手元にある江戸時代の園芸関連の資料を見ると,江戸中期まで現在のタチアオイは「葵,あふい,蜀葵,からあふい」と呼ばれ,立葵はエンレイソウの事を指したと思われる.昨日のタチアオイ(1)で「江戸時代に名が立葵となった」としたが,江戸中期以降のことと考えられる.
☆「花譜」貝原益軒 1694年
蜀葵 あふい 日本人が1474年(大明成化甲午)に明国で初めてこの花を見て作った漢詩が見事だとほめられたと中国の文献を引用.日本に入ったのは平安時代とされるが,その後あまりポピュラーにはならなかったと思われる.花として真紅,浅紅,紫白色,一重,八重がある.若い葉は食べられる.と記す(左,中村学園のHPより引用).
蜀葵 あふい 日本人が1474年(大明成化甲午)に明国で初めてこの花を見て作った漢詩が見事だとほめられたと中国の文献を引用.日本に入ったのは平安時代とされるが,その後あまりポピュラーにはならなかったと思われる.花として真紅,浅紅,紫白色,一重,八重がある.若い葉は食べられる.と記す(左,中村学園のHPより引用).
☆「花壇地錦抄」伊藤伊兵衛 1695年
草花夏之部 葵のるい 中末
くれない 八重ひとへあり花形木綿のはなのことし
むらさき ひとへもせんようもあり
雪白 せんやうとひとへあり
源氏 うすいろニて花のへりしろし八重一重有り
☆「増補地錦抄」伊藤伊兵衛 1695年
立葵 花しろく葉あふいのことくなる小草なり.あいらしく見事成物
「増補地錦抄」挿絵には小あふい,大あふいがあり,大あふいはタチアオイと考えられる.「広益地錦抄」の記述を考え合わせるとここの「立葵」はエンレイソウの類の様に思われる.(続く)
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