2013年5月27日月曜日

エゴノキ (3/5) 賣子木,斉墩果,牧野博士,オリーブ,橄欖,野茉莉,油橄欖

Styrax japonica



岩崎灌園 本草圖譜(1830-44) 六十六卷果部 摩厨子
前記事に述べたように,エゴノキは,日本の本草の基本となっていた中国の本草書『本草綱目』に記載されていた植物のうち,初期は「賣子木」,江戸時代後期は「斉墩果」に比定されていた.

即ち,僧昌住『新字鏡 五十八 木』 (900),源順『和名類聚抄』(承平年間 931 - 938年)では,「賣子木」=「賀波知佐乃木(カハヂサノキ)」,林羅山『多識編 木部 第四』(1612)において,「賣子木=加波知佐乃木(かわちさのき)=知佐乃木(ちさのき)=エゴノキ」.

Weinman III Jambos
しかし,この比定は,貝原益軒『大和本草 巻之十二 木之下 花木』 (1709),寺島良安『和漢三才図会 巻第八十四 灌木類』(1713年頃),新井白石『東雅 巻之十三穀蔬類』 (1719年脱稿)らによって,疑問が投げかけられ,ついには,小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之二十七 果之三 夷果類』(1803-1806)によって,本草綱目の「摩廚子(上図,ヤムボス,フトモモ科?,左図は Weinman の『花譜』に載る Jambos の原図)」の附録に記されている「斉墩果」であるとされた.

牧野富太郎博士はこの比定を激しく否定し,
「(前略)従来わが邦の学者は、このエゴノキを支那の齊果に当てて疑わない。小野蘭山の『本草綱目啓蒙』を始めとしてみなそう書いているが、これはとんでもない間違いで、齊果は決してエゴノキではない。しからばそれはなんの樹であるかというと、これはかのオリーブ(Olive すなわち Olea europaea L.)のことである。
この齊果はすなわち齊樹のことで、それが初めて唐の段成式の『酉陽雑俎』という書物に出ており、その書には 齊樹ハ波斯及ビ仏林国(【牧野いう、小アジアのシリア】)ニ生ズ、高サ二三丈、皮ハ青白、花ハ柚ニ似テ極メチ芳香、子ハ楊梅ニ似テ五六月ニ熟シ、西域ノ人圧シテ油ト為シ以テ餅果ヲ煎ズルコト中国ノ巨勝(【牧野いう、胡麻のこと】)ヲ用ウルガ如キナリ(漢文)と記してある。しかしこの書の記事は遠い他国の樹を伝聞して書いたものであるから、文中にはまずい点がないでもない。
『続牧野植物随筆』より
 日本の学者がまずこれを取り上げてその齊樹をみだりにわがエゴノキだと考定したのはかの小野蘭山で、すなわちかれの著『本草綱目啓蒙』にそう書いてある。何を言え偉くてもろもろの学者が宗とあがむる蘭山大先生がこれをエゴノキと書いたもんだから、学者仲間になんの異存があろうはずなく、たちまちそれじゃそれじゃとなってその誤りが現代にまで伝わり、今日でもほとんど百人が九十七、八人くらいまではその妄執に取りつかれてあえて醒覚することを知らない有様である。
 それならオリーブをどうして齊樹というかと言うと、この齊樹は元来が音訳字であって、それはペルシャ国でのオリーブの土言ゼイツン(Zeitun)に基づいたものにほかならないのである。すなわち齊樹はオリーブの音訳漢名なのである。そしてこの事実はわが邦では比較的近代に明瞭になったもので、徳川時代ならびに明治時代の学者にはそれは夢想だもできなかったものである。(後略) 」(『植物記』「万葉歌の山ヂサ新考」1943).

中国からの本草・薬用植物について,主として文字による情報から知るしかなかった江戸時代以前の本草学者にとって,このような誤った比定は避けようがなかった.牧野博士はその著作で,この誤比定に由来し,中国と日本では同じ漢名を使っていながら,異なった植物を指す例を多数挙げて批判し,正しい名前を使うように檄をとばしていた

『続牧野植物随筆』より
その一つが「橄欖(かんらん)」であって,1948年発行の『続牧野植物随筆』「オリーブは橄欖であるの乎」(鎌倉書房)において,橄欖はカンラン科(Burserancae)に属する中国原産の常緑高木, Canarium album Raeuschel で,オリーブに似た楕円形の実をつけ,現地では生で,あるいは蜜漬・塩漬にして食用とし(「味はマズイ」),また酒毒・魚毒を消す薬用としてもちいられる.としるし,「橄欖の実が緑色で楕円形で,其れが如何にも能くオリーブの実と似ている,其れ故西洋人は早くも橄欖の実をば China-Olive (支那オリーブ)と呼んでいた.」と記した.

また,『植物一日一題』「オリーブとホルトガル」(東洋書館,1953) では,「(前略)オリーブは地中海小アジア地方の原産で東洋には全く産しなく、したがってこれを中国の橄欖にあてるのはこの上もない間違いである。しかしそれをどうして間違えたのかというと、その果実の外観から西洋人はその橄欖を China Olive と呼んでいるもんだから、中国で『バイブル』初刊本の『旧約全書』(清国同治二年すなわち我が文久三年西暦1863年に江蘇滬邑美華書館刊行)を中国の学者が訳する際にそうしたもんだ。すなわちその文章は創世記の条下に「又待至七日。復放鴿出舟。及暮。鴿帰就揶亜。口啣橄欖新葉。揶亜知水已退於地」とあり、そしてその誤訳の文字が間もなく我国に伝わったのである。早くも明治十二年(1879)に植物学者の田代安定(たしろあんてい)君が当時博物局発行の『博物雑誌』第三号でその誤謬を喝破している。けれどもなお今日でもその余弊から脱し切れずに文学者などは往々橄欖の語を使い、また坊間の英和辞書などでもよく Olive に橄欖の訳語が用いられている。誠に学問の進歩に対し後れ返ったことどもで、日は最早や午に近く高う昇っているから早く灯火を消したらどうだ!」と,過激とも思われる言葉を用いて批判している.

すなわち,牧野博士の考えでは,「エゴノキ(チシャノキ)≠斉墩果=オリーブ≠橄欖」という式が成り立つ.では,エゴノキは中国では何んと呼ばれていたのか.牧野博士の著作には探し出せなかったが,現代中国ではエゴノキを「野茉莉 (yemoli)・木香柴・野白果樹・山白果」と呼んでいる.白い花の香がよい事や,材や種が白いことに由来するのであろう. 
ところが,興味深いことに,この「野茉莉」を中国の「百度百科」のようなネット事典で引くと,別名として「斉墩果(墩果)が挙がり,この「斉墩果」はオリーブ(Olea europaea L.)の事でもある.さらに,Olea europaea L. は「油橄欖(油橄」とも呼ばれている事がわかる
つまり,現代中国においては「エゴノキ(チシャノキ)Styrax japonicus =野茉莉=斉墩果,斉墩果=オリーブ=油橄欖」という式が成り立っていて,「野茉莉=斉墩果(別名),オリーブ=油橄欖」が古くからあるのか,日本の誤比定に由来しているのか分からないが,牧野博士の批判も現代ではその激烈さを失ってしまったように思われる.

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