2010年5月27日木曜日

サクラソウ(12) 絞龍田 宴遊日記,江戸名所圖會,白魚と桜草で,紅白の土産

Primula sieboldii cv. Shiboritatuta 品種名;絞龍田,品種名仮名;しぼりたつた,表の花色;鴇色紅絞り,裏の花色;鴇色紅絞り,花筒のいろ;紅色,花弁の形;広かがり弁,花弁先端の形;広桜弁,花容;浅抱え咲き,花柱形;僅長柱花,花の大きさ;大,作出時期;江戸後期,類似品種;,その他;縞が安定せず紅色無地のものを「竜田の夕」と呼ぶ.

江戸太平の世の中で,桜草の大群落を物見遊山として見にゆく桜草狩りも盛んになる.

大和郡山城主 柳沢信鴻(1724-1792)が六義園に隠居したのちの『宴遊日記』(安永10年1781)の三月十七日条には
土堤の下ハ野新田に続きたる広野,桜草所々に開き,あちさいに似て黄なる花の草,解夏草一面,三町はかりにて畑の間へ入, …
帰路娵菜,野韮,忍冬を取々行,広野少手前にて先剋次兵衛方に有し客,後家主人と見へ少女婢等五六人・武士五六人程随,広野にて桜草を堀,向ふより婦四五人来,従者のいへる…
(『宴遊日記』中のサクラソウの記録は別記事参照

と多くの人が桜草の花見に行楽している様子が窺える.

また,文政11年(1827)に初版がでた江戸の名所案内 岡山鳥著,長谷川雪旦挿絵の『江戸名所圖會』は,春夏秋冬を43の項目に分類し,その名所の故事来歴,訪ねる季節,道案内などを記した行楽ガイドブック.自生する野草を紹介しているのは四季を通じて「春之部」での菫と桜草だけで

○ 桜草
 尾久の原―王子村と千住とのあひだ.今は尾久の原になし.尾久より1里ほど王子のかたへ行きて,野新田の渡しといへるところに,俗よんで野新田の原といふにあり.花のころはこの原,一面の朱に染むごとくにして,朝日の水に映ずるがごとし.またこの川に登り来る白魚をとるに,船にて網を引き,あるひは岸通りにてすくひ網をもつて,人々きそひてこれをすなどる.桜草の赤きに白魚を添へて,紅白の土産[いえづと]なりと,遊客いと興じて携へかへるなり.

 昔は白魚が隅田川の名物で,尾久あたりまで屋形船をくりだしてさかのぼり,白魚を舟の引き網や手網で漁り,岸に着けて一面を紅に染める桜草を摘んで,紅白の土産としゃれこんだ,早春の風流このうえない遊びがはやった時代があったと書かれている.左に示すように大変楽しい花見の宴の様子が描かれている(国立国会図書館).

 このように自生地に行楽する事は幕末からさらに明治に入っても続く.

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