2017年1月28日土曜日

オシロイバナ-10 広川獬 『蘭療方』 『蘭療薬解』 ヤラッパは黴瘡(梅毒)治療補助薬,火炭母と誤考定

Mirabilis jalapa

陰陽既濟爐 RETORT
長崎の吉雄耕牛 (17241800) の門で蘭方をまなんだ広川獬(ひろかわ-かい,生没年不明)が著わした西洋の内科療法を記した『蘭療方(1803) は,『郎瓦児粤邉貌窟(ランガレーヘンブツク)Lang leeven boek?』を原書とはしているが,ネットで調べてもよくわからない.この書では,疾病を「傷寒」「頭痛」「腹痛」「痢疾 附泄瀉」に大きく分け,それぞれを病状ごとにいくつかに分け,それぞれに主に薬物による治療法を簡単に記述している(計 312 方).また,蘭療に使われる器具(舌鎮など)や薬品の製造器(密氣銚 蒸留器,後のランビキ,陰陽既濟爐 RETORT 右図 など)の図もつけられている.

同人による文化二年(1806) の『蘭療薬解』の典拠は不明であるが,上記『蘭療方』で用いられた 324 種の蘭療薬を,和名のイロハ順に並べ,蘭語を上に置き,その主効を記した.また,本文には広川獬の漢方知識によると思われる注釈が付記されている.

この『蘭療方』で,ヤラッパは「黴瘡」即ち梅毒の治療に内服する「須布里馬蔑母傑設児(スユプリマノムケセル)」(塩化第二水銀(昇汞)製剤)の副作用を軽減する補助薬-吐劑として処方されている.以下に,本書での「黴瘡」「須布里馬蔑母傑設児(スユプリマノムケセル)」「亜辣捌(ヤラツパ)」の項を記す.
また,『蘭療薬解』での上記「須布里馬蔑母傑設児(スユプリマノムケセル)」の主剤である「須布里馬(スユプリマ)」及び「火炭母(ヤラッパ Jalappa)」の項を記す.

蘭療方「黴瘡」
蘭療方』「傷寒」

黴瘡
黴瘡。謂之 私班設朴窟(スハンセポツク)。是由或感觸烟瘴湿-*
染賣-妓穢惡。以内欝經久遂醸成此症也。
療例。毒在表者。驅発遂散為主。毒在裏者。疏通
瀉利為主。又誤治經久屬黴労者。解毒兼滋潤
要。蓋黴瘡為頑毒。要用王法取中寛-若用
速験者。反致廃痼之症。今滔々乎皆然也。」(左図 WUL)

*1632年に中国で書かれた『黴瘡秘録』という本のなかで、黴毒の原因は次のように説明されています。つまり、広東の近辺には湿気が多くて、マラリアをおこす湿っぽい雨がよく降ります。その食べ物はいつも辛くて熱い。蛇とか虫とかが非常に多くて、あちらにもこちらにも、ものが腐っている。このような環境のなかで男と女が淫れると「淫熱」、つまりミダレタネツの邪気が生じてきます。淫熱の邪気がつもってくると毒瘡がおこります。この毒瘡の傷口と接触すると伝染します。(中略)そしてこのときから19世紀の半ば頃まで、中国でも日本でも黴毒が湿っぽい環境とも淫らな性行為とも連想されるようになりました。」(『日本疾病史考 ー「黴毒」の医学的・文化的概念の形成ー』William D. Johnston(ウィリアム D.ジョンストン) 米国・ウェスリアン大学歴史学部助教授,日文研フォーラム 47回 1993).

SUPLIMATUS MENGZEL (シュプリマチュス メンゲセル)
須布里馬蔑母傑設児(スユプリマノムケセル)主前症更甚者 須布里馬點
私(スプリマチュス)二分。製造法。丹礬。水銀。硝石。食塩。礬石各四戔以米醋少許研匀。焼飛如製生々乳
須布里馬試真假法。點石灰水中。紅恰如血爲真也。 大黄汁 百戔 
蜂蜜 四十戔 右三味。先研須布里馬一時。次
合二味。更研一時。分冷-服用。朝午夕三次。一七
服尽。禁-忌魚肉酒酪餅油。食麥粥。以調-
可。」(右図 WUL)
*布:原書では(扌+布)

Jalapa (ヤラツパ)
亜辣捌(ヤラツパ)
須布*里馬為物。大孟烈也。故服後必用此方。以解藥毒。或諸藥煩者。亦主之。加
芒硝更可 火炭母 研一戔 蘩縷汁 生用搗絞取十戔
大黄汁 生用。五戔。若無則 乾物煎取亦可。
右三味。研匀。分三次冷服。」
*布:原書では(扌+布)
『蘭療薬解』

[久]
ヤラッパ Jalappa 火炭母
主効 解熱毒大便。若無則紫茉莉根之可。」(右図 WUL)

[寸]
メルキュリス・スユプリャテュス・コロロシヒュス Mercurius Suplimatus Corrosivus 須布里馬(スユプリマ)
主効 性猛烈。傳貼シテ能破肉流濁。又大麻風黴毒瘡法服。製造服法見蘭療方大麻風。」(左図 WUL)
*大麻風:ハンセン病

広川獬は,ヤラッパをタデ科の「火炭母」と誤考定していたが,李時珍『本草綱目』における「火炭母草」の「主治」は「去皮膚風熱,流注骨節,癰腫疼痛。不拘時采,於 器中搗爛,以鹽酒炒,敷腫痛處,經宿一易之(蘇頌)。」であり,京都光華女子大学短期大学部の美濃順亮教授は,火炭母は「清熱解毒,利湿,消滞に効能があり、痢疾,腸炎,消化不良,肝炎,扁桃体炎,咽喉炎,瘡腫,湿疹,帯下,白喉、細菌性陰道炎等に使われ、」ているので,ヤラッパとは「主効は基本的に一致する。」としている.(「江戸期における薬学 : 第一報『蘭療薬解』詳解」,京都光華女子大学短期大学部研究紀要 vol.47, pp.61-103 (2009)
廣倭本草 NDL


直海元周(龍)『廣倭本草』巻之三(1759)に「火炭母草 和名ヲシロイ 花王思儀三才圖會云
 火炭母草ス南--州原--中ニ 味-平無レ毒 去リ皮膚風-熱流-注骨-節,癰---痛。莖赤而柔,似大蓼。葉端尖,近方夏有白花 秋實如菽,黑色,味甘可食 又云花紅黄白三種共根似タリ烏藥 コレ即今ノヲシロイバナナリ 仙臺ニテハ秋ザクラトモ云ナリ」とある(右図,NDL).
宇田川玄随は『内科撰要 12巻 (1798)』で “Resinae Jalapae,” は「火炭母根脂」と考定していて,ヤラッパはオシロイバナだが,その根に輸入品ほどの薬効がないのは,日本の気候が根が大きくなるほど暖かくないからだとしている.
宇田川玄真 (1769-1834) 著,宇田川榕菴 (1798-1846) 校補『遠西醫方名物考』(1822) 第36巻『遠西名物圖』には撰要で取り上げられた薬物の図が収載されているが,「葯剌巴」の図は「オシロイバナ」である.(オシロイバナ-4)

2017年1月23日月曜日

オシロイバナ-9 紫茉莉 ヤラッパ シーボルト門人 高良斉「蘭法内用薬能識」,日高凉台「和蘭用薬便覧」「附録」

出島のオランダ商館の医師として 1823-29 年赴任していたシーボルトに,オランダから与えられた課題のひとつに.西洋医薬品の日本への輸出拡大のための工作があった.この目的のため弟子の高良斉に薬品応手録という簡単な説明をつけた薬品目録を作らせ.文政九年 1826)のカピタン江戸参府旅行の随行の時.各地の日本人医師に名刺代わりに配った.内容はヨーロッパで常用されている薬草とその代用品に加え,二,三の新薬を収載したもので,洋薬の宣伝普及が一つの目的ではあるが,これにより洋薬の使用法がはじめて公にされた意義は大きい.この冊子や鳴滝に於いて行った診療や講義の記録『蘭方口伝(シーボルト験方録)』の効果もあって,蘭藥の処方も増え,輸入量も増大したらしい.

しかし,『薬品応手録』はあまりにも簡便で,禁忌や副作用の記述が少なく,治療効果が上がらなかったためか,輸入されたオランダ語の医学書に基づいて,門人の高良斉「蘭法内用薬能識1836 と日高凉台「和蘭用薬便覧1837の解説書が出版された.
この二書にも,「ヤラッパ」は「峻下劑」として記載され,「紫茉莉」と和名が考定されている.しかし,「和蘭用薬便覧」の「附録」では,凉台は「(和産の)紫茉莉(オシロイバナ)を用いたが,薬効が認められなかった.舶来品を用いるべき」としている.

同じシーボルトの門人,伊藤圭介 (18031901) は,その七年前に出版した『泰西本草名疏』(1829)において,「MIRABILIS IALAPPA. LINN. オシロイバナ 紫茉莉 ○尋常藥用ノ「ヤラッパ」ハ蓋シ旋花甘藷ノ類ニシテ CONVOLVUS. ナリ先輩紫茉莉ニ充ルノ説誤ナルベシ」と明記していたが,この知見は門人の間でも,共有されていなかった.

この『薬品応手録』の内容は余りにも簡便であったが,日本人医師は長崎へ洋薬をどんどん注文し,配合禁忌などを無視した処方が多く出た.高良斉(前記事参照)は責任上,十年後の天保七年(1836)に『蘭法内用薬能識』という小冊子を発行した.

この書の序文で,大坂の宗学の学者・篠崎小竹*は「蘭法が伝来してより我国の医人は,往々蘭法の多効に喜び,言葉巧みに諸人に試し病人に出費させている.その上,斃れた原因を理解していない.これはよく見られる事象で禁じなくてはならない」(中西淳朗釈文)というほどであった.
このような風潮を正すために,『蘭法内用薬能識』は,「藥品列次并至主能禁症用法合藥之品大氐倣法列兒(ハツレル)人名 藥品精約 千八百二十二年著 之例伹如小有異同者原于伊百乙(イベイ)人名 ●(幣の巾を足)結兒(ベツケル) 福烏篤(ホウト)共和蘭當時名毉 等之説記焉」の蘭書を参考にし(凡例の記事),『薬品応手録』では,順不同に並列されていた薬品・薬物を「根,草,木・皮,花,子實,脂膠,動物,酸精,灰汁塩,中和塩,金石并製品,越畿(エキス),舎利別(ストローブ:シロップ),昆設兒父(コンセルフ**),醋酒製,油 礆,丁幾(チンキ),露水,●(竄?)精(スピリット)」と由来・性状に分けて記述し,「作用,禁忌,投与量,副作用」に言及している.

*篠崎小竹 (17811851) 江戸後期の儒学者.大坂の人.名は弼(ひつ).篠崎三島に師事、同家の養子となり、のち、江戸で古賀精里に学んだ.帰坂後,家塾梅花書屋をつぐ.詩文,書にすぐれ,頼山陽らとまじわった.
**コンセルフ:花果根草の類を砂糖と和したもので,医薬としても食物としても用いた.
NDL 高良斎 薬能識 天保7序 紫茉莉

この書において,高良斉はヤラツバ(ヤラッパ)を紫茉莉(オシロイバナ)と同定したうえ,
「【紫茉莉】 ヤラツバ
【能】衝動,強下,利水,駆虫 【禁】多血,実性,焮腫,痔疾,敏性. 【用】末 三■至卅■
【合】下利 蛤,芒,純 驅蟲 纈,海,駆」(上図左端)記した.

■=ケレイン(前記事参照)


また,シーボルトの弟子の日高凉台***17981868)は、高良斉編の『薬品応手録』が簡便なので、モスト***の『医事韻府書』等にならって蘭法の内科藥を,「發汗,湧吐,峻下,通下,利尿,壯神・鎮痛,衝動・鎮静,麻神・鎮痙,緩和・和胸,清涼,健胃,温胃・驅風,制酸・清潔,強心,強壮・防腐,収歛,調經,驅虫,〇(疒+ )毒,解凝分泄」と薬効区分し,これに従って配列して,正しい用法を記し,天保六年に書き上げた。

この原稿は天保八年(1837)に「和蘭用薬便覧」と題して刊行され,序文には「凉台老人(日高凉台)は、この種の小冊子は小澤瑣言ばかりで公刊するに値しない。発刊すれば町医は簡便に走り医の大本を忘れるから刊行は不可であると言った。私はこの本が用薬に非常に便利で、町医が上手に用いれば治療功者になる。それは仁術への近道ではありませんかと主張して出版にこぎつけた。」姪の日高信が書いている.(中西淳朗釈文)

***日高凉台:江戸時代後期の蘭方医.京都で新宮凉庭(しんぐう-りょうてい)に,長崎でシーボルト,吉雄権之助にまなぶ.大坂で開業し,のち故郷の安芸 竹原で眼科の診療に従事した.名は精,惟一.字(あざな)は子精.別号に六六堂など.

日高涼台『和蘭用薬便覧』天保8刊 NDL
****モスト:Most, Georg Friedrich von17941832)ロストック生れのドイツ人でゲッチンゲン大学で医学を修めた.1826年郷里のロストックで講師の資格を得て後には教授となった.文筆に長じていたとみえて著述が多く,いくつかの通俗医書を公けにしている. Encyklopädie der Volksmedicin. Oder Lexikon der vorzüglichsten und wirksamsten Haus- und Volksarzneimittel aller Länder”(原著,ドイツ語),” Encyclopedisch Woordenboek der Practische Genees”(蘭訳本)Most, Georg Friedrich von Georg Friedrich Most (Autor), Karl Frick (Einleitung), Hans Biedermann (Einleitung) 『医事韻府書「穆氏薬論,穆氏医事韻府」』

この冊子の本編では,藥品・薬物を「發汗,湧吐,峻下,通下,利尿,壯神・鎮痛,衝動・鎮静,麻神・鎮痙,緩和・和胸,清涼,健胃,温胃・驅風,制酸・清潔,強心,強壮・防腐,収歛,調經,驅虫,●(疒+ )毒,解凝分泄」とその薬効別に分類して,医師が使いやすいようになっている.


彼は「紫茉莉=ヤラッパ」を「峻下」の作用のある草の根と分類し,その粉末及びチンキ(アルコール抽出液)の大人及び小児への投与量,服用法(飲み薬),薬効,主な適応症,更に禁忌を記している.



蘭 和
    便   




薬 劑
分量
分量
用法
能力
主 症
禁 症


大人
小兒自二


至五
草 根
紫茉莉根(ヤ ラッ パ)
自二十■
自五
仝 前*
峻下
便秘,尿閉
多血、●腫

至三十■
至十
刺戟
  蛔虫、
痔疾、敏性


(チンキチュール)
自二戔
自五分
仝 前
仝 前
仝 前
仝 前


至四戔
至一戔

 *
仝前:「湧吐」「吐根末(イベカクアンナ.ブラーク.オルトル)」と同じ「水服」
■:ケレイン(前記事参照)

別の姪・源道光が序文を書いている四巻からなる「附録」には,本文に記載された用語や単位の解説,薬物・薬品の詳細と,製剤の製法などが詳しく述べられている.

日高涼台『和蘭用薬便覧附録其四』天保8刊 NDL
「紫茉莉根」に関しては,「(ヤラッパに)紫茉莉(オシロイバナ)ヲ以テ是ニ充ツ」その根の「形状異ナラサルカ如シ」.自分がオシロイバナの根を「試ルニ効驗ナシ」と,実際に用いた経験から,オシロイバナには,薬効がないので,舶来品を用いるか,同様な薬効を持つ「甘遂(Euphorbia kansui トウダイグサ科のカンスイ)・大戟(Euphorbia pekunensis. トウダイグサ科のタカトウダイ)」を用いるべきだ.として,生半可な知識でオシロイバナを用いる事へ警鐘を鳴らしている.

「和蘭用薬便覧 附録 上」
「〇下劑
紫茉莉根
原名「ヤラッピ」是レ印度地方及ヒ南亜墨利加(アメリカ)洲ノ諸國ニ産スル一種ノ草根ナリ或ハ紫茉莉ヲ以テ是ニ充ツ形状異ナラサルカ如シ然モ之ヲ試ルニ効驗ナシ舶來ノ品ヲ用ユヘシ或ハ甘遂・大戟ヲ以テ代用ス其効却テ相類セリ
仝丁幾
葯剌巴(ヤラッパ)              適宜  焼酒  八倍
右剉ミ浸出スルコト六日渣ヲ去リ収メ貯フ
仝脂
葯剌巴粗末  三百八十四戔        焼酒  九百六十戔
右硝子壜ニ内レ沙火上ニ置キ時々振蕩シ浸スコト三日濾テ液ヲ取リ又タ其滓ニ焼酎九百六十戔ヲ加ヘ沙火ニ置クコト前法ノ如シ搾リテ液ヲ取リ前液ト合シ静定シテヲ去リサラニ濾過シテ蒸露水七百六十戔ヲ加ヘ蒸露罐ニ内レ文火ニテ蒸露シ盡ク其焼酒ヲ滴シ去レハ其脂罐底ニ残ル是ヲ取リ水ニテ洗ヒ其水少モ味ナキニ至リ脂ヲ取リ又タ是レニ焼酒少許加ヘテ溶シ文火ニ上シ乾シ貯フ」

この「ヤラッパ(葯剌巴)≠紫茉莉(オシロイグサ)」は,既に伊藤圭介 (18031901) がツンベルクの『日本植物誌』に基づいて著した『泰西本草名疏』下 八(1829)において, Mirabilis jalappa について,「MIRABILIS IALAPPA. LINN.** オシロイバナ 紫茉莉 ○尋常藥用ノ「ヤラッパ」ハ蓋シ旋花甘藷ノ類ニシテ CONVOLVUS. ナリ先輩紫茉莉ニ充ルノ説誤ナルベシ」とあるが,蘭医の処方にはいかされなかったようである.

参考資料:中西淳朗『高良斉「蘭法内用薬能識」と日高凉台「和蘭用薬便覧」の用薬倫理をめぐって』日本医史学雑誌第50巻第4(2004)

オシロイバナ-8 シーボルト『薬品応手録』 ヤラッパ 鬼茉莉