育てた方はご存知だと思うが,収穫し損なって黄色く熟したニガウリは裂開して,真紅の種を露出し美しい.しかも果肉の苦味は失せ,種を包む液もなめると甘い.これは種が熟する前は,苦味で鳥や獣に食べられるのを防ぎ,熟したら目を引いて,食べてもらって,糞と一緒に種をばら撒いてもらうというニガウリの子孫繁栄の戦略と思われた.しかし,種は大きいので,食べている鳥は見た事はない.南方の原産地には種散布を手伝う鳥がいるのだろうと思っていたが,先日,明治24年(1891)に京友禅の下絵のために出版された木版画集「景年花鳥図(今尾景年)」に,ニガウリ(錦茘枝)の熟した実をついばむベニマシコの図を見出した(左).従ってこの時代には京都でニガウリを栽培して,黄色い果肉と赤い種の熟れた実を高級衣料の図柄になるほど美しいと感じていたことが推察されたので,その歴史を調べてみた.
原産地は南アジア.14-15世紀に明時代の中国を経由して沖縄王国に伝えられ,15世紀初頭には日本に伝来したと考えられる.室町時代の装剣金工家,後藤乗真(1512-1562)の作と伝えられる笄(コウガイ)にニガウリの割れた実をモチーフにしたものがある.
慶長 8年(1603)に出版されたイエズス会宣教師編『日葡辞書』にニガウリの名がヘチマ、タウマメ(ソラマメ)、タウキビ(トウモロコシ)、ニンジンと共に初出している.また林羅山(1583~1657)の多識篇(1612年)には栽培の記載があるので,本州でも400年以上の栽培の歴史がある事になる.
貝原益軒の「大和本草(1709年)」,「菜譜(1704年)」及び,寺島良安の「和漢三才図会(1712年頃)」には「苦瓜(錦茘枝・ツルレイシ)」として記載され,「南方から来た.ぶつぶつとした疣のある,レイシに似た実をつける.緑のうちは苦くてうまくない.熟して黄色くなると割れて赤い種が見えるようになり,観賞用になる.また甘いので子供が喜んで食べる.」と書いてあり,南国では食用にしているとは認識していたが,むしろ観賞用の植物と考えていた事が裏付けられた.
昨年,購入した苗に成った黄色く熟した実から種を取り,赤い被覆物を洗い,中から出てきた亀の形をした堅い種子を保存.今年この種の頭にあたる突起を爪切りでちょん切って播き,出てきた芽から咲いたのが,冒頭の画像.
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