2010年7月27日火曜日

ヒャクニチソウ

Zinnia elegans原産地の中心はメキシコで,古くから栽培されていた.アズテック人の園芸技術は高度に発達していて,1520年スペイン人が侵入した当時,皇帝モンテズマの庭は,ヨーロッパにある庭のどれと比べてもひけをとらないすばらしいものであった.彼の庭にはヒャクニチソウの他に,ダリア,ティグリディア〔アヤメ科の植物〕,ヒマワリ,アサガオが咲いていた.彼は庭師を領土の隅々まで派遣し,新しい草や木を収集させたという.エレガンス種は 1769 年にスペインのマドリード植物園にもたらされた.この時には淡紫の一重咲きの花がついた。エレガンス種から多くの園芸種が作出され, 1829 年に赤が、1832 年に白が開花した。八重咲きはフランスで 1856 年に作り出された。一代交配種が作られたのは 1963 年にアメリカで作られた品種「ファイアー・クラッカー」が最初.(A. M. コーツ著 白幡ら訳『花の西洋史-草花篇』)。


万延元年(1860) 9 月に帰国した遣米使がシュッコンアマ,マツバボタン,パンジーなどと共にヒャクニチソウの種子を持ち帰った.但し,発芽したか否かは不明.一般に庭の花として普及したのは明治以降.

越してきた初期には色々な種類のヒャクニチソウを育てた(左)が,ウドンコ病の蔓延により終止符が打たれた.この原種に近い花は耐病性が高いのか,毎年こぼれ種で生えてくる. 洗練されていないが,夏の暑さに負けない元気さと素朴な花がとりえ.黄色い雌しべを見るたび,子供の頃の夏休みを思い出す.

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