2013年12月14日土曜日

ナンバンギセル(4/4) 地方名,「おもいぐさ」(千葉・柏),「かっこ-へのこ」(岩手),方言,中国名,薬効,源氏伝説

Aeginetia indica
2001年6月 茨城県南部
花壇地錦抄前集
1. 草花として鑑賞するのは日本だけ
ナンバンギセルはインドから東アジアに広く分布するが,盆栽など植栽して鑑賞して楽しむのは日本だけらしい.江戸時代の伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)には「草花秋之部 竹馬草(ちくばさう)初中, 花形童幼のりてあそふたけ馬(むま)のごとく成 小草にして色むらさき 野ニ有」「草木植作様之巻 ●ちやうせんあさがほ ●ちくば草, 右ハ二月中ニ種をまく 合肥を用て植ル ちくば草ハたね取にくき物なり」とあり,庭で栽培していたことが分かる.(左図:花壇地錦抄前集,花壇地錦抄の偽書)

明治の園芸家・作家の前田曙山(1872 – 1941)著『曙山園芸』(1911)に
「其処で僕等は常に其種子を取つて,前記の秋草の盆栽*中に在る糸芒の根へ蒔く,其時期は五月の中旬以後で,種子が灰の如くに細かいから注意せぬと風に散らされる,さればと言つて余り深いと,腐敗して了ふ,要は毛の如き芒の鬚根に接触するやうでさえあれば宜しい.
斯して其種子は芒の根元で発育して,追々寄主の根に食ひ入り,芒の上前を跳ねて成長するので,全く芒のためには獅子身中の虫の感がするであらう.若し此寄生植物が打勝ば芒は枯死の運命に逢着せねばならぬのである.
此草が盆栽中に在って花を開くのは,九月下旬から十月であるから,ちょうど秋草の盛の間,併せて此畸形にして風流な花を眺める事ができる.」(*敗醤-オミナエシ,瞿麦,萩,藤袴,糸芒などの寄せ植え)の文がある.
現在でもヤクシマススキやヒメススキなど小型のススキに寄生させた鉢植えが通販されている.

2. 色々面白い地方名
この植物の地方名は青森から奄美大島まで広く分布しており,注目すべきは千葉県・柏では「おもいぐさ」と呼ばれていることであろう.北から見ていくと,ペんきくさ [青森], せんきぐさ [青森 青森(弘前市)], はぎ [青森(八戸)], かっこ-いのこ [岩手], かっこ-へのこ [岩手(九戸)], かっこ-ぺのご [岩手(九戸)], かっごのへのご [岩手(九戸)], かっこべ [岩手(九戸)], べこのきんたま [岩手(九戸)], あずきくさ [岩手(二戸)], かやくさ [山形(鶴岡市)], まめっぱ [群馬(山田)], あっくり [千葉(千葉)], おもいぐさ [千葉(柏)], きせるそう [千葉(山武)], ゆうれいそう [千葉(長生)], みてぐら [東京(三宅島)], あずきな [長野], おらんだぎせる [近江坂田], はえとりぐさ [島根(美濃)], よだれくい [鹿児島(鹿児島・阿久根・薩摩)], よだれくいくさ [鹿児島(揖宿)], よだれくいぼな [鹿児島(揖宿)], きしりばな [鹿児島(奄美大島)], だばっきり [鹿児島(奄美大島)]などなど.(『日本植物方言集成』八坂書房篇刊(2001))

岩手の地方名の「かっこ-へのこ」などの「へのご,へのこ」は男性性器の方言で,「郭公鳥のペニス」の意味と思われるが,由来は良く分からない.まだ開かない花と花茎が小さなペニスに似ているからであろうか.他にも「べこのきんたま」という不思議な名もある.昔,南部鉄道の五戸(ごのへ)駅の仮名の駅名標識は縦書きだけで横書きは無いと聞いた.地方伝説かもしれないが,横書きだとお年寄りが右から読んで「ヘノゴ」になるからと言うのが,その理由とか.

3. 中国名,薬効
中国では一般的には「野菰」(菰とはキノコの意味)と呼ばれるが,蔗寄生、大芸、金鎖匙、茶匙黃、土地公拐、芋草菰、番仔煙斗、灌草菰、鐵雨傘,官真癀、土地公拐、番仔煙斗、茶匙黃など,形状や生態,作物被害に関わると思われる別名もある.
「本草綱目」には収載されていないが,WEBによると根と花に藥用があり,その効用は「有清熱、利水、解毒之功效。」「強壯、強精藥,有解熱、消炎、祛傷、解鬱、祛傷、散風、治吐血、腸炎、肝病、身經衰落、風濕。治療扁桃腺發炎、 尿道感染、骨髓炎,治毒蛇咬傷.」と幅広い.
日本でも,煎液や薬用酒が尿路感染症,強壮作用,喉の腫れ・痛みに効くとされている.

浮世絵 左: 義経(勧進帳),右:頼朝(曽我兄弟の仇討ち)
4. 源氏の笹龍膽紋とおもいぐさ伝説
前に記したように,「思草」=リンドウ説は今でも支持者が少なくない.万葉歌から派生した歌と思われるものが『古今和歌集』をはじめ多くの勅撰集に見られるが,本歌と異なり,詠人が「尾花の下の思草」を見ているとは思えないので,時代や詠人によって本歌からかけ離れたそれぞれの「思草」があったと考えられる.

その最たる例が源氏の「笹竜胆紋」にまつわる伝説であろう.伊豆に流された源頼朝(1147 – 1199)が狩りをしているとき,花をもっている一人の少女に出会い,花の名を尋ねると,『古今和歌集』に載っている「秋の野の尾花にまじり咲く花の色にや恋ひむ逢ふよしをなみ」を詠んで,「思草」と答えたという.この少女が後に頼朝の妻となった北条政子(1157 – 1225)であり,これがもととなって源氏はリンドウを家紋にしたといわれた.このために,笹龍膽紋は『勧進帳』や『曽我の仇討』などの歌舞伎でも,源氏を表す紋所として衣装などの文様として用いられている.
これにちなんで,源頼朝が幕府を開いた地,鎌倉市は,1952年に市章に「ササリンドウ」を制定した.
また,高木彬光 『成吉思汗の秘密』(1958)においても,樺太の石碑や,シベリアで発掘されたと思われる日本式甲冑,タタール人の民俗芸能の衣装に,笹龍膽の文様があることから,源義経が大陸に渡ってジンギスカンになった事の傍証としている.さらに,江戸時代の源氏の紋として笹龍膽は数少ないとの指摘に,義経は頼朝への反感から京都の源氏系の公卿に使われていた笹龍膽を使ったのであろうと神津恭介は強引に付会している.

しかし,頼朝と政子の故事は,あたかも歴史的事実であるかのようになっているが,まったくの創作話であり,また,源氏の頭領の指物は白旗のみであり,「笹龍膽紋」を用いたという信頼できる証拠はない.思草をリンドウとする説はこの故事の影響を受けているので,当然,その論拠もあやしくなる.

ナンバンギセル (3/4) 万葉集「思ひ草」本居宣長『玉勝閒』,『物品識名』,『和訓栞』,前田曙山『曙山園芸』,久保田淳

ナンバンギセル (2/4) 万葉集「おもひくさ」,和泉式部,源通具,順徳天皇,藤原定家,仙覺,由阿,北村季吟,契沖,荷田春満,貝原益軒,小野蘭山

ナンバンギセル(1/4) リンネ,怡顔斎菌品,花壇地錦抄,花彙,物品識名,梅園画譜,竹馬草・春駒草の由来

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