2020年9月28日月曜日

ツミ 雄,エッサイ-1(仮) 和名類聚抄,色葉字類抄,類聚名義抄,下学集,節用集,尺素往来,増補大節用集,和爾雅.袖中抄,小鷹部,言塵集,毛吹草

Accipiter gularis

木々や草の「落葉帰根」を文字通りに行っているためか,狭い庭でも多くの野鳥が訪れる.キジバト,スズメ,シジュウカラ,オナガは常連だが,他にもジョウビタキ,ゴジュウカラ,コゲラなどが愛らしい姿を見せてくれる.先日は猛禽類のツミを初めて見た.
 ヤエベニシダレの枝に止まり,辺りを睥睨している鳥を発見したのは,家内で,初めはハトの仲間かと思ったらしいが,首が短く尾が長く,何より目とくちばしが怖いと報告に来た.二階の窓を開けても気にする様子もなく,鋭い爪で枝をがっしりと掴み,首をほゞ180度廻して辺りを窺っていた.
 初めて見た鳥だが,形状からワシ・タカの仲間と見当をつけ図鑑に当たったところ,小型の猛禽類ツミで,腹に薄く赤味があり,目が赤いことからその雄である事が分かった.なお,雌は雄より一回り大きく,目は黄色く,腹には暗褐色の横縞が入るそうだ.

タカの仲間は雌の方が大きいのが一般的だが,小型のツミでは,その差が顕著に感じられるためか,古くは雌雄を別種と考えていたようで,雌をツミと,雄はエッサイと呼んでいた.(文献画像は NDL の公開デジタル画像よりの部分引用) 

平安中期の『和名類聚抄』では,雀鷂(ツミの雌)と雀𪀚(ツミの雄)がそれぞれ一項目として記載されて,前者の和名は,ツミ,またスズメを良く取るから「スズミタカ」と,また後者の和名はエツサイとされている.

平安末期成立の古辞書『色葉字類抄』にも雀鷂-ツミと雀𪀚-エツサイが別に記載され後者には能く雀を捕えるとある.

平安末期に起源をもつ漢和辞書『類聚名義抄』の「僧中 鳥」にも,「雀鷂〈スヾミダカ、或云ツミ〉」「雀𪀚〈和名エチサイ、小鷹〉」と雌雄が別に記されている.

日本の古辞書の一つ『下学集』(1444)には,ツミ,エツサイそれぞれ二つの漢字表記がおこわれている.

室町中期に成立した国語辞書『節用集』には,ツミに三種,エツサイには二種の漢字表記がおこわれているが,漢字表記が雌雄逆.江戸時代の『増補大節用集(1665) では,ツミに二種,エツサイには七種の漢字表記が記されていて,雌雄逆の漢字表記は正されている.またエツサイが雄のツミである事を認識していたことを伺わせる.

室町中期の往来物(傳)一条兼良『尺素往来(せきそおうらい)』は年中行事や各種事物の話題を集めて、往復書簡の形式にまとめたものであるが,三月の行事の一つとして鷹狩の為の準備の儀式が記されていて,そこにはエツサイがツミの雄(弟雀鷂)とされている.

貝原好古の『和爾雅』(1694)でも,雌雄別に名が挙げられている. 

一方,歌の題材としても,古くから取り上げられており,平安末期,顕昭が著した歌学書『袖中抄』には,「小たかには雀鷂をはづみと云、すゞみたかとも云」と,また「𪀚。えっさいと読、悦哉ともかけり」とあるそうだ.(人見必大著・島田勇雄訳注 『本朝食鑑 3』東洋文庫 340 (1978))未確認.


藤原定家の歌集と伝えられている『小鷹部』には,「かた胸を猶かひ残すゑつさい乃いかにしてかは鶉とるらむ」とウズラを獲ったツミの雄の歌が残る.(左図)

南北朝-室町時代の武将,今川了俊の歌学書『言塵集』には,「雲雀鷹とは五六七月間につかふ。ひばりの夏毛替時、尾羽の落比、つかふ也。尾羽の落たるをねりひばりと云。雲雀鷹とはつみ小鷹の名なり」,ツミの種類については、「黒つみと云も有なり。若狭山の巣といへり」とあるそうだ.(人見必大著・島田勇雄訳注 『本朝食鑑 3』東洋文庫 340 (1978))未確認.

江戸前期の俳諧手引書,松江重頼『毛吹草』(1645)の巻之二「誹詣四季之詞」と巻之四「名物」(諸国名産品)に動植物を数多く載せる.その「巻第二」には「秋鷹(あきたか)さしは つみ このり」とある.

何れの書でも,ツミを雌雄で別種としているのは,体の大きさと,胸の羽の色や目の色など,目につく形状に違いがあるためと思われる.エッサイを雄のツミと記録する文献は,江戸初中期より現れる(後述)



和名類聚抄』(931 – 938)は,平安時代中期の承平年間(931 - 938)に,勤子内親求めに応じて源順が編纂した辞書で,中国の分類辞典『爾雅』の影響を受けている.名詞をまず漢語で類聚し,意味により分類して項目立て,万葉仮名で日本語に対応する名詞の読み(和名・倭名)をつけた上で,漢籍(字書・韻書・博物書)を出典として多数引用しながら説明を加える体裁を取る.今日の国語辞典の他,漢和辞典や百科事典の要素を多分に含んでいるのが特徴.

那波道円 []1617)の版の「巻之十八」には

「雀鷂 兼名苑云雀鷂 漢語抄云須々美多加或云豆美 善提雀者也」

雀𪀚 唐韻云雀𪀚 音戎 漢語抄云和名悦〓(哉の口を方) 小鷹也」とある.引用されている「兼名苑」は,中国のおよそ南北朝の時期に成立したと考えられる,事物の別名や別称を集め、考証と解釈を加えた類書で,原本は早くに失われて今に伝えられていない.また,『唐韻』は倭名類聚抄に多く引用される。唐の孫愐(ソンメン)撰の字書で,韻書と呼ばれる韻で引く字書。『漢語抄』(楊氏漢語抄)は,源順序によれば「古語多く載れども和名希に存れり。弁色立成十有八章は、楊家説と名異実同にして、編し録するの間頗る長短あり。其余の漢語抄は、何人の撰なるかを知らず。」とあり,佚書としていまに伝わらず、漢語を和訳し、和名を付した国書であることがわかっているだけで不詳.なお,「鷂 よう」の和語は「はいたか,はしたか」とされている.


★橘忠兼編『色葉字類抄』は,平安時代末期に成立した古辞書.橘忠兼編.三巻本のほか二巻本の系統もあり,また十巻本『伊呂波字類抄』もある.和語・漢語を第一音節によってイロハ
47部に分け,更に天象・地儀など21門の意義分類を施した発音引き辞書である.イロハ引きの日本語辞書として最古.

当時の日常語が多く収録され,特に漢語が豊富に収録される.また社寺・姓名など固有名詞も収録される.それらの漢字表記の後に片仮名で訓みが注され,時に簡単な漢文で意味・用法が記されるものもある.
この書の「津」の章の「動物」の部に,「雀鷂(エウ) ツミ 又スヽミタカ 云小鷹也」とあり,更に「江」の章の「動物」の部に「雀𪀚(シウ) エツサイ 息弓反 似鷹而小能捕雀也 云小鷹」とある.


平安末期の漢和辞典★『類聚名義抄』は『名義抄』ともいう.標出漢字にその字形
(異体字 ) ,字音,意味,和訓などを付す.法相宗 (ほっそうしゅう) の僧侶の撰とみられるが未詳.仏・法・僧の3部からなり,120の部首によって漢字を分類し,字音・字義・和訓などを注記し,和訓には声点によってアクセントが示される.『名義抄』は種々の国語資料となるが,特に,それが典拠のあるものであることを示すために和訓につけられた声点は,日本語アクセント史構築の資料として重要である.
この書の「僧中」に「鳥」の項があり,そこに「雀鷂 スヾミタカ、或云ツミ」とあり,また「雀𪀚 和名 エチサイ 小鷹」とある.


★東麓破衲編『下学集』(
1444)は,日本の古辞書の一つ.1444(文安1)成立.著者は,序末に〈東麓破衲〉とあるのみで不明.京都東山建仁寺の住僧かといわれる.内容は〈天地〉〈時節〉以下18の門目を立てて,中世に行われた通俗の漢語の類を標出し,多くの場合それに注を加えてある.配列が《節用集》のようにいろは順でないから,語の検索には不便である.大まかにいえば,《節用集》のほうは《下学集》をいろは引きに改修したものである.
「上 氣形」に「〓(常+鳥)ツミ 雀鷄 ツミ  雀𪀚 エツサイ 零鳥 エツサイ」とあり,他書にはない漢字表記が当てられている. 

★編者未詳『節用集』は室町中期に成立した国語辞書で,『下学集』をいろは引きに改修したものともいえて,語をいろは順に分け,さらに天地・時節・草木などの門を立て,意義によって分類・配列した書である.また,江戸時代にはこれを改編・増補した多種多様の節用集が刊行され,やがてはいろは引き国語辞書の代名詞のようにもなった.近世初期までに書写・刊行された諸本を特に『古本節用集』という.


この古本節用集の「津」の部の「畜類」に「〓(靣
+鳥)ツミ 或云 雀𪀚 又云 〓(常+鳥)」とあり,また「江」のぶの「畜」に「雀鷂 エツサイ 鷹名」「〓(零+鳥)エツサイ」とある.「雀𪀚」をツミ,「雀鷂」をエツサイと訓じるのは,先行の書とは逆である.他の版の『古本節用集』でも同様であった.

★(傳)一条兼良(1402 – 1481)尺素往来』の尺素とは手紙のことで,書状の形式をとって,社会生活に必要な多彩な知識・教養を広範囲に提供している.公家の生活に限定せずに武家社会の生活にも触れているので,室町期の社会相を知る材料となる.本書前段には小朝拝(こぢょうはい),三節会,御所的(ごしょまと),聖廟法楽(せいびょうほうらく)などの年中行事とそれに関する各種事物,馬,弓,甲冑),鍛冶などの武家の職能にかかわる事物が収められている.また後段には神訴(しんそ),薬種,地震,祈祷,本領事,相論,半済(はんぜい)事,難渋対捍(なんじゅうたいかん)之土民百姓,成敗,武官,僧官,二十二社,四箇大寺(よんかたいじ),八宗(はっしゅう),仏説法次第,三国五山などから,名筆掛絵,書院置物,屏風障子,絵具,粥,点心(てんじん),諸食物,茶,菓子,布施物,さらに荼毘,忌日などまでを載せている.
 その年中行事の一つとして三月に鷹狩の準備として鷹を鳥屋から出して,野や山で訓練する事が記されている.この中に

「日来繋
(ツナギ)鷹(ソウタカ,オホタカ)・兄(ショウ,セウ)鷹・鷂(ハイタカ)・兄鷂(コノリ)・𪀚(ツミ)・兄𪀚(エツサイ)・隼(ハヤブサ),大小雀鸇(サシバ)等.巣子下(オロシ),鳥屋(トヤ)出,野曝山廻,倶解條,於架(ホコ)上,同収メテ旋於韝(タカタスキノ)頭(ホトリ),一族十餘騎.各着狩装束.」とあり,注目すべきはエッサイを「兄𪀚」,つまり「𪀚(ツミ)」の「兄(ショウ)」と記している事で,鷹類の雄は「兄」で「せう,しょう」,雌は「弟」で「だい」と区別していたので,エッサイをツミの雄と認識していた事となる.

なお「韝(読み):タカタスキ」は,鷹狩りで,鷹を腕にとまらせるときに用いた革製の手袋.

図は 国文学研究資料館 新日本古典籍総合データベース,京都石田治兵衛 1668年(寛文8)刊本より(この項 2002-12-11 追記)

 一方,江戸時代の 1665 年刊行の『増補大節用集』では「津 気形」の章に「雀鷂 つみ」「〓(靣+鳥)つみ」.「え 気形」の章に「雀𪀚 えつさい 小鷹,零鳥 同,菩提鷹 同,〓(零+鳥)𪀚 同,兄𪀚 同,悦哉 同,〓(「戎+鳥)同」とあり,『古本節用集』を訂正して「雀鷂」をツミ,「雀𪀚」をエツサイと訓じている. なお,「兄𪀚」の兄は「しょう」と読み,鷹類の雄は「兄」で「せう,しょう」,雌は「弟」で「だい」と区別したらしい.


貝原益軒の甥で養子になった★貝原好古(よしふる,
16641700)の『和爾雅』(1694)は,中国の「爾雅」に倣って日本で用いられる漢語を意義によって24門に分類し,音訓を示し,漢文で注解を施したものだが,その書の「(タカ)」の項には「(セウ) 雄也,(ダイ) 雌也」とあり,また「小隼(サシバ)自朝鮮來 日本之,雀鷂(ススミタカ)(ツミ)雀鷹 同,雀𪀚(エツサイ)」とある.一般的には「鷹の雄=兄=小,鷹の雌=弟=大」と認識していたが,ツミに関しては雌雄別種と考えていたのであろう.

2020年9月19日土曜日

レンゲツツジ(14)洋-3,レンゲツツジ.ミクェル,

Rhododendron molle subsp. japonicum

 レンゲツツジが西欧に最初に導入されたのは,1830 年頃にシーボルトによってとされている(In 1830 Siebold brought from Japan a fine and hardy azalea which he thought was a variety of R. molle, but which was later classified as a new species, and named R. japonicum;  A. M. Coats “Flowers and their histories” (1856))(前記事).シーボルトらの標本・資料を受け継ぎ,日本産の植物の研究を行ったミクェルは,レンゲツツジはトウレンゲツツジと同一種として,その学名を Rhododendron molle と記録したが,毛が少ない特徴を見出し,トウレンゲツツジの品種とした.

 ★フリードリヒ・アントン・ウィルヘルム・ミクェルFriedrich Anton Wilhelm Miquel, 1811 - 1871

ドイツ生まれのミクェルは,現在はオランダに属するフローニンゲンの大学で医学を学んだ後,2年ほどをアムステルダムの病院に医師として務めた.1835年にロッテルダムの大学で医学を教える機会を得,10年ほどそこで過ごした後,1846年にアムステルダムの医師養成大学の植物学教授となり,植物学者としてのキャリアをスタートさせた.さらに1859年から1871年まではユトレヒト大学の植物学教授となったが,その間は,ライデンの王立植物標本館にも関係するところとなり,1862年からはその館長を務めた.

ミクェルは来日していないが,この植物標本館に収蔵されていたツンベルク・シーボルト・ビュルガ一・ピエロ・テクストールらの東インド会社の採集品および伊藤圭介・水谷豊文(助六)・二宮敬作ら日本人植物学者による標本・資料により,日本の植物,主に関東以西の植物相と熱帯の植物との比較検討を行い,分類学的研究を推進して,『日本植物誌試論』(Prolusio Florae Japonicae, 186567)の中で日本植物562点を記載している.

王立植物標本館の “Herbarium Japonicum Generale” には,ペリー艦隊のMorrowWilliamsWrightSmallによって採集された標本とイギリス,キュー植物園の植物学者オルグム(注3)によって採集された1200点からなる日本植物の標本とさらにマキシモヴィッチが日本に滞在した3年間に収集した標本も加えられた.ミクェルはこれら日本植物のすべての標本2,000種以上を調べて同定し,『ライデン植物標本館標本目録1,日本植物』(1870 Catalogus_Musei_Botanici_Lugduno_BataviFlora Japonica1870)として著し,多数の日本植物を紹介した. 

彼がシーボルトらの収集した日本の植物やその腊葉標本を研究して著わした論文,ERICACEAE JAPONICAE” (Annales Musei Botanici Lugduno-Batavi. Vol. 1, p28 (1863)) には, 

ERICACEAE JAPONICAE.

BECESSUIT

F. A. GUIL. MIQUEL.

 §2. Azalea LINN- Folia decidua. Calyx 5-lobus. Stamina 5 et 10- — Species in Iaponia fequentes, sylves-

tres et cultae, varietatibus et forsan hortoruin hybridis saepe obscurae.

 2. RHODODENDRON MOLLE SIEB. et ZUCC. Abh. Bayer. Akad. l c. p. 131. Perulac spathulatae

scariosae ciliolatae; folia brevissime petiolata e basi subcuneata elliptico-obovata subinucronata costulis

patulis utrinque circiter 10, supra sparse, subtus praesertim in nirvis margiuib usque appresse stri-

goso-villosa, pube tenera intermixta; flores terminales bini pluresque, pedunculis hirtis; calycis lobi

spathulato-oblongi acutiusculi breves longissime strigoso-ciliati, corolla lato-iufunflibuliformis extus

praesertim in tubo incano-pubescens, stamina 5. — Azalea mollis BL. Bijdr. p. 853. — Azalea pon-

tica? SIEB. herb,

Variat glabrior. foliis strigas tantum nec pubem proferentlbus.

 

Species indumento foliorum, praesertim vero perulis, corolla pubescente, calyceque distiucta, cui probabiliter KAEMP-

FERI, qui omues autem species confudit, figura in Amoen. exot. p. 846 adscribenda videtur. Ramuli patule hir-

suto-pilosi. Perulae fuscae. Folia 1(3/4)—3/4 poll, longa. Calycis lobi herbacei virides linea breviores, longissime

strigoso-ciliati. Corolla fere 1(1/2) poll, alta, lobis limbi obovatis. Stamina erecta corollam adaequantia, autlieris

fuscis elliptico-oblongis. Stylus basi pilosulus, stamina vulgo paullo excedens. Ovarium liirsutum. Capsulae ca-

lycis lobis nunc lanceolatis elongatioribus parce pilosulis suffultae.

 

HAB. Iaponia, in montibus altioribus Kiso, Wiko: SIEBOLD, BURGER. Cultnm etiam occurrit, florum

magnitudine et indumento densiore vel tenuiore ludens: Ootsudsusi et Okotsudsi iap.

 とあり,レンゲツツジが,シーボルトが同定したトウレンゲツツジの学名の許に記述されている.日本では木曽やWiko?(日光の誤りと思われる)に生育し,別名オオツツジとオカツツジが挙げられている.

 また,『日本植物誌試論』(Prolusio Florae Japonicae, Vol. 2, Annales Musei botanici lugduno-batavi. v2. 1866) RHODODENDRON LINN. の章の p.164 には

6. RHODODENDRON MOLLE SIEB. et ZUCC. l. c. p. 131. MIQ. l. c. p. 33.

Species haud difficili negotio discernenda foliis tenuioribus viridibus oblongo-obovatis, corollae tubo distincto extus,

villosule pubero. — Legit BUERGER ; Ootsutsuri iap. ; et formam glabram in montibus altioribus Niko et Kiso

SIEBOLD.

とあり,日光や木曽の標高の高い山地に生育する,トウレンゲツツジの毛の少ない品種 (formam, form) としている.レンゲツツジは成葉の裏面は脈上に毛があるほかは無毛であるのが,トウレンゲツツジとの違いの一つである.ビュルガーは日本名をオオツツジであるとしている.

 さらに,『ライデン植物標本館標本目録1,日本植物』(1870 には,”Linga cum figuris plantum” の項に “76 Azalea sinensis (Rh. sublanceolatum) “ が記載されている.

出版年が ERICACEAE JAPONICAE より遅いにもかかわらず,Rhododendron molle が使われていないのはシーボルトの記載そのままが使われているためであろうか.なお, R. sublanceolatum (= R. scabrum, R. metternichii) はケラマツツジ(慶良間躑躅)で,沖縄を中心に分布する常緑低木で枝はよく繁り,径11cmほどの大輪で鮮紅色の花を枝先の花序に14個つける.