2021年8月18日水曜日

ビヨウヤナギ (10.) 土殷孽-2,和-1.新撰字鏡,本草和名,医心方,康頼本草.土殷孽はホシワラビ(干蕨?)

 Hypericum monogynum

 ビヨウヤナギは生け花の花材として江戸末期から明治にかけて広く使われで,多くの華道書にその名前が挙がる.さらに,ビヨウヤナギの「切り花鮮度保持剤」として,「土殷孽の粉」を水に混ぜると良いと記載されている書がある(前記事). 
 この土殷孽(どいんけつ)とは,本来土中から発見される乳白色の管状の鉱物で,古代からの中国の本草書にも記載がある薬物であり,鍾乳石の一部が土中に生じあるいは埋まった物とされている.一方日本では,完全に対応する鉱物が見出されず,管状ではあるが赤褐色の砕けやすい,通称「高師小僧」と呼ばれる鉱物を指すようになった.上記,ビヨウヤナの鮮度保持剤として用いられるはこの高師小僧と思われる. 

中国本草書の「土殷孽(土陰孽)」は日本の本草書にも古くから記載されているが,現存する最古の漢和辞典,僧昌住編『新撰字鏡』では,草冠を持つ「孽」を名称に持つせいか,薬草「ホシワラビ(干蕨?)」に考定された.しかしその後の初期の和本草書には和名の考定はなかった.
  林羅山が『多識編』(1612) において,「土殷孽 今案ニ豆(ツ)知伊志乃知」と記し,「ツチノイシノチ(土の石の乳)」が土殷孽の和名と記したが,これは,単に土中に発見される鍾乳石(イシノチ:石の乳)という意味で呼んだもので,和名として一般的なものではなかったと思われる.が,本草書ではこの呼称を用いたものもあった.「土殷孽(土陰孽)」を現在の「高師小僧」と結びつけるのは,もっと遅れる.


★僧昌住編『新撰字鏡』(
892)は現存する最古の漢和辞典で,892年(寛平4年)に3巻本が完成したとされるが,原本や写本は伝わっていない.3巻本をもとに増補した,12巻本が昌泰年間に完成したとされ,写本が現存する.長く忘れ去られた書物であったが,18世紀後半に再発見され,1803年に刊行された(享和本).しかしこれは抄録本であり,後により原本に近い天治元年(1124年)の写本が発見された(天治本).古い和語を多く記しており,日本語の歴史の研究上できわめて重要である.

この「享和本」(出版享和3 (1803)年,書末に「原著宝暦13 (1763)年」の記あり.)の「草部五十九」に「殷●(薜の下に子) 於尓和良比」,「土陰●(薜の下に子) 保志和良比」,「孔公●(薜の下に子) 水不ヽ攴」とある(上図①)が,これらは中国本草書の「殷孽,土陰孽,孔公孽」に相当するのではないかと思われる.

更に,塙保己一編「群書類従 巻第四百九十七下」「雜部五十二」の「新撰字鏡」「草部五十九」では「●(薜の下に子)」の上下を独立させて

殷薜子  於尓和良比」「「土陰薜子  保志和良比」「孔公薜子 水不不支」となっている.(上図②)

一方,天治元年(1124年)の写本を基にした大正5年出版(六合館)の『新撰字鏡 天治本』の「新撰字鏡巻第七」「草部七十」「小學篇字及本草異名第七十一」「本草之異名」にも,「殷薜子  於尓和良比」「土陰薜子  保志和良比」「孔公薜子 水不不支」とはなっているが「薜」の下の「子」の独立性は「群書類従巻第四百九十七下」ほどではない(上図③).更に「聡明草 阿采奈殷薜子 於尓和良比土陰薜子 保志和良比孔公薜子 水不ヽ支,禹餘粮 宇支久佐,陽起石 波ヽ久利,白礜石 加波奈弥,金牙 阿志乃豆乃」については「已上 八種 无採時」とある.

「新撰字鏡」の「殷薜子」「土陰薜子」「孔公薜子」が「殷孽」「土陰孽」「孔公孽」に相当するなら,これらの薬物が無機物ではなく,「殷薜子 オニワラビ」「土陰薜子 ホシワラビ」「孔公薜子 ミズフフキ」と植物に考定されているのは,疑問ではある.しかし明らかに金石である「陽起石」が「波ヽ久利」(ハハクリ-貝母),「禹餘粮(桹)」が「宇支久佐(草)」(ウキクサ)と考定されていたり,金石である「白礜石 加波奈弥」や「金牙 阿志乃豆乃」「石英 山阿不支」がこの部に含まれていたりする.従って,中国本草で「金石」の項の「殷孽」「土陰孽」「孔公孽」の「孽」が艸かんむりを有する故にか,また「孽」が,「ひこばえ」の意味を持つ故にか,薬草類と誤考定され,更に音が同じためか「殷薜+子」「土陰薜+子」「孔公薜+子」と書き換えられた可能性がある.「薜」は漢和辞典で引くと「つる草の名。まさきのかずら。かずら。」とあり,「テイカカズラ、またはツルマサキの古名という。上代、神事に用いられた。」ともある.

なお,木村陽二郎監修『図説草木名彙辞典』柏書房 (1991) によれば,「オニワラビ」とは「イヌワラビ」に比定されている植物であり,「ミズフフキ」は,「オニバス(芡)」の古名である.

清少納言は『枕草子 142段』に「恐ろしげなるもの、つるばみ*1のかさ。焼けたるところ*2。水ふぶき*3。菱。髪おほかる男の洗ひてほすほど。」と,オニバス(みずふふき)の水面に浮かぶ皺の寄った大きな葉と,突き出した刺だらけの茎の上の異形の花とを恐ろしげと書いた.


*1
つるばみ:ハシバミ或はツノハシバミ.カバノキ科の落葉低木.くちばしのように突き出した角のある果皮に包まれた実は食用になる. 
  *2ところ:トコロ,野老,ヤマノイモ科の蔓性植物.根は食用になる.
  *3水ふぶき:みずふふき,芡,オニバス(上図).スイレン科の水草.地下茎・種子は食用になり,実は「芡実」の名で強壮などの薬用に用いられた. 


★深根輔仁撰『本草和名』(
901 - 923年)は現存する日本最古の本草薬名辞典である.本書は『新修本草』の薬物名とその配順に従い,70余の中国書から薬物の別名を網羅.各々には和名を同定して万葉仮名で記し,国産のあるものは産地まで記してある.中国本草学の本格的受容は,まさしく同書によって口火が切られたといえよう.

この書の「第三巻 玉石上 廿一種」に「石鍾乳 一名公乳 一名蘆石 一名夏石 一名虚中 出懌藥性 一名孔公乳 石鍾乳者水精也 已上出神仙眠餌方 石鍾乳者石精也 出萢注方 出備中國」,「第四巻 玉石中 丗種」に「殷孽 揚玄操音魚竭反 一名薑石 陶景注云盤結如薑故名之 一名薫石 出兼名苑 一名景石 出釈藥性 出備中國」,「孔公孽 陶景注云今鍾乳床也 一名通石 蘓敬注云中尚孔通故名之 出備中國」とあり,更に「第五巻 玉石下 丗種」には「土陰孽 一名土乳 出蘓敬注 出鍾乳中」とあり,何れにも和名は考定されていないが,備中國から鍾乳石及びその部分が産出することが記されている. 


★丹波康頼(
912 – 995)は,平安時代中期,花山天皇・一条天皇に仕えた貴族・医者で,従五位上・医博士,鍼博士であったが,その著『医心方』(984)の「諸薬和名第十」の「第三巻 玉石 上」には「石鍾乳 和名伊之乃知 出備中英賀郡」,「第四巻 玉石中」には「殷孽 鍾乳根也 出備中英賀郡」,「孔公孽 今鍾乳床也 出備中國」とある.更に「第五巻 玉石下」には,「土殷孽 出鍾乳中」とある.「石鍾乳」には,和名として「伊之乃知(いしのち,石の乳)」が考定された.「石鍾乳,殷孽,孔公孽」には,国内産地が記載されているにも関わらず,「土殷孽」にはそれがないのは,具体的に考定できなかったためと思われる.

「石鍾乳,殷孽,孔公孽」の産地の「備中英賀郡」は旧岡山県阿賀郡で,現在の高梁市の一部,新見市の一部,真庭市の一部よりなる.井戸鍾乳穴神社や日咩坂鍾乳穴神社等,鐘乳穴を神体とする神社があるなど,鍾乳洞が多い.

また,備中國は,古くから鍾乳石の産地として知られ,『延喜式』(927 編纂開始,967 施行)の「卷第卅七 典薬寮 諸国進年料雑薬」の「山陽道」には,「備中国卌(四十)二種

黄連卅二斤.女萎四斤.前胡.稾本.芍薬各三斤.白朮卅六斤.黄蘗十斤.虵衙八斤.桔梗廿八斤.知母八両.枸杞.地楡各一斤.白頭公三斤.狼牙.續断.黄精各五斤.紫苑.當帰各六斤.白芷五斤.澤寫一斤八両.厚朴二斤.巻柏六斤十両.茯苓一斤二両.白蘞七斤.黄蓍八斤五両.蒲黄一斤.石膏六十六斤.鐘乳床六十斤.桑螵蛸十両.秦皮一斤八両.麦門冬.桃仁各一斗.薯蕷五升.決明子一斗二升.牡荊子一升四合.車前子一升.呉茱萸三升.蜀椒六升.獺肝三具.猪蹄二具.鹿角二具.朴消大三斗.」と毎年六十斤の「鐘乳床」を薬用として朝廷に献上することが決められていた.この「鐘乳床」とは,中国本草書の「石花」或は/及び「石狀」と思われる. 


同人の★『康頼本草.別書名
: 本草和名抄』(995 以前)には,動植物鉱物875品目について記載がある.
  その「本草玉石部上品集」には,「石鍾乳 味甘平温无毒 和伊之乃知 日本備中英賀郡 无時採之」,「殷孽 味辛温无毒 日本備中英賀郡・長門國・美祢郡 无時採之」,「孔公孽 味辛温无毒 日本長門國・美祢郡 無時採之」とあり,更に「本草玉石部下品集」に土陰孽 味咸无毒 和 无時採之」とある.「石鍾乳,殷孽,孔公孽」には,国内産地が『医心方』より多く記載されているにも関わらず,「土殷孽」にはそれがなく,中国本草書の引用に留まっているのは,国内に対応する物が無く,具体的に何と考定できなかったためと思われる. 

続く

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