2018年6月30日土曜日

ツグミ(15) 漱石の死期を早めたのは,ツグミか,ピーナッツか


夏目漱石(1867 – 1916)は,若い時から胃弱で悩まされ,「明暗」の連載途中に享年50歳で胃潰瘍で永眠した.ツグミの粕漬が胃潰瘍を悪化させ,死を早めたとの説がある.

★高浜虚子『漱石氏と私』には,漱石への紹介の労をとった事のある渡邉義雄氏から虚子へ「この冬休暇に帰って猟をして居るうち今日山鳥が一羽とれましたから御礼の印に御送り致します。ツグミではないから安心して食って下さいませ。」との書状が送られたとある.虚子は「山鳥は早速調理して食った。旨(うま)かった。ツグミ云々(うんぬん)とあるのは漱石氏が胃潰癰(いかいよう)を再発して死を早めたのはツグミの焼鳥を食ったためだとかいう話があったのによるのであろう。」とある(初出:「ホトトギス」1917年).

大正五年十二月九日に亡くなった漱石の遺体は,主治医の一人であった長與又郎博士によって解剖され,その剖検所見が発表されたが,それには,十二月九日の死に至った病状の「發端ハ十一月ノ十六日ニ糟漬ノ鶫ヲ晩ニ食ベラレタノニ始マツタラシイノデアリマス、」とある.

一方,夫人の★夏目鏡子述,松岡譲録『漱石の思ひ出』には,十一月二十一日に辰野隆*の結婚披露宴が築地の精養軒で行われ,列席した漱石が消化に悪いとは知りながら,大好物の南京豆を食べてしまったことにあると思っていたような記述がある.
*辰野隆(1888 - 1964):フランス文学者,随筆家,3148年東京大学教授,48年日本芸術院会員,62年文化功労者

江戸時代から病人の保養食として栄養価が高く消化し易いとされていたツグミも,「漱石の死期を早めたツグミの糟漬」と,とんだ悪評を被っている.

★夏目鏡子述,松岡譲録『漱石の思ひ出』岩波書店 (第一刷1929,第十二刷 1982
六〇 死の床
十一月二十日前のことでした。山田三良さんの奥さんがお見えになつて、その二十一日に御自分のお嬢さんが辰野隆さんと結婚され、その披露が築地の精養軒であるから、是非出席して戴きたい、辰野の方でも是非にと望んで居りますからといふお頼みなのですが、相變らず夏目の方では、自分はのつぴきならない義理のある所の外はどこへも出ないことにして居るし、叉そんな席へ出るのが實に億劫だといつてお斷わりして居ります。奥さんは奥さんで、さうでもありませうが、折角私がかうやつて上がつて、こんなにもお願ひするのですから、そんな因業なことを仰言らずに來て戴きたいと涙を流しでのお頼みです。夏目もそれに動かされて、私を呼びまして、どうだいと申します。そこで私も奥さんの身になつても孝へて上げると、さう迄仰言つて下さるのにと存じまして、折角なんですから参りましてはとすゝめました。が、ふと孝へてどうしてもおいやなのですかと念を押しますと、いや、どうしてもといふわけではないが、どうも面倒臭いのだといふ例のとほりの曖昧な返事です。ではとにかく其時になつて行けないやうだつたら其時の事として、一旦おうけしておいたがよからうといふので、奥さんも大層お喜びになつておかへりになりました。
(中略)
さて當日の二十一日になりますと、心配して居た紋付もいい具合に間に合ひました。看て見て気のついたことですが、下着から帯から何から何迄すつかり新らしものづくめなのです。變なことになつたものだなと又も気になりよしたが、ともかく出かける時刻も迫まつたので書齋に參りますと、胃が痛いといつて、面白くない顔をしてぼんやりして居ります。無理に連れ出しても悪いし、後で又床につかれるやうなことがあつてはと存じまして、そんならどうなさいます、おやめにしませうかと訊ねますと、行けないことはないから、ともかく行かうと申しまして、それから大儀さうにして支度をしました。

精養軒へ行つて見ますと、どういふのか食堂の席が、男女別々になつて居ります。出がけ胃が痛いといつてゐたので内々心配して居りますと、食卓には南京豆が出て居ります。悪いものが出てる、自分が側に居たらとめるのだが、ひょつとしたら誰も小言をいふものが居ないのをいいことに喰べてるかも知れない、と心配しましたのは、夏目が叉この南京豆が大の好物で、散歩をしたりしますと、どこで見附けるものやら、砂糖のついた南京豆を一袋買つて參りまして、机のわきにおいて一人でぼり/\たべたり、時には子供達にもいいものをやらうなどといつて一緒に喰べたりするのですので、なるべくそんなものは胃の爲めに喰べてくれない方がいいにと思つて、見ると没収したりして居たものなのです。どうも比の日は遙かに様子を見てるとつまんで居るらしいので、後でやられなければいいがと案じて居たものなのです。それで気になつてゐたので、かへりに一緒になつた時、貴方、豆をたべましたかと尋ねますと、喰べたと申します。胃が痛いなんかといつてて、いやな人ねと言ひますと、なあに、もうすつかりなほつたよと、来た時とは違つて大分気分もよろしいらしく平気で言つて居りました。其晩は何事もなく安眠致しました。

(その後 症状悪化)(中略)(十二月九日)

大阪朝日新聞に掲載された
夏目漱石の臨終を描いた
小川千甕のスケッチ(「新聞集録大正史」より)
この暮れ方,非常に苦しがりまして,私がちょっと座を外づしましたうちに,胸をあけてこヽに水をかけてくれと申しますので、看護婦が霧を吹きかけてやりますと、「死ぬと困るから。」とか。何とか言つたと思ふと、そのまゝ目を白くして了つて、全く意識を失って了ひました。急を聞いて私もすぐにかけつけます。茶の間や離れに集まつておられた方々もつづいてかけつけられます。もう全く死の状態です。

私は水筆を取つて、次々にわかれを惜しむ方々へお渡しました。
今度は白い布で目をつぶらせるやうにして上から撫でました。かうしてたうとう日が暮れて間もなく息を引き取りました。大正五年十二月九日の六時一寸前のことでございました。
(後略)」

六二 解剖
さて翌日はいよく解剖といふので、澤山のお弔問客の間を寝臺車にのせられて醫科大學に参りました。
立會人には私の代理として弟の中根倫、矢來の兄さんの代理として長男の小一郎、それから門下の総代として小宮さん,この三人が参りました。主治醫の眞鍋さんがいらしたことは勿論でございます。杉本博士も御一緒のやうでした.
そのうちに思つたより早く又も寝臺車で送られてかへつて參りましたが、其時眞鍋さんが大層この解剖のこと喜ばれまして御禮を仰言いました。脳と胃とはおすゝめにより大學の方へ寄附いたしました。
この解剖については其後一週間ばかりしてから、當の執刀者長與博士の御講演がありまして,私なども拝聽に出ないかとすゝめられたものでしたが,たうとう參りませんでした。今其時の御講演の筆記が「日本消化器病學會雜誌」の別冊として出て居りますから、それをこゝへ拝借することに致します。病気の經過なども詳しく専門的にお話しになって居るので,其點でも大變御參考にならうかと存じます。

夏目漱石氏剖檢(標本供覧) 長與又郎博士述

漱石夏目金之助先生御遺族ノ特恵ニ依リマシテ、今月ノ十日に大學ノ病理學教室ニ於テ、私ハ夏目先生を解剖致シマしタ。此解剖ノ目的ハ,夏目サンノ脳ヲ研究スルコト、モウ一ツハ先生ノ最モ悩マサレテ、サウシテ同時ニ死ノ原因ニナツタトコロノ先生ノ消化系統ヲ調ベルノニ在ツタノデアリマシタカラ、従ツ
テ解剖ハ脳ト腹部ダケニ限ラレマシテ、胸部其他ノ所ヘハ及バナカツタノデアリマス。
(脳の解剖所見 中略)

次ニ今度ノ現症ノ發端ヲ御話シマス、今度ノ出来事ハ總テ胃ノ症状デアリマス、發端ハ十一月ノ十六日ニ糟漬ノ鶫ヲ晩ニ食ベラレタノニ始マツタラシイノデアリマス、其晩カラ胃ニ膨滿ノ感ガアリ又疼症ガアツタ、ドウモ胃ノ狀態ガ面白クナカツタ,二十一日ニ或人ノ結婚披露ニ列席シテ其時ニ洋食ラ試ミタ.其晩カラ胃ノ具合ガ段々面白クナク、翌二十二日ニ益々悪クナリマシテ、其晩ニ少シ嘔吐ガアつた.此時ノ嘔吐ハ唯ダ食ベタ物ヲ吐イタノデアリマシテ、血液ハ少シモ出ナカツタ,
(治療の経過 中略)
然ル七日ニナリマスト,心臓ノ力ガ弱クナツテ來マシテ,脈ノ状態ガ悪クナル、細且頻ニナツテ八日ニナリマシテハ益々脈ノ状態ガ面白クナイ.屡々『カンフル』ノ注射ナドラ試ミテモ餘リ反應ガナイヤウデアル.九日ノ朝ニナリマシテハ全ク『カンフル』モ無効トナリ形勢ハ愈々悪クナツテ來タ、脈博ハ百二十體溫ハ三十五度位デ、腹部ハ膨滿シテ太鼓狀ニナル.ソノ日ノ午後六時脱血死ノ狀態ノ下ニ終ニ死ナレタノデアリマス.(中略)以上ノ臨床ノ経過カラ考ヘマスルト

イふト,夏目サンハ二ツノ重大ナ疾病ヲ持ツテ居ラレタ.一ツハ糖尿病デアリマシテコレハ可ナリ前カラノ病デ,ソレガ近來ニナツテ益々増悪シタ、モウ一ツハ胃ノ症状デアリマシテ,ソレハ恐ラク胃潰瘍デアラウトイフ二ツノ大キナ病ヲ持ツテ居ラレク、併ナガラ先月ノ二十八日ノ大出血及本月二日ノ大出血共ニ一囘モ口カラハ血チ吐イテ居ラレナイノデアリマス、前ニ修善寺ノ潰瘍出血時ハ口カラ吐カレクノデアリマスガ,今度ハ皆便ノ方二出タノミデアリマス、此關係カラシテ十二指腸ノ潰瘍デハナカラウカトイフ疑ヒガ醫師ノ間ニアツタノデアリマス、
而シテ死ノ直接原因ハ二回ノ大出血ニヨルコトハ疑ヒナイノデアリマス。

 夏目サンハ消化器系統コトニ胃ヲ病ンデソノタメニ少ナカラズ悩マサレ終ニコレガ死病トナッタノデアル。「猫」ニオケルソノ主人公ハ大変胃ノ弱イ人デアッタ。マタ、「思ヒ出スコトナド」ノ中ニモ修善寺ニオケル胃潰瘍ノコトガ書イテアル。夏目サンガ天下ニソノ名ヲ知ラレタ「猫」ガ出ル前カラスデニ胃ハ健全デナカッタ。夏目サンノ多クノナサレタ仕事ハ始終コノ胃ニ悩ンデオラレルソノ間ニ出来上ガッタトコロノ産物デアリマス。
腦ニ關スル研究ハ今日マダシテ居リマセヌデ,是ハ何ヅレ詳シク調ベタ上デ適当ナ方面ニ於テ報告スル積リデアリマスガ,夏目サンハ消化器系統コトニ胃ヲ病ンデソノタメニ少ナカラズ惱マサレ終ニコレガ死病トナツタノデアル。『猫』ニ於ケル其主人公ハ大變胃ノ弱イ人デアツタ.マタ、『思ヒ出スコトナド』ノ中ニモ修善寺ニオケル胃潰瘍ノコトガ書イテアル。夏目サンガ天下ニ其名ヲ知ラレタ『猫』」ガ出ル前カラスデニ胃ハ健全デナカツタ。夏目サンノ多クノ成サレタ仕事ハ始終コノ胃ニ悩ンデ居ラレル其間ニ出來上ガツタトコロノ産物デアリマス。夏目サンハ消化機病トハ餘程深イ因縁ガアルノデアリマシテ一代ノ文豪デアルトコロノ夏目サンノ消化機ニ關スル臨床的觀察ト同時ニ,特志ニ因リマシテ行ハレタル解剖ノ所見ヲ,消化機病雑誌ニ既述シテ置クトイフコトハ夏目サンノ個人ノ歸史トシテモ不要ナコトデハナイ、叉醫學ノ方面カラ考ヘテモ種々吾人ノ參考に(まゝ)價スルモノガアリマスカラ意義アルコトヽ信ジマス。叉我々トシテハ科學ニ對シテモ興味ト同情トヲ常ニ持ツテ居ラレク不朽ノ文豪ニ對シテ、平素抱キツヽアツタ敬意ト共ニ,其遠逝ニ向ツテ深厚ナル弔意ヲモ併セ表シタイノデアリマシテ,旁々所見ノ大要ヲ報告シ標本ヲ供覧センガ爲メ此席ニ出マシタ譯デアリマス。(大正五年十二月十六日講演)」

日本消化器病学会雑誌 第十六巻第二号 別刷 夏目漱石氏剖検 1917(大正6)330 長与又郎 

一方,小説家德田秋聲 (1872 – 1943) は自然主義文学者としての『黴』や『あらくれ』で有名だが,随筆家としても多くの著述をのこした.その中には,郷土の味 鶇 を題材にした作品がある.
母親の葬儀のあとの情景を描いた『鶫の羹』(1918)と,『灰皿: 随筆集』 (砂子屋書房, 1938)の中の「鶫・鰒・鴨など」で,彼は(鶫の羹ほど)「食べものゝうちでは、これほど細(こまや)かな味をもつてゐるものを他にもとめることができないと信じている。」などと言っている.

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