2013年5月22日水曜日

ハクウンボク 広益地錦抄・草木錦葉集・シーボルト日本植物誌・玉铃花・蟯虫の駆虫剤

Styrax obassia
筑波実験植物園 0405
小さな白い花がたくさん枝につく姿を白雲にたとえて「白雲木」と名づけられ,寺院では釈迦入滅の時に咲いた沙羅双樹に見立てて,植栽していることが多い.エゴノキと似ているが,エゴノキより高く,615mの樹高となる.材はエゴノキ同様,白色で緻密,天童市では将棋の駒に加工している.

E.T.さん提供 白雲木花の絨毯
エゴノキは今年伸びた新しい枝の先に16個ずつ花をつけ,一方ハクウンボクは枝先から垂れ下がった817cmの総状花序に20個ほどの花を下向きに咲かせる.よい香りがある.花は咲いてから一週間もしないうちに散ってしまう.美樹薄命である.

花冠は白色で5深裂,雄しべは花冠の筒部に10個着生.果実の先はややとがり星状毛を密生する.熟すと縦に裂けて褐色で硬い1個の種子が出る.種子には脂肪を多く含み(蛋白質 17.5%,脂肪油46.6%),ろうそくの材料に利用された.
ハクウンボクの別名オオバヂシャはエゴノキの別名チシャノキに対して葉が大きいから.エゴノキ同様の虫こぶが本種にもつき,黄緑色で蝋細工のようなハクウンボクハナフシが見られる.原因は,アブラムシの刺激による.

広益地錦抄 草木錦葉集 共にNDLより

江戸時代には庭で観賞用として栽培され,伊藤伊兵衛『広益地錦抄,巻一 木の分』(1719) には,「白雲木(はくうんき)木春末 葉大ク柿(かき)の葉のごとく枝しげり大木となり下へさがりあさからににたり 花の色白くあさからより少はやくさき花形みじかくさがる」と,おなじエゴノキ科の「アサガラ」を比較対象にして記述している(右図,左).
また,斑入りの葉を持つ「白雲木(はくうんぼく),玉鈴花」は盆栽とされていて,水野忠暁『草木錦葉集 巻一』(1829) に美しい図が載る(右図,右).

学名をつけて欧州に紹介したのはシーボルト.出島の庭園で実際に栽培していて,彼の『日本植物誌 Flora Japonica(1835-1870) には,精密な図(左図)とともに,覚書には「日本では最も珍しい低木の一つで,九州および四国の高地の森林,あるいは本州の南西部に自生しているものと思われる.我々が見たのは野生状態のものではなく,大坂の庭園で栽培されているものであったが,これは高さ二・〇から三・九メートルの低木であった.
出島の植物園では五月の初めに花をつけ,秋の終わりに果実が熟す.日本の植物学者の言うところによれば,高木なみに成長することもあるということである.大半のエゴノキ属の植物と同様に,冬の初めには落葉する.花は,ヒヤシンスの香りに似た非常によい香りがする.」(シーボルト著,瀬倉正克訳『日本植物誌』〈本文覚書篇〉八坂書房,2007)と記載されている.彼がつけた種小名 obassia は,ハクウンボクの別名オオバヂシャから.なお,チシャとはエゴノキの事.


また,1866年から1871年まで横須賀造船所の医師として日本に滞在し,1873年から1876年に再度滞日したサバティエ(Paul Amédée Ludovic Savatier, 1830 –1891)は,自ら横須賀や伊豆半島で採集を行った他,日本の植物学者伊藤圭介や田中芳男などから標本を入手した.
彼がフランシェ (Adrien René Franchet) と共著で出した『日本植物目録』(Enumeratio Plantarum in Japonia Sponte Crescentium,1873-1879)には,信濃,大坂,江戸で見られて, Takushi bok, Owo batsya, Takoun bok( 伊藤圭介による)と呼ばれると記載されている.この,"Owo batsya" はオオバヂシャ."Takoun bok" はハクウンボクと名を聞いて書かれた物であろう.


カ-チスの "Botanical Magazine" には,ヴェイチ氏の植物園で育てられた個体に咲いた枝が,美しい手彩色石版画(マチルダ・スミス原画,J. N. フィッチ彫版)で収録されている(左図,No.7039,1889年)

中国では「玉花(玉鈴花)」と呼び,日本と同様に材は器具材、雕刻材、旋作材等工用材に,花と香を賞して鑑賞用花木とし,種子から得られた油脂から石鹸や潤滑油を作る.また,果が熟した時に採取し煎じて蟯虫の駆虫剤(虫.主治虫病)として内服する.

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