古くからその高い香りを賞されて栽培され,また,江戸時代には「富貴蘭」の別称で「芸」と呼ばれる短く厚い変わり葉や斑入りのものを選別・命名して栽培することが流行し,最盛 250 種に達した.最近では近縁の単茎性の洋ラン(バンダなど)に香りや耐寒性を与えるための交配親として用いられ,また花や花色が様々な変種が鑑賞用として育種・開発されている.
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寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)には「風蘭 桂蘭 仙草 三才図会に云ふ、風蘭は土あらずして生く。小さき籃(かご)に貯へて樹の上に掛く。人、仙草と称す。細なる花微かに香し。五雑組に云ふ、風蘭は根土に着かずして木石の上に叢り蟠(またが)り、取りて之れを詹(のき)の際に懸く。時に風の為に吹かるときは愈々茂盛す。其の葉花家蘭と全く異なること無し。
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△按ずるに、風蘭は深山に之れ有り。榧(かや)椵(もみ)等の幹(えだ)の間に多く之れ有り。葉の形万年青に似て細く小さく、其の長さ二、三寸、六月に一茎を抽(ぬ)き小白花を開く。末(すえ)曲り微かに香し。」(『三才図会』に、「風蘭は土がなくても生育する。小さな籃に入れて樹上に掛ける。人は仙草と称する。細かい花でかすかに香りがある」(『草木十二巻蘭』)とある。『五雑組』に、「風蘭の根は土に着かず、木や石の上に叢(むらが)り蟠(わだかま)る。取って詹端(のきば)に懸ける。時折の風に当るといよいよ繁茂する。葉・花は家蘭と全く異ならない」(物部二)とある。
△思うに、風蘭は深山にあり、榧(かや)椵(もみ)などの幹の間に多く生える。菜の形は万年青に似ていて細く小さく、長さは二、三寸。六月に一茎が抽きん出て小白花を開く。末(はし)は曲り、微香がある。」とあり,「風に当るといよいよ繁茂する」ところから名づけられたのであろうか.
また,橘保国『絵本野山草』(1755)にはよく特徴を捉えた絵と共に「風蘭 おさ蘭 花,五六月より八月まで 葉、柳菜にして、ほそくあつし。つや有。ちいさし。花のいろ白く、小りん。蘭花のごとし。」とナゴランやカヤランなど一緒に記述している(右上図).
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約85年後に出島オランダ商館の医師として1年間滞日したリンネの弟子,ツンベルク(滞日 1775 – 1776)は,『日本植物誌』 “Flora Japonica”(1784)の,Epidendrum monile の項で,ケンペルのいう「フウラン(Fu Ran)」は,日本名「セッコク(Sekikokf)」の異名とした.一方,彼が長崎で見たとし,Orchis falcate の学名をつけた日本名「エビネ(Iebine)」の蘭は,実際にはフウランであった.更に,彼の『日本植物図譜』“Icones plantarum Japonicarum”(1794) には,正確なフウランの図には,Limodorum falcatum. (Orchis falcata: Flor. Japon. p. 26.) と記されている.
シーボルト(滞日 1823 - 1829)は,滞日中に伊藤圭介著『泰西草木名疏』(1829)(ツンベルク ”Flora Japonica” 中の学名に日本名を考定し当てはめた書)では,Orchis falcate =「エビネ(Iebine)」には疑義を呈し,「補」としてツンベルクが “Icones plantarum Japonicarum”で記した Limodorum falcatum に「風蘭」を対応させている.種小名 “falcata =鎌のように曲がった” は,現在のフウランの標準的な学名 Vanda falcate に受け継がれている.
1819年の Curtis’s “Botanical Magazine” Limodorum falcatum (Neofinetia falcata) (銅版手彩色)のテキストには,香りが非常に良いことが特徴とされている.LIMODORIJM FALCATUM. FRAGRANT LIMODORUM.
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It was first cultivated in England by Sir ABRAHAM HUME,At Wormleybury, who reccived the plant from the East Indies,Through the late Dr.ROXBURGH.
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