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エジプトではキリスト生誕以前から食べられていたらしく,ユダヤ教徒は「過ぎ越しの祭」に,苦難をあらわす苦菜(bitter herb)のひとつとして,チコリなどと食べる.
出エジプト記第12章8節 "And they shall eat the flesh in that night, roast with fire, and unleavened bread; with bitter herbs they shall eat it." 「 そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。」
日本には江戸時代の,遅くとも正徳年間(1711 - 16) には日本に渡来し,一部では栽培され食用にされていたらしい.
貝原益軒の『菜譜』((1704)には「おらんだちしや,四五月青き花さく.葉に光なし.うるわしからず.朝ひらき,夕にしぼむ.冬はわらにて包むべし.葉しげりて,白く生にてもくらふ.」とある.また同人の『大和本草』 (1709) には「紅毛萵苣 オランダチサ」の項に「菊に似た碧花を開いて,朝に開いて夕方には萎れる.ムクゲの花のようだ.生で食べても良い.」とあり,葉と花の絵が『大和本草 巻之十九 諸品図』に載る(左上図 中村学園).
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高野苣は枝椏(えだまた)ごとに小さな紫花がつく.」とあり,花色や花の着き方からエンダイブと思われる.
また,小野蘭山『本草綱目啓蒙』(全48巻.1803 - 1806) の巻之二十三,「萵苣 チサ チシャ」の項には,「萵苣 (中略) 一種ヲランダヂサ 一名,ハナヂサ キクヂサ 葉ニ花岐多シ.生食,煮食,並ニ佳ナリ.一根ニ叢生ス.冬末春初最繁クシテ千葉牡丹花ノ形ノ如シ.漸ク薹ヲ起スコト二三尺,葉互生ス.葉間ニ枝ヲ抽ルコト長シ.夏ニ入テ葉間ゴトニ花ヲ開ク.形蒲公英花ニ似テ,深藍色.朝ニ開キ午前ニ色変ジテ萎ム.蕾ハ葉ゴトニ多ケレドモ日ニ一花ノミ開ク.後実ヲ結ブ.形同蒿(シュンギク)子ノ如シ.絮(じょ)ヲナサズ.是モ亦萵苣ノ一種ナリ.(後略)」とあり,深藍色の花,花の寿命や花の着き方から,江戸時代エンダイブは「オランダヂサ,ハナヂサ,キクヂサ」と呼ばれて,食用に供されていたことが分かる.
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