2010年5月13日木曜日

サクラソウ(9) 駒止 江戸近辺 荒川流域での桜草群落の出現,桜草作伝法

Primula sieboldii cv. Hitchrack
品種名;駒止,品種名仮名;こまどめ,表の花色;淡いとき色,裏の花色;淡いとき色,花筒の色;とき色,花弁の形;重ね,花弁先端の形;桜,花容;平咲き・受け咲き,花柱形;短柱花,花の大きさ;中,作出時期; ,類似品種; ,その他;よい香りがする 
桜草にイメージがぴったりの淡い桜色の花弁,草姿も端麗.2006年にホームセンターで苗を購入.お気に入りだが, 残念ながら繁殖力はあまり旺盛ではないようだ.

桜草についての資料は,前出の『地錦抄附録』(享保13年1733)の記録以降,しばらく現れないが,この間に新しい変化があったと考えられる.それは江戸近辺,荒川流域での桜草群落の出現である.当時の江戸の町は火災が頻発し,また町の拡大に伴って,建築資材としての葦の需要が高まっていた.良い葦を得るために葦原は春先に火入れされ,これが桜草の生育にとって好条件となり,桜草の群落が人目につくようになったと考えられる.

天保の終わり頃書かれたと考えられ,写本でのみ伝えられた『桜草作伝法』,著者は不明ながら,内容は大変高い水準に達しており,浪華さくらそう会のHPで原文も現代文訳も読むことが出来る.その第一部は桜草栽培史に充てられており,江戸時代後期の江戸の地における栽培の様子が詳述されていて,そこに次のような記述がある.

 「桜草を翫ぶことは 享保の頃より見出し 翫ひ候ことにして 追々江戸へ取出し 詠めしことゝ思れ候 其頃好事の輩は遠路をいとはず 野原に足をはこび,中には替り色花もあれかしとたつねしに 一通りの華のみにて 稀に白花を得しとなり.」 (武蔵の地で)桜草を楽しむのは享保ごろから始まり,それがだんだんと江戸に伝わり鑑賞されるようになったと思われる.その頃花好きの人は遠路をいとわず野原に出かけ,変り花もあればと捜したが,普通の花ばかりで,稀に白い花を得ただけであったという.  このように著者は「享保時代に桜草の群落の存在と鑑賞の風習が江戸に伝わったと思う」と述べているが,この荒川流域のサクラソウの群落の出現が,それまで限られた場所でしか見る事の出来なかったサクラソウの美しさを,江戸の町の人々が愛でる機会を一般化したことは間違いないだろう.

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