから生まれた平穏のおかげです。いまは純潔を愛しています。マツユキソウが雪を愛するように、この貞潔を僕は愛しています。それは二人の交わりによる安息であり、いまはマツユキソウのように真っ白な二叉の炎となって二人のあいだをつないでいます。やがて本物の春が訪れ、また一緒に暮らせるときが来たら、その小さな炎を交わりによって黄色く光り輝かせましょう。しかし、まだいけません。いまは慎むときだから。貞節というのは清らかなものです。魂のなかを冷たい水が流れていく心地がする。いまは二人のあいだを走るこの清冽な流れを大切にしたい。それはまるで新鮮な水、降ったばかりの雨のようです。(中略)
 ともあれ、二人はすでに一心同体なのだから、そのことだけを信じ、再会に向けて舵を切っていきましょう。ジョン・トマスがジェインにおやすみと言っています。少しうなだれてはいるけれど、希望を胸に秘めて」


 和訳本における植物名は,特に英国自生の野草では該当する日本産植物がない事もあって,適切な訳は難しい.特にこの書に多く登場する “anemone” は,「アネモネ」と訳すと,色とりどりの大きな花を着ける Anemone coronaria を想起するが,英国の野草としては白い小形の花をつける wood anemone (A. nemorosa) が一般的で,これにはヤブイチゲという和名があるものの,一般的ではなく,むしろニリンソウ(A. flaccida)と訳した方がよりイメージに近いと思われる.

1. Anemone coronaria  Eeden, A.C. van, Album Eeden (1872-1881), t. 21 p. 15
  2. Anemone nemorosa  Dreves, J.F.P.,et. al., Bot. Bilderb. vol. 1 (1794), t. 2
  3. Anemone nemorosa var. pleno 八重咲ヤブイチゲ 植栽 2014
  4. Anemone flaccida ニリンソウ 筑波山 2000

また上記訳書の複数の植物名を比較すると,全くの誤訳がないとは言えないが,原文の “creeping-jenny” や “campion”,“woodruff”,” burdock” の訳に苦心しているのが伺える.総じていえば,木村政則訳『チャタレー夫人の恋人』光文社(2014)が,読みやすく,英文に近い名称で訳していると評価できよう.(後述)

2024年1月1日月曜日

2024 HAPPY NEW YEAR 謹賀新年 Dragon Arum, Snap-dragon, 龍膽(Dragon's bladder )

今年は辰年.例年通り干支にちなんだ植物の画像で,新年のご挨拶
Dragon Arum, Snap-dragon, 龍膽(Dragon's bladder )



2023年12月27日水曜日

クサギ (3) 西欧-3 シーボルト-1 NIPPON,日本植物經濟概要

Clerodendrum trichotomum

極東アジアに広く分布するシソ科(旧クマツヅラ科)の低木,日本産植物としてケンペルが紹介し,学名はツンベルクが付けた(前報).彼等に続いて出島のオランダ商館医師として滞日したシーボルト(フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン,Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796 1866,日本滞在 1823 1829, 1859 1862)は,江戸時代の日本の醫学と自然科学の近代化に貢献した.7年間(1823 -1829)の第一次滞日の帰国後に著した大冊 NIPPON” (1832 – 58/59) の江戸参府(1826)の紀行文中に日本の四季を彩る植物を記録し,八月に二種のクサギ属(クサギ,ヒギリ)の花が咲くことを記した.

 彼の日本滞在の目的の一つは,日本の有用な自然資源を調査し,当時下り坂であったオランダの経済を立て直すための資料とすることにあった.実際,滞日中の 1824年及び 1825年にチャノキの種を,オランダ領ジャワのバイデンゾルフ (Buitenzorg) 植物園に送っている.一回目の試みは先人たち同様失敗したが,二回目の試みは成功し,バイデンゾルフ植物園での栽培に成功し,やがてチャの栽培はジャワ全土に広がった.
  その他の日本産有用植物に関しても情報をあつめ,離日直後の
1830 年にバタビアで出版した『日本植物經濟概要 'Synopsis plantarum oeconomicarum universi regni Japonici'』には,447種の植物について,科で分類し,学名・和名・用途を短く記した.この書にクサギ(Gusaki)は若い葉が食用になり,ヒギリ(トウギリ,Tookiri)は街路樹として有用だとして記載し,また添付表には食用・藥用植物として「クサギ」を「臭梧桐」の漢名と共に記載した.

シーボルト “NIPPON Archiv zur Beschreibung von Japan und dessen Neben- und Schutzländern Jezo mit den südlichen Kurilen, Sachalin, Korea und den Liukiu-Inseln” (1897, Zweite Auflage) 97ページには,

“I.2 REISE NACH DEM HOFE DES SJŌGUN IM JAHRE 1826
Reise von Nagasaki bis Kokura

Wohl einen Monat und darüber bis zum August erscheint im äußeren Pflanzenleben keine auffallende Veränderung ; bloß hie und da zeigt sich noch eine spätblühende Staude oder ein Baum – Clerodendron, Hibiscus, Bignonia, Lagerstroemia4, und Arten von Patrinia, Eupatorium, Prenanthes5, und einzelne blühende Kräuter der früher erwähnten Gattungen sehen mit mattem Grün aus dem gelben Grase hervor. Baumfrüchte und Samen reifen, die Reisfelder erbleichen, und wo im Frühling Veilchen und Anemonen blühten, zeigen sich jetzt im September Strahlblumen, Glocken, Gentianen und einzelne Schirmpflanzen6.

4. Clerodendron trichotomum Thunb. (Kusagi), C. squamatumWahl. (Tōkiri). Hibiscus mutabilis Thunb. (Fujū), H. Syriacus L. (Mukuge). Bignonia grandiflora Jacq. (Nōsen kadsura). Lagerstroemia japonica (Saru suberi).” とあり,(冒頭図,

斎藤信訳『江戸参府紀行』(1967,東洋文庫 87)では
「長崎から小倉への旅 1826年二月二〇日 〔旧一月一四日〕
 おそらく八月まで一カ月かあるいはそれ以上の間、植物の外観上の生活には目立つほどの変化はあらわれない。ただそこここになおクサギ・トウキリ・フヨウ・ムクゲ・ノウセンカズラ・サルスベリのような遅咲きの木や、オトコメシ・オミナエシ・フシバカマ・ヒヨドリハナ・ツルニガナの類や前に述べた属のいくつかの花の咲く野草が、黄色い草の中からつやのない緑色をして顔をだす。」と訳されている.

  都立大学のシーボルトコレクションには,「クサギ」と同定されている腊葉標本が二枚(NO.1245 & 1244)収蔵されている(冒頭図,&)が, NO.1244 の初めの同定は「ヒギリ」であり,形状からだとヒギリのように思われる.この二枚の標本をシーボルト自身が作成したか否かは不明である.


 また離日直後の 1830 年にバタビアで出版した★『日本植物經濟概要には,447種の植物について,科で分類し,学名・和名・用途を短く記した.名称については不明や同定不能のものもある.添付されている表には,224項目の植物が用途別に列挙され,学名の他片仮名で和名及び漢字で漢名が記載されている.この表には.本文にはない16の酒・味噌などの加工品とその主原料の植物が記載されている.この片仮名・漢字の附表がどのように作成されたのか興味がある.出島滞在中に日本の植物学者の協力を得て元の表が作成され,バタビアにおいて,リトグラフで片仮名・漢字を表示したのであろう*

この書にクサギ(Gusaki)は若い葉が食用になり,ヒギリ(トウギリ,Tookiri)は街路樹として有用だとして記載し,また表では食用・藥用植物として「クサギ」を「臭梧桐」の漢名と共に記載した

VITICEÆ.

CI. CLERODENDRON , Linn.

* 186 C. trichotomum , Th. Gusaki , Japon,
     (v. v. h. b.)1)
 
    Usus: Folia adhuc tenera edunt.

187 C. Kaempferi, Sieb. Tookiri , Japon.
   (v. v. h. b.)
   Synon: Volkameria Kaempferi , L. E.
   Arbor formosissima ad ambulacra culta.

1) (v. v. h. b.): Quas ipse vidi vivas siccatasve, signis : (v. v.) (v. s.), quasque in horto botanico colui , signo : (h. b. ).
v. v.
:(日本に於て)生植物を観察した.h. b.:(出島の)植物園で栽培している.の意.


江戸時代の救荒書にはクサギの若葉が食されると記されており,近代・現代に於いてもお浸し,炒め物,くさぎな飯として調理される.

★岩崎常正(17861842)『救荒本草通解』全八巻,巻之四には
「臭竹樹 和名クサキ クジウ預州 クサギ石州 トウノキ仙臺豆州 センヘラヒヽノキヌ 蛮名
(中略)
春ノ嫩葉食フベシ樹中蠧蟲ヲ生スクサギノムシト云小児ノ病ヲ治ス薬ニ食セシム
(後略)」とある(左図).クジウ,クサギの「」は「」由来であろう.

木村陽二郎監修『図説草木名彙辞典』柏書房 (1991) によれば,他にも★遠藤泰通(義斎)「救荒便覧」1837(天保8)及び★小野職孝「救荒植物便覧」1843(天保11)にも,救荒食としてクサギの記事があるそうだが,未確認.

★徳島県教育会初等教育研究部女教員会編『阿波郷土食の伝承と将来』(1994)には

「(食品名)クサギナノアヘモノ シタシモノ, (材料)くさぎな,調味料, (調理)くさぎなの若葉をとり,茹でて半日位水につけておき油にていため,醤油にて味をつけ叉浸物にもする. (採集地)三好郡 池田」
「(食品名)クサギナメシ, (材料)くさぎなの葉,米, (調理)くさぎなの葉を米と一緒に混ぜて炊く. (採集地)那賀郡 加茂谷」とある.戦時下なので,地方での野草料理や糧飯(カテメシ)を掘り起こし,全県に普及しようという意図が感じられる.

★柿原申人『草木スケッチ帳 II』(2002)には,「クサギ うはべ美し底苦い
(中略)クサギの若葉は加熱すると匂いが抜けて食べられる.しかしゆがき方が下手だと苦みと臭みが残る.(中略)私がはじめて食べたのは熊本に知人からもらった,ちりめんじゃこ入りの佃煮.以来ファンになった.だけどアク抜きは難しい.ついゆがきすぎ,臭みは抜けたが味も抜けたとなりがちである.(後略)」とある.

*シーボルトが 182510月に出島で執筆し, 1830 年にドイツの「王立レオポルド・カロリンガー・アカデミー自然科学紀要 Kaiserliche Leopoldinisch-Carolinische Deutsche Akademie der Naturforscher,)」14 (2) に掲載された★『日本の植物学の現状,アジサイ属と本草学の日本の文献について』(Einige Worte über den Zustand der Botanik auf Iapan : in einem Schreiben an den Praesidenten der Akademie ; nebst, Einer Monographie der Gattung Hydrangea ; und, Einigen Proben Japanischer Litteratur über die Kräuterkunde, ⑨)にも,漢字・片仮名で書かれたアジサイ類の和名・漢字名及び和書籍名が挿入頁にある.


 片仮名の筆跡は『日本植物經濟概要』によく似ているが,「草」の読み「サウ」が本論文では「ソー」となっているなど異なる点もある.一方,漢字はいかにも原文を絵として見て真似をしていると思われ,これらの頁は原頁をドイツの職人がみて,リトグラフで描き印刷したと考えられる.基本的にシンプルな直線からできている片仮名は真似し易く,複雑な漢字はしにくかったのであろう.
 なお,このアジサイ属の研究報告書は,シーボルトが単独で発表した唯一の日本植物の論文ではないかと思われ,アジサイ科,アジサイ属のノリウツギ,タマアジサイ,クサアジサイの現在有効な学名の命名者として Siebold のみが記される原記載文献である.
Hydrangea paniculata Siebold
ノリウツギ,Hydrangea involucrata Siebold タマアジサイ,Hydrangea alternifolia Siebold クサアジサイ

続く

2023年12月1日金曜日

クサギ (2) 西欧-2  de Candolle “Prodromus Systematis Naturalis Regni Vegetabilis”

 Clerodendrum trichotomum


  極東アジアに広く分布するシソ科(旧クマツヅラ科)の低木,日本産植物としてケンペルが紹介し,学名はツンベルクが付けた(前報)が,19 世紀後半になると主に中国本土から,プラントハンター達によって欧州に持ち込まれ,観賞用植物として図と共に植物図譜や園芸誌に紹介され,その香りや果実の色が高く評価された.日本では「臭い」とされる葉を揉んだ時の香りも,ピーナッツバターに似ている故に Peanuts butter tree” と言ったり,由来は判らぬものの “Harlequin* glory bower” と呼ばれ,悪評は聞かれない.フランス・パリや米国東南部では,街路樹としても用いられている.   * Harlequin:道化師,果実を取り巻く5つに割れた蕚を,道化師の帽子或は襟飾りに例えたか?

現在の分類法の基礎を提示したフランスで活躍したスイスの植物学者,オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール(Augustin Pyramus de Candolle or Augustin Pyrame de Candolle1778 1841)が著わした“Prodromus Systematis Naturalis Regni Vegetabilis”(「植物界の自然系統序論」)の第11巻(1847)のクマツヅラ科には,彼の提唱した分類法に従って,クサギがツンベルク及びケンペルの文献を参照して,Clerodendrum trichotomum として記述されている.このクマツヅラ科の著者はプロイセンの植物学者シャウアー(Johannes Conrad Schauer, 1813 - 1848)であり,記述内容は単なるツンベルク及びケンペルの引用でなく,彼自身がゲーリングの集めた標本を研究した結果に基づいている. 

カンドール(Augustin Pyramus de Candolle, 1778-1841)は,ジュネーヴに役人の息子に生まれ,ジュネーヴの Collège Calvin で植物学に目覚め,1796年にパリに赴き,1798年にシャルル=ルイ・レリティエ・ドゥ・ブリュテル(Charles Louis L'Héritier de Brutelle1746 1800)の薬草園で働いた.1802年にコレージュ・ド・フランス(Collège de France)で仕事を得て,ラマルク(Jean-Baptiste Pierre Antoine de Monet, Chevalier de Lamarck, 1744 – 1829)から植物誌,Flore française (A Paris, Chez Desray, 1805 - 1815) の第3版の共著者として編集 を任された.この仕事で,カール・フォン・リンネの雄蕊雌蕊の数を基本とする人工的分類法と異なる,生物の進化,分化の道筋に基づいた植物の特徴に従う自然分類法を採用した.
 1804年にパリ大学の医学部から医学の学位を得,その後フランス政府の求めで,フランス各地の,植物,農業の調査を行い,1807年にはモンペリエ大学(Université de Montpellier)医学部の植物学の教授に任じられた.1816年にジュネーヴに戻り,1834年までジュネーヴ大学(Université de Genève)で植物学と動物学の教授を務め,1817年にはジュネーヴで最初の植物園(Conservatoire et Jardin botaniques de Genève)を設立した.
 その後は植物の完全な分類をめざす著作 “Regni vegetabillis systema natural” の執筆に費やすが,2巻を発行した時点で大規模なプロジェクトの完成を断念し,1824年からより小さい ”Prodromus Systematis Naturalis Regni Vegetabilis” の刊行を始め,構想の2/3の,7巻を完成した.この著作では,種を100以上の属に実証的な特徴で分類を行った.この膨大な著作には多くの欧州の植物学者が関わっていた.大場秀章編著『植物分類表』(2009) によれば,英国のフッカー(William Jackson Hooker, 1785 - 1865),ベンサム(George Bentham, 1800 - 1884),ドイツのアイヒラー(August Wilhelm Eihler, 1839 - 1887),オランダのミクエル(Friedrich Anton Wilhelm Miquel, 1811 - 1871),当時はロシアに居たレーゲル(Eduard August von Regel, 1815 - 1892)など,ドゥ・カンドール親子を含む35名が分担した.
 オーギュストの子孫は3世代にわたって植物学者となった.息子のアルフォンス・ドゥ・カンドール(Alphonse Louis Pierre Pyrame de Candolle1806 1893)はオーギュストの仕事を引き継ぎ,比較形態学、植物分類学、植物地理学などでの業績で知られ, ”Prodromus Systematis Naturalis Regni Vegetabilis” の完成に努力した.現行の分類法・命名法の主流『国際藻類・菌類・植物命名規約(ICBN)』の制定に功績があった.

 


オーギュストとアルフォンスの共著となっている“Prodromus Systematis Naturalis Regni Vegetabilis”の第11巻(1847)にはオーギュストの分類法に基づき,クサギが,Classis prima DICOTYLEDONEÆ Subclassis III. COROLLIFLORÆ ordo CXLVII VERBENACEÆ   XXXI. CLERODENDRON Sectio 1. EUCLERODENDRON. /§5. Paniculata の項に
  38.
C. TRICHOTOMUM (Thunb. fl. jap. p. 256), glabrum, foliis oppositis longe pe-
tiolatis membranaceis integerrimis opacis subtus pallidis glanduloso-punetatis
et secus nervos obsolete lanuginosis, inferioribus maximis trilobis, superiori-
bus ovatis in acumen longum attenuatis, paniculâ terminali amplissimâ effusâ,
cymis trichotomis patentissime corymbosis multifloris bracteolis parvis cadu-
cis, calyce longe pedicellato inflato 5-angulato acute 5-fido , corollæ tubo gra-
cili calycem duplo excedente.
In Japoniâ (Thunb., Zollinger! pl. jap. exs.
n. 346, Goering!) — Kæmpf. amœn. p. 827 ic. 22. Folia penninervia basi
triplinervi venosa , sursum decrescentia. Calyx membranaceus, basi attenuatus,
semipollicaris. Corolla hypooraterimorpha glabra. Stamina longissime exserta.
Drupa baccata calyci aucto eaque longiore patente insidens. (v. s. inh. DC. et
Lucæ.)
とある.
 
この科はプロイセンの植物学者,ヨハネス・コンラート・シャウアー(Johannes Conrad Schauer, 1813 - 1848が担当したが,ケンペルやツンベルクの記述の写しではなく,ゾリンガーが欧州に持ち込んだ腊葉標本(ゲーリングが収集した日本産植物)に基づいて記したと考えられる.(活動時期地域から,Carl Ferdinand von Römer (1818 – 1891) による収集品ではないかと思われる.章末近くのシュンランの文,参照)

ツォリンガーHeinrich Zollinger, 1818 - 1859)はスイスの植物学者.1841年から1848年ジャワのBuitenzorg の植物園で働き,同園の標本庫に収められていた日本産の植物について研究し,チューリッヒで, “Systematisches Verzeichnis der im Indischen Archipel in den Jahren 1842 - 48 gesammelten, sowie der aus Japan empfangenen Pflanzen”1842 – 1848)を出版した.この中にはゲーリング(P. F. W. Goring)の日本産植物のコレクションについても言及した. 1851年から1859年に渡りジャワに滞在し,多くの植物標本を集めて,欧州の植物学者やコレクターに提供した.

ゲーリングPhilip Friedrich Wilhelm Goring, 1809-79)はドイツ生まれの植物学者で,ジャワに滞在中(1844 – 1845 ?)に長崎のオランダ商館で採集された日本産植物を収集した.彼のコレクションは多くの専門家によって研究された.主な研究者は,ツッカリーニ(ヨーゼフ・ゲアハルト・ツッカリーニ(Joseph Gerhard (von) Zuccarini, 1797 - 1848,ドイツの植物学者)で,このコレクションを基に定期刊行物“Flora,” volume 29 (1846) に成果を発表.また,同巻にはストイデル(Ernst Gottlieb (Theophil) von Steudel, 1783 – 1856, ドイツの医師,植物学者)が日本産の イネ科 及び カヤツリグサ科に関しての論文を発表した. 19世紀のドイツにおける最も知られたランの研究家ライヘンバッハHeinrich Gustav Reichenbach1823 1889)は,“Botanische Zeitung,” volume 3 (1845) にゲーリングのラン科植物のコレクションから数種の新種を発見し報告した.また.ロシアの植物学者トゥルチャニノフ(Nikolai Stepanovich Turczaninow, 1796 1863)も本コレクションを基にした研究成果を “Bulletin de la Société des Naturalistes de Moscou” に,1844年から48年に渡って発表した.

ライヘンバッハはゲーリングのコレクションを基に,日本産シュンラン(春蘭)を北米南部・中米に多く分布するマキシラリア属に帰し,その種小名をゲーリングに献名して,学名をMaxillaria goeringii Rchb.f., Bot. Zeit. iii. (1845) 334. として発表したが,米国産のランが日本の庭園で栽培されているとは考え難いとした.後により良い標本を得られたとして,彼はシュンランの属をMaxillaria からCymbidiumに変えて,現在も有効な学名Cymbidium goeringiiとした なお,彼が研究した腊葉標本は Hr. v. Römer の所有する,ゲーリングがジャワで収集したものであろう.このHr. v. Römer とは,プロイセンの博物学者で蒐集家の Carl Ferdinand von Römer (1818 – 1891) ではないかと思われる.


CBM vol.68, t. 3945 (1842), Maxillaria cucullata Lindl.
Bot. Zeit. iii. (1845) 334, Maxillaria goeringii Rchb.f.,
Walp., Ann. Bot. 3: 547 (1852), Cymbidium goeringii (Rchb.f.) Rchb.f.
④シュンラン 茨城県南部

Bot. Zeit. iii. (1845) 334
Notiz über einige Orchideen der Göringschen Sammlung japanischer Pflanzen.
Von G. Reichenbach fil.

  Hr. v. Römer hatte die Güte, mir diese Orchideen zur Untersuchung mitzutheilen, wofür ich demselben meinen aufrichtigsten Dank sage.
  Da mir völlig unbekannt ist, ob irgend ein Botaniker sich mit diesen Orchideen beschäftigt, so nehme ich keinen Anstand, diesen kleinen Beitrag zur Bestimmung der Göring’schen Sammlung hiermit zu veröffentlichen. Ich sehe mich indessen genöthigt, zu bemerken, dass Hr. v. Römer in Erfahrung gebracht hat, dass die Nummern der verschiedenen Sammlungen durchaus nicht übereinstimmen.
 Maxillaria Göringii G. Rehb. fil. pseudobulbis ......, foliis ......, scapo erecto vaginis ventricosis acuminatis vestito, sepalis petalisque brevioribus lanceolatis acuminatis basi attenuatis, Jabello cucullato, trilobo, lobis lateralibus rotundatis obtusis, loho medio porrecto oblongo subacuminato geniculatim reflexo, labello a basi usque ad flexuram lobi medii lineis duabus obliquis cristato. — Japonia. Göring. No. 592. in hb. de Römer.
 Höhe des Schaftes 7”, äussere Kelchblätter 1(1/2)” lang, in der Mitte 4” breit, innere um den dritten Theil kürzer, den äussern Kelchblättern gleich lang. Die Säule ist halbstielrund, etwas nach vorn gebogen. Anthere fast nierenförmig, oben mit einem dreiseitigen Wulste versehen. Pollenkörper 4, einer kleinen Drüse aufsitzend. — Die Art gehört in die Verwandtschaft der Maxillaria cucullata. Die Scheiden des Schaftes erinnern an die der Lycaste Deppii.
 Anmerk. Das vorliegende Exemplar ist an melreren Stellen so zerquetscht, dass mir eine Verbesserung oder Bestätigung obiger Beschreibung wünschenswerth ist.
  Anmerk. Es ist kaum nöthig hervorzuheben, wie merkwürdig das Vorkommen einer Mazillaria in Asien ist! Enthalten die Göring’schen Sammlungen auch mehre sicher kultivirte Exemplare, so ist es doch kaum denkbar, dass in Japans Gärten uns noch unbekannte amerikanische Orchideen kultivirt werden.

Walp., Ann. Bot. 3: 547 (1852)
1427. CYMBAEDIUM Sw.
(LO. p. 161. — Rchb. fil. in Wlprs. Ann, I. 784.)

1. C. (MAXILLARIA G, Rchbch. fil. in v. Mohl & v. Schl. Bot. Ztng. 1845. pag. 334.)
GÖRINGH Rchbeh fil, mss, — Foliis eusiformibus ; pedunculo erecto, uni — bifloro vaginis ventricosis acuminalis vestito; sepalis petalisque brevioribus lanceolatis acumi- natis, basi attenuatis; labello cucullato, trilobo, lobis lateralibus rotundatis obtusis, lobo medio porrecto oblongo subacuminato geniculatim reflexo; labello a basi usque ad flexuram lobi medii lineis duabus obliquis cristato. — Pedunculus 7", phylla perigonii externa 1(1/2)" longa, medio 4
lata, interna Lerlia parte breviora, exteruis aequilata. Gynostemium semiteres, autrorsum flexum. Anthera prope remformis, apice tumore triangulo donata. Pollinia quaterna glandulae parvae insidentia.
   “Obs. Specimen adeo compressum, ut cupiam descriptionem meam iterum comparari cum speciminibus melioribus;” Simul atque meliora obtinui specimina, extemplo vidi, esse Cyimbidium,

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