2017年4月9日日曜日

オシロイバナ-16(仮) 梅毒 日本での蔓延-4 江戸時代.ツンベルク 昇汞水(スウィーテン水)の来由-1,

ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828) はオランダ商館の医師として出島に在任中,長崎の吉雄耕牛ら通辞に,適切な治療薬がなく,全国に蔓延していた梅毒(黴瘡)に,当時欧州で治療実績のあった蒸留水,昇汞,適量の砂糖またはシロップからなる「昇汞水(スウィーテン水)」の調製法と投与法を教えた.この薬の劇的な治療効果により,長崎で多くの患者がその恩恵を受けたとされる.この薬品の處方は吉雄流医術の秘事とされ,弟子たちに受け継がれ,杉田玄白もこの薬品による治療を行った.ツンベルクはこの薬剤を日本に導入したことを,大きな誇りとした.

ツンベルクが通辞達に教えた昇汞を処方した駆梅薬とは,吉雄耕牛の『紅毛秘事記』に「夫メルクリユスワートル*ノ來由来ヲ原スルニカツテ紅毛國ニシンゲリス**ト云人ガ夢裏ニ所得藥方ナリ其后ホルラントテ(ラの誤りか)イデント云?ノ下ツクトラル?ヲツブルキ人バロンハンスーイテン***ト云人アリ…… 今カレルヒイトインベルゲ****ト云、本草ニ精キドックトール医師長崎ヘ来リ此方ノ効アル事ヲ伝フナリ……其レヨリ日本ニ伝アリ訳士吉雄幸作永章吉雄作次郎永純茂吉節右衛門吉勝ノホカノ人々ニ伝アリ.…… 」とあり、ウィーンの医師ファン・スウイーテンが,1754年に公表した 0.104% 昇汞液であることが確認される.
メルクリユスワートル:水銀水
シンゲリス:不明,ロシア宮廷の侍医サンチェ(António Nunes Ribeiro Sanches, 1699 - 1783)か?
バロン・ハン・スーイテント:ゲラルド・ファン・スウィーテン(Gerard van Swieten1700 - 1772),オーストリア宮廷より男爵位(バロン)を与えられた.
カレル・ヒイ・トインベルゲ:ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828)

この駆梅薬の名称は,ゲラルド・ファン・スウィーテンGerard van Swieten1700 - 1772)に由来する.彼は、オランダに生まれ,ライデン大学で,「西洋の医師の半数を指導した」と言われるほど多くの優秀な医師を育てたヘルマン・ブールハーフェHerman Boerhaave, 1668 - 1738)の薫陶を受けた.後に臨床医学の大家としてオーストリアにマリア・テレジアの侍医に招かれ,オーストリアの病院や医学教育の改革を行い,「旧ウィーン学派」と呼ばれる学派をつくった.


彼は1742 年ブールハーフェの弟子であり,ロシア宮廷の侍医サンチェAntónio Nunes Ribeiro Sanches, 1699 - 1783)から,昇汞を主成分とする性病治療の内用水薬処方を入手した.これはサンチェが,ロシア人医師にシベリアの梅毒患者の治療に用いていた處方を教えて貰った處方であった.
スウィーテンは当時ウィーンでの梅毒治療の拠点であった聖マルコ病院(Spital zu St Marx)の医師ロッハーMaximilian Locher)に命じて,無差別の半年ごとの流涎療法に代えて,毎日四分の一から二分の一グレインの昇汞をブランデーに溶解した液を与えさせ,1754 から1762年に渡って4,880 人の患者での治験で,この處方の有効性を確認している.(参考文献 1.- 4.

スウィーテンは,後に Swieten’s liquor として知られるこの處方を,Kurze Beschreibung und Heilungsart der Krankheiten in dem Feldlager 軍営地に良く見られる病気の ” (1758) で公表し,この處方は,比較的安全かつ有効な薬物として英國、仏國、オーストリア、スウェーデンの各国の医療機関によって認められ,歐州中に拡がり,ツンベルクが日本に紹介したのであった.
1757 年に英国にこの療法を導入したのは,スウィーテンとライデン大学で共に学んだジョン・プリングル卿Sir John Pringle, 1st Baronet, 1707 - 82)であり,英国内の駐屯地の兵士の治療に絶大な効果があったと報告されている(Abraham Gordon ”Medical Observations and Inquiries”. vol. 1, 365-387 (1763)

スウィーテンは,”Kurze Beschreibung - - “ Von der Venusſeuche(梅毒について)” (p 156 – 166) の項の p 160 に,
“Der Patient muß frühe und Abends, einen Löffel voll von N. 66. einnehmen, und allezeit ein Pfund gekochtes Gerſten Waſſer, wozu der dritte Theil ſüße Milch vermiſchet worden, darauf trinken: das gekochte Gerſtenwaſſer mit Milch kann auch der Patient unter Tags an ſtatt des allge meinen Getranks trinken. Sollte aber die Milch hart zu bekommen ſeyn, kann man das Getrank N. 67. gebrauchen.” とある.
私訳「患者は早朝と夕方に,匙一杯の處方 66 の藥を服用し,(その後)常に一ポンドの gekochtes Gerſten Waſſer(挽き割り燕麦の粥)に三分の一量の新鮮な牛乳を加えたものを飲むべきである.この牛乳入りの粥を一般的な日常の飲み物の代りに飲んでよい.牛乳の入手が難しい場合には,處方 67 を使ってもよい.」と,記している.

この處方 66 が昇汞の(ウィスキー等の)穀物蒸留酒溶液(スウィーテン薬酒)であり,牛乳入りの粥を食べさせるのは,その食物繊維と蛋白で,昇汞の急激な吸収を抑制させるためと考えられる.處方 67 は,ウスベニアオイとカンゾウの根の煎剤であり,甘味をつけた多糖類のとろみで牛乳と同様な吸収抑制の効果で,急激な血中水銀イオン濃度の上昇抑制を期待したのであろう.

その處方 66 處方 67 は,同書の p 197 – 8 に以下のようにドイツ語とラテン語で記されている.

66
66
66(私訳)
Nimm corroſiviſchen
 Rx. Mercurii ſubli-
処方:昇汞
Sublimat            12. Gran,
mati cörroſivi
12 グレイン
ſtarken Korn-Brandwein
gran. xij.
生(き)の蒸留酒
2. Pfund,
  Spir frumenti ſe-
2 ポンド
miſch, und laß es in ei-
mel rečtificati    lb ij.
両者を清浄なガラス製の器で混合し,昇汞が完全に溶解するまで静置する.
ner reinen und zugemach-
  In Phiala vitrea pu-
ten gläſernen Phiole ſte-
ra clauſa ſerventur ,
hen, bis der corroſiviſche
donec Mercur. ſublim
Sublimat gänzlich aufge-
ſponte ſolvatur.
ſet iſt.




67
67
67(私訳)
Nimm Eibiſch-Wurze
 Rx. Rad. Althaeae
処方:ウスベニアオイの根 
2. Unzen,
Unc. ij.
2オンス
laß in genugſamer Menge
  Bulliant in ſ.q. Aq.
大量の水で一時間加熱煮沸する
Waſſer eine Stunde ſie-
communis per horam,

den, zuletzt gieb darzu
ſub finem addendo
最後に皮をむいた甘草の根
         1オンスを加え
固形物を除き
abgeſchältes Süßholz
  Glycirhiz. raſae .
1. Unzen,
Unc. j.
hernach ſeiche es ab, und
colat. lb. iv. exhibe.
das Ueberbleibſel
ſponte ſolvatur.
4. Pfund,

4 ポンド(に煮詰め)
gieb zum Gebrauch

用いる.

なお,ここで用いられている重量は,いわゆる薬衡(apothecaries' system)の単位で,現在のメートル法とは異なる.
Weight
pound
ounce
dram
scruple
grain
(abbreviation)
()
()
(drachm) (ʒ)
()
(gr)
単位
ポンド
オンス
ドラム
スクループル
グレイン
 
1
12
96 ʒ
288
5,760 gr
 
1
8 ʒ
24
480 gr
 
 
1 ʒ
3
60 gr
 
 
 
1
20 gr
metric equivalent
373 g
31.1 g
3.89 g
1.296 g
64.8 mg


このシステムに従えば,スウィーテンの處方66 では,12グレイン(0.78 g)の昇汞を, 2 ポンド(746  g) の蒸留酒に溶かすので,この薬酒中の昇汞濃度は 0.104 % となる.

この薬酒の處方は,その後,昇汞濃度や投与量・服用時期は同じであるが,水溶液に変えられ,刺激性を和らげるためか,砂糖や蜂蜜が加えられた.
ツンベルクが通辞達に教えた駆梅薬の昇汞水溶液の濃度も,スウィーテン薬酒と同じく 0.104 % であった(参考文献 4).

参考文献
1.    José Luis Doria "Antonio Ribeiro Sanches A Portuguese doctor in 18th century Europe" Antonio Ribeiro Sanches, Vesalius, VII, 1, 27 – 35 (2001)
2.    Michael Waugh "The Viennese contribution to venereology", British Journal of' Venereal Diseases, 53, 247-251 (1977)
3.    Jonathan Pereira (1804 - 1853) “THE ELEMENTS OF MATERIA MEDICA; - - “ (1839)
4.    高橋文『18 世紀西洋の医学・薬学を日本へ導入したツュンベリー』薬史学雑誌 482),99-1072013