2018年7月25日水曜日

オオボオシバナ(3)Thunberg “Flora Japonica”, 伊勢參宮名所圖會,東海道名所図会,人物東海道,梅園草木花譜


Commelina communis var. hortensis
茨城県南部 植栽 2017年7月

オオボオシバナという名前は明治以降に一般的になったらしく,それ以前はツユクサとの明確には区別されずに,あるいは「アオバナ
-青花」や「大寫花」などと呼ばれていた.
この花の花弁を摘んで,絞って,和紙に何回も塗り重ねたものが「青紙」で,この紙を切り,水で色素を抽出し,染め物-主に友禅染-の下絵を描くのに用いられた.下絵は跡形もなく水に溶けて失われるという特性を生かした利用法であった.
一方,光を通しても,青色がくすまないので,羊皮紙を使った燈籠の着色に用いられたという記録も残る.

リンネの弟子で,1775 1776年,出島の医師として滞日し,帰国後リンネの後を継いでウプサラ大学の学長になった★カール・ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828) の『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784)には,ツユクサ属の植物として「ツユクサ」に,リンネの附けた学名 Commelina communis(現在も有効)が記載されている.日本名としては,ケンペルの記載の外に,Jaragara Tsujukusa(ハナガラとツユクサ)が記されている.またその利用法(Usus)として,「花からはウルトラマリンの絵具が作られる.花辧は米の汁(米酢?)と混ぜられ,絞られる.得られた液はきれいな紙に塗られ乾かされ,この工程を何度か繰り返して製品となる」とあるようで,この製造法は,オオボオシバナを用いた近江栗太郡の青紙製造の工程そのものである.
“COMMELINA,
communis
C. corollis inaequalibus, foliis ovato lanceolate-acutis, caule repente glabro.
Commelina communis. Linn. sp. Pl. p. 60
Japonice: Koo Seki, Jaragara, Skigusa, Tsugusa et Asango, it. Tsujukusa.
Koo Seki, vulgo Skigusa et Tsugusa, aliis Asango. Kaempf. Am. ex. Fafc. V. p. 888. fig. p 889.
Crescit in Dezima et prope Nagasaki copiose, inque utraque insula Kosido dicta.
Floret  Augusto, Septembri, Octobri.
Usus  florum pro ultramarino conficiendo. Petala cum furfure oryzae mixta humectantur et massa paullo post exprimitur. Expresso succo immergitur charta pura et humectata siccatur, vicibus toties iteratis, donec ipsa charta pro colore valeat.”

京都三条大橋から伊勢神宮までの道中の地誌や名所・名物を記し,参拝客の遊山の助けにした★蔀関月『伊勢參宮名所圖會(1797) の「巻之二」には
「附言 草津より石部(いしべ)までの間(あいだ)凡百ケ村にも及(およ)びて青花紙(あおばながみ)を制(せい・まゝ)す.是近江一國の名産(めいさん)にして,月草の花を以て紙に染浸(そめひた)す.其草の名(な)俗(ぞく)に露(つゆ)草叉うつし花ぼうし花ともいふ.」
とあり,草津山田郡付近では,青紙が「近江一國の名産」として多くの村で作られていたとある.「うつし花」がオオボオシバナの別名として記されている.

★秋里籬島(あきさと・りとう)『東海道名所図会』(1797年)は,籬島の手に成る「名所図会」シリーズの6作目.京都から江戸に至る東海道の宿駅・街道筋の名所・旧跡・名物を文献と実地調査に基づいて網羅し,大本(26×18cm程度)の画面に絵入り(名所の全景に風俗画・歴史画を加える)でまとめたもので,その「巻之二」の近江地方の部には
青花(あをはな)ハ山田草津辺の
名産(めいさん)にして,漢名(かんめい)を鴨
跖草(おうせきそう),花を碧蝉花(へきせんくハ)
といふ.六七月頃に花を
摘(つ)んで紙(かみ)に染(そめ),もやう染(そめ)の
下繪(したゑ)に用ゆ.萬(よろず)の花ハ
朝日かけに咲(さ)くを,此花は
月影(かけ)に咲(さ)けば月艸(つきくさ)といふ.又露草(つゆくさ)とも呼(よ)ぶ.」とあり,図には「畑・摘花・紙に塗る・青紙を乾かす」の工程の外,花汁を搾る道具も描かれている.(原文にはない句読点を適宜挿入)
また,「碧蝉花」という,名も記録されている.
「東海道五十三次」で有名な★歌川広重(1797 – 1858)の種々の「東海道」シリーズの一つ『人物東海道』(1820)と呼ばれている浮世絵は,東海道の宿場近郊の風景と人物を組み合わせたモチーフからなっている.その「草津」には,「青花摘」の画題で,朝まだきに女性二人が「オオボオシバナ」の花をつむ風景が描かれている.朝日が琵琶湖を隔てた,比叡山を主峰とする山の稜線を茜色に染めている,夜明けからの,腰を曲げての労働は,画材にはよいが,大変だったであろう.

★毛利梅園(1798 1851)著『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 1849)の「夏乃部七」には,当時の草木図としては珍しく,日付(丁未:1847年六月十六日)の入った写生圖で,直立した太い茎と広い葉のオオボオシバナの特徴がよく捉えられている.またこの花から青紙が作られる事も認識されている.

「救荒本草及和漢三才圖會曰
翠胡蝶(スイコテウ)アヲバナ
異名 竹節菜 翠娥眉 ●(竹冠+且)竹花
大ツユクサ ○大寫花(オヽうつしはな) 藍花(あいはな) 唐(から)うつし花(ハナ) 花紺青(はなこんぜう) 以上地錦抄

翠胡蝶用其花汁濃者(ヒタシ)
染ル青紙亦為呼曰
青花色淡(ウスキ)形狀相

丁未六月十六日於
庭園寫」

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