2013年12月9日月曜日

ナンバンギセル (3/4) 万葉集「思ひ草」,本居宣長『玉勝閒』,『物品識名』,『和訓栞』,前田曙山『曙山園芸』,久保田淳

Aeginetia indica
2001年6月 茨城県南部
万葉集(785年以前)の巻十,秋 相聞の項に「寄草」の題で,作者不詳「道邊之 乎花我下之 思草 今更爾何 物可将念 “みちのへの をはなかしたの おもひくさ いまさらになど ものかおもはむ” 」という歌がある.
この「思ひ草」はその後多くの歌に詠われたが,本体については,ツユクサ,リンドウ,シオン,オミナエシ,チガヤなど多くの説が立てられた.

現在,定説となっているナンバンギセルは,最初に本居宣長が「玉勝間」でとりあげている.
これには「尾張の田中道麻呂が,「思い草といって,すすきの中に生える草丈三〜四寸あるいは五〜六寸の小さな草がある,これは秋に黒紫の菫に似た花をつけ,匂いはなく,花の時期には葉がない.そしてこの草は薄の中以外には生えない.黒大豆のような実を薄の下にまくとよく生える.」と図つけた手紙をくれた.これが万葉集の思い草であろう」と記されている.この記述から考えると,この菫に似た花をつける草というのはナンバンギセルそのものである.

本居宣長『玉勝閒(間)』(1793起筆。1795‐1812刊)
玉勝閒(間)十三の卷
   お も ひ 草 十三
   末ひろくしげりけるかな思ひ草 を花が本は一もとにして
かくよめるこゝろは、戀の歌につねに、尾花がもとの思ひ草とよむなるは、そのはじめを尋ぬれば、萬葉集の十の卷に、「道のべのをばなが本の思草、今さらに何物か思はむ、といへる歌たゞ一(ツ)あるのみにて、これをおきては見えぬ事なるを、此一本によりてなむ、後にはひろくよむことゝなれるよしをよめるにぞ有ける、そも/\此思ひ草といふ草は、いかなる草にか、さだかならぬを、一とせ尾張の名兒屋の、田中(ノ)道麻呂が許より、文のたよりに、今の世にも、思ひ草といひて、すゝきの中に生る、小き草なむあるを、高さ三四寸、あるは五六寸ばかりにて、秋の末に花さくを、其色紫の黒みたるにて、うち見たるは、菫《スミレ》の花に似て、すみれのごと、色のにほひはなし、花さくころは、葉はなし、此草薄《スヽキ》の中ならでは、ほかには生ず、花のはしつかたなる所の中に、黒大豆ばかりの大(キ)さなる實のあるを、とりてまけば、よく生る也、されどそれも、薄の下ならでは、まけども植れども、生ることなし、古(ヘ)の思ひ草も、これにやあらむ、されどすゝきの中にのみ生るから、近き世に事好むものゝ、おしてそれと名づけたるにもあらむかといひて、其草の圖《カタ》をも書て、見せにおこせたる、そのかたは、かくぞ有ける、其後に又あるとき、花の咲たるころ、一もとほりて、薄のきりくひとめに、竹の筒の中にうつしうゑて、たゞに其草をも、見せにおこせたるを、うつしうゑて見けるに、しばしは生《オヒ》つきたるさまにて有しを、ほどなく冬枯にける、又のとしの春、もえや出ると、まちけるに、つひにかれて、薄ながらに芽《メ》も出ずなりにきかし、さるは後にたづね見れば、此わたりの野山なる、すゝきの中にも、ある草にぞ有ける、これ古(ヘ)の思草ならむことはしも、げにいとおほつかなくなむ、」

岡林清達・水谷豊文『物品識名 乾』(1809 跋)「ヲモヒクサ キセルサウ ナンバンギセル 列當一種」とあり,これが思い草=ナンバンギセルとした最も古い文献ではないかと思われる(右図 NDL).

また,中嶋信太郎随筆集『無用の用』文芸社(2002) には,「谷川士清*の『和訓栞』**には,「きせる草または南蛮きせるともいふ」とある.」とあるが,オンラインで読める『和訓栞』には,そのような記述は見つけ出せなかった.
関連ありそうなのは『和訓栞 後編畿の部』成美堂(1887)に
「△きせる (中略)おらんだぎせるは全体すやきのもの也今菌の類に名づく土-歯といへり又草蓯蓉なりといふ南蛮きせるともいふ」という記述があった.
また,谷川士清 著,伴信友 加筆,井上頼圀, 小杉榲邨 増補『倭訓栞 : 増補語林』皇典講究所(1898)に「おもひぐさ 歌林良材にハ一草に限らざるよし也唯愛する草をいへり能因は櫻をも思草とよめり齋院前栽草盡にハ女郎花とせり通具の説に龍膽又露草といへるハ万葉集に尾花が本のおもひ草といふによれりそれより尾花が本のくさとのみもよめる也」とあり,ここには,思い草=ナンバンギセルとはなっていない.
* たにかわことすが(1709-1776),** 刊行 1777-1887

一方,山田卓三,中嶋信太郎『万葉植物事典「万葉植物を読む」』北隆館(1995) の,「思ひ草」の項には,
「ナンバンギセルという名称をはっきりと記している書物は前田曙山の『園芸文庫』(巻三・明治三十六年 1903刊)である。これには、〝尾花が下のとあるのは、単なる尾花の下に生えているといった形容の意だけではない、もっと深い意味をもっている。龍胆(リンドウ)が思い草なら尾花が下と特定しなくてもよい、龍胆は尾花の下だけでなく女郎花やふじばかまの下にも生えている。これを庭に植えてみたところ、よくつき繁殖した。したがって龍胆は尾花が下に限ることはない。これに対してナンバンギセル(オランダキセル)は尾花の下でなければ決して生えてこない。薄類ならよく発生するがカルカヤなどの下に蒔いてもだめである。思い草は薄がなければ自活できないことを知れば、尾花の下の思い草はナンバンギセルであり、龍胆ではない。歌の大家である定家が龍胆説をとっているが*、定家は歌聖ではあるが植物の知識には乏しい。したがって大家の説だといってこれを信ずることは愚なことである″という意味のことが記されている。」とある.

残念ながら『園芸文庫 巻三』(1903)は見ることが出来なかったが,前田曙山『曙山園芸』聚精堂(1911)の「秋の園芸」の項に
 「「思ひ草とは何」
歌に思ひ草と云ふのが有る.
道の邊の 尾花が下の 思ひ草 今更になぞ物を思はん
と通具卿に詠ぜられて,非常に有名になったが,而し歌学者の多くは,今日と謂も,実際其實物を知るまい.従って蘭草(ふぢばかま)といひ,紫苑といひ,龍膽といふ説が有る.そして大体において龍膽の異名という事に帰着したらしいので有るが,實は思ひ草なる植物は外に歴然として存じて居るので有る.
詞林採集**に『家には龍膽を思ひ草と被仰(あふせら)るゝの上は可信用之(これをしんようすべし)云々』と,無理強いに龍膽にして了(しま)つたやうで有るが夫は甚だ酷で有る.
通具卿の思ひ草の歌に『道の邊の 尾花が下の』と,場所を特定して有るのは或ひは詞華の形容かと思へるけれど,叉虚心にして考へると殊更に特定したといふには,何か特定すべき理由が無くばならぬ.思ひ草にして龍膽なれば,尾花の下に限らず,撫子,蘭草の間からでも生へる特に尾花の芒とは限らぬので有る.然るに真實の思ひ草なる物は,芒の根元でなくては成長せぬ.何故かといふと,夫は芒の寄生植物で,芒の根から栄養分を吸収して成長する南蛮烟管といふもので,芒のみには非ず.此植物の寄主として知られているのは,甘蔗,陸稲,茗荷等十三種有るが,芒に寄生するのが古くから知られて居たし,極めて詩的でも有る.
此植物の形はといふと,普通に葉と見える葉もなく,恰も土筆のやうにニヨキ/\と芒の根方から地を抽くので,其梢が烟管の火皿のやうに,著るしく一方に曲がっている,そして其曲つた所が花で有る.(後略)」とあることを見出した(上図 NDL).

さらに,前田曙山『四季の園芸 : 趣味と栽培』誠文堂書店(1916)「秋の園生」にも全く同じ文が載っていることを確認した.

曙山は園芸文庫では,「藤原定家が龍胆説をとっている」としているが,定家が直接に思ひ草を龍胆としたとする文献は見当たらないし,由阿の『詞林采葉抄』でも,説の一つとして述べているように思われる.
また,「道の邊の 尾花が下の 思ひ草 今更になぞ物を思はん を源通具を詠った」としているが,この歌は万葉集収載の詠み人知らずの作者である.
このような思い違いは見られるものの,この曙山の説には説得力があり,これ以降「思い草=ナンバンギセル」が一般的になり,多くの万葉学者・植物文化史学者から支持されるようになった.
*由阿(1291-1379?)『詞林采葉抄』(1366 献上)

久保田淳『花のもの言う-四季のうた』岩波書店(2012)には,「三章 秋くれば常盤の山の」の章,「思い草」の項で 万葉集の歌 「道邊之 乎花我下之 思草 今更爾何 物可将念」の「思い草」について
「平安末から中世の歌人にとっては、「思ひ草」はさまざまに考えられていた。たとえば、リンドウ、ツエクサ、アサジ***などなどである。それぞれ勝手に「思ひ草」のイメージを思い描ききながら」詠んでいたのだろうが,「万葉歌、和泉式部や仲実****の作などについて考えると、「思ひ草」は、
一、冬枯れの野辺の、尾花(ススキ)や萱(カヤ)の根元に咲く、かなり目につく花である。*****
一、花は一本の花梗に一つだけ咲く。
ということが知られ、中世の作例中、隆信の歌を考慮すると、葉がなく、花だけであるらしいということも想像される。このような条件に適合する植物は、ナンバンギセルを措いて、他にはない。」とある.
*** 浅茅 - まばらに生えた、または丈の低いチガヤ
**** 『堀河院御時百首和歌(堀河百首1106年(長治3年)3月11日奏覧)(1105年6月頃-1106年4月頃)』に,「恋 思」の題で藤原仲実(ふじわらのなかざね (1057-1118))が,「ひくまのの萱がしたなる思ひ草またふたごころなしとしらずや」と詠う.

*****ナンバンギセルの花期は「冬枯れ」の時期よりずっと早い6-8月であるので,この根拠は合致しないと思うが,少なくとも万葉集に詠われた「思ひ草」はナンバンギセルと考えて何の矛盾も無い.

ナンバンギセル(4/4) 地方名,「おもいぐさ」(千葉・柏),「かっこ-へのこ」(岩手),方言,中国名,薬効,源氏伝説
ナンバンギセル (2/4) 万葉集「おもひくさ」,和泉式部,源通具,順徳天皇,藤原定家,仙覺,由阿,北村季吟,契沖,荷田春満,貝原益軒,小野蘭山
ナンバンギセル(1/4) リンネ,怡顔斎菌品,花壇地錦抄,花彙,物品識名,梅園画譜,竹馬草・春駒草の由来

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