数年前に購入した鉢植えから,ゆっくりと個体数を増やして,毎春可憐な花をつけてくれている.
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薬用とされなかったためか,江戸時代以前はあまり注目されなかったようで,現存の文献に現れたのは,貝原益軒『大和本草』 (1709) に「シャウジャウハカマ 葉土に付き生す 其形此の如く 葉の中より茎を生ず 処々に之有り.」(左図左)と記されたのがもっとも古いようだ.
また,寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)には,「猩猩袴(しょうじょうばかま) 俗称【本名は未詳】 △思うに,猩猩袴は高さ六,七寸.葉は蕙(かおりぐさ)に似ていて短い.五,六月に花を開くが,浅紅色で桜草の花に似ていてやや小さい.」(左図右)(現代語訳 島田・竹島・樋口,島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫)とある.色からサクラソウを連想したのだろう.
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磯野直秀慶大教授の『日本博物学史覚え書 XIV』によれば,左馬之助『諸禽万益集』(1717 成)の「和産草類」で室町時代から江戸時代前期にかけて園芸品種化されたと思われる種の一つとして「せうぜうはかま」が挙げられている.
更に,毘留舎那谷(びるしゃなや)『東莠南畝讖(とうゆうなんぼしん)』(1731) には,非常に正確な図が描かれている(右図).
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ショウジョウバカマ(1)はこちらから.
また,「「東アジア・北米隔離分布」概念の契機となった植物の一つとしてのショウジョウバカマについては,私のもうひとつのブログ「Antique Botanical Printに描かれた日本の花」の「海を渡った日本の花 (30) ショウジョウバカマ 「東アジア・北米隔離分布」」に記した.
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