2017年1月15日日曜日

オシロイバナ-8 シーボルト『薬品応手録』 ヤラッパ 鬼茉莉

施福多先生文献聚影
 (シーボルト文献研究室,1926)
「シーボルト三十三歳の時の像
歸国の時日本に遣し置きしもの」
NDL
出島のオランダ商館の医師として 1823-29 年赴任していたシーボルトの目的の一つは,当時先細っていた日蘭貿易を復興させるために,オランダへの輸出に適した日本の特産物を調査することにあった.その手段として彼は多くの日本人学生を集め,最新の自然科学や医学的知識や技能を伝える一方,学生たちからは「博士論文」と称して多くの人文・自然科学の情報を提供させ,また,多くの本草学者と交流して日本産の植物の図譜や標本を蒐集し,後に “Flora Japonica” を刊行した.

一方,オランダから与えられた課題のひとつに,西洋医薬品の日本への輸出拡大のための工作があった.
ヴュルツブルク大学で,外科・産科・内科の博士号を取得して,開業の経験もあるシーボルトは,鳴滝に開いた塾などにおいて医学の講義と外科手術を行い,薬物を用いて内科の多くの疾病を治療しただけでなく.腹水穿刺.陰嚢水腫.兎唇.乳癌などの手術をおこなった.さらに産科鉗子を用いて分娩を行い.ベラドンナで瞳孔を開大して眼科手術を行うなど当時最先端の医術を伝授した. この教育も,西洋医薬品の日本への輸出拡大に役立ったと思われる.
医家先哲肖像集 高良斎 NDL

更に,この目的のため弟子の高良斉に『薬品応手録』という簡単な説明をつけた薬品目録を作らせ.文政九年 1826)のカピタン江戸参府旅行の随行の時.各地の日本人医師に名刺代わりにくばった.このことはシーボルト自身の旅日記(旧暦一月二十二日の下関の項)に.「外国の薬品を買わせる目的」のための簡明目録を.彼が出費し高良斉が和訳発行したと述べている.内容はヨーロッパで常用されている薬草とその代用品に加え、二、三の新薬を収載したもので、洋薬の宣伝普及が一つの目的の様であるが、これにより洋薬の使用法がはじめて公にされた意義は大きい。

この,『薬品応手録』及び高弟による解説書『薬能識』『和蘭用薬便覧』,鳴滝でのシーボルトの講義を記録した門人の『蘭方口伝(シーボルト験方録)』にも,ヤラッパの記事があり,シーボルトがヤラッパの薬効を重視していたことが伺える.

1. 薬品応手録』刊行の経緯
 和訳:ジーボルト著,斎藤信訳『江戸参府紀行』東洋文庫 87 平凡社,
 独文:P. F. von Siebold “Nippon1832-1882 (2. Auflage; 2 Bände)” (1897)

「われわれはその(府中侯の)医官に若干の新しい薬品と一冊の小さい本とを贈った。その本にはわれわれが日本で発見したのだが、ヨーロッパの学界ではすでに普通用いられている薬草とその代用品および二、三の新しく紹介された治療薬のことが書いてあるもので、薬品応手録』(Jak bin-wo-siu-rokuという題で、簡明な薬品目録のことである。阿波出身の我が門人高良斎が日本語に翻訳し、序文をつけわれわれの責任において大坂で出版したものである。われわれはこの本を数百部配ったが、日本国内にも産する効能のある薬草ならびにほとんど大部分知られていない外国の薬剤にまで医師の注恵を向けさせ、外国のものを買わせる目的があったのである。その中にはたとえばジャワで解熱剤・下痢止めとして使用し、おそらくよい輸出品自となっているかもしれないAly-xia Reinwadti の皮、さらにジギタリス・ガイソウ〔ユリ科の薬用構物〕・ベラドンナ・ビオスでそれらの品はわれわれが来る以前には日本ではまだ知られていなかった。しかしアラク酒〔米から醸造したインドの酒〕・カヤブート油・コーヒーのこともわれわれの薬品応手録の中に忘れずに記しておいた。コ-ヒーの効能についてはとくに注意を払った。」
 “Wir beschenkten den Archiater mit einigen neuen Medikamenten und einem Büchlein, worin die von uns in Japan aufgefundenen, in der europäischen Schule gebräuchlichen Medizinalpflanzen, oder deren Surrogate, und einige neueingeführte Heilmittel verzeichnet und beschrieben sind. Das Büchlein, welches den Titel führt Jak bin-w¯o-siu-roku, Bündiges Verzeichnis der Medikamente, war von unserm Schüler Ko Rosai aus Awa ins Japanische übersetzt, mit einer Vorrede begleitet und für unsere Rechnung zu ¯Osaka gedruckt worden.Wir haben davon mehrere hundert Exemplare ausgeteilt in der Absicht, die Aufmerksamkeit der | 126 Ärzte sowohl auf wirksame | auch in Japan einheimische Medizinalpflanzen, als auf einige bis dahin wenig oder gar nicht bekannte fremde Arzeneimittel zu lenken und letztere in den Handel zu bringen. Es befand sich darunter z. B. die Rinde der Alyxia Reinwardti, welche man auf Java als Mittel gegen Fieber und Durchfälle anwendet, und die wohl einen guten Ausfuhrartikel abgeben könnte, ferner Fingerhut (Digitalis), Squilla, Belladonna und Hyosciamus, welche Arzeneimittel vor uns auf Japan noch unbekannt waren. Aber auch Arrak, Cajaputöl und Kaffee waren in unserm Traktätchen nicht vergessen ; auf die Heilkräfte des Kaffees machten wir besonders aufmerksam.”

この『薬品応手録』についての言及は同書の三月一四日(旧二月六日)の大坂滞在時の記事にもあり,

「私はたびたび医師の訪問をうけたが、彼らのうちにはこの町の最も著名な医師の何人かがいた。皆ヨーロッパの薬学に対して夢中になっていた。また京都から、私と文通していた友人が訪ねてきて、贈物にと天産物を携えてきた.ちょうど私は、長崎出発前に編纂して,門人の高良斎が日本語に翻訳してできたばかりの局方の本を直接受け取った.
“Ich empfange häufige Besuche von Ärzten, unter welchen sich einige der angesehcmten dieser Stadt befanden, alle beseelt von iiegeisterimg für die europäische Arzeneiwissenschaft. Auch von Kioto kommen mit mir in Briefwechsel stehende Freunde und bringen Naturalien zum Geschenke. Eben erhalte ich direkt aus der Presse eine kleine Materia medica, die ich vor meiner Abreise von Nagasaki verfafst, und die mein Schüler Kiso Riosai ins Japanische übersetzt hatte.

上記二つの記事では,『薬品応手録』の出版物の受け取り時期が配布時期より遅いという食い違いがあるが,「(府中侯の)医官」の個人名も含め,この間の経緯の考察は,扇浦正義『『薬品応手録』の原本と写本』シーボルト記念館鳴滝紀要16, 86-101 (2006) に詳しい.

また,服部敏良氏はその著書『江戸時代医学史の研究』吉川弘文館 (1978))に於いて
「長府侯侍医
シーボルト紀行文には、長府侯侍医とのみ記し、姓名を明らかにしていないが、呉秀三氏は「参府紀行記補注」において、松岡思斎と推定されている。思斎の名は土蔵、字を道遠といい、永富独嘯庵*の従子という。毛利侯の殊遇を受け、文政九年(一八二六)五月没、年六十三歳。シーボルトは思斎に数種の新薬と一冊子を贈った。のち高良斎によって翻訳されて『薬品応手録』といい、大坂で出版された。」と記している.


*永富独嘯庵(1732 - 1766):江戸時代中期の医師。山脇東洋の門下であり、古方派の医師であるが、古方派に欠けるところは西洋医学などで補うことを主張した。長崎ではオランダ医学を吉雄耕牛に学んだ。30歳のとき大阪で開業し、多くの門人を育てるが35歳で病没した。(ウィキペディアより部分引用)

2. 薬品応手録』に収載されている薬品
高良齋が記した「薬品應手録」の序文には,「阿波  高良齋淡筆記
我 邦近世和蘭ノ學ヲ修スル者殊ニ盛也然トモ薬品ノ名物的営穏妥ナラス其缺之多キヲ以テ用ヲ爲ス事ヲ得ス學者之ヲ患ル事久シ吾シイーボルト先生海ニ航シ茲土ニ束リシヨリ和蘭用薬ノ法始テ明ナリ蓋シ先生唯學ノ深遠ナルノミナラス其志甚厚シ吾 邦外科ハ親受ノ方法ヲ傳フト雖トモ然トモ内科ハ未ダ垣牆ヲモ窺ザル事ヲ嘆キ 官ニ請テ病家ニ就テ親シク治療ヲ施シ従游ノ徒ニ面諭スル事諄ニトシテ倦マズ實ニ済世ヲ以テ巳カ任ト爲スト謂ベシ且ツ彼邦近世薬物分離ノ術盛ニ行レ其要ヲ撮ルガ故ニ其方法簡ニシテ従ヒ易シ平常用ル所ニ百餘品ニ過ギズ先生復其精粹ヲ撰シ一百餘品ヲ以テ其妙用ヲ尽ス事猶輪匾ガ斧ヲ運スガ如シ吾輩始テ和蘭醫術ノ眞面目ヲ見ル事ヲ得タリ今之ヲ梓行シテ以テ同志ニ示ス敢テ帳中ニ秘セザルモノ先生厚志ノ善ヲ掩ザルノ一端ノミ其薬品吾邦固ヨリ有ル所ノモ凡ソ三十品即チ」(外科に比べて内科の西洋医学の知識の普及が遅れていて,特に蘭藥の使用法には,誤りが多い.シーボルトの治療法を親しく見ていると,西洋では薬物分離の手法が発達しているので,常用している薬物は,(漢方薬に比べると少ない)100余りで,この百種の薬物をうまく使って治療に役立てている.その内日本に古来からあるのは30種餘である.)と以下に 73 個の薬物のリストを列挙する.このリストの10番目には「ヤラッパ 鬼茉莉」が挙げられている.

1
カルク
石灰
38
オレウムフユニキユリ
茴香油
2
スルフル
硫黄
39
オレウムリニー
百合油
3
 スルハスクプリ
硫黄膽礬合剤
40
オレウムメンタ
薄苛油
4
パルダナ
牛房根
41
アクワメンタ
薄苛水
5
カルムス
泥菖根
42
アクワチナーモミ
桂枝水
6
カリヨヒラタ
水楊梅
43
 アクワフエニキキユリ等ナリソノ餘
茴香水
7
ゲンチヤナ
龍膽
44
サフラン
泊夫藍
8
 エキスタラクトゲンチヤナ
竜胆膏
45
テリヤク
底里亜迦
9
ヘレニユム
木香ノ類
46
オピユム
阿片
10
ヤラッパ
鬼茉莉
47
サルアムモニヤク
磠砂
11
リク井リチャ
甘草
48
オクリカンクリ
刺蛄石
12
 ドロップ
甘草膏
49
キーナ
吉那
13
ラパルパルム
大黄
50
アロエ
蘆薈
14
ハレリヤナ
纈草
51
アサへチダ
阿魏
15
 テンキテルハレリヤナ
纈草瀹
52
カチュ
阿仙薬
16
ジンギベル
生姜
53
ミラ
没薬
17
メンタ
薄苛
54
カンフルバロシ
竜脳
18
ミレホリユム
耆根
55
ムシクス
麝香
19
アウランチユム
柑皮
56
カラッフルオリー
椰子油
20
 シルブスアウランチユム
柑舎利別
57
オリユムシユクシニー
琥珀油
21
タフ子
芫売花
58
スートオリー
膽八油
22
クウエルクス
大葉櫟
59
バルサムコッパイハ
抜児設謨骨湃博
23
サリクシ
水楊
60
バルサムベルヒアヌム
抜児設謨孛露非亜内木
24
 エキスタラクトサリクシ
水楊膏
61
アラビセゴム
亜刺弼泄牛護
25
カモミラ
野菊花ノ属
62
クワイヤク
愈瘡木
26
サムブクス
接骨木
63
スプリマート
猛汞
27
カムホラ
64
ペレチビタート
赤白両汞
28
ヘルボヒヌム
牛膽
65
カヤプーテイオリー
蛤雅○的泊
29
メル
蜂蜜
66
ジユム
人参
30
ニタラスポークセ
硝石
67
カ子-ル
桂枝
31
アルメン
礬石
68
ムスカートノート
肉豆蒄
32
フエルム
69
ペーベル
胡椒
33
 スルハスフエリ
鐵硫黄合
70
コロイトナーゲル
丁子
34
タラグサグム
蒲公英
71
アマンデルオリー
巴旦杏油
35
エキスタラクトタラクサグム
蒲公英膏
72
プーチョク
木香
36
シルブスパパフエル
罌粟舎利別
73
ヒットリヨールオリー
緑礬油
37
メルロサロム
玫瑰蜜

さらに,「(上記薬品)等ハ従来異邦ヨリ齎シ来ルカ故二我邦コレラ産セストイヘトモ人ミナ知ル所ナリ.又内部ノ諸疾ヲ治スルニ最モ緊要ナル諸品有即チ」と27個の薬品を挙げていて,簡単な処方を示す.前記リストと重複している薬物は「ヤラッパ 鬼茉莉」と「メンタオリー 薄苛油」の二個であるので,全体で98個の薬物が挙げられている事となる.
101
イヘカタアンナ
吐根
115
ゴウドズワーフル
金硫黄
102
ヤラッパ
鬼茉莉
116
プラークウェインステーン
吐酒石
103
サッサパリルラ
察撒八カ拉
117
マグ子シヤ
麻航海悉亜
104
チラ
疾刺
118
クマリンデユス
答麻林度
105
ヂキターリス
●(疒+先)吉答力斯
119
サポン
石鹸
106
ヒヨスチャームス
必欲悉雅木速
120
コッヒー
骨喜
107
イスランスモス
亦●(禾+公)蘭修謨斯
121
アリキシヤ
肉柱状ノ吉那
108
サルヒヤ
撒児非亜
122
アラク
亜拉吉酒
109
センナ
施那
123
ローウエン
赤葡萄酒
110
マンナ
満那
124
ラウダヌム
牢連敗誤
111
ウェインステーンシュール
酒石酸
125
メンタオリー
薄苛油
112
スルハスソーデ
奇効盟
126
ホフマン
法弗忙
113
ウェインステーン
酒石
127
スピリチュスニットリドリシス
緩硝石精
114
カロメル
蛤落滅児
上記 27 薬物に関しては,簡単な薬効と投与量が記されていて,「ヤラッパ・鬼茉莉」のそれは,「唆下劑 服量五■(ケレイン)ヨリ十六■(ケレイン)マデ」とある.
(■は右図の記号)

これら『薬品応手録』収載薬品の本態と薬効は,「薬の歴史>長崎薬学史の研究>資料>資料3:シーボルトの使った薬「薬品応手録」に収載されている薬品」(http://www.ph.nagasaki-u.ac.jp/history/research/material/material3.html)が参考になる.(但し シルブスパパフエル 罌粟舎利別 は漏れているようだ).

このように,『薬品応手録』には,「ヤラッパ 鬼茉莉」と記載されていたが,門人による解説書,高良斎『薬能識』,日高涼台『和蘭用薬便覧』では,いずれもこの生薬の和名は「紫茉莉」つまり,「オシロイバナ」とされていて,この混乱は続いていた.(次記事)

オシロイバナ-9 紫茉莉 ヤラッパ シーボルト門人 高良斉「蘭法内用薬能識」,日高凉台「和蘭用薬便覧」「附録」

オシロイバナ-7 『遠西醫方名物考』-2 ヤラッパと誤考定.ヤラッパの処方・主治.駆虫藥としても.葯剌巴華爾斯(ヤラッパ樹脂)の製法

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