2021年8月27日金曜日

ビヨウヤナギ (12.) 土殷孽-5,和-3.和漢三才図会,庶物類纂,物類品隲

Hypericum monogynum

 「土殷孽の粉」を水に混ぜるとビヨウヤナギの「切り花鮮度保持剤」として良いと記載している江戸末期から明治にかけての華道書がある(前記事).

この土殷孽(どいんけつ)とは,本来土中から発見される乳白色の管状の鉱物で,古代からの中国の本草書にも記載がある鉱物で,鍾乳石の一部が土中に生じあるいは埋まった物とされている.一方日本では,完全に対応する鉱物が見出されず,管状ではあるが赤褐色の砕けやすい,通称「高師小僧」と呼ばれる鉱物を指すようになった.上記,ビヨウヤナの鮮度保持剤として用いられるはこの高師小僧と思われる.

 中国の『三才図会』に倣った絵入り百科事典として,寺島良安が著した★『倭漢三才圖會』には,その「巻第六十一 雑石類」に(現代語訳島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,『和漢三才図会』平凡社-東洋文庫(1991))


石鍾乳 
(せきしやうにう)(しやうにうせき)
   留公乳 虚中 
   鵞管石 蘆石 
   黄石砂 夏石
『本草綱目』に次のようにいう.石鍾乳は洞穴の中に生じる.仰いで石脈の涌き起こる処をみると乳牀(にゅうしょう)がある.玉雪のように白く石液が融結してできるものである.その乳牀は下垂して,数峰の小山をさかさまにしたような形になっている.峰端は漸々(だんだん)に鋭くなってかつ長くて氷柱(つらら)のようで,柱端は軽薄で中空で鵞翎(がのはね)のようである.乳水はいつもぽたぽたとおちており,滴(したた)りそして凝結する.これが乳の最も精純なものである.竹管で仰ぎ承(う)けてこれを取る.大へんに軽明で雲母(きらら)のようで爪甲(つめ)のあるものを勝れているとする,と.
気味〔甘,温で毒はない.また毒があるともいう〕 咳逆(がいぎゃく)上気(のぼせて咳きこむ症)を治し,目をはっきりさせ,精を益し,五臓を安らげ,百節を通す.九竅(人体にある九つの穴)の通りをよくし,乳汁を下し気を益し,脚弱・疼冷を療し,陰を強くする.久しく服用すれば延命,寿命をのばす〔およそ石薬の気は悍(かん)であり偏(へん)である.くりかえし服用してはいけない.『(神農)本(草)経』では,久しく服用すれば延命の功ありと讃しているが,なずんではいけない〕.参朮(じんじゅつ)(白朮(びゃくじゅつ)一斤に人参(にんじん)四両の割合で作った煎薬)を忌む.これを無視して用いるものは多く死ぬ.
およそ果樹の根元に穴を掘り,鍾乳の粉末少しばかりを納(い)れて固く密閉すれば実は多く出来,味も美(よ)い.老樹の根皮の間に少しばかりを納れれば樹はまた茂る*.本当にそうであるなら,鍾乳は気を益し人に子を授ける薬となるというのも,類推しうるところである.
思うに,石鍾乳・鵞管(がかん)石は同一物である.それなのに,薬店で鵞管石といっているものは,中華の産である.色は白く中空で長さ一,二寸ばかり.折ると中に菊紋がある.石鍾乳と称するものはわが国の産である.色は淡白で透明で重く,長短があって一定していない.中に小孔があって末は尖っている.けれども現今売っているものは,末は尖っていない.各処の深山にあるが薩州(さつま)のものを佳とする.」とあり,また
孔公孽(こうこうげつ) 孔公石,または通石という
『本草綱目』に,孔公孽は鍾乳に次ぐものである.状は牛・羊の角に似て中に孔がある.これを通して石に付いて垂れており,木の切り株から出た芽のようである,とある.
気味〔辛,温.また異説もある〕 胃腸障害による消化不良や悪瘡を治す.九竅の通じをよくし乳汁の出をよくし,陰瘡で腰冷・膝痺なのを治す〔丸薬・散薬にできないので水煮にし,湯ならびに酒に漬けて飲む〕.細辛(さいしん)・朮(オケラ)を悪む.」とあり,更に
殷孽(いんげつ) 薑石(きょうせき)
『本草綱目』に次のように言う.陰月廃止の上に生じる.木の切り株から出た目の様でまた番決して生姜の様でもある.これは穴公孽の根である.ただ石に付いて生じるところは両者とも似ているが,粗いものを殷孽とし,殷孽に接して生じ,次第に空通するものを孔公孽とし,孔公孽に接して生じるものを鍾乳とする.ちなみに殷孽を人の乳根に見立てると,孔公孽は乳房に似て,鍾乳は乳頭に似ている,と.
気味〔辛,温〕 洩痢(げり)・寒熱を治す.瘀血(ふるち)の傷(そこな)ったもの・癥瘕(ちょうか)(腹中のしこり)・脚弱・疼弱を治す.」
石牀(せきしょう) 乳牀また逆石ともいう.また石笋(せきじゅん)ともいう
『本草綱目』によれば,石牀は石鍾乳の堂中に生じる.鍾乳の水が滴りおちて凝り,笋(たけのこ)の状のように積生し,久しくして漸々に上の鍾乳と相接して柱となったものである.その効用は殷孽と同じ,とある.」
石花(せきか) 乳花
『本草綱目』に,石花は鍾乳石の堂中に生じる.乳水は石の上に滴り霜や雪のように散って,日久しくすると積もって花のようになる.これが石花である,とある.」.そして
土殷孽(どいんげつ) 土乳
『本草綱目』に,土殷孽とは鍾乳石のある山崖の土中に生じるものである.南方の名山に多くあって,人はこれを掘って石山(ぼんさん)といって売り,玩弄具(おもちゃ)としている.それが土鍾乳なのかどうかよく分からない,とある.」と記されている.

この書では「石鍾乳」に「しやうにうせき」の読み仮名が振られたが,その他の鉱物は漢字読みで,和名は考定されていない.説明もほぼ『本草綱目』のままで,良安のコメントは「石鍾乳」の「△按」以下の薬種商で売られている物品と日本での産地に関してのみである.

 最も信頼性の高い和刻『本草綱目』(若水本)の校定者,稲生若水が弟子の丹羽正伯とともに編んだ★『庶物類纂』(延享4 年(1747)成立)は,江戸時代中期に成立した日本の本草書.動植物・鉱物の中から薬効のあるものを選んで分類し,それぞれについて中国の文献から関係する記事を収集して記した書である.元禄10年(1697),稲生若水は加賀藩主前田綱紀から命を受け,『庶物類纂』の編纂に着手したが,正徳5 年(1715),若水は作成途中で病死し,のちに藩主綱紀も死去し,事業は中断した.それを惜しんだ8 代将軍徳川吉宗は,若水の弟子である丹羽正伯らに編纂事業の継続を命じ,延享4 年に完成した.全1054 巻(465 冊).平成8 年(1996)に国の重要文化財に指定された.


 この書の「石屬巻之十四」に,「石鍾乳」が,「石屬巻之十五」に「孔公孽」「殷孽」「土殷孽」「石花」「石狀」の項が収められている.中国本草書の引用で,漢文で記述されている.「石鍾乳」には,俗名として「脱客那各倭靂(ドケノコヲリ) 常陸州」とあるが,それ以外の鉱物には和名は記されていない.

土殷孽
                             一名土乳 唐本草

土殷孽
   
土陰孽味鹹無毒主婦人陰-蝕大-熱,乾-.生高山崖-
   
上之陰,色白如脂,採無時.陶隠居云此猶似---
    -
孽之類,故-亦有-但在崖上爾,今時有之,但不
   
-.唐本注云此即土乳-是也.出渭州鄣-縣三-交驛
   
西北坡平-地土窟中,見六十餘坎-人採處.土-人云
   
之亦同鍾乳而不發熱.陶及本經俱云在崖上
   
非也.今渭州不復採用.今按別-本注云此則土-
   
脂液也.生於土穴狀如殷孽故名土陰孽臣禹錫等
   
謹按蜀本注云今據-經所載既與陶註同而蘇説
   
獨異恐蘇亦未是 嘉祐補注本草
   
此即鐘-乳之生於山-崖土中者,南-方名-山多有之.人
   
亦掘爲石山,貨之充玩,不知其爲土鐘乳也.明東壁本草綱目
   

期の博物学書,平賀源内著★『物類品隲』(1763)宝暦13年は源内が師の田村元雄とともに1757年以来,5度にわたって開いた薬品会(物産会)の出品物,合計2000余種のうちから主要なもの360種を選んで,産地を示し解説を加えたもの.本文4巻,産物図絵1巻,付録1巻,計6巻からなる.第5巻の産物図絵は本文の中から珍品36種を選んで図示する.

薬品会とは本草家や医師,薬種商人などが手元の薬物や薬材を持ち寄って,その真贋や名称を巡って質疑応答を繰り返しながら情報交換をする会であったとされている.宝暦12 年に行われた5 回目を平賀源内が会主を務めている.東都薬品会と呼ばれる5 回目が開催された後に出版された解説目録書が『物類品隲』である.

 この書では『本草綱目』の分類方法を踏襲し,全2000 余種の中から厳選された360 種を巻之一に水部・土部・金部・玉部,巻之二に石部,巻之三に草部,巻之四に穀部・菜部・果部・木部・蟲部・鱗部・介部・獣部の順番で分類し解説している.そして巻之五は図絵であり巻之六は付録として人参培養法,甘藷培養并製造法,朝鮮種人参試効説が解説されている.よって『物類品隲』は薬品会の目録解説書以外の価値も備えた本である.


 この書の「巻之二 土部」では,「石鐘乳」には「和名ツラヽイシ」と和名があるが,「孔公孽」「殷孽」「石花」「石狀」「土殷孽」には,和名は記されていない.一方,源内は,別項にある「石髄」を含めて,七種は全て石液(鍾乳水,乳水)であると考察した.金銀を掘るか,もしくは石を穿った場合には中から石液が滲み出し,これが下垂して固まったものが鍾乳石であるとする.これは孔公孽・殷孽・石牀・石花も名は違うが同一物だとしたうえで,土殷孽は石液が土の中で固まったものであるとした.土殷孽は下野産のものが上品であると記した所を見ると,和産で土殷孽とみなされるものがあったのであろうが,鍾乳石と同一物とみなしたのであれば,色は白であり,高師小僧とは異なった鉱物と思われる.

 石鐘乳 和名ツラヽイシ深-洞幽-穴ノ中ニ生ス石-

 滴リテ氷柱(ツララ)ノゴトク下リ垂ル石ニ附タル所ノ本ヲ
 殷孽ト云中ヲ孔公孽ト云鐘乳ハ末ニ至テ細クシ
 テ透明ナリ○漢産上品○遠江岩水村産中品○豊
 後大野郡木浦山産上品○石見産上品

 孔公孽 鐘乳石ノ本殷孽ノ末ナリ○遠江産上品○
 信-濃木-曽白--根山産上品

 殷孽 鐘-乳孔--孽ノ根ナリ○遠江産上品○下野安
 蘇郡山菅村産中品

 石牀 附録ニ出タリ一-名石-笋蘇恭曰--水滴
 凝積シテ生 如ト鐘-乳ハ洞穴中ニ上ヨリ下リ生
 ズ石牀ハ上ヨリ乳-液滴落テ下ニテ凝タルモノナ
 リ其狀頗笋ニ似タリ

石花 附録ニ出タリ一-名乳花恭曰乳穴堂中
 乳水滴石上霜雪ト按ズルニ是レ亦石-牀ト一-
 物二-種ナリ凝積シタルモノハ石-牀ナリ迸散シテ
 凝タルモノハ石花ナリ○遠-江産上品ナリ鍾乳以-
 下五種其ノ本ハ一物又同ク洞中ニ生ズ精-粗本-末ヲ
 以テ名ヲ異ニスル耳 

土殷孽 東-壁曰-之生スル於山厓土-ト按ズ
  ルニ乳-水洞-穴中ニ凝ルモノハ鐘乳ナリ土中ニ凝モ
  ノハ土--孽ナリ○下野産上品

とある.なお,「東-壁」とは,『本草綱目』の著編者,明李時珍をいう.

2021年8月24日火曜日

11-ビヨウヤナギ(仮) 土殷孽-3,和-2.本草色葉抄,多識編,本草綱目-和刻本 七種,広益本草大成.土殷孽の和名はツチノイシノチ(土の石の乳)

 Hypericum monogynum

 ビヨウヤナギは生け花の花材として江戸末期から明治にかけて広く使われ,多くの華道書にその名前が挙がる.このビヨウヤナギの「切り花鮮度保持剤」としては,「土殷孽の粉」を水に混ぜると良いと記載されている(前々記事).

この土殷孽(どいんけつ)とは,本来土中から発見される乳白色の管状の鉱物で,古代からの中国の本草書にも記載がある薬物であり,鍾乳石の一部が土中に生じあるいは埋まった物とされている.一方日本では,完全に対応する鉱物が見出されず,管状ではあるが赤褐色の砕けやすい,通称「高師小僧」と呼ばれる鉱物を指すようになった.上記,ビヨウヤナの鮮度保持剤として用いられるはこの高師小僧と思われる.

 中国本草書の「土殷孽(土陰孽)」は日本の本草書にも古くから記載されているが(前記事),初期には「孽」の字が草冠を持つゆえか,「ホシワラビ」にされる等,適切な和名の考定はなかった.林羅山が『多識編』(1612) において,「土殷孽 今案ニ豆(ツ)知伊乃志乃知」と記し,「ツチノイシノチ(土の石の乳)」が土殷孽の和名と記したが,これは,単に土中に発見される鍾乳石(イシノチ:石の乳)という意味で呼んだもので,和名として一般的なものではなかったと思われる.が,本草書ではこの呼称を用いたものもあった.「土殷孽(土陰孽)」を現在の「高師小僧」と結びつけるのは,もっと遅れる.

 
 鎌倉時代の★惟宗具俊『本草色葉抄8(1284) は平安の『本草和名』をさらに発展させた本草薬名辞典である.すなわち,漢音読みのイロハ順に配列した薬物につき,『大観本草』での記載巻次とおもな条文を記して検索の便がはかられている.また,それ以外の薬名も『本草和名』から転録するほか,独自に『本草衍義』(1119)など各種漢籍より引用する.この書はまたかなりの薬物に片仮名で和名を注記するが,『本草和名』の同定と相違する場合もある.これは『本草和名』が『新修本草』を底本としたのに対し,より博物的記載に富んで絵図も組み入れた『大観本草』を『本草色葉抄』が底本とするので,和産物との同定精度が上がったからといえよう.

この書の「第二冊」には,
殷孽   同四云 辛溫无毒.爛傷瘀血.泄痢寒熱 鍾乳根也
             
一名薑石                          薫石 兼名苑*1
土陰孽  同五 味鹹无毒.主婦人陰蝕,大熱痂. 孔公孽之類之.色白如脂.土乳 此即〓又見上
孔公孽   證四 辛溫无毒 主傷食不化,邪結氣惡瘡. 殷孽根也
             
一名通石」と中国本草書の引用があるが,それぞれの和名は記載されていない.
*1
『兼名苑』ケンメイエン:中国唐の釋遠年撰とされる字書体の語彙集.亡失して伝わらない.本草和名,和名抄,類聚名義抄に多く引用されている.

 


★『多識編(1612) (再版 16301631) は,江戸時代初期の朱子学派儒学者,林羅山(1583 - 1657)が,明の林兆珂が『詩経』中の動植物を分類して注を施した『多識篇』に倣った書で,『本草綱目』から物の名を抜き出し,万葉仮名で和訓を施したもの.

この書の「巻之一石部第七」に
石鍾乳 伊志乃知 異名 留公乳 別-録」
孔公 今案伊志乃知乃比古波恵(ハエ)又タ云ク伊
志乃知乃宇豆於阿那(アナ)
殷孽 今案伊志乃知乃久幾(キ)又云ク波知可美(ミ)
 伊志  石床今案伊志乃知乃登古
 石花 伊志乃知乃波那  石骨 伊志乃知
 乃保祢」
土殷孽 今案ニ豆(ツ)知伊乃志乃知」とある.

即ち,「石鍾乳」には「イシノチ(石の乳)」,「孔公孽」には「イシノチノヒコハヘ(石の乳のひこばえ)」,「殷孽」には「イシノチノクキ(石の乳の茎)」,そして「土殷孽」には「ツチノイシノチ(土の石の乳)」の和訓を充てた.「石鍾乳」の和訓を「イシノチ(石の乳)」としたのは,丹波康頼(912 995)著『医心方』(984)で,「石鍾乳 和名伊之乃知」が先行するが,この時,それ以外には,和訓はなかった.羅山は「石鍾乳」を基に,それぞれの性状や産出状況を『本草綱目』から読み取って,和訓を当てはめたと考えられる.従って実際に,日本で「土殷孽」が産出され,「ツチノイシノチ(土の石の乳)」と呼ばれていたかは大いに疑問がある.

 初期和刻の★『本草綱目江西本①1637)では羅山の和訓に倣ったのか,その八巻「金石部」で,


「石鍾乳           イシノチ 
 孔公孽            イシノチノヒコハヘ,イシノチノウツヲアナ
 殷孽             イシノチノクキ ハシカミイシ
 土殷孽            ツチノイシノチ」
と和訓が施されている.「イシノチノウツヲアナ」は鍾乳石の穴が開いた部分からの名であろうし,「ハシカミイシ」は本文の釋名「薑石」の読みであろう.注目すべきは,「土殷孽」の図が,土中に埋まった巻貝のような『本草綱目』金陵本の図の復刻である事である.

「額田文庫蔵」の★『本草綱目武林銭衛蔵版②1653)は全52巻の明の1640年(崇禎13年)に刊行された武林銭衛蔵版の日本における翻刻版. 著者の堀内適斎(堀内素堂, 1801 - 1854)は,米澤藩の医師.藩校で学んだ後,江戸や長崎で蘭学を学んだ.封面と本草図を武林銭衙版で復刻し,その他は上記の江西版を重印した.この書の巻九では


「石鍾乳           イシノチ
  孔公孽         イシノチノヒコハヘ,イシノチノウツヲアナ
  殷孽          イシノチノクキ ハシカミイシ
  土殷孽         ツチノイシノチ」との和訓は江西本と同じである.「土殷孽」の図も,土中に埋まった巻貝のような『本草綱目』金陵本の図の復刻である.この図は以降の和刻本草綱目では見られない.

同一の版木を用いたと思われる和刻★『本草綱目承應二年版➂1653)でも,


「石鍾乳 イシノチ
 孔公孽            イシノチノヒコハヘ,イシノチノウツヲアナ
 殷孽             イシノチノクキ ハシカミイシ
 土殷孽            ツチノイシノチ」の和訓は同じであるが,注目すべきは「土殷孽」の図が,突き出た崖の端から垂れた鍾乳石のような図になっている事で,これは中国で出版された『本草綱目』の後継版に由来すると思われる.

 万治2 (1659) に板刻された★『本草綱目松下本④1659)では,本文の「石鍾乳,孔公孽,殷孽, 土殷孽」に,和訓はなく,「土殷孽」の図が,突き出た崖の端から垂れた鍾乳石のような図になっている.


この書では「金石部」に限らず,一切和訓は施されていないようである.返り点を除いては,より当時の中国から来た最新の『本草綱目』を忠実に復刻した書と思われる.

一方,この版の「金石部」が筆写で充当された★『本草綱目松下本⑤が残されているが,この書には



「石鍾乳 ツラヽイシ イシノチ イシノツラヽ
 孔公孽       イシノチノヒコバエ,イシノチノウツヲアナ
 殷孽        ハシカミイシ イシノチノクキ 
 土殷孽       ツチノイシノチ イシダイコ ツノヽクハセキ ナカイモイシ
と和名が追加されている.この『本草綱目』の所有者が,「金石部」がないので,書き写すとともに当時の和名を書き加えたと考えられる.赤字で記したのはそれまでの『本草綱目』には記されていない和名で,特に「土殷孽」の和名「イシダイコ ツノヽクハセキ ナカイモイシ」は,「高師小僧」の地方名であり,筆写されたのは,出版年よりかなり遅れた時期と考えられる.

 『大和本草』や『養生訓』の著者,貝原益軒が校訂したとされる★『重訂本草綱目貝原本⑥1672)では,


「石鍾乳 イシノチ
 孔公孽            イシノチノヒコバエ,イシノチノウツヲアナ
 殷孽             ハシカミイシ イシノチノクキ 
 土殷孽            ツチノイシノチ」
と,「江西本」の和名に追加や変更はなかった.

 ★岡本一抱『広益本草大成(1698) は,李時珍の『本草綱目』にもとづきつつ,和名や異名を載せ,「愚案」「修治」などの項目を立てて自説を加えるなどし,図入りでわかりやすく説いた.


この書の「巻之十八 ○金石部」に「石鍾乳」が『本草綱目』の記事を基に「使藥」「毒」「畏惡」「修治」の項目に分けて詳述されている.和名は記されていない. また「○金石部附録」には,「孔公孽(ゲツ)」「殷孽(インケツ)」「土殷孽」の項があり,ごく簡単に『本草綱目』の【氣味】と【主治】の記事が要約されている.また,「土殷孽」の記事の最後には「以上三孽石鍾乳之類也」とあるが,何れにも和名考定はされていない.
 「〔土殷孽鹹平,治婦人陰蝕(シヨク)大熱乾痂(カンカ)一 ○以上三孽石鍾乳之類也」

 ★稲生若水校『本草綱目若水本⑦1714

稲生若水(16551715)は江戸中期の本草学者で博物学の先駆者.江戸の人.名は宣義。福山徳潤に師事し,元禄61693)年金沢藩主前田綱紀に仕官し大冊『庶物類纂』の編纂に着手したが,未完に終わり,のちに門人の丹羽正伯らの手によって,延享41747)年に完成した.若水の本草学は薬物,食物にとどまらず動植物全般を研究する博物学へと進み,弟子の松岡恕庵や恕庵の弟子小野蘭山らに受け継がれた.


 若水が校正した本書は和刻本草綱目のなかで一番優れているといわれている.この書の「石部第九巻 石之三」には,「石鍾乳」「孔公孽」「殷孽」「土殷孽」の項があるが,「石鍾乳」に「イシノツラヽ」(石の氷柱)の和名があるのみで,他の三点に和名はない.

 和刻本草綱目の「土殷孽」の和名